音を聴くということ(グルジェフの言葉・その7)
先日発売になったオーディオアクセサリー 176号は、
音元出版のサイトによれば《編集部入魂の1冊》だそうだ。
入魂の音、という表現はしばしばみかける。
自分自身の音について「入魂の音」と表現する人もいるし、
誰かの音について「入魂の音」という人もいる。
入魂とは、辞書(大辞林)には、
ある事に全神経を傾注すること、
ある物に魂を入れること、
とある。
オーディオアクセサリーの場合は、「ある事に全神経を傾注すること」の方だろう。
入魂の音の場合はどうだろうか。
使う人によって微妙に違ってくるのだろうが、
私は、「ある物に魂を入れること」の方で使われているように感じている。
つまり音に魂を入れること、である。
「五味オーディオ教室」が、私のオーディオの核になっている。
だから、ここでくり返し書いているように、
オーディオにおける肉体の復活を信じているし、めざしてもいる。
音による肉体の復活。
実際には、そう錯覚しているだけなのだろうが、
それでもそう感じることがあるのも事実だ。
それでも、肉体の復活と感じられる音こそが入魂の音とは思っていない。
細部にまで神経のいきとどいた素晴らしい音で鳴っていたとしたら、
そこでの入魂の音は、「ある事に全神経を傾注すること」の結果による音であって、
「ある物に魂を入れること」ではない。