Date: 11月 26th, 2012
Cate: iPod

「ラジカセのデザイン!」(続×五・余談)

本棚におさめてレベルコントロールを積極的に使うJBLの4411を鳴らすアンプに求めたいことがすこしある。

まずプリメインアンプであること。
それほど大袈裟にならなければセパレートアンプでも……という気持はまったくなく、
プリメインアンプの良質なもの、そして物量を投入したモノにしたい。
なぜかといえば、4411がアメリカのスピーカーシステムであり、
4411がイギリスのBBCモニター系統のスピーカーであれば、
アンプに投入されている物量ということにはまったくこだわらないけれど、
4411はブックシェルフ型ではあるが、はっきりとアメリカのスピーカーシステムなのだから、
スマートなアンプで鳴らすことよりも、物量投入型のアンプで鳴らしたい。

それからA級動作のもの、A級動作でなくとも発熱量が極端に多いものはさけたい。
スピーカーを本棚におさめるくらいだから、プリメインアンプも本棚に置きたい。
そういう使い方をするから、放熱に気をつかうものはなるべくさけたいわけだ。

トーンコントロールがついているアンプ。
それもおまけ的なトーンコントロールではなく、しっかりと機能するトーンコントロール。
できればターンオーバー周波数が選択できるもの、高・低の2バンドに中域を加えた3バンドのもの。

この3つを満たしてくれるアンプとなると、
マランツのプリメインアンプ、それも4411とほぼ同時代のアンプが真っ先に浮ぶ。
Model 1250、Model 1152、もう少し新しいところではPM6、PM8がある。

これらのマランツのプリメインアンプは、いまのマランツのプリメインアンプのパネルフェイスとは異り、
Model 7の流れを汲む、いまとなっては古典的なスタイルのものである。

ツマミが多すぎて……、といまどきのアンプを見慣れた人はそう感じるかもしれない。
でも、あのころのプリメインアンプは、このくらいのツマミがフロントパネルに、
各社、特色のある配置がなされていた。

1250、1152、PM6、PM8、
この4機種ならば、コンディションのいいものが見つかれば、それでいいという気持なのだが、
できれば1250のコンディションのいいものがあれば、と思ってしまう。

1250が、この4機種の中で音がいい、という理由ではない。
スピーカーが4411と四桁の型番だから、アンプもできれば四桁の型番に合せたい、だけなのだ。

Date: 11月 26th, 2012
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その9)

ほんとうのところは、まだまだスピーカーとアンプの関係性について書いていきたいのだが、
そうするといつまでも本題である「瀬川冬樹氏とスピーカーのこと」に移れなくなるのでこのへんにしておく。
けれど、スピーカーのアンプの関係性については書きたいことだけでなく、
考えていきたいとも思っているので、項を改めて書く予定ではある(といってもいつになるかは……)。

なぜ少しばかりの脱線とはいえないくらいアンプのことを書いてきたのは、
瀬川先生が最後に鳴らされていたJBLの4345から、
もしいまも存命だったら絶対に鳴らされているはずのジャーマン・フィジックスのDDD型ユニットまで、
いったいどのスピーカーを鳴らされていたのかを考えていくのに、
スピーカーのことだけを考えていては、答に近づけないと思うからである。

リスニングルームの条件も考慮しないといけない。
瀬川先生が砧に建てられた家から移られたのは目黒のマンションである。
ここは決して広いとはいえないスペースだった、と聞いている。
そこに4345を置かれていた。

1981年以降、瀬川先生はどの程度のリスニングルームのスペースを確保されただろうか……。
そういうことも勘案していく必要がある。

それにアンプのこともある。

1981年の初夏にステレオサウンドから出たセパレートアンプの別冊の巻頭に掲載されている文章、
いま、いい音のアンプがほしい」を読んでいくと、
瀬川先生が求められている音にも変化があり、
マークレビンソンのアンプの音にも変化があり、
このふたつの音の変化は同じところを向っていないことが感じとれる。

瀬川先生は、アンプは何を選ばれただろうか──、
このことも考えていかなければ、スピーカーに何を選ばれたのかについての確度の高い推察はまず無理であろう。

このスピーカーとアンプの関係性からみていくときに、
この項の(その2)で書いているアルテック620Bとマイケルソン&オースチンのTVA1の組合せ、
それにずっと以前の、604Eをおさめた612AとマッキントッシュのC22とMC275との組合せ、
このふたつの組合せのもつ意味を考えていく必要がある、と私はそう確信している。

Date: 11月 26th, 2012
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(デザインのこと・その6)

1970年代のステレオサウンドには「オーディオの名器にみるクラフトマンシップの粋」という連載記事があった。
39号ではガラード301とともに、トーレンスのTD124、TD224が取り上げられている。

「クラフトマンシップの粋」でターンテーブル、プレーヤーが取り上げられたのはこの時だけで、
ガラードだけでもなく、トーレンスだけでもなく、
ガラードとトーレンスがいっしょに取り上げられているところに、
ガラードとトーレンスの日本のオーディオ界におけるポジションをとらえている。

「クラフトマンシップの粋」の記事構成はカラーグラビアが4頁あり、
それから岩崎千明、長島達夫、山中敬三の三氏による鼎談である。

カラーグラビアの見開きでは右頁にガラード301、左頁にトーレンスTD124/IIが並んで撮られている。
301とTD124、このふたつのターンテーブルのデザインを見比べてすぐに気がつくのは、
TD124はトーンアームベースを含めてデザインされて、製品としてまとめられている。
301はあくまでもターンテーブル単体としてのデザインである。

この違いがプレーヤーシステムとしてまとめられたときのデザインの違い、完成度の違いになってあらわれる。

私はガラードの301よりも401に惹かれ、
401よりもトーレンスのTD124に惹かれる。
それはなんども書いているようにプレーヤーシステムとしてのまとまりのよさがTD124には、
はっきりと感じられるからだ。

トーレンスはプレーヤーシステムとして完成度を考えてのデザインであり、
ガラードにはプレーヤーシステムとしてのデザインという考えが、私にはどうしてもみえてこない。

ガラードは301、401で、どんなプレーヤーシステムを目ざしていたのか。
ガラードからもプレーヤーシステムは登場している。
でもそれらは301、401をベースにしたものではない。

ガラードの顔といえるのは、301であり401である。
なのに、その顔をベースにしたプレーヤーシステムがないし、その姿をイメージできない以上、
ガラードの301、401をトーレンスのTD124を比較することは、
プレーヤーシステムということを念頭におくかぎりは無理なことである。

Date: 11月 26th, 2012
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その8)

D40は、ステレオサウンド 44号の新製品紹介のページで登場している。
井上先生と山中先生が試聴されていて、次のようなことが語られている。
     *
井上 この場合は、スペンドールのスピーカーを鳴らした場合には、という条件つきでないとこのアンプの本来の姿を見失ってしまいますね。ある一つのスピーカーを鳴らすことに的を絞ってアンプを開発した場合は、特別な回路構成をとらないでも、コントロール機能を必要なものに簡略化してしまっても、スピーカーを含めたトータルな再生音のクォリティは非常に高い水準に持っていけるという好例として注目できます。
     *
私はD40を他のスピーカーで聴く機会はなかった。
でも、聴いたことのある人の話では、BCIIと同系統のスピーカーではよかったけれど、
そうでないスピーカーとの組合せでは、精彩を欠いてしまう、と。

そうだと思う。
一般的なアンプの常識では、優秀なアンプとは考えられない。
D40の音は、不思議にいい音であって、その意味では優秀なアンプとは言い難い。
なのに優秀なアンプで鳴らしたBCIIよりも、BCIIの魅力を抽き出し弱いところをうまく補うアンプはない。

もうすこし引用しておく。
     *
山中 このアンプでスペンドールのスピーカーを鳴らしてみますと、他のアンプで聴いたときの印象と違って、かなり中音域が充実して聴こえます。
井上 そうなんですね。以前にいろいろなアンプで聴いたスペンドールのスピーカーの音は、大変バランスがいいといってもやや中域がエネルギー的に不足している部分に感じられたのです。またそれがデリケートで微妙なニュアンスの再現性に優れた、特有の音色と結びついていたともいえるのですが場合によっては神経質な音といった感じに聴こえてしまうこともありました。このD40で鳴らすとその辺をうまく補って、中域にある種のエネルギー感がついて、全体的な音のまろやかさ、余裕といったものが出てくるようです。
山中 もちろん中域のエネルギー感が加わったといっても大変元気な音になったというわけではないですね。スペンドール独得のひめやかな、雰囲気のある音はやはりベースになっています。
     *
D40は優秀なアンプではないし、アンプの理想像に近いわけでもない。
それでもアンプは単体でなにかをするものではない。スピーカーを鳴らしてこそアンプの存在があり、
つねにスピーカーとの関係において語っていくものとしたら、
スペンドールのスピーカーシステムとD40の関係は、
スピーカーとアンプの関係のひとつの理想に近いものといえるところがある。

Date: 11月 25th, 2012
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その7)

スペンドールのD40は、
スペンドールの設立者であるスペンサー・ヒューズの息子、デレク・ヒューズの設計となっている。

スペンドールのスピーカーシステムの型番は、
たとえばBCシリーズは、
ウーファーの振動板のベクストレンとトゥイーターに採用されているセレッションを表しているし、
小型のSA1は、
自社製のウーファーとフランス・オーダックス製のトゥイーターを採用していることからつけられている。

そういう型番のつけ方をしているスペンドールだから、
D40のDは、デレク・ヒューズの設計を表している、と考えていいはず。

D40はコンパクトなプリメインアンプで、
機能も最小限度のものしかついていない。
入力セレクター、バランサー、レベルコントロールだけ。
外形寸法はW33.2×H9.6×D22.3cm、重量は6kg。
出力は型番からわかるように40W+40W。

回路についての技術的な説明はなにもない。

D40についての製品解説をしようと思っても、あまり書くことが見当たらない、
そういうプリメインアンプである。

けれど、このD40は、スペンドールのスピーカーシステムと組み合わせたとき、
なぜ、こんなつくりのアンプなのに、と思いたくなるほどの音を聴かせてくれる。

私はいちどだけBCIIとの組合せで聴いたことがある。
D40よりも物量を投入したプリメインアンプ、セパレートアンプのいくつかでBCIIを聴いたことはある。
そのどれよりも、D40で鳴らしたときに、BCIIは、こういう音も鳴らせるのか、という驚きがあった。

Date: 11月 25th, 2012
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(編集について・その17)

編集部の人たちは、自分たちがつくっているのはオーディオ専門誌、と思っているのかもしれない。
オーディオ専門誌とまではいかなくても、オーディオ誌をつくっているのであり、
オーディオ雑誌と呼ばれることに抵抗や嫌悪感をもつ人もいることだと思う。

私だって、ステレオサウンドにいたころはオーディオ専門誌だとステレオサウンドのことを思っていたし、
オーディオ専門誌をつくっているつもりでいた。

でも、いまはよほどのことがなければ私はオーディオ専門誌という言葉は使わないし、
あえてオーディオ雑誌、と書くようにしている。
これは嫌味で、そう書くようにしているわけではない。

雑誌と書いてしまうと、雑という漢字が使われているため、
専門誌と表記されるよりも、一段低いレベルの本という印象になってしまいがちである。

けれど、雑誌とは別に雑につくられた本、という意味ではない。
雑誌だから、雑につくっていいわけでもない。

雑の異体字は、襍、旧字は雜(これは人名漢字としても使える)、
同じ系統の漢字として緝だ、と辞書には書いてある。

雑誌と書いてしまうから、なにか低いものとして捉えてしまいがちになるが、
異体字、旧字、同系統の漢字をあてはめてみると、雑誌という言葉が意味するところが見えてくる。

オーディオ襍誌、オーディオ雜誌である。
どちらも「おーでぃおざっし」と読む。

緝は、ザツと読むことはできないけれど、
この緝が、編集につながっていることがわかる。

Date: 11月 24th, 2012
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(デザインのこと・その5)

ステレオサウンド 48号の表紙は、EMTの930stを真上から撮っている。
これを見るたびに、プレーヤーシステムとは、930stのことをいうものだと思っていた。

930stが高い評価を得ているのも、ステレオサウンド 48号の表紙を見れば、すぐに納得がいく。
48号は1978年発行、私はまだ15歳、930stは115万円だった。

その3年後、3012-Rを購入したときでも、アナログプレーヤーに100万円を出すことはできなかった。
9万円弱の3012-Rだって、分割払いでなんとか買っていたのだから。

それでも48号の930stの姿は、強烈だった。
930stの写真はそれ以前にも何度も見ている。
でも、48号の表紙(安齊吉三郎氏の撮影)ほど、
930stの、プレーヤーシステムとしての完成度の高さを伝えてくれる写真はなかった。

実は、いまもこれを書きながら、ステレオサウンド 48号の表紙を横目で見ている。
いい写真であり、いいプレーヤーシステムだ、と改めて実感している。

930stよりも音の点で上をいくプレーヤーはいくつかある。
でも、それらはプレーヤーシステムとして930stの上にある、とはいえないプレーヤーである。

世の中にアナログプレーヤーは、それこそ無数といっていいほどある。
けれどプレーヤーシステムとほんとうに呼べるアナログプレーヤーとなると、
その数はほんとうに少ない。しかも優れたプレーヤーシステムとなると、さらに少なくなる。

3012-Rとともに使うターンテーブル選びに悩んでいたときに気づかされたのは、
私が求めているのはプレーヤーシステムであり、
そのころの私には単体のターンテーブル、トーンアームを買ってきて、
キャビネットを自分で考え作り、プレーヤーシステムとしてまとめあげるだけのものは持っていなかった、
ということである。

そしてアナログプレーヤーのデザインは、
オーディオ機器のなかでもっとも難しいのではないか、と感じていた。

Date: 11月 24th, 2012
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(デザインのこと・その4)

別項「使いこなしのこと」のところで、
SMEの3012-Rに見合うターンテーブル選びであれこれ迷ったことを書いている。

ガラードの401、301も候補として考えていた。
でも3012-Rはロングアームで、そうなるとプレーヤーキャビネットは、それなりの大きさになる。
するとどうにも3012-Rにしても301、401にしても単体で眺めているときに感じたデザインの良さが、
色褪せてしまう。

401と3012-R(301と3012-R)の組合せを、
プレーヤーシステムとしてうまくまとめあげることが、当時の私にはなかった。

いまなら、当時よりはずっとうまくまとめる自信はある。
あるけれど、それでもプレーヤーシステムとして優れたデザインでまとめられるかというと、
実際の使用面でのいくつかの問題をどう解消するかを含めて、満足できる答を見つけてはいない。

あのころはプレーヤーキャビネットの自作記事も、オーディオ雑誌には載っていた。
オーディオマニアの訪問記でもガラードが登場することはあって、
どんなキャビネットにおさめられているのかを見る機会もあった。
ステレオサウンド 48号でのアナログプレーヤーのブラインドテストにガラード301が登場している。
トーンアームはフィデリティ・リサーチのFR66S。

ロングアームだから、この組合せは、3012-Rとのターンテーブル選びのときに実物を見てみたい、
と思っていたら、あっさり見ることができた。
ステレオサウンドで働いていたおかげである。

丁寧につくられていたキャビネットだった。
それでも全体として、プレーヤーシステムとしてのまとまりに満足できなかった。
それに大きい。個人的にどうしても許せない大きさになってしまうことが、
ガラードを結局選ばなかったいちばんの理由である。

Date: 11月 24th, 2012
Cate: iPod

「ラジカセのデザイン!」(続々続々・余談)

いまでこそ変っているけれど、
以前のJBLのレベルコントロールは連続可変で、巻線型を使っていた。
レベルコントロールのツマミをまわすと、巻線の上を擦っている感触が指先に伝わってくる。

JBLのユニットには能率の誤差がわずかとはいえあることは、以前別項で書いた通りだ。
それに実際のリスニングルームに設置されれば、左右の条件がまったく同一であることはあまりないから、
レベルコントロールを微調整することが聴き手に要求される。

はじめは少し大きくレベルコントロールを動かし、少しずつその範囲を狭めていく──、
そうやって微調整の範囲にまでくると、ほんのわずかの差で音のピントが合いもするし、ズレもする。

正直、もう少し精度の高い信頼性も高いアッテネーターを使ってほしい、と思う。
けれどそんなことをいってもしかたない。ついているのは、そんな,いわばヤクザな巻線型のモノだから。

そんなレベルコントロールだから、微妙な調整をしていくのも、
JBLのスピーカーシステムを鳴らしていく面白さでもあり、
そうやってベストと思える位置をさぐり出せたら、もう動かしたくはない。

4411も4311も、巻線型のレベルコントロールだった(はず)。
だから、その意味では微調整を加えたら、動かしたくはない──、
そういう使い方もある。

でも、ここでの組合せで私が求めているのは、ラジカセ的な使い方ができる組合せであり、
ラジカセで音楽を聴いていたときのような聴き方で楽しみたいから、なので、
細かく微調整をしていき、あるポジションをさぐり出すのではなく、
積極的に、最適ポジションなどまったく気にせずにレベルコントロールを動かす、
そういう楽しみ方をしたい。

それにはサランネットをつけてしまうとレベルコントロールが隠れてしまうスピーカーよりも、
4411、4311のようにレベルコントロールはつねに表に出ているスピーカーが,使い良い。

Date: 11月 24th, 2012
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(デザインのこと・その3)

ガラードの401でプレーヤーシステムを組んだとしても、それほど高価になるわけではない。
当時10数万円で購入できるプレーヤーシステムよりも、音については満足のいくものになったといえる。

でも、私は不満があった。
価格や音のことではなく、プレーヤーシステムとしてのデザインのことで不満があった。

当時国内メーカーから出ていたプレーヤーシステムのデザインがどれも優れていたとはいわない。
でも、まだまとまりは感じられた。
ガラードの401を、当時はプレーヤーキャビネットも数社から発売されていたから、
それらを組み合わせればプレーヤーキャビネットを自作する必要はなく、
401をプレーヤーシステムとまとめられた。

けれど、でもプレーヤーシステムとしてのまとまりがよくない。
プレーヤーキャビネットほぼ中心に401があります、その右側にトーンアームがあります、
そんなただ指定された位置にそれぞれのパーツが配置されているだけ、
といった印象を拭えない、バラバラ感があった。

その点、ターンテーブル単体を発売していたテクニクス、ビクター、デンオンなどは、
専用キャビネットを用意していて、それが音質的にもっとも優れていたかはおいておくとしても、
専用キャビネットに取り付けた状態でのおさまりの良さは、まだあった。

ガラードの401のデザインは、どうしても旧型の301と比較して語られることが多く、
301の評価のほうが高い、といえる。

401は301とくらべると、造りが安っぽく感じられるところがある。
それが気になるといえば気になってしまうのだが、401のデザインは悪くないどころか、
いいデザインだと思うし、301と401、どちらが欲しいかとなると、401を私はとる。

でも、それでどういうプレーヤーシステムとしてまとめるかとなると、難しい。
401でも、301でも難しい。

Date: 11月 24th, 2012
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その6)

300Bのアンプのことについては何度か書いてきている。
そのたびに、具体的な300Bのアンプについて書けないもどかしさを感じている。
市販品でなんとかおすすめできる300Bアンプがあれば、そのアンプを例にとって話をしていけるのに……、
というもどかしさがある。

300Bという真空管の名称は、真空管にさほど興味のない方でも、
いちど聞いたことのある、そういう誰もが名前だけは知っている真空管である。
なのに、そのもっとも有名な真空管を使ったアンプの音について、
なんらかの共通認識があるのかといえば、ないとしかいいようがない。

ウェスターン・エレクトリックの、ほんとうの300Bは格別の球であることは断言できる。
だからといって、ほんとうの300Bを出力段に使ったからといって、
それだけでどんなアンプでも、格段の音になるわけではない。

それでも300Bのアンプということが語られ謳われ、私も300Bのシングルアンプという表現を使う。
けれど、それは、おそらくみな違う音のことでもある。
伊藤アンプにかわる標準原器ともいえる300Bのアンプが登場してほしい、と、
300Bという言葉を、ここで書く度に思っている。

300Bのシングルアンプよりも、まだ多くの人が聴いているアンプ、
それも市販されたことのあるアンプで思い出したのがひとつある。
スペンドールのプリメインアンプのD40である。

同じイギリスのスピーカーメーカーであるロジャースのアンプは知っているけれど、
スペンドールもアンプを作っていたの? と思われる方は少なくないだろう。
D40も決して多く売れたアンプではない。

でもスピーカーとパワーアンプの関係について、
パワーアンプに求められる姿について考えていくうえで、
D40はもっとも好適である。

Date: 11月 24th, 2012
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その5)

スピーカーのことについて書いていくのが、パワーアンプのことについて書いている。
もう少しパワーアンプのことにつきあっていただきたい。

パワーアンプの理想とはどういうことなのか。
いかなるスピーカーシステムであろうと鳴らしきることのできるパワーアンプを優秀なパワーアンプということで、
この項を書いてきている。
けれど、その優秀なパワーアンプでは鳴らせない音を、
300Bのシングルアンプのように、優秀なアンプの定義にはおさまらないアンプが聴かせることが、
オーディオには往々にしてある。

300Bのシングルアンプといっても、市販品に推められるアンプがあるからといえば、
そうとうに妥協しても、ない、といわざるをえない。
シングルアンプが無理なら、300Bのプッシュプルアンプでは──、
やはり、ない。
海外のメーカーからも300Bのプッシュプルアンプは出ているけれど、
あのアンプの写真を見たとき、なんというデザインなんだろう……、とひどくがっかりしたものだ。
仕上げはたしかに丁寧であっても、はっきりいってひどいデザインといえる。

でもオーディオ雑誌を読むと、デザインのことで褒めている人が何人かいる。
なんなのだろうか……、と思う。
これがブランド・イメージなのか、とも思う。

音に関しては、特になにもいわないけれど、あのデザインに関してだけは、あれこれいいたくなる。
いいたいことがありすぎる。
書き始めると、それだけでけっこうな文量になってしまうし、
書く方も読まれる方も気持のいいものではないから、具体的にはあれこれ書きはしないものの、
あのアンプのデザインを褒める人の音質評価は、私はもう信じないことにしている。

オーディオ雑誌で書いている人たちは、書きにくいことがあるのは読む方だって承知している。
だからデザインについて悪く書くことができなければ、
デザインについては触れなければいいわけで、それをあえて触れて褒めているということは、
その人は、あのアンプのデザインがいいと思っていることになる。
読者はそう受けとめるだろう。私はそう受けとめた。

Date: 11月 23rd, 2012
Cate: iPod

「ラジカセのデザイン!」(続々続・余談)

本棚にブックシェルフ型スピーカーをおさめてしまうと、
スピーカーの細かな調整はほとんど行えなくなる。

スタンドに乗せ、縦置き型のブックシェルフ型であれば、置き場所、スピーカーの角度など、
調整できる要素はそれこそいくつもある。
それらが、本棚にいれれば、ほとんどなくなってしまう。

とはいえ、いい音で聴くことを放棄してしまうのではない。
非常に限られた条件のもとで、気楽に、いい音を聴きたい、と思う気持があるから、
こんなことを妄想して、飽きもせず書いているわけだ。

本棚におさめ、4411のまわりに本を収めていくことで、
スタンドに乗せてフリースタンディングに近い状態で鳴らすのとくらべて低域のレスポンスには大きな違いが生じる。
それにスピーカーの調整としてできる大きなことといえば、トゥイーター、スコーカーを内側に配置するか、
それとも外側に配置するか、ぐらいしかない。

本棚の大きさ(幅)によるけれど、
おそらく私はトゥイーター、スコーカーを外側に配置する方を選ぶような気がする。

この状態で4411の音を鳴らすとき、レベルコントロールを軸上周波数特性フラットのポジションか、
エネルギーレスポンス・フラットのポジションにするかは、あえてどちらかに決めてしまうのではなく、
聴く曲、そのときの気分によって、大胆にいじっていきたい。

4411のサランネットが覆うのはスピーカーユニットだけであり、
レベルコントロールパネルはつねにいじれるようになっている。
これはJBLが、好きにいじっていい、といっているものと受けとめたい。

JBLからはこれまでに多くのスピーカーシステムが発売されてきているが、
サランネットをつけた状態でレベルコントロールをいじれるモノはわずかである。

この4411の他は、4311ぐらいではなかろうか。

Date: 11月 23rd, 2012
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(デザインのこと・その2)

人は生れてくる時代を選べないから、生れてきた時代をいい時代と思うようになっているのかもしれない。
そう思い込みたいのかもしれない。

たとえそうであってもアナログディスク再生ということに関していえば、
私が生れた時代(1963年)は、まだよかった、といえる。

いくつもの製品、いくつもの試みを実際にみて触れて、聴くことができたからだ。
じつにいろんなアナログプレーヤーがあった、と振り返って思う。

私がオーディオに関心をもちはじめて、ステレオサウンドを読みはじめたころ(1976年)は、
アナログプレーヤーはダイレクトドライヴ型が全盛の時だった。
それでも、ベルトドライヴ型のトーレンスのTD125、リンのLP12、デュアルの124、エンパイア698があったし、
アイドラー型も、EMT・930st、927Dstがまだ現役だったし、ガラードの401もまだ残っていた。

数は少なかったけれど、これらのプレーヤーが現役だったのは、
性能面ではダイレクトドライヴ型には及ばないものの、音質面ではそうでなかったからである。

ガラードの401については、瀬川先生がステレオサウンド 43号で、こんなことを書かれている。
     *
ワフ・フラッターなど、最近の国産DDと比較すると極めて悪いかに(数値上は)みえる。キャビネットの質量をできるだけ増して、取付けに工夫しないとゴロも出る。
     *
ダイレクトドライヴ型ならばゴロなんて発生する製品は皆無である。
なのにガラード401はターンテーブル単体で49800円(これだけ出せば国産のプレーヤーシステムが購入できた)。
これをキャビネットに取付けて、しかも専用キャビネットは販売されていなかったから、
自分で設計し作るか、市販のプレーヤーキャビネットを買ってこなければならない。
それにトーンアームも当然必要で、そうすると100000円は軽くこえてしまう。

それでもゴロの発生を完璧に抑えられるかどうかは保証されないのだ。
そんなターンテーブルである401が、ベストバイとして選ばれている。

Date: 11月 23rd, 2012
Cate: Wilhelm Backhaus

バックハウス「最後の演奏会」(その8)

バックハウスは、もういない。
バックハウス的といえるピアニストも、いま誰かいるかと考えても、すぐには思い浮ばない。

バックハウスのピアノ演奏がすべてではないし、
時代によって新しいピアニストが登場してくる。

同じピアニストはひとりもいないのだから、それは当然すぎることであり、
時代によって録音技術も変化・進歩していく。
演奏スタイルも、すくなくとも録音される演奏においては、
録音技術の変化・進歩とはまったく無関係でいることは無理なのかもしれない。

一度録音された演奏は、ずっと残っていく。
バックハウスの演奏も残っていくし、その他のピアニストの演奏も残っていく。
同じ演奏は、だから時代が求めていない、ともいえるのかもしれない。

時代はくり返す、ともいわれる。
だから、またバックハウス的なピアニストが登場するのかもしれない。
私は登場しないように思っている。

人がいちどに聴ける演奏は、ひとつだけである。
バックハウスのベートーヴェンを聴きながら、別の誰かのピアニストの演奏でバッハを聴く、ということは、
ただ鳴らしておくだけなら可能でも、実際にはできない。

人の時間は限られていて、録音されていくものは増えていく。
個人のコレクションも増えていく。

新しいものが登場していく陰で、注目されなくなるものも出てくる。
スピーカーの音も同じである。

技術が変化・進歩していくことで、それまでのスピーカーでは出し得なかった音が聴けるようになってきている。
だからといって、それまで聴けていた音がすべて出た上で、新しい音がそこに築かれているわけではない。
残念なことに、技術がまだまだ未完成・未熟なこともあり、何かを得れば何かを失っていく。

失うものが少なく、得るものが多ければ、それは進歩と呼ばれるのだろうが、
わずかでも失われるもののなかに、その人にとって大切なものが含まれていれば、
いくら得るものが多かろうと、それは進歩とはいえなくなる。

バックハウスの「最後の演奏会」は私に、
失われていく音、忘れられていく音がある、ということを考えさせる。