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Date: 8月 12th, 2019
Cate: ケーブル

ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(電源の場合・その1)

8月のaudio wednesdayは、電源コードの比較試聴も行った。
愛知県からの常連のHさんが、カルダスの電源コードを二種類持ってきてくれた。
現行製品ではなくすでに製造中止になっている。

この他に、5月に自作した電源コードと、
それ以前に使っていた電源コード(ベルデン製に少し手を加えている)、
あわせて四種類の比較致傷を行った。

ベルデンに手を加えたモノは、常連のHさん(上のHさんと違う人)が気に入ってくれて、
最初に手を加えたベルデンの電源コードは、Hさん宅で使われている。
喫茶茶会記に置いているのは二本目である。

愛知のHさんは、以前にもカルダスの電源コードを持ってきてくれている。
短い時間だったが、その時も聴いている。
今回は、「GODZILLA KING OF THE MONSTERS」のサウンドトラック盤から、
ゴジラのテーマ曲で試聴したことが、
前回聴いたときよりもカルダスの音の特徴を抽き出したようにも感じた。

私の自作の電源コードも、ベルデンの電源コードも、
いまとなっては太いとはいわない太さである。
それに硬くない。

硬くないから取り回しも楽である。
カルダスは太いだけでなく、硬くそれに重い。

電源コードの長さは、カルダスがいちばん短く、
ベルデンがいちばん長い。とはいえ極端に違うわけでもない。

それでもカルダスのモノが重い。
この硬さ、重さ、その他をふくめての感触の違いは、
実際の音の印象にかなり近い、と感じる。

Date: 8月 11th, 2019
Cate: アナログディスク再生

ダイレクトドライヴとカートリッジのコンプライアンス(その4)

軽針圧のカートリッジ、つまりハイコンプライアンスのカートリッジの登場は、
ダイレクトドライヴの誕生と関係しているのでは? と書いてきたが、
もうひとつスピーカーシステムの能率とも関係していた、と考えている。

私がオーディオの世界に入ってきたときには、
すでにダイレクトドライヴが当り前であった。
ベルトドライヴ、アイドラードライヴのアナログプレーヤーのもつ音のよさが、
見直されるようになる少し前であった。

カートリッジもオルトフォンのSPUやEMTのカートリッジもあったけれど、
多くは軽針圧化のMM型でもあった。

スピーカーシステムもそうである。
フロアー型スピーカーシステムも当時はそれほと多くはなかった。

ブックシェルフ型全盛時代でもあったし、
さらに小型のスピーカーシステムが登場しはじめてもいた。

さらにいわれていたのは、スピーカーの能率の低下である。
といっても、現在のスピーカーシステムからすれば、
能率が低下していたといっても、十分高いといえるのだが。

ARがアコースティックサスペンション方式によって、
小型のスピーカーでも低音域のレスポンスをのばしたこと、
それによってスピーカーの能率が大きく低下したこと。

このことがカートリッジのコンプライアンスとも関係しているように感じているし、
さらに軽針圧化を後押ししたのがダイレクトドライヴの登場でもあった──、
そう考えているのだが、その時代のオーディオの変化を、私は経験しているわけではない。

上記したように、すでに変化していた時代でもあり、
再び変化しようという兆しの感じられる時代でもあった。

Date: 8月 11th, 2019
Cate: 世代

とんかつと昭和とオーディオ(その10)

古川緑波の「下司味礼讃」に天丼のことが出てくる。

読んでいると、おいしいとうまいの違いについて考えていることに気づく。
おいしいは美味しい、と書く。
うまいは、旨いとも美味いとも書くが、ここでのうまいは旨いのほうである。

どちらも満足して食べているのは同じだ。
それでも天丼とかカツ丼、カツカレーなどには、
うまいのほうがしっくりくることが多いように感じている。

天丼ではなく天ぷらをコースで味わうのであれば、おいしいのほうだろう。
どっちでもいいじゃないか、
そんなこまかなことどうでもいいじゃないか、と誰かにいわれそうだが、
例えば酢豚。

まだ熊本にいたころ、酢豚をどこかで食べるとしたら、そこにはパインが入っていた。
あのころ食べた酢豚でパインの入ってなかったのは記憶がない。

酢豚にパイン。
パインが入っている理由は肉を柔らかくするため、とかいわれていた。
東京に来てからの酢豚では、パインが入っていることはほとんどなかった。

いわゆる町中華と呼ばれている店での酢豚ではなく、
中華料理店とよばれる本格的な店での酢豚には、パインは入ってなかった。

パインの入っている酢豚なんて……、という人はけっこういる。
そういいたくなるのもわからなくはないが、
パインの入っている酢豚も、私は好きだし、友人のAさんとも、
パインの入った酢豚の話をして盛り上ったりしている。

さしずめパインの入った酢豚は、下司味なんだろう。
一般的にいって、パインの入っていない酢豚のほうが高級なんだろう。

酢豚もパインが入らなくなっただけでなく、
豚の銘柄、酢も黒酢使用を謳ってたりする。

そういう酢豚もAさんも私も好きである。
おいしい酢豚も好きだし、うまい酢豚も好きである。

どちらかを選ぶ必要はあるのだろうか。

Date: 8月 11th, 2019
Cate: バイアス

思い込みと刷り込み(その2)

私のオーディオの「始まり」は、これまでしつこく書いているように、
「五味オーディオ教室」からである。

いまもそう思っている。
けれど、同時に少し違うことも思うように(感じるように)なってきている。

「五味オーディオ教室」を読んでから43年。
これから先、あと43年生きている可能性は低いだろう。

つまり、私のオーディオの「終り」が近づいてきているわけだ。
近づいてきているからといって、「終り」が見えているわけではない。

ただ現実に「終り」を迎えたその刹那に意識する「始まり」があるのではないのか。
そんなことを思う(感じる)ようになってきた。

その時に、「始まり」はやっぱり「五味オーディオ教室」だった、と思うのか、
それとも違う「始まり」に気づくのか。

Date: 8月 11th, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、カセットテープのこと(その4)

LS3/5Aを聴いたのは、ステレオサウンドで働くようになってからだった。
そのころにはロジャースからだけでなく、
いくつかのメーカーからもLS3/5Aが発売されていたけれど、
私が初めて聴いたLS3/5Aはロジャースの15Ω仕様のモノだった。

そしてアナログディスクによる音だった。
プログラムソースがCDが主になってからのLS3/5Aは、11Ω仕様になっていたことが多い。

いつごろ15Ωから11Ωになったのか、もう忘れてしまったが、
私にとって聴く機会のあったLS3/5Aは、LPからCDへの移行とほぼ一致していたようだった。

もちろん11Ω仕様のLS3/5Aをアナログディスクで、
15Ω仕様のLS3/5AをCDで聴いたこともある。

それでも私のなかでは、
LS3/5Aの印象として、いまも強くあるのは、
15Ω仕様をアナログディスクで鳴らした時の音である。

その音こそが、
「コンポーネントステレオの世界 ’77」での井上先生の組合せからイメージした音であり、
その後、瀬川先生の文章からイメージしたLS3/5Aの音である。

少し横路にそれるが、なぜオーディオ雑誌ではLS3/5AをLS3/5aと表記するようになったのか。
以前、別項「サイズ考(その6)」でも指摘したときは、
主にインターネットでの表記がそうだったが、いつしかオーディオ雑誌もそうなってしまった。

復刻版は、確かにLS3/5aである。
だから、それはそれでいい。
けれどオリジナルは、LS3/5Aである。

エンクロージュアに貼ってある銘板にも、LS3/5Aとある。
大文字か小文字か。

わずかな違いといえばそうであるが、
わずかな違いに一喜一憂するのがオーディオの面白さであると思っている私は、
いまのオーディオ雑誌が、以前のLS3/5AまでもLS3/5aとしてしまうのを目にすると、
この人たちのオーディオの楽しみは、わずかな違いなどどうでもいいんだなぁ、と思ってしまう。

Date: 8月 10th, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、カセットテープのこと(その3)

今回もそうだが、高校生だった時も、
SB-F01との距離は1mよりももっと近い。

スピーカーとヘッドフォンのあいだくらいの聴き方とでもいおうか、
イヤースピーカー的といったほうがいいのか、
耳との距離は50cmぐらいしかない。

小さい音場である。
その小さな音場で音楽を聴きながら、
LS3/5Aの音のことを想像していた。

ロジャースのLS3/5Aのことは、
私にとって初めてのステレオサウンドである41号とともに買ったもう一冊、
「コンポーネントステレオの世界 ’77」で、
井上先生が女性ヴォーカルを聴くためのコンポーネントとして、
そのためのスピーカーシステムとして知った。

このころからLS3/5Aで、女性ヴォーカルを聴きたい、とずっと思っていた。
なのに聴く機会はなかなかおとずれなかった。

瀬川先生が熊本のオーディオ店に来られた時も、
LS3/5Aを聴くことはなかった。

そのオーディオ店には展示してあった、と記憶しているが、
買えるだけの余裕のない高校生が、店員に聴かせてほしい、とは言い難かったし、
それだけでなく、オーディオ店の騒がしさの中で、本領を発揮するスピーカーではない、
そのことは理解しているつもりだったから、きちんとした条件で聴きたい、
それだけを思っていた。

音色としてはLS3/5AとSB-F01はずいぶん違うだろうな、と思っていたが、
そこでの音場の小ささと、近距離での聴き方は、
どこかに通じるところがあるのかもしれない──、
そんなことを思いながら、SB-F01でいろいろ試して聴いていた。

そのことを今回、同じような位置関係で聴いていて思い出していた。

Date: 8月 10th, 2019
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(audio wednesdayのこと・その3)

ラインケーブルの応急処置をするあいだ、
まったく音を鳴らしていないと、アンプやCDプレーヤー、
それにスピーカーのウォーミングアップも進まないので、
とりあえず、俗にいう赤白ケーブルで接続して、とりあえず鳴らすようにはしていた。

ケーブルのトラブルがあったため、
開始の19時すぎても、スピーカーやアンプなどのきちんとしたセッティングは終っていなかった。

音を鳴らしながら、スピーカーの細かな位置決め、ガタとり、
ホーンの前後位置の調整、
それからアンプ、CDプレーヤーに関しても、いくつかのことをやって、
開始時間よりも30分くらい過ぎて、どうにか準備完了である。

ケーブルは赤白ケーブルのままである。
まず、これで聴いてもらい、
応急処置したケーブルを交換する。

赤白ケーブルよりもいいけれど、もやもやした気分が晴れない。
やっぱり前日の晩に、ケーブルの第二弾を作ってくればよかった……、
と後悔しても、遅い。

どうしようかな……、と思って、トートバッグの中をみたら、
ケーブルが入っていた。入れたつもりのないケーブルがあった。

打痕があったため、前回引き上げたケーブルが入っていた。
一度はバッグから取り出していた。
前日の晩に、一緒に引き上げてきたアース線を使おうと思って、
まとめてバッグに入れていたようだった。

これで、新しく来てくださった人たちに、いつも通りの音を聴いてもらえる。
これは、音を出している側にとって、安心感である。

常連の人たちだけであったら、説明すれば納得してくれても、
新しい人たちに対して、そういうことはしたくない。

何かトラブルがあったとしても、できるかぎりいつも通りの音、
できればいつも以上の音を出したい、という気持は常にある。
それでも予期せぬトラブルがあると、場合によってはなかなか難しくなる。

とにかく、そうやって8月7日のaudio wednesdayは始まった。

Date: 8月 10th, 2019
Cate: 再生音

ゴジラとオーディオ(その7)

秩序から連想したのが、暖炉だった。
暖炉には炎がある。

その炎を、オーディオによる音として連想することが、またある。

「音は人なり」は何度もくり返し書いてきている。
「音は人なり」なのだから、暖炉の炎は人なり、である。

この炎は、奔馬ではないか、と連想する。
辞書には、
《勢いよく走る馬。あばれ馬。また,転じて物事の勢いの盛んなたとえ》とある。
だから奔馬の勢いという表現がある。

オーディオマニアならば、裡に奔馬を秘めているのではないのか。
だからこそのオーディオマニアではないのか。

つまり、暖炉の炎は、裡なる奔馬、
そう連想してしまう。

Date: 8月 9th, 2019
Cate: 再生音

ゴジラとオーディオ(その6)

(その5)で秩序と書いて連想したのは、暖炉だった。

オーディオによる音とは、暖炉での炎ではないのか、と思ったからだ。
音も炎も一瞬として静止することはない。
自在に形を変えていく。

炎には薪が必要である。
薪がなければ、どんなに立派な暖炉であっても、そこに炎は立たない。

薪があれば、それでいいわけでもない。
暖炉の大きさによって、そこに焼べる薪の量は関係してくる。

暖炉を薪でいっぱいにしたらどうなるのだろうか。
暖炉のある家に住んだことはないので、なんともいえないが、
おそらく炎は立たないであろう。

酸素も必要になるからだ。

暖炉の大きさに見合った薪の量と酸素があって、
つまり一つの秩序が成り立っているからこそ、暖炉は暖炉として機能する。

炎が音であるとすれば、
薪と酸素は何になるのか。

Date: 8月 8th, 2019
Cate: オーディオ入門

TSURUYA CLASSIC SALON

出身地・熊本のオーディオ事情には疎い。
たまに帰省しても実家でごろごろしているだけで、熊本市内にでかけることもしないから、
熊本のオーディオ事情は疎い、というよりまったく知らない。

PHILE WEBの記事
百貨店でレコードが楽しめる - 熊本の老舗百貨店「鶴屋」クラシックサロンを訪ねる」を
読んだところだ。

私が小学生のころは、熊本には三つのデパートがあった。
この鶴屋の他に、大洋デパートがあった。
当時は大洋デパートのほうが繁盛していたイメージがある。
大洋デパートは、1973年に火災を出し閉店した。

それから岩田屋伊勢丹というのもあった。
福岡の岩田屋と東京の伊勢丹によるデパート(ショッピングセンターか)だったが、
大洋デパート閉店後、鶴屋の躍進に押されてしまったのか、
伊勢丹が撤退し、岩田屋になってしまい、それも閉店してしまった(はずだ)。

熊本では鶴屋の一人勝ちになっているようだ。
その鶴屋に、クラシックサロン(TSURUYA CLASSIC SALON)がオープンしている、
しかも五年前のことである。まったく知らなかった。
嬉しいニュースである。

クラシックサロンだから、オーディオ店ではない。
これが、また嬉しく思うところだ。

今度帰省した時に行ってみよう。

Date: 8月 8th, 2019
Cate: audio wednesday, 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(audio wednesdayのこと・その2)

audio wednesdayでは、自作の直列型ネットワークを使用している。
通常は、コイズミ無線製のネットワークに私が手を加えたモノを使用している。

自作のネットワークで通常も鳴らしてほしい、と思いつつも、
そうしないのは、(その1)で書いた演劇の人たちの扱いのひどさだけが理由である。

演劇の人たちの扱いだと、二、三ヵ月でどこかおかしくされるはず。
半年と持たない、とみている。

そういう環境には置いておけない。
なので毎回ネットワークも交換するという面倒なことをしている。

ユニットには、それぞれCR方法を、audio wednesdayではやるけれど、
通常はやっていない。
以前は、やっていたけれど、コンデンサーのリード線を捥ぎ取られてしまったことが二回あった。

audio wednesday以外の日の音も、できるだけaudio wednesdayの音に近いものにしたい。
そう思っていても、演劇の人たちがいるかぎり無理である。

壊されても修理はできる。
壊されたのが一週間ほど前にわかれば、当日までに部品を調達して、ということもできるが、
すべて当日になって判明することだから、あーっ、またか……、と思うしかない。

昨晩もそうだった。
しかも自作ラインケーブルの第二弾も、暑さにまけて用意してこなかったので、
不本意な音で鳴らすしかないのか、
来てくれる人も、常連の人たちばかりだから、事情を説明すればわかってくれるだろう……、
そんな甘い考えをもっていた。

でも、おもしろいもので、そういう晩にかぎって、新しい人たちが三人も来てくださった。

Date: 8月 8th, 2019
Cate: audio wednesday

第104回audio wednesdayのお知らせ

9月のaudio wednesdayは、4日。
テーマは未定でも、音出しの予定。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時からです。

Date: 8月 8th, 2019
Cate: audio wednesday, 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(audio wednesdayのこと・その1)

昨晩のaudio wednesdayは、ちょっとしたトラブルから始まった。
毎回、スピーカーをふくめて、アンプ、CDプレーヤーすべての機器のセッティングを、
すべてやるわけだが、
アンプ、CDプレーヤーをラックからひっぱり出すために、裏にまわって驚いた。
ラインケーブルのコネクターが、一箇所、引きちぎられていた。

実は前回も、ラインケーブルに、何か硬い角のあるモノを落したような打痕があった。
喫茶茶会記では、いろんな催しが行われている。

定期的に演劇を行っている人たちは、
オーディオ機器を動かしている、という話は以前から聞いていた。
その扱いが゛そうとうに乱暴なことは、これまでにも気づいていた。

それでもCDプレーヤーとアンプを接続するケーブルまでは、
演劇の人たちによる被害を受けるとは、まったく思っていなかった。

オーディオにまったく関心ない人たちのオーディオ機器の扱いは、
人にもよるのはわかっているけれど、ひどいことがある。

もっともオーディオマニアを自称している人でも、
そんな持ち方をするのか……、と呆れるというか驚かされることはある。

二ヵ月続いて、ラインケーブルがけっこうな被害を受けている。
しかもaudio wednesdayの当日に判明するなのだから、
昨晩は、ケーブルの補修をやらなければならなかった。

しかも、必要な部品を用意していたわけではないから、応急措置でしかない。

打痕がついたケーブルは、4月から導入したもので、
打痕があったため、先月引き上げた。
なので、それ以前のケーブルを先月から接続していたのだが、それをダメにされた。

実をいうと、今回、ラインケーブルを自作して持ってくるつもりだった。
コネクターも買って、必要な加工もしていた。
でも、暑さに負けて、そこで止ってしまった。

Date: 8月 8th, 2019
Cate: Jazz Spirit

ジャズ喫茶が生むもの

5月に「ジャズ喫茶が生んだもの(Tokyo Jazz Joints)」を書いた。

ドイツに、日本のジャズ喫茶から着想をえたというジャズ喫茶が誕生した、という記事を紹介した。
その後も、同じような記事を数本目にした。

ドイツだけではなく、アメリカにもイギリスにも誕生している、とのこと。
日本でも、四ツ谷のいーぐるでは、外国人の客が増えている、という記事も目にした。

昨晩のaudio wedneadayには、三人の、初めての方が来られた。
新しい人が来てくれると、嬉しい。

一人の方が、二年後にジャズ喫茶を開店する予定だ、ときいた。
横浜のちぐさで六年間働いていたという人だから、単なる夢では終らないはずだ。

駅までの短い帰り道、Sさんと話していて、
もしかすると古くからのジャズ喫茶、これから誕生するジャズ喫茶を含めて、
もし再びオーディオブームが訪れるとしたら、それはジャズ喫茶が生むものかもしれない、
そうおもった次第。

Date: 8月 7th, 2019
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(Dittonというスピーカー・その10)

その9)で書いた女の子。
このような子供たちは大勢いるのだろうか。

大勢いるとして、大きくなっても、同じことをいうのだろうか。
「映画館って、映画観るだけでしょ。何が楽しいの。観る以外何もないでしょ」と。

ライヴには行っても、CDは買わないという人たちが増えている、ということは、
数年前から耳にするようになった。

「CDを買っても、音楽が聴けるだけでしょ。何が楽しいの。聴く以外何もないでしょ」
こんなことを思っているのか。

握手券がついているCDは、聴くだけではない。
好きなアイドルに会いに行ける、握手ができるという楽しみ・特典がついている。
もうすでに、上記の女の子のような人は、すでに大人の中にもいるのだろう。

オーディオブームはもうこない、ともいえるし、
ホームシアターという趣味にしても、
音だけでなく映像もついているとはいえ、
上記の女の子にとっては、映画と同じだとしたら、
観る以外何もないでしょ、ということになるはずだ。

けれどオーディオが、単なるブームではなく、
その世界の深さと広さがほんとうに広まっていけば、
聴く以外何もないでしょ──、そんなことはいわなくなるはずである。