Date: 10月 28th, 2022
Cate: ショウ雑感

2022年ショウ雑感(その15)

上の階から順番にまわっていたので、
最後は一階のハーマンインターナショナルのブースになる。

別項で書いているマークレビンソンのML50が、JBLのDD67000を鳴らしていた。
別項でML50をパチモンだと書いた。

実機は写真ほどにはパチモン的ではなかったけれど、
中学、高校時代、マークレビンソンに憧れてきた私の目には、
パチモン的に映ってしまう。

ハーマンインターナショナルのスタッフによると、ぎりぎり間に合ったそうである。
ML50も、昨今の半導体不足の影響を受けていて、
本来ならば9月から量産にはいる予定だったのが、いまだ無理とのこと。

ディスクをかけかえながら操作していた人によると、
ML50の音をきちんと聴くのは、このショウが初めてとのことで、
どんな音なのか、楽しみながらディスクを選んでいる、とも話されていた。

この人は、2018年OTOTENの人と同じはずだ。
この人はOTOTENでも感じていたことなのだが、いい感じでディスクを選びかける人だ。
間延したりしない。

あえて名前を出すが、ノアのブースの人とは大きく違う。
ノアのスタッフの人は、毎年、よけいなしゃべりを入れてくる人だと感じてしまう。
音を鳴らすまでのしゃべりが長い。

その内容もどうでもいいことであって、
しゃべるな、とはいわないけれど、もっとテンポよくディスクをかけかえればいいのに……、
そんなことを毎年感じている。

ハーマンインターナショナルの人も司会進行のプロではないのだろうが、
オーディオマニアの気持を、音楽好きの気持をわかっている人なのだろう。

ハーマンインターナショナルのブースを出るとき、
展示されているオーディオ機器を、興味深そうに見ている三人組がいた。
みた感じハタチ前後ぐらいの女性の三人組。

事前予約制なのだから、彼女らも予約しての来場のはず。
少しではあるけれど、違う風が吹きはじめているのだろうか。

Date: 10月 28th, 2022
Cate: ショウ雑感

2022年ショウ雑感(その14)

音で印象に残っているのは、もうひとつタイムロードのブースだ。
スピーカーはNodeのHylixa、球体状のスピーカーシステムだ。

ここでの音は、このスピーカーの音ということももちろんなのだが、
ちょうどかかっていたディスクとの相性を含めての音である。

かかっていたのは、Yelloの“The Vanishing of Peter Strong”という曲だった。
曲を検索してくれるShazamがあるから曲名がすぐにわかったけれど、
私はYelloというバンドも知らなかった。

“The Vanishing of Peter Strong”のよさを、
Hylixaは見事なほどに発揮していた、と感じながら聴いていた。

人工的な音響空間の曲のつくりなのだろうが、
目を閉じて聴いている時の空間の認識が、
Hylixaの置き位置と一致しないほどに気持ちよく拡がっていた。

Hylixaというスピーカーの特質をもんとも活かす選曲だと思うし、
“The Vanishing of Peter Strong”ならではの音の世界を、
もっともよく再現してくれたスピーカーでもあったはずだ。

曲とスピーカー、それぞれの特質の相性がこれほどマッチしていたのは、見事。

Date: 10月 28th, 2022
Cate: 新製品

新製品(マッキントッシュ MCD85・その4)

インターナショナルオーディオショウは、音を聴くことだけでなく、
写真でしか見たことのない製品を直にみることができるのも楽しみの一つだ。

マッキントッシュのMCD85も、実機を見れるだろう、と期待していた。
エレクトリのブースに入った。もしかすると私が見落していた可能性もあるのだが、
MCD85は展示されていなかった。

あのカタチで展示してあったら、すぐに気がつくはずだから、やはり展示はなしだったのか。
今年の新製品であるMCD85の展示がない。

実機をみれば、少しは印象が違ってくかも──、と思っていただけに残念だ。

Date: 10月 28th, 2022
Cate: ショウ雑感

2022年ショウ雑感(その13)

インターナショナルオーディオショウに行ってきた。
コロナ禍のため事前予約が必要であり、
初日が1000人、二日目、三日目が2000人という入場者数の制約があったので、
いちばん少ない人数の今日を選んでのことだ。

空いていた。
このくらいだといいなぁ、と思いながら会場を上の階から順番にまわっていた。

オーディオ評論家がデモをやっているところは避けつつ、
満遍なくすべてのブースの音を聴くつもりだんたのだが、
ヤマハのブースは人気があって、入場制限があって入れなかった。

そうやって聴いてきたブースで印象の残っているのをいくつか書いておく。

まずリンのブース。
リンは毎年二つのブースを使っている。今年も同じである。
リンのトータルシステムが鳴っている。これも毎年同じ。

リンのブースを出て、隣りのリンのブースに入る。
鳴っていた曲は、さっきまで聴いていた曲で、
それも同時に同じ曲を二つのブースのシステムで鳴らしているようで、
システムのグレードによる音の違いが、はっきりと聴くことができる。

いつもそうなのかはわからないが、私が入った時はそうだった。
このやり方は、これからも続けてほしい。

今回、音で驚いたのはアッカのブースだった。
YGアコースティクスの小型スピーカーが鳴っていた。

ちょうど真ん中の席で聴くことができた。
YGアコースティクスのスピーカーの音は、毎年聴くたびに感心する。

その感心の度合は、今年の小型スピーカーがいちばん大きかった。
別項で「見える音」、「見るオーディオ」について触れているが、
まさしくYGアコースティクスの小型スピーカーは、そういう音だった。

アッカのブースを出た後、価格を確認したら、けっこうな値段だ。
これだけの音が鳴って当然といえばそうなのだが、
それでもオーディオ的好奇心を高く満たしてくれる音であるのは確かだ。

Date: 10月 27th, 2022
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その81)

オーディオの想像力の欠如した者は、溢れるおもいをもてない。

Date: 10月 27th, 2022
Cate: ショウ雑感

2022年ショウ雑感(その12)

明日からインターナショナルオーディオショウ。
私の関心の一つは、(その10)で書いているように、マジコのM9が聴けるどうか。

先ほどインターナショナルオーディオショウのウェブサイトを見ていた。
エレクトリのところに、こう書いてあった。

《MAGICO M9は、移動および搬入/搬出が困難なため展示/デモンストレーションはございません。何卒。ご理解の程お願い申し上げます。》

やはり無理なのか、聴けないのか。
しかたない。

Date: 10月 27th, 2022
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカーがやって来る(その1)

あと何年生きていられるのか、
いいかえれば、あと何年、音楽を聴いていられるのか。

いまのところは健康といえる。
あと二十年くらいは大丈夫かな、と根拠なく、そうおもっているわけだが、
いつぽっくり逝くかもしれない。

何が私にとっての「終のスピーカー」となるのか。
明日、ぽっくり逝ったとしたら、いま鳴らしているタンノイのコーネッタがそうなるわけだ。

それはそれでいい。
コーネッタが終のスピーカーとなったのか……、と死の間際でそうおもうだけだ。

それでも鳴らしてみたいスピーカーが、やはりある。
まだはっきりしたことはあえて書かないが、11月中旬にあるスピーカーがやって来る。

このスピーカーこそが、私にとっての「終のスピーカー」になる。

Date: 10月 26th, 2022
Cate: ケーブル

ケーブル考(銀線のこと・その19)

以前から考えていて試してみたいことのひとつに、
真空管アンプのヒーター用配線を銀線にしたら、どういう音になるのか、がある。

銀線は高い。
信号系もすべて銀線にしたい、ということももちろん考えているけれど、
それ以上に、ヒーターのみ銀線というのは、どうなのか、
銀線ならではの音が、ヒーター用配線であっても、やはり聴こえてくるものなのか。

別項で書いている50CA10の単段シングルアンプでは、
50CA10へのヒーター配線は銀線にする。

Date: 10月 26th, 2022
Cate: ショウ雑感

2022年ショウ雑感(その11)

明後日には、インターナショナルオーディオショウが開催される。
昨年は行かなかったので、四年ぶりに行くことになる。

行くとなると、今年はどんな音が聴けるのか、
忘れられない音を聴けるだろうか、とやはり期待する。

これまでのインターナショナルオーディオショウで聴いたなかで、
忘れられない音は少ないけれどある。

まず最初にあげたいのは、
タイムロード時代のジャーマン・フィジックスのUnicornの音である。
何時間でも聴いていたい、と思ったし、
一日のうち三回ほどタイムロードのブースに入っていたし、
開催期間中に、もう一度聴きたくなって、また出掛けたほどである。

二番目に思い出すのは、ノアのブースできいたソナス・ファベールのCremonaだ。
アンプは、当時のノアが取り扱っていたVTLの管球式アンプ。
外観的には似合わない組合せなのだが、
Cremonoはこんなにいいスピーカーなのか、
VTLはこんなにいい管球式アンプなのか、
そんなふうに思わせるほどに、その音は見事な相性だった。

オーディオショウなんかで、いい音なんて聴けない──、
そう吹聴する人がけっこういるけれど、確かに少ないことは少ないものの、
時にはハッとする音に出逢うことも確かにある。

毎回そうだとはかぎらないけれど、今年は聴けるだろうか。

Date: 10月 26th, 2022
Cate: 書く

毎日書くということ(もうひとつの今日決めたこと)

今年の2月27日の「毎日書くということ(今日決めたこと)」で、
2023年1月29日をもって、audio identity (designing)を終りにする、と書いた。

終りにするつもりだった。
audio identity (designing)を毎日書くということは、
特に大きな負担というわけではないものの、
今日はまだ書いていない、となると、用事を早めに切り上げることもある。

そういうこともあと三ヵ月で終るなぁ、と思っていた今日の夕方、
メールをチェックしたら、Sさんという方からメールが届いていた。

メールのタイトルを見て、まず、えっ? と思った。
思いながら、本文を読むと、私にとって夢のような申し出が書いてあった。

こんなことが本当に起るの?、
それが最初に読んでおもったことだ。

えっ、ほんとうなの? と思いながら、もう一度読み返す。
さらにもう一回読む。

何度読んでも、メールの内容は変らない。
その当り前のことを確かめたかった。

それにしても、どうして? と思いながら読むと、
《いつもaudio identity (designing)を楽しく読んでいますから》
とある。

これを読んで、終りにするわけにはいかない。
そうおもったのだから、
2023年1月29日で、audio identity (designing)の毎日の更新は終る──、
こう変更した。

毎日更新する(書いていく)のはあと三ヵ月ほどで終るが、
2023年1月29日以降は、週一回くらいの頻度で書いていくことにした。

Date: 10月 25th, 2022
Cate: audio wednesday

第三回audio wednesday (next decade)

第三回audio wednesday (next decade)は、11月2日。

一回目、二回目同様、
参加する人は少ないだろうから、詳細はfacebookで。
開始時間、場所等は参加人数によって決める予定。

それでも一回目、二回目と同じように、最後は新宿のナルシスに行く予定。

Date: 10月 25th, 2022
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論をどう読むか(その12)

「オーディオ評論をどう読むか」というタイトルをつけている。
この項というより、このブログが、
私が十年以上毎日書いてきたことは、
「オーディオ評論をどう読んできたか」である。

Date: 10月 25th, 2022
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(その10)

昨晩の(その9)を公開したあとに、
そういえば、と思い出したことがある。

深刻ぶるのが好きな人のところで、いまから三十数年前、
グレン・グールドのゴールドベルグ変奏曲を聴いた。

全曲は聴かなかった。
アリアといくつかの変奏曲を聴いて、
滑稽なほどグールドが深刻ぶっているふうに聴こえた。

重々しく、たどたどしく、ひどく悩み込みながらの演奏だった。
「音は人なり」と昔からいわれていたけれど、この時も確かにそうだった。

それでも、深刻ぶるのが好きな人にとってグールドのゴールドベルグ変奏曲は、
愛聴盤である──、
《真剣に戯れること》を完全に忘れてしまった、その演奏を聴いて、
その人は何を視ているのだろうか。

そんなことがあったことを思い出していた。

Date: 10月 24th, 2022
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(その9)

深刻ぶるのが好きな人のことを考えていると、
黒田先生の、この文章が浮んでくる。
     *
戯れということになると、ぼくは、どうしても、『ザ・グレン・グールド・シルバー・ジュビリー・アルバム』の二枚目におさめられていた、あの「グレン・グールド・ファンタジー」のことを考えてしまいます。あの奇妙奇天烈(失礼!)なひとり芝居を録音しているときのあなたは、きっと、バッハの大作「ゴルドベルク変奏曲」をレコーディングしたときと同じように、真剣であったし、同時に、楽しんでおいでだったのではなかったでしょうか。もしかすると、あなたは、さまざまな人物を声で演じわけようと、声色をつかうことによって、子供っぽく、むきになっていたのかもしれません。
「グレン・グールド・ファンタジー」は、悪戯っ子グレンならではの作品です。ほんものの悪戯っ子は、「グレン・グールド・ファンタジー」のために変装して写真をとったときのあなたのように、真剣に戯れることができ、おまけに、自分で自分を茶化すことさえやってのけます。あなたには、遊ぶときの真剣さでピアノをひき、ピアノをひくときの戯れ心でひとり芝居を録音する余裕があった、と思います。そこがグレン・グールドならではのところといえるでしょうし、グールドさん、ぼくがあなたを好きなのも、あなたにそうそうところがあるからです。
     *
「音楽への礼状」のグールドの章からの引用だ。

深刻ぶる人は、《真剣に戯れること》ができない人なのだろう。

Date: 10月 24th, 2022
Cate: ベートーヴェン

ベートーヴェンの「第九」(20世紀の場合と21世紀の場合・さらにその後)

3月10日に、オクサーナ・リーニフのことを書いた時点では、
TIDALにはリーニフ指揮のアルバムはなかった。

先日、検索してみたら、今度はあった。
一枚だけだがある。

ドヴォルザークの交響曲第九番である。
“Dal nuovo mondo”が聴ける。

くり返すが、オクサーナ・リーニフはウクライナ出身だ。