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Date: 3月 5th, 2020
Cate: ディスク/ブック

ベートーヴェン ピアノ協奏曲全集(その5)

児玉麻里とケント・ナガノのベートーヴェンのピアノ協奏曲集(SACD)を、
やっと聴いたのは2月の終りのころだった。

ディスクを購入して約二ヵ月。封も切らずそのままにしていた。
よくCDボックスを買って、そのままにしている──、
そんな話を、特にクラシック好きの人ならば何度も目にしたり耳にしたりしていることだろう。

話を聞いたり見たりしているだけでなく、
自身もそうであったりする場合もあるはずだ。

クラシックのCDボックスは、いろんなレコード会社から出る。
10枚組程度ではなく、
50枚をこえるボックスも珍しくないし、しかも価格も棘ほど安かったりするから、
つい購入してしまう。

しかもHMVもタワーレコードもまとめ買いだと、さらに安くなることがある。
なのでCDボックスを、あれもこれもと注文すること(したこと)は、
クラシック好きの人ならば、一度や二度ではないはずだ。

大量の枚数のディスクが到着する。
嬉しい反面、それほどの枚数のCDをすべて聴く時間をつくるのは、なかなか大変である。
それで封を切らずに、そのままになってしまっているCDボックスの数が、
二桁になってしまった人もいる。

児玉麻里とケント・ナガノのベートーヴェンは、そういう理由ではない。
SACDというのが理由である。

SACDで児玉麻里とケント・ナガノのベートーヴェンのピアノ協奏曲集を聴いて、
みじめな音しか鳴らなかったら、
そしてそれ以上に、まさにベートーヴェンという音とは対極の音でしか鳴らなかったら……、
そういう怖れみたいなものがあったからだ。

Date: 3月 4th, 2020
Cate: ヘッドフォン

ヘッドフォン考(その7)

その6)には、すぐにAさんからfacebookにてコメントがあった。
「冴えを感じさせる音にもチューニングできる」、
そんなことが書いてあった。

そうだろうな、と思いながらも考えていたのは、
スピーカーとヘッドフォンの音の相違について、だった。

Aさんはヘッドフォンを、いまのところメインとされている。
Aさんのところでは何度か聴いている。

だからよけいにスピーカーとヘッドフォンの音の相違、
それによるチューニングの方向性などについて考えたわけだが、
同時に、もう一つふと思いついたことがある。

結局は、ここでも「音は人なり」なのか──、
そう思っている。

Aさんとはよく飲みに行く。
でも、私はAさんを少し誤解していたようだ。

Aさんの自宅で聴いた音、
Aさんが野上さんのところに持ち込んだパソコンによる音、
それらを聴いていると、Aさんは穏やかな人なんだ、ということにようやく気づいた。

Date: 3月 3rd, 2020
Cate: ショウ雑感

2020年ショウ雑感(その7)

5月14日から17日までミュンヘンで開催予定だったのHIGH ENDショウは、
新型コロナウィルスの流行により、中止が先日正式に発表になった。

日本のオーディオショウはどうなるのだろうか。
OTOTENは6月6日と7日である。
中止になる可能性は十分考えられる。

そんなことを思いながら、
1979年にステレオサウンドから出たオーディオフェアのムックをパラパラめくっていた。

「入場者の中から100人の方々にうかがってみました」という記事がある。

100人中、50代の人は2人である。
10代の人が19人、
20代、30代が中心年齢層である。

それから40年。
OTOTEN、インターナショナルオーディオショウの中心となる年齢層は、
そのまま40年スライドしただけのようである。

Date: 3月 3rd, 2020
Cate: audio wednesday

第110回audio wednesdayのお知らせ(ピアノ録音を聴こう)

3月4日のaudio wednesdayに持っていく予定のCDを挙げておく。

グレン・グールド:バッハ ゴールドベルグ変奏曲(SACD)
グレン・グールド:ブラームス 間奏曲集(SACD)
グレン・グールド:モーツァルト ピアノソナタ集(SACD)
児玉麻里、ケント・ナガノ:ベートーヴェン ピアノ協奏曲集(SACD)
ミハイル・プレトニョフ:シューマン(SACD)
アニー・フィッシャー:ベートーヴェン ピアノソナタ全集
クラウディオ・アラウ:モーツァルト ピアノソナタ集
マウリッツォ・ポリーニ、クラウディオ・アバド:バルトーク ピアノ協奏曲
マルタ・アルゲリッチ、キリル・コンドラシン:チャイコフスキー ピアノ協奏曲(SACD)
アルトゥール・シュナーベル:ベートーヴェン ピアノソナタ全集
エリック・ハイドシェック:ブラームス ピアノソナタ
ビル・エヴァンス:ワルツ・フォー・デビィ(MQA-CD)
バド・パウエル:ザ・シーン・チェンジズ(MQA-CD)
クララ・ハスキル、イーゴリ・マルケヴィチ:モーツァルト ピアノ協奏曲(MQA-CD)
柳兼子:声楽リサイタル
ドーラ・シュヴァルツベルグ、マルタ・アルゲリッチ:フランク ヴァイオリンソナタ(SACD)
グレン・グールド:バッハ インヴェンションとシンフォニア(flac)
アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ:ドヴュッシー 前奏曲集(MQA)

けっこうな枚数になる予定。
できるだけすべてかけようと考えている。

開始はいつもと同じ19時を予定していますが、
都合により少し開始時間が遅くなるかもしれません。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 3月 2nd, 2020
Cate: 218, MERIDIAN

218はWONDER DACをめざす(その15)

メリディアンの218に手を加えるのは、version 9でひとまず終了となる。
version 10の構想はもっているが、実行するつもりはない。

そのかわり218+αを次の手として考えている。
218はWONDER DACをめざす(さらにおまけ)」で取り上げているコトヴェールのDMJ100BT、
これが218+αの第一弾である。

第二弾として、いまあることを試している。
けっこういい感触を得ている。

第三弾は、別項「スイッチング電源のこと」で書いていることと直接関係してくる。
これはあと二週間後くらいに実行に移せそうである。

第四弾は構想だけで、秋葉原に部品を買いに行く必要があり、
まだ試していない。

これらのことは第三弾が間に合えば、
4月1日のaudio wednesdayで行う。

Date: 3月 2nd, 2020
Cate: きく

音を聴くということ(グルジェフの言葉・その7)

先日発売になったオーディオアクセサリー 176号は、
音元出版のサイトによれば《編集部入魂の1冊》だそうだ。

入魂の音、という表現はしばしばみかける。
自分自身の音について「入魂の音」と表現する人もいるし、
誰かの音について「入魂の音」という人もいる。

入魂とは、辞書(大辞林)には、
 ある事に全神経を傾注すること、
 ある物に魂を入れること、
とある。

オーディオアクセサリーの場合は、「ある事に全神経を傾注すること」の方だろう。
入魂の音の場合はどうだろうか。

使う人によって微妙に違ってくるのだろうが、
私は、「ある物に魂を入れること」の方で使われているように感じている。

つまり音に魂を入れること、である。

「五味オーディオ教室」が、私のオーディオの核になっている。
だから、ここでくり返し書いているように、
オーディオにおける肉体の復活を信じているし、めざしてもいる。

音による肉体の復活。
実際には、そう錯覚しているだけなのだろうが、
それでもそう感じることがあるのも事実だ。

それでも、肉体の復活と感じられる音こそが入魂の音とは思っていない。
細部にまで神経のいきとどいた素晴らしい音で鳴っていたとしたら、
そこでの入魂の音は、「ある事に全神経を傾注すること」の結果による音であって、
「ある物に魂を入れること」ではない。

Date: 3月 1st, 2020
Cate: アクセサリー

仮想アース(こういう方法も……・その6)

オーディオ用アクセサリーとして市場に出ている仮想アース関係の製品には、
いわゆるアクティヴ型とパッシヴ型とがある。

パッシヴ型は電源を必要としない。
製品によっては、どんな材質・材料が使われているのかさまざまだが、
電子部品は使われていない。

アクティヴ型は、まず電源を必要とする。
どんなことを行っているのか、
メーカー、輸入元の説明文を読んだだけでは、よくわからないものもある。

なぜ、ここまで複雑な仕掛けになっているのか、と疑問に感じる製品も見受けられる。
アクティヴ型のモノのなかには、
その製品をコンセントに接続し電源をONにしただけで、
オーディオのシステムとは接続しない状態でも、音は変化するはず、と思われる製品もある。

ここでの「音は変化するはず」と、いい意味では使っていない。
オーディオ雑誌やインターネットの記事には、接続すると効果あり、とある。
接続する前の音と接続した音との比較もある。

けれど、私が見た範囲では、接続しない状態の音は、
そのアクティヴ型仮想アースの製品は、どういう状態なのかははっきりとしない。

電源が入っている状態なのか、
それとも電源は切られているのか、
さらには電源コードはコンセントに挿してあるのかそうでないのか。

このへんのことを曖昧にしたままでの試聴記は信用しない方がいい。

私はアクティヴ型の製品は何ひとつ聴いていないので、
その効果や音の変化については何も語ることはないが、
思い出してほしいことが一つある。

1979年にオンキョーが採用したWスーパーサーボ方式である。

Date: 3月 1st, 2020
Cate: audio wednesday

第110回audio wednesdayのお知らせ(ピアノ録音を聴こう)

3月4日のaudio wednesdayには、
二つのモーツァルトのピアノソナタ集を持っていく。

一つはグレン・グールドのSACD、
もう一つはクラウディオ・アラウのCDである。

グールドの録音は1960年代なかばから70年代なかばにかけて、
アラウの録音は一部1973年もあるが1980年代で、
グールドがアナログ録音に対しアラウはデジタル録音である。

レコード会社もとうぜん違う。
でも、私はどちらも好きなピアニストである。
そしてグールドのモーツァルトも、アラウのモーツァルトも素晴らしい、と思っている。

五味先生はグールドのモーツァルトを
《たとえば〝トルコ行進曲〟の目をみはる清新さ》とされている。
聴いていると、特にSACDで聴いていると、その清新さにハッとする。

アラウはどうかというと、私の耳には清新なモーツァルトに聴こえる。

こんなふうに書いてしまうと、どちらも同じ演奏なのか、と受けとられるのはわかっていても、
そう書いてしまいたくなる。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 3月 1st, 2020
Cate: アナログディスク再生

トーンアームに関するいくつかのこと(その3)

ホルボのHolboというアナログプレーヤーがある。

昨年登場し、ステレオサウンドでも取り上げられているし、
ステレオサウンドのウェブサイトでも、確か二回記事が載っている。

最近発売されたということで、ここで取り上げているが、
リニアトラッキングアームの片持ちという問題点は、
なにもこのHolboだけでなく、ほかの多くの同種のトーンアームについてもいえることである。

なので、輸入元ブライトーンのHolboのページにある写真を見てほしい。
とにかく写真だけでいいから見てもらえれば、どこが片持ちなのか、
誰にでもすぐにわかることだ。

ベアリングシャフトと呼ばれているシルバーの太いパイプがある。
ここが片持になっている。

このパイプは、水平移動するトーンアームにとって、いわばレールにあたる。
ここをなぜ片持ちのままにしておくのか、
片持ちのままでも問題がない、とでもメーカーは思っているのか、
さらにいえば輸入元も、これで十分と思っているのか、
この種のトーンアームを含むプレーヤーシステムを評価しているオーディオ評論家は、
オーディオ評論家(職能家)といえるのだろうか、
そんなことを見るたびに思ってしまう。

こんな疑問を投げ掛ければ、
メーカーも輸入元も、さらにはオーディオ評論家と呼ばれている人たちも、
パイプの径が十分に太くて、材質も吟味されているから、
必要な剛性は確保できている──、と答えるであろう。

ほんとうにそうおもって、そう答えるのであれば、
もうなにをかいわんや、としかいいようがない。

Date: 3月 1st, 2020
Cate: ディスク/ブック

ベートーヴェン ピアノ協奏曲全集(その4)

聴くのが少し怖い、というディスクは、
誰かのところで聴くのがそうだということではなく、
自分のシステムで鳴らすのが怖い、という意味である。

人によって、それは違ってくるだろうが、私にとっては、
聴くのが怖いディスク・イコール・自分のシステムで鳴らすのが怖いディスクである。

といっても、そんなに怖いディスクが何枚もあるわけではない。
かなり少ない。

その少ない一枚が、
児玉麻里(ピアノ)、ケント・ナガノ/ベルリン・ドイツ交響楽団による
ベートーヴェンのピアノ協奏曲第一番である。

その理由は、菅野先生のリスニングルームで聴いているからである。
その時の音が、十年以上経っても、鮮明に残っている。

残っているのは、その時の経験そのものであり、感動である。
「まさしくベートーヴェンなんだよ」、
菅野先生のことばは、まさしくそうだった。

すでに書いているように、同じCDが発売になったので買った。
もちろん菅野先生の音と私の音とでは大きく違うのだから、
同じようにはならないのはわかっている。

それが怖かったわけではない。
怖かったのは、今回のSACDでのベートーヴェンのピアノ協奏曲全集である。

昨年12月に発売になった。
ほぼ同時に手に入れながら、つい先日まで封も切らなかった。

菅野先生のところで聴いたのは通常のCDである。
その時はSACDはなかった。

今回はSACDである。
SACDで鳴らすことが怖かった。

Date: 2月 29th, 2020
Cate: アナログディスク再生

トーンアームに関するいくつかのこと(その2)

トーンアームには片持ちの部品が他にもある。
アームリフターの操作レバーも片持である。

昨晩(その1)へのコメントが、facebookであった。
海外のフォーラムにあったフィデリティ・リサーチのFR64Sの使いこなしに関するものだった。

コメントをくださった方がGoogle翻訳をベースに手直ししてくれものだった。
そこにはトーンアームの構造上、
アナログディスク再生に必要ない部品はすべて取り外した、とある。

具体的にはアームレスト、アームリフターである。
同じことをやっている人が海外にもいるんだな、と思いながら読んでいた。

アームレストにしてもアームリフターにしても、
取り外してしまえるのならば外してしまったほうが、
雑共振の元を減らすという意味でもより効果的である。

片持ちということではヘッドシェルの指かけもそうである。
指かけの多くは外せる。
外した音を、一度聴いてほしい。
(もちろん外した場合、針圧の再調整は必要になる。)

他にも片持ちのところはある。
インサイドフォースキャンセラーに関するところだ。

ここは再生上必要になるので取り外してしまえ、と乱暴なことはいわないが、
影響を与えていることは間違いない。

そしてトーンアームの後部、
つまりメインウェイトが挿し込まれているシャフトも片持である。

基本片持ちになっている箇所は、雑共振という視点からは疑った方がいい。

そしてトーンアームで一番の片持ちはなにかといえば、
メインウェイト用のシャフトではなく、
リニアトラッキングアームに存在している。

Date: 2月 28th, 2020
Cate: audio wednesday

第110回audio wednesdayのお知らせ(ピアノ録音を聴こう)

3月4日のaudio wednesdayには、
アヴァンティ・クラシックから出ているドーラ・シュワルツベルグ(ヴァイオリン)、
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)によるフランク、ドヴュッシー、シューマンのSACDを持っていく。

この録音、あるトラックに奇妙な音がまぎれこんでいる。
どんな音なのかについては、あえて書かない。

2005年に出ているが、当時、その音のことは少し話題になっている。

奇妙な音のことは黙っていて、
このディスクのことも黙ってかけるつもりでいる。

喫茶茶会記のシステムで、この奇妙な音がどんなふうに鳴るのか。
悪趣味といわれるかもしれないが、以前から鳴らしたかった一枚である。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 2月 28th, 2020
Cate: アナログディスク再生

トーンアームに関するいくつかのこと(その1)

トーンアームの新製品が、いまの時代でも、というよりも、
いまの時代だからこそ出ている、といったほうがいいのか、
とにかく新製品が日本からも海外からも登場している。

いまでは単体トーンアームは、かなり高価である。
高価になってしまう理由もわからないではないが、
それにしても……、と思うところがある。

アームレストである。
単体トーンアームであれば、アームレストがある。

プレーヤーシステムとしてのトーンアームであれば、
アームレストはキャビネットに立てられていることがほとんどだ。

けれど単体トーンアームではそうはいかないから、
片持ち構造のアームレストがある。

さらにアームレストにパイプを固定するためには、
なんらかの部品がそこにはついている。

このアームレストが、音質上好ましくない存在である。
必要なアームレストであるわけだが、
音楽を聞いているとき、
つまりカートリッジがレコードの音溝をトレースしているとき、
アームレストはフリーな状態(アームを固定していない)である。

片持ち構造のアームレストは、この時振動している。
その振動は音質に影響をもたらしている。

どのトーンアームなのかは書かないが、
ずっと以前、アームレストにいくつか細工をしたことがある。
簡単にできることだが、見た目はひどくなる。

あくまでも実験的に行ったことだが、
アームレストになんらかの対策を施せば、
アームレストがどれだけ音に影響を与えているかが、音で確認できる。

アームレストの影響をなくすには、根元からポキッと折ってしまうことだろう。
そんなことをすれば、トーンアームは固定されず、カートリッジの破損につながる。

アームレストに関しては、
あまり注意を払っていないモデルが、高価なモノでもけっこう、というか、
そうとうに多い。

ここまでの価格にするのであれば、
アームレストに対して、そうとうに注意を払うべきだ。

Date: 2月 28th, 2020
Cate: audio wednesday

第110回audio wednesdayのお知らせ(ピアノ録音を聴こう)

来週末(3月6日)から、映画「ジュディ 虹の彼方に」が公開になる。

この映画のことは、以前ちょっと書いている。
レネー・ゼルウィガーが演じてのジュディ・ガーランド役で、
劇中の歌はレネー・ゼルウィガーが歌っている。

日本では、この映画の公開にあわせて、
“JUDY AT CARNEGIE HALL”が発売になる。
しばらく廃盤になっていた。

それから輸入盤ですでに発売されていたが、
国内盤でもサウンドトラック盤が、やっと出る。

e-onkyoでは、このサウンドトラック盤がMQAで配信されている。

3月4日のaudio wednesdayのテーマは、ビアノだ。
テーマに変更はないが、会の最初には“Over The Rainbow”を鳴らしたい。

レネー・ゼルウィガーの“Over The Rainbow”もかけたい。

Date: 2月 28th, 2020
Cate: アナログディスク再生

電子制御という夢(その34)

日本のオーディオの歴史をふりかえれば、
日本のメーカーのトーンアームはSMEのコピー(モノマネ)から始まった、といえる。

ほぼ日本だけの規格ともいえるところがあるヘッドシェルのコネクターも、
まさにそうだ。
このコネクターの採用により、カートリッジの交換が容易になり、
カートリッジを、レコードに応じて、音楽に応じて、ときには気分に応じて交換する──、
そういう楽しみ方が日本のオーディオマニアではごくあたりまえのことになっていた。

もちろんずっとSMEのトーンアームのコピーのままだったわけではないが、
SMEのトーンアームが日本のメーカーに与えた影響はそうとうに大きいものであった。

だからこそ日本のオーディオメーカーに、
日本独自といえる電子制御のトーンアームを、
完成形といえるレベルまで開発を継続してほしかった。

事実、(その5)でもふれているように、
SMEのロバートソン・アイクマンは1979年のオーディオフェアに来日して、
《ソニーの電子制御アーム。これも私にとって興味をいだかずにはいられないものでした》
と、ステレオサウンドのオーディオフェアの別冊でのインタヴューで語っている。

そのソニーの電子制御トーンアームは、洗練はされていなかった。
当時、広告や記事での写真を見てもカッコイイとは感じなかった。
いま見ても、そのへんの印象は変らない。

まだまだ登場したばかりの形という感じだった。

十年。
1990年ごろまで、日本のオーディオメーカー各社が、
電子制御トーンアームに積極的に取り組んでいれば、
そのカタチも洗練されていったはずだ。

そうなっていれば、日本独自の素晴らしいトーンアームが生れていたかもしれない。