Date: 1月 11th, 2023
Cate: スピーカーの述懐

あるスピーカーの述懐(その39)

オーディオとは、結局のところ、スピーカーの音の魅力といえる。
スピーカーというメカニズムが発する音の魅力である。

だからこそ、あるスピーカーの音を好きになるし、
そのスピーカーも好きになるのではないのか。

もちろん、そればかりではない。
それでも「スピーカーの存在感がなくなる」というフレーズを、
このことを目標する人もいるし、
そんなスピーカーを求める人もいる。

この人たちは、スピーカーの音が嫌いなのだろう。
オーディオマニアには、スピーカーの音を嫌う人がいる、
惚れ込む人もいる。

Date: 1月 11th, 2023
Cate: High Resolution

MQAのこと、映画のこと

これまでサウンドトラック盤はあまり熱心に聴いてこなかったけれど、
TIDALを使うようになってからは、わりと聴くようになってきている。
MQAで聴けるサウンドトラック盤も多い、といえる。

MQAでサウンドトラック盤を聴いていて思うことがある。
映画館の音もMQAになってほしい、ということだ。

映画館の音といえばドルビーである。
そのドルビーとどう折り合いをつけていくのか(いけるのか)。
そのことは大変なことなのだろうが、
MQAとドルビーの融合は、技術的に難しいことがあるのだろうか。

映画館の音が、より生々しく臨場感溢れることを期待してしまう。

Date: 1月 11th, 2023
Cate: ディスク/ブック

回想の野口晴哉 ─朴歯の下駄(その1)

五味先生の「五味オーディオ巡礼」の一回目(ステレオサウンド 15号)、
野口晴哉氏と岡鹿之介氏が登場されている。
     *
 野口邸へは安岡章太郎が案内してくれた。門をはいると、玄関わきのギャレージに愛車のロールス・ロイス。野口さんに会うのはコーナー・リボン以来だから、十七年ぶりになる。しばらく当時の想い出ばなしをした。
 リスニング・ルームは四十畳に余る広さ。じつに天井が高い。これだけの広さに音を響かせるには当然、ふつうの家屋では考えられぬ高い天井を必要とする。そのため別棟で防音と遮音と室内残響を考慮した大屋根の御殿みたいなホールが建てられ、まだそれが工築中で写真に撮れないのが残念である。
 装置は、ジョボのプレヤーにマランツ#7に接続し、ビクターのCF200のチャンネルフィルターを経てマッキントッシュMC275二台で、ホーンにおさめられたウェスターン・エレクトリックのスピーカー群を駆動するようになっている。EMT(930st)のプレヤーをイコライザーからマランツ8Bに直結してウェストレックスを鳴らすものもある。ほかに、もう一つ、ウェスターン・エレクトリック594Aでモノーラルを聴けるようにもなっていた。このウェスターン594Aは今では古い映画館でトーキー用に使用していたのを、見つけ出す以外に入手の方法はない。この入手にどれほど腐心したかを野口さんは語られた。またEMTのプレヤーはこの三月渡欧のおりに、私も一台購めてみたが、すでに各オーディオ誌で紹介済みのそのカートリッジの優秀性は、プレヤーに内蔵されたイコライザーとの併用によりNAB、RIAAカーブへの偏差、ともにゼロという驚嘆すべきものである。
 でも、そんなことはどうでもいいのだ。私ははじめにペーター・リバーのヴァイオリンでヴィオッティの協奏曲を、ついでルビンシュタインのショパンを、ブリッテンのカルュー・リバー(?)を聴いた。
 ちっとも変らなかった。十七年前、ジーメンスやコーナーリボンできかせてもらった音色とクォリティそのものはかわっていない。私はそのことに感動した。高域がどうの、低音がどうのと言うのは些細なことだ。鳴っているのは野口晴哉というひとりの人の、強烈な個性が選択し抽き出している音である。つまり野口さんの個性が音楽に鳴っている。この十七年、われわれとは比較にならぬ装置への検討と改良と、尨大な出費をついやしてけっきょく、ただ一つの音色しか鳴らされないというこれは、考えれば驚くべきことだ。でもそれが芸術というものだろう。画家は、どんな絵具を使っても自分の色でしか絵は描くまい。同じピアノを弾きながらピアニストがかわれば別の音がひびく。演奏とはそういうものである。わかりきったことを、一番うとんじているのがオーディオ界ではなかろうか。アンプをかえて音が変ると騒ぎすぎはしないか。
     *
野口晴哉氏がオーディオマニアだったこと、
それもほんとうにすごいオーディオマニアだったことを知っている人は、
いまではどのくらいいるのだろうか。

ちくま文庫から「回想の野口晴哉 ─朴歯の下駄」が出ている。

この本のことを、今日初めて会った人から教えてもらった。
野口整体のことだけではなく、オーディオのことも出てくる、と聞いた。
ウェスターン・エレクトリックのスピーカーを手に入れられた時のことも描写されている、とのこと。

さっそく注文した。
明日、届く。

Date: 1月 11th, 2023
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その18)

その17)で書いたことは、
別項『オーディオマニアの「役目」、そして「役割」』と、
私のなかでは深く関係していることだ。

Date: 1月 10th, 2023
Cate: 戻っていく感覚

アキュフェーズがやって来る(その4)

(その2)に、facebookでコメントがあった。
そこには、アキュフェーズのエンジニアが、以前、
A級動作にはメリットがないが、あえてラインナップしている──、
そんな趣旨の発言を何かで読んだことがある、と書かれていた。

私は、その記事を読んでいないけれど、
アキュフェーズのエンジニアがそういう発言をしていたとしても不思議ではない。

なのに、なぜA級動作のパワーアンプを開発したのか。
アキュフェーズのA級動作のパワーアンプはA50だと記憶しているが、
このアンプの評価は、きくところによると、
ゴトウユニットで聴いている人のあいだで特に高かった、らしい。

私の周りにゴトウユニットを鳴らしている人は、いない。
けれど、友人の知りあいはゴトウユニットのシステムで、
アキュフェーズのA級動作のパワーアンプについては、絶賛しているとのこと。

ここまで書けば気づかれる人もいるだろう。
アキュフェーズの春日二郎氏もゴトウユニットだった。

私はアキュフェーズのA級動作のパワーアンプで鳴らすゴトウユニットの音を聴いてはいない。
それでも、なんとなくわかるような気はしている。

Date: 1月 9th, 2023
Cate: 戻っていく感覚

アキュフェーズがやって来る(その3)

私の世代ゆえなのか、
それとも個人的なことにすぎないのか、
どちらなのかは自分でもはっきりとしないが、A級動作のパワーアンプというものに、
ある種の憧れがある。

パイオニアのExclusive M4が当時、A級アンプの代名詞的存在だった。
そして1977年にマークレビンソンのML2が登場する。

ML2の登場は、私にとって(すこし大袈裟にいえば)A級神話につながっていく。
けれど、アンプのことを勉強していくと、
A級動作は、すべての点で理想的なのかという疑問ももつようになった。

特に振動面を考慮すると、A級動作は常時大電流が、
出力段のトランジスターに流れているわけで、当然不利である。

それに発熱量の問題もある。
このあたりのことは以前別項で書いているので省略するが、
だからといってA級動作は不利なのかというと、必ずしもそうではない。

三年前に別項「muscle audio Boot Camp」で書いているように、
パワーアンプの出力インピーダンスは、おそらく音楽信号によって変動しているはずである。

その変動の仕方、変動幅も、A級動作かどうかで違ってくるものと推測できる。
実際のところどうなのかは、そこまでの知識がないので実際に測定したわけではないが、
変動していないと考えるほうが無理がある。

そして、これも推測にすぎないのだが、
A級動作のほうが、出力インピーダンスの変動の幅も小さいはずだ。

だからといって、音がいい、ということに直接結びついていくのかどうかは、
いまのところなんともいえないのだが、
動的な出力インピーダンスは安定しているはずである。

Date: 1月 9th, 2023
Cate: 戻っていく感覚

アキュフェーズがやって来る(その2)

近々やって来るアキュフェーズの製品で、
個人的に興味津々なのは、パワーアンプのA20Vである。

私がステレオサウンドにいたころのアキュフェーズは、
A級動作のパワーアンプを製品化していなかった。

それ以前は、P400がAB級とA級の切替え動作ができていたが、それっきりだった。
A級動作にメリットを感じない設計思想だったのだろうか。

それがA級動作のパワーアンプを製品化してきた。
P400のように動作切替えではなく、A級動作のみのパワーアンプである。

しかも筐体設計も変更になった。
それまでのアキュフェーズのパワーアンプは、ヒートシンクが筐体内部におさめられていた。
それが発熱量の多さのためなのだろうが、
筐体両側にヒートシンクが露出するかっこうになった。

私は、A級動作による、それまでのアキュフェーズのパワーアンプの音からの変化よりも、
ヒートシンクが露出することによる音の変化のほうに興味があったくらいだ。

すこし残念なことにA20Vは出力も小さめだから、発熱量もそれほどではないということなのか、
ヒートシンクは露出していない。

A20Vのくらいの規模で、ヒートシンクが露出する筐体設計ならば──、
そんなこともついおもってしまうのだが、
とにかくアキュフェーズのA級動作の音を、今回ようやくじっくり聴く機会を得る。

これまでわずかな時間での、いわゆるちょい聴きぐらいでは、
アキュフェーズのA級動作のパワーアンプは聴いているけれど、
そのぐらいでとやかくいえるわけではないことは承知しているから、
今回のA20Vは、いまとなって古い製品とはいえ、かなり楽しみである。

Date: 1月 9th, 2023
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その17)

オーディオ雑誌の読者相談コーナーが、
インターネット(ソーシャルメディア)に移っただけ、と書いたのは、
相談内容だけが当時とあまり変らないと感じたからであるし、
その回答についておもうことがあるからだ。

昔のオーディオ雑誌にあった読者相談コーナーは、
ステレオサウンドの編集という仕事柄、目は通していた。

すべてに目を通していたとはいえないけれど、
編集部に届く雑誌の、そのコーナーは眺めていた。

けれど、感心するような質問があったという記憶はない。
質問内容がそうなのだから、回答も推して知るべしだった。

ソーシャルメディアでの相談も、そうだ。
なぜ、こんな質問をするのか──、とつい思ってしまう。
まわりに、誰もオーディオのことを話せる相手がいないのか。

そういえば、以前、菅野先生からきいたことを思い出す。
地方の若い世代の人は、友人知人にオーディオに関心がある、といえないとのことだった。
カミングアウトにも近いものを感じて、のことなのだそうだ。

いまはそうなのかもしれない。
そうだとしたら、ソーシャルメディアで、そんな質問をする人も、
友人知人にオーディオに関心があるといえないのかもしれない。

関心があると周りにいえる人でも、周りにオーディオに関心がある人先輩はいない可能性は、
いまの時代、ないとはいえない。

だからソーシャルメディアを利用するのか。
ただ感じるのは、回答のレベルの低さというか、
なんとなげやりな回答なのか、と思うこともある。

そんな回答をするぐらいならば黙っておけ、といいたくなる。
そんななげやりな回答をした本人は、明快な答を返したとでも自惚れているのか。

こんなレベルだったら、まだ昔のオーディオ雑誌の相談コーナーのほうがましだ。

Date: 1月 8th, 2023
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その86)

オーディオの想像力の欠如した耳は、正確な音、精確な音は聴きとれても、
もうひとつの(せいかく)な音、誠確な音は聴きとれない。

Date: 1月 8th, 2023
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その85)

オーディオの想像力の欠如した耳は、「差」の世界ばかりに気を取られ、
「和」の世界であることに気づかないのかもしれない。

Date: 1月 8th, 2023
Cate: 戻っていく感覚

アキュフェーズがやって来る(その1)

別項「Meridian 210 Streamer(その11)」で書いているように、
来週あたりに、アキュフェーズのDP100とDC330がやって来るわけだが、
この他にパワーアンプのA20VとデヴァイディングネットワークのDF35もやって来る。

終のスピーカーといっしょにやって来るはずだったけれど、
部屋の片づけが間に合わず、友人の倉庫で預ってもらっている。

部屋の片づけもエレクターのワイヤーシェルフを導入して、
週半ばぐらいにはなんとかなりそうなので、それからアキュフェーズがやって来る。

アキュフェーズの製品を自分のモノとして使うのは、初めてである。
ステレオサウンドにいたころ、アキュフェーズの製品は、
ほとんどの試聴で使って、その音に触れてきている。

CDプレーヤー、コントロールアンプ、パワーアンプ、
そのどれも試聴室のリファレンス機器でもあったからなのだが、
自分のモノとして使ってきたことはなかった。

ほんの数ヵ月、P300Lを借りて鳴らしていたことはあるが、
それだけだった。

スチューダーのA727を購入したとき、
アキュフェーズのDP70と試聴室で何度か比較試聴したことはあるけれど、
選んだのはA727だったことは、別項で書いている。

なじみがあるようでないような──、
まだやって来ていないので、なんともいえないし、
私が聴いていた頃のアキュフェーズは1980年代だし、
私のところにやって来るアキュフェーズも二十年ほど前の製品ばかり。
ということもあって、どんなふうに感じるのだろうか、とそれも楽しみである。

Date: 1月 8th, 2023
Cate: 新製品

Meridian 210 Streamer(その12)

メリディアンの210と218は、
メリディアンの推奨する接続、LANケーブルを使って行う。

アキュフェーズのDP100とDC330との接続も、
アキュフェーズ独自のHS-Linkなので、LANケーブルで行う。

DP100と218は、DP100のSPDIF出力を同軸ケーブルで218のSPDIF入力へと接続。
210とDC330は、210のSPDIF出力を同軸ケーブルでDC330のSPDIF入力へと接続。

218、DC330、それぞれのアナログ出力はGASのTHAEDRAのライン入力に接続する。

SACDの再生は、DP100+DC330、
MQA-CDの再生は、DP100+218、
TIDALのMQAの再生は、210+DC330(コアデコード)と210+218(フルデコード)となる。

どれがいちばんいい音なのかを検証するよりも、
それぞれの音のそれぞれのよさを見出していきたい。

同時に、最近ではあまり語られなくなってきたデジタル・コントロールアンプ、
というよりデジタル・コントロールセンターについて考えていくヒントが得られる予感もする。

Date: 1月 8th, 2023
Cate: 「オーディオ」考

潰えさろうとするものの所在(その3)

五年前に、別項「続・再生音とは……(続その12に対して……)」で、
AIとは、artificial intelligenceだけではなく、
auto intelligenceなのかもしれない、と思うようにもなってきた、と書いたことを、
このテーマの続きを書こうとしたら思い出した。

Date: 1月 7th, 2023
Cate: 新製品

Meridian 210 Streamer(その11)

来週か再来週に、アキュフェーズのDP100とDC330がやって来る。
日進月歩といっていいデジタルオーディオ機器なのだから、
DP100とDC330は、かなり古い製品ということになる。

それでもDP100のメカニズムは、いまでも魅力的に感じる。
実をいうと、最初はDP100だけでいいかな、と考えていた。

DP100とDC330を組み合わせることで、SACDの再生が可能になる。
このことは魅力なのだが、SACDをそれほど多く持っているわけでもないし、
一応SACDプレーヤーは持っているし、置き場所の問題もある。
コントロールアンプが、DC330を含めると三台になる。

そんな事情から、DP100だけにするか、と考えていたのが、
ころっと考えを変えてしまったのは、210の存在だ。

210は、MQAのコアデコードを行ってくれる。
SPDIFのデジタル出力を持つから、DC330との接続も問題ない。

DC330は内部をみてもブロックダイアグラムをみてもわかることだが、
DP100とペアになるDC101と基本的には同じである。

トーンコントロールなどの機能をもつD/Aコンバーターともいえる。
メリディアンの218と同じだ。
とはいえ、そこに投入されている物量は大きく違う。
技術も違う。

そんなふうにみていくと、218とDC330の両方があるのも面白いと思えるようになったからだ。
アキュフェーズのDP100とDC330、
メリディアンの210と218、
これら四機種を使って、いくつか実験して検証してみたいことがある。

DC330はコントロールアンプというよりも、D/Aコンバーターとして使う予定で、
GASのTHAEDRAに接続する。

Date: 1月 7th, 2023
Cate: atmosphere design, wearable audio

atmosphere design(その10)

昨晩の「Panopticom (Bright Side Mix)」に、
facebookでコメントがあった。

audio wednesdayの常連だったHさんのコメントである。
     *
究極のオーディオを夢想した時、広くない部屋に苦しめられている者として、攻殻機動隊のように直接的に脳に埋め込むものが出てきたら、リスニングルームの影響を受けずに膨大なライブラリーを楽しめるなぁ。でも、アンプのノブを触る楽しみ無くなるなぁとも。楽しむという中での身体性をどう考えたら良いのか、未だ整理が付いておりません。
     *
いままでのシステムとはまったく違うオーディオとして、
直接脳に信号を送る──、という方法については、けっこう前から語られてきている。

私が読んだ範囲でいえば、長岡鉄男氏が電波科学に書かれていたのが最初で、
1977年78年ごろの話だ。

長岡鉄男氏は、放送作家でもあったわけだから、
ただ単にこういう方法が考えられる、ということに留まらずに、
そうなったとしたら、ある種の結界が必要になるのではないか──、
そんなことを書かれていたと記憶している。

長岡鉄男氏のいうところの結界とは違う意味で、
もしこういうことが可能になったとしたら、
結界のようなものを聴き手は求めるようになる、と思っている。

リスニングルームの影響を受けないのは、確かに理想といえるけれど、
そこでなんらかの空間を感じないのであれば、人はどういう反応を示すのだろうか。

おそらくなんらかの空間を認識させるようなしくみ(要素)が、
そこに加えられると私は予想する。

それもatmosphere designであるはずだし、
《楽しむというなかでの身体性》に関しては、wearable audioなのだが、
こうやって書いていると、wearable audioはatmosphere designに含まれていくのかもしれない。