第28回audio sharing例会のお知らせ
5月のaudio sharing例会は、1日(水曜日)です。
テーマはいまのところまだ決めていません。
6月5日に行う29回のテーマはすでに決めてますし、ゲストをお呼びする予定なんですけど。
時間はこれまでと同じ、夜7時からです。
場所もいつものとおり四谷三丁目の喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
5月のaudio sharing例会は、1日(水曜日)です。
テーマはいまのところまだ決めていません。
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時間はこれまでと同じ、夜7時からです。
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ソニーとLo-Dがほぼ同時にセパレート型のCDプレーヤーを発表してからしばらくしてのことだった。
そのときステレオサウンドの試聴室にあったのはソニーだったと記憶している。
もっとも、ここではソニーであろうがLo-Dであろうが、その後に登場した他社製のモノであってもかまわない。
セパレート型であることが条件だったのだから。
このときやっていたのはトランスポートとD/Aコンバーターを接続するケーブルによる音の違い。
トランスポートD/Aコンバーターを結ぶケーブルは75Ω規格のケーブル。
この部分で音が変化することは、誰しもが思うことであって実際に音は変化する。
CDプレーヤー登場以前、
CDプレーヤーはデジタル技術の産物だから音は変らない、という意見も一部ではあった。
けれど、出て来た製品を聴く限り、音はあたりまえのように違っていた。
でもこの部分のケーブルは、
CDプレーヤーでは音は変らない、と考える人にとっては、
絶対に、といいたくなるほど音が変るとはおもえないところであろうが、
ケーブルを変えれば音は変る。
音が変るのは確認できた。
次はいったいどこまで音が変るのかに興味がうつっていく。
75Ωのケーブルをいくつか試していた。
といってもそれほど多くの75Ωケーブルが、当時のステレオサウンドにあったわけではない。
だからラインケーブルをあれこれ試してみた。
75Ωではない、ラインケーブルを使っても音は出る。
とくに問題は感じられなかった。
それよりもあれこれ聴いていくうちに、気がつくことがあった。
このときからである、デジタルに対して疑問が出て来きたのは。
とはいっても、このときはまだ小さな小さな疑問ではあったのだが。
S9500登場以前のJBLのスピーカーシステムといえば、
1976年に発表された4343を筆頭とするスタジオモニターが、その代名詞となりつつあった。
コンシューマー用のスピーカーシステムも、もちろんあったし、新製品も登場していた。
1980年代にはそれまでのJBLのラインナップとはやや異る特色をもつL250が登場したものの、
すくなくとも日本では4343、それに続いた4345、4344の人気が圧倒的に高く、
本来の実力の割には話題にのぼることは少なかった。
S9500はそんなJBLのコンシューマー用スピーカーシステムの頂点としてだけではなく、
JBLのスピーカーづくりの、あの時点での集大成ともいえる内容と外観をもつ登場した。
素材面でそれまでのJBLでは採用してこなかったモノを大胆に使い、
コンクリートの台座を含める4ピース構成という、エンクロージュアを分割させている。
他にもいくつかの特徴をもつ中で、出力音圧レベルが97dBと、
4343の93dBと比較して4dBも上昇している。
JBLの、いわば原器といえるD130の100dBをこえる、
いまとなっては驚異的ともいえる高能率ほどではないにしても、
1989年に97dBの出力音圧レベルは充分高能率スピーカーといえる値になっていた。
しかもS9500はD130よりもずっと周波数レンジが広い。
S9500は2ウェイだから広くて当然ということになるが、低域に関してもより低いところまでのびている。
レンジの広さと高能率の両立を実現している、ともいわれたS9500は、
ほんとうに高能率スピーカーといっていいのだろうか。
S9500のカタログの出慮音圧レベルの項目には、こう記してある。
97dB/2.83V/m、と。
インピーダンスは電磁変換効率を把握する上で重要な項目といえる。
パワーアンプが真空管から半導体へと増幅素子の変化があり、
真空管アンプ時代では考えられなかったほどの大出力が、家庭内で気楽に使えるようになった。
ハイパワーアンプの出現がスピーカーの能率を低下させる理由のひとつともいえるし、
スピーカーの周波数特性を伸ばすために能率が低下し、補うためにアンプの出力が増していった、ともいえる。
真空管アンプ、それも小出力しか得られなかった時代にはスピーカーの能率は100dBをこえるものが珍しくなった。
それが真空管アンプも出力をましていくようになり、
スピーカーの能率も以前ほど100dBをこえるものは少なくなっていった。
それでも90dB程度は、能率が低いスピーカーといわれていた。
それがステレオになり大型スピーカーシステムを家庭内にペアで置くことの難しさが発生してくるようになると、
スピーカーの小型化が望まれるようになるし、
そのころのスピーカーの常識としてはサイズが小さくなれば能率も低くなりがちである。
とにかくスピーカーの能率は低くなっていく一方で、
90dBを切るモノも珍しくなくなっていった。
そういう流れの中で、JBLから1989年、Project K2 S9500が登場した。
一部では高能率スピーカーの復活、という表現もされたスピーカーシステムである。
海老沢徹氏による連載「針先から見たスーパーアナログの世界」、
ステレオサウンド 75号に掲載されているこの記事のなかで、
ウェストレックスのカッターヘッド3D RECORDERが写真とともに紹介されている。
この3D RECORDER海老沢氏所有のもので、撮影のためにお借りしてけっこうな期間私が預っていた。
机の引出しの中にしまっていて、見たくなればいつでも好きな時に好きなだけ見れて、そして触れた。
3D RECORDERは実測で2060g。金属のかたまりであるから、ずしっと重い。
感覚的には実測値よりも重く感じる。
誌面の都合で写真が小さくなってしまったのが、いまでも悔やんでしまうのだが、
3D RECORDERはカートリッジとは、まったく別物であることを、実際に手にして実感していた。
カッターヘッドはラッカー盤に溝を刻んでいくもの、
カートリッジはプレスされた塩化ビニール盤の溝をトレースしていくもの、
だからこのふたつがまったくの別物であることは知識として理解はしていても、
実際にカッターヘッドの実物を見て手にすれば、感覚的に理解できるほどの違いが歴然としてある。
これで、私の中でカッティングマシンがアナログディスクのプレーヤーとして理想とはいえないことに確信を得た。
アナログディスクのプレーヤーが、プレスされた塩化ビニール盤を再生するものではなく、
ラッカー盤を再生するものだとしても、
カッターヘッドとカートリッジの違いについて考えれば考えるほど、
プレーヤーとしての理想は、別のところにあると考えるようになる。
これだけが理由ではないのだけれど、
リニアトラッキング方式がけっしてアナログディスク再生のトーンアームとして、
カートリッジを移動させるための機構として理想とはいえないと、
私は結論づけている。
オーディオ評論(音を言葉で表現すること)の問題、
曖昧さ、難しさについてはここではこれ以上深入りしないけれど、
つまりは長岡鉄男氏がスピーカーシステムの試聴記事でスピーカーユニットの重量を量られたのは、
このところにある、といっていいはず。
JBLの2405の重量はカタログ発表値では2kgである。
この2kgという事実は、2405の音像が平面で切り張りと感じる人にとっても、
立体的と感じる人にとっても変らぬ事実である。
2kgを重いと感じるのか、軽いと感じるのか、こんなものだろうと感じるのかは人によって違ってきても、
2405の重量が2kgという事実は誰にとっても同じである。
つまり長岡鉄男氏は、誰にとっても事実であることを文字とされたわけである。
このことに関しては、私が長岡鉄男氏の熱心な読者ではなく、
ほとんど読んでいない読者だけに記憶に曖昧なところがあるけれど、
スピーカーユニットの重量やアンプのボリュウムのツマミの重量を量ることについて、
長岡鉄男氏自身が書かれている記事を読んだ記憶がある。
つまりすべての人にとって変らぬ事実というのは、重量ぐらいしかない、ということだった。
時代はすこし違っているというものの、
井上先生、瀬川先生、黒田先生がおもな執筆の場としてステレオサウンドに早瀬文雄氏も書かれていた。
同じフィールドにいた人たちの間でも、
オーディオの音の関する評価基準の中で、どちらかといえば客観的ともいえる音像の立体感において、
正反対の評価となっていることは、
フィールドが違えば、さらに大きくなることだってあるし、
いまここで取り上げていることは書き手側の問題であって、それだけでもこういうことが起り得るのに、
実際にはここに読み手の問題がある。
例えばステレオサウンドしか読んでこなかった読者が、
ステレオサウンド以外のオーディオ雑誌を読んだとして、
そこに書かれていることをステレオサウンドに書かれているのを読んだときと同じように受けとれるか。
これはどのオーディオ雑誌が優れているのかということではなく、
ステレオサウンド以外のオーディオ雑誌(できればステレオサウンドと執筆者がかぶらない雑誌)、
それしか読んでこなかった読み手がステレオサウンドをはじめて手にとって読んだとしても、
同じことがいえる。
言葉で音を表現することは粗視化であり、主観的、恣意的なことが多分に含まれるだけに、
ある人によるある記事だけを読んだだけで、
そこで評価されているオーディオ機器の音が正確に把握できるものではない。
ある人が書いたものをできるだけけ多く読んでいくことで、
ようやく試聴記に書かれていることから音がある程度想像できるようになってくるわけなのだから、
書き手側にはフィールドがあれば読み手側にもフィールドがあり、
そこで順列組合せ的に事柄が発生する。
そうなるとすべての人に共通する事実というものは、ほとんどないにも等しい。
書き手側においても、JBLの2405の例のように立体感でまるで正反対の評価が出ているわけで、
2405の件に関してはここで取り上げている範囲では3対1で平面で切り張りが事実として受けとれるが、
これは書き手側だけにおけるわずかなサンプルであり、
読み手側を含めて2405をの音についてきいたことがある人に意見をきいていけば、逆転するのかもしれない。
コントロールアンプもしくはプリメインアンプの入力セレクターをPHONOにしてボリュウムをあげていく。
当然ノイズが聴こえてきて徐々に大きくなってくる。
このときのノイズの量は、カートリッジが何も取り付けられていない状態、
インピーダンスの高いMM型カートリッジが取り付けられている状態、
MC型カートリッジが取り付けられている状態、
さらにオルトフォンSPUのようにMC型の中でもインピーダンスの低いものが取り付けられている状態で変化する。
つまりフォノイコライザーのノイズ量はアンプのPHONO入力端子にショートピンを差した状態がいちばん少なく、
PHONO端子につながれているカートリッジのインピーダンスが低い、
カートリッジ実装状態のノイズ量は、ショートに近い状態のモノほど少ない。
とはいえローインピーダンスのカートリッジはMM型にしろMC型にしろ、
インピーダンスが高めのものよりも出力が低いことが多いわけだから、
S/N比という観点ではsignalのレベルが下げることで、必ずしもS/N比が高くなるともいえない。
けれどフォノイコライザーのノイズがカートリッジのインピーダンスによって変化していくのを耳にすれば、
アナログディスク再生においては、
必ずしもカートリッジの出力が大きい(そのためにハイインピーダンス仕様)だけでは
実質的なS/N比が有利になるとはいえなくなる。
ローインピーダンスのカートリッジのもつ技術的メリットを活かすのは、
だから難しい面があることは事実としても、
インピーダンスの値と出力レベルとの相関関係において、特に聴感上のS/N比に関しては、
いいポイントがあるのかもしれない。
いま別項「D130とアンプのこと」で、ローインピーダンスのカートリッジについて書いていて、
ひとつ、技術的なメリットを思い出した。
それはカートリッジ実装状態のフォノイコライザーのノイズが減る、ということ。
このことはステレオサウンドでも活字になっているので、記憶されている方、ご存知の方もおられるだろう。
ステレオサウンド 76号での「読者参加による人気実力派スピーカーの使いこなしテスト」の基礎篇にある。
このときの試聴で使っていたコントロールアンプはQUADの44。
44にはCDプレーヤー(パイオニアD9010X)と
アナログプレーヤー(トーレンスTD126MKIII)が接続されていて、主に試聴はCDで行われていた。
ある程度セッティングを詰めていったところで、
それまでTD126MKIIIにつけていたカートリッジをMM型からMC型へと交換して、CDの音を聴いている。
このときのMM型はスタントン、ピカリングのローインピーダンス型ではなく、一般的なハイインピーダンス型。
カートリッジを交換して聴くのはアナログディスクではなく、CDである。
にも関わらず、音ははっきりとよい方向へと変化する。
そのときの音の変化を、
読者代表として参加されていた舘一男さん(早瀬文雄氏)と井上先生はこう語られている。
*
舘 これは好き嫌いの問題というよりも、MC型に変えた方が、SN比がよくなり、CD再生のクォリティが上りますね。
井上 CDを聴いている時の大きな問題のひとつとして、フォノイコライザーからのノイズの飛びつきがあります。この問題を解決するには、CDを聴いている時はイコライザー部の電源が落ちるか、イコライザーの出力にミュートをかけてほしいんだけど、現在ではそれを望むのは無理。だから、CDを本気で聴きたいときは、アナログ入力を外してショートピンを差すか、もしくはローインピーダンスのMC型カートリッジをつけてやるといいでしょう。インピーダンスの低いカートリッジだと、等価的に入力がショートされた状態になりますから。
*
このメリットは、なにもCD(ライン)入力のみ作用するわけではない。
一般的な弧を描くタイプのトーンアームの先端に取り付けられたカートリッジの針が、
レコードの溝をトレースしながら内周へと移動していくのは、
オーディオに興味を持ち始めたばかりの少年の頭でも容易に想像できた。
けれどカッターヘッドと同じ軌跡を針先が移動するリニアトラッキング方式となると、
B&O、ヤマハ、マカラなどから製品が出ていても、考えれば考えるほど、その動作は理解し難かった。
それでもカッターヘッドと同じだから、それが理想的なものであると思い込もうとしていた。
実際にリニアトラッキング方式を採用したプレーヤーが動作しているのをみることができたのは、
もう少しあとのことで、そのときは気がつかなかったことが、
ステレオサウンドで働くようになり、自分の手で触れ調整し操作し、その音を聴けるようになって、
リニアトラッキング方式への思い込みを、やっと消し去ることができた。
リニアトラッキング方式といっても、各社各様である。
それでもひとついえることは、カンチレバーの動きを注視してほしい、ということだ。
こういうふうに動いてくんだ、と納得できる、そんな動きをカンチレバーがしている。
もちろん、それだけでリニアトラッキング方式のトーンアームの音はこうだ、と決めつけられるわけではない。
それでもカンチレバーの動きをみていると、リニアトラッキングといっても、
カッティングマシンにおけるそれと、再生側のアナログプレーヤーにおけるそれとでは、
決定的に異るものであることがわかるというものだ。
それに実際のカッターヘッドの実物を手にしてみると、
カートリッジとカッターヘッドはまったくの別物であり、
そのまったくの別物を移動させていく手段の理想が同じである、と考えるのが根本的におかしいことにも気づく。
リッスン・ヴュー(Listen View、のちのサウンドステージ)というオーディオ雑誌があった。
そのリッスン・ヴューの8号に早瀬文雄氏の「JBLのマインド・トポロジー」が載っている。
そこで早瀬氏は、2405というトゥイーターについて、こう書かれている。
*
高域に用いた2405は、一歩間違えると金属的で人工的な響きを出しかねない怖いトゥイーターだが、鳴らしこめばもうこれでしか絶対にでない立体的な、造形のたしかな高域をつくってくれる。
(中略)
高いクロスオーバーポイントで繋いだ2405のデリケートな響きにはどうしても惹かれてしまう。軽やかな、うまくすれば想像を絶するほど柔らかな表現をする響きは、たとえばパイオニアのPT−R7リボン型トゥイーターなどでも聴けた。でも、よりそのデリケートさに立体感や浸透力をもとめていくと、どうしても2405にいきついてしまうのだ。
*
早瀬文雄氏も瀬川先生同様、2405というトゥイーターに惚れ込まれている人だ。
でも、このふたりには大きな、決定的な違いがあることを、
引用した早瀬文雄氏の文章を読まれれば気づかれるだろう。
早瀬文雄氏にとって、2405は「立体的」な音のトゥイーターである、ということだ。
ここでの「立体的」は、ステレオ再生における音像の立体感のことである。
音の左右への広がり、奥行き感、音像の定位、音像が平面的なのか立体的なのか、
こういう評価基準は客観的な項目であり、
聴き手によって、その判断に大きな違いは発生しないもの──,
そう思われている方もおられるだろうが(私も若いころはそう考えていた)、
実のところ、この客観的と思われている項目も、人によって感じ方がまるで違うことが発生する。
ステレオ再生において、そこに形成される音像が平面的か立体的なのか、
そんなことは、初心者ならばまだしも、ある程度キャリアがあれば、
平面的なものを立体的と判断することはない──、とは言い切れない。
ステレオ再生の音像が実像ではなく虚像であることを考慮すれば、
これもまた充分起り得ることかもしれない。
ノイズが音の感触を生んでいるかもしれない、と、この項の(その5)で書いた。
2010年2月27日のことだから、もう三年が経つ。
その三年のあいだに、いろいろ書いてきて、この項でもマッキントッシュのMC2300のことを中心に、
マッキントッシュのアンプのツマミの変化についても書いてきて、
ノイズが音の感触に直接関係していることは、もう実感へと、確信へと変ってきた。
そして、ノイズはいくつかの意味での「背景」でもあり、
結局のところ、ノイズがまったく存在しない(zero-noise)再生音は、
それはもう再生音ではなくなってしまう気もしている。
別項で書いている「続・再生音とは……」、
ここで生の音になく再生音にあるもの、
おそらくいくつかあるであろう、これらの中でもっとも重要なのがノイズであり、
ノイズは時として信号を補う存在でもある。
次回のaudio sharing例会は、5月1日(水曜日)です。
時間はこれまでと同じ、夜7時からです。
場所もいつものとおり四谷三丁目の喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
HIGH-TECHNIC SERIESのトゥイーター特集号で、
JBLの2405の音については、井上先生、瀬川先生、黒田先生の三人とも、
表現の仕方に違いはあってもそこで語られようとされていることは同じであった。
違うのは、ピラミッドのT1と2405の、どちらを選択するかという点であった。
井上先生と黒田先生はT1、瀬川先生は2405だった。
T1に関しては、私は聴いたことはない。
それでも2405を使ったシステム(JBLの既成のスピーカーシステム、自作システムを含めて)は、
幾度となく聴いている。
それにジェームズ・ボンジョルノの設計したアンプも自分で使っていた。
HIGH-TECHNIC SERIESの鼎談で、瀬川先生はT1対2405の音を、
アンプでいえばGAS対マークレビンソンというふうに表現されている。
だからT1の音を聴くことはなかったけれど、T1の音を想像できる。
その想像は、かなり正確なものだろうともいえる。
それほどにHIGH-TECHNIC SERIESの巻頭の鼎談記事はおもしろいものであった。
598のスピーカーシステムをテーマにしておきながら、
598のスピーカーシステムが重くなってきてきたこと、
長岡鉄男氏のスピーカーユニットの重さを量られたことを書きながら、
ここで2405とT1の話を持ち出したのは、平面な切り張りの魅力をもつ2405の音を、
立体的な音と表現する人も、またいるということ、
そこに音を言葉で表現することの問題についてふれておきたいからである。
音を言葉で表現するということは、いわば粗視化ともいえるし、
音を聴いて感じたことを書くということは、主観的でもあり、ときとして(人によっては)恣意的ですらある。
ようするに曖昧さをつねに内包している。
そういう音の表現を読む側にも同じことがいえ、
美辞麗句で語ったところで、どれだけ流暢な文章で語ったところで、
読み手に伝われるかどうかはなんともいえない。
書き手の能力も読み手の能力もつねに要求され試されている、ともいえる。
JBLに2405というトゥイーターがある。
1970年代のJBLのスタジオモニターに採用された2405の音は、
この時代を代表するスタジオモニター的性格を色濃く持った音といえる性格のトゥイーターである。
ステレオサウンド別冊のHIGH-TECHNIC SERIESの三冊目はトゥイーターの特集だった。
巻頭記事で、4343のトゥイーターのみを専用アンプで駆動して、
5種類のトゥイーターを、井上先生、瀬川先生、黒田先生で聴くということを行っている。
この記事は2405の性格をもっとも正確に伝えたものだと私は思っている。
この記事は鼎談によるまとめで、
当時登場したばかりのアメリカのリボン型トゥイーターピラミッドのT1と2405の比較は、
よくわかる内容であり、T1か2405かは、目指す方向を意識させてくれるものでもあった。
ここで2405は平面の切り張り、T1は自然な立体、と表現されている。