Date: 9月 5th, 2014
Cate: 素材

素材考(カートリッジのダンパー・その3)

カートリッジの針先がレコードの外周方向にふれる。
もしダンパーに使われているゴムの反発力が強ければ、
すぐさま反対方向(レコードの内周側)に戻そうとする力が生じる。

これはカートリッジのダンパーとして、望ましいのだろうか。

ステレオサウンド 61号の長島先生の記事を読んで、そう考えるようになった。
実を言うと、それまではダンパーはカンチレバーを中央につねに戻すための機構だと考えていた。
ゴムが使われているのだから、そうだと思い込んでいた。

だがよくよく考えてみると、勝手にカンチレバーを中央に戻されては、
カートリッジの針先(つまりカンチレバーの先端)が溝を追従するのを邪魔することになる。
カンチレバーは、つねに溝に対して自由な動きをできるようになっていなければならないし、
ダンパーがその動きを妨げてはならない。

長島先生は「ゴムの分子間の結合が切れて、半分ヤレたゴム」という表現をされている。
こういうゴムの反発力は、新品のときよりもずっと低下している。

つまり長島先生がいわれる、オルトフォンのSPUがいい音がしてくる時期のダンパーは、
なかば反発力が低下している状態である。
一般的なゴムのイメージからすると、ゴムらしくない、ともいえる。

ここまで考えて、ダンパーとは、いったい何のためにあるものか、と考えるようになり、
そのためのダンパーとして求められる性質とは、どういうものなのか、に考えがいたるようになった。

Date: 9月 5th, 2014
Cate: 素材

素材考(カートリッジのダンパー・さらに補足)

カートリッジとは直接関係のないことだが、ひとつ思い出したことがある。

マークレビンソンのアンプ、LNP2、JC2のモジュールはピッチで固めてあった。
それからしばらくして、日本でもコンデンサーをエポキシ樹脂で固める、という記事が出てくるようになった。

固めれば音が良くなる──、
ということで、ある海外製のコントロールアンプの内部をエポキシ樹脂で固めてしまった人がいる。
結果は、というと、故障してしまい修理に出してしまうことに。
しかも、そのアンプは正規輸入品ではなく並行輸入品であった、ということも、
そのアンプの輸入代理店の人から聞いている。

いまはどうなのか知らないが、
そのころは並行輸入品でも修理の依頼を正規代理店はことわれないように定められていた。
ただ修理代金は正規輸入品よりも高く請求してもよかったようだが。

そのアンプはマークレビンソンとはずいぶんと性格の違うンプである。
エポキシ樹脂で内部を固めて使うようなアンプではない。

それでも、すこしでも音が良くなる可能性があるのなら、試してみることを止めはしない。
けれど慎重にやってならなければならない。
このことは絶対に忘れてはならない。

私もオーディオ機器には手を加えることがある。
スチューダーのCDプレーヤーA727にも手を加えた。
当時40万円をこえていたから、安易に手を加えて故障させてしまうわけにはいかない。

だからA727と同じピックアップメカニズム、デジタルフィルター、D/Aコンバーターを搭載している、
他社製のCDプレーヤーを中古で手に入れて、これであれこれ試したあとでA727にとりかかった。

ステレオサウンド 61号で長島先生もいわれているように、
慎重のうえにも慎重にやっていかなければならないことがある、ということ。

ただあまりにも慎重になりすぎてしまい、
以前書いているように、着脱式の電源ケーブルがきちんと挿っていなかったという例もある。

この辺の力の兼ね合いは言葉で完全に説明できるものではない。
ややつきはなすようだが、自分であれこれやって身につけるしかない。

Date: 9月 4th, 2014
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(モノづくり・その2)

IT企業のITは、いうまでもなくInformation Technologyの略である。
だが、日本のIT企業の中には、Information Technologyを持っていないのではないか、と感じる企業もある。

そういう企業もInformation Technologyということになっている。
そういう企業が考えるTechnologyと私が考えるTechnologyが違うのかもしれない。

そういう企業トップが、「日本のモノづくりには……」と発言する。
そういうIT企業の「ような」会社のトップのいうことだから──、と私はおもう。

今回のテクニクス・ブランドの復活は、オーディオ機器というモノづくりを、
パナソニックが復活させた、ということである。

今回発表されたアンプやスピーカーシステムの出来がどの程度なのかについては、
まだ写真を見ただけだから、あれこれ書くのは控えておく。
だが、パナソニックは、先のIT企業の「ような」会社ではない。

それに技術者がいないのでは……、ということは、必ずしもネガティヴなことではない。
テクニクスの製品でいえば、オープンリールデッキのRS1500U。
このモデルの開発には、新しい感覚、新しい考え方を盛り込むために、
あえて半数以上がテープデッキの開発に携わったことのない技術者で編成されたグループが行っている。

RS1500Uの開発に関する記事は、ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」のテクニクス号で読める。
テクニクス号はすでに絶版だが、電子書籍となっている。

Date: 9月 4th, 2014
Cate: Technics, 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(モノづくり・その1)

昨夜、ドイツでのIFAでテクニクスの発表があった。
現地時間の15:00〜16:00時におこなわれたカンファレンスの内容は、
インターネットのおかげでその日のうちに知ることができた。

それに大手新聞のウェブサイトでも伝えられていた。
そしてブログやSNSに、発表された製品についての意見が出て来ている。
あえて検索しないでも、facebook、twitterをやっていれば目に入る。

いろいろな意見、感想がある。
その中に、もうオーディオの技術者がいなんじゃないのか、
もしかするとアウトソーシングなのではないか、という書き込みも目にした。

今回のテクニクスのように、開発をストップしてからの復活の場合、
技術者はどうなのか、ということは、つねにいわれる。
私だって、20代のころならば、おそらく同じことを言っていた、であろう。

「何年オーディオの開発から遠ざかっているんだよ」

モノづくりとは、こう言い切れるものだろうか。
つい最近も、日本のモノづくりについて、あるIT企業のトップが発言していたことを目にした。
日本がモノづくりで競争力をとり戻せる日は来ない、というものだった。
これに同調したライターの記事も目にした。

Date: 9月 4th, 2014
Cate: 素材

素材考(カートリッジのダンパー・補足)

ステレオサウンド 61号の長島先生のSPUのエージング方法を読んで、
当時実際にやった人はいる。
私もSPUを使っていたわけではないが、同じオルトフォンのMC20MKIIでやってみた。

この時、注意しなければならないのは、記事中にもあるようにあたためすぎないことである。
うっかりしていると、周囲の温度によるがすぐにあたたまる。
あたためすぎの状態が続くと、ダンパーのエージングが進むのではなく、カートリッジそのものをダメにする。

実際にダメにしてしまった、という話をいくつか聞いている。
あたためすぎが原因である。

あたためればいい、ということで、あたためすぎる。
あたためすぎはダメだと書いてあっても、
その部分は読んでいるはずなのに、記憶になかった、ということが意外にもある。

しかも、そういう人に限って、あの記事でせいでカートリッジをダメにしてしまった、という。

くり返し書いておくが、あたためすぎはダメだ、と記事にはある。
この部分を読み落しているのは誰なのか、ということだ。

Date: 9月 4th, 2014
Cate: 素材

素材考(カートリッジのダンパー・その2)

ステレオサウンド 61号で、長島先生が次のように語られている。
     *
長島 SPUのAタイプを使って低域がモゴモゴするというひとが多いんですが、これは当然なんですね。というのは、買ってきてそのまま使っている。そうすればみんなモゴモゴしますよ。そして古くさい音がするというのね。
 SPU−A/Eがいちばんいい状態になるのは、非常に残念なことに、針が減って、使えなくなる寸前なんですね。これはみんなが知っていることだけど、そうすると、あまりにもはかないでしょう。やっと、よくなってきた、針が減って替えなければならない……。それの繰りかえしじゃね。だから、それを、もう少し早く、人工熟成させているわけです。こうすると、いい状態になってから、針が減るまで、かなり楽しめます。
(中略)
──それは、われわれでもできるんですか?
長島 できますよ。要するに、あたためるんです。そうすると(ダンパーの)ゴムが軟らかくなるでしょ。その状態で使っていると、ゴムの分子間の結合が切れて、半分ヤレたゴムになってくる。一種の老化ですね。エイジングというのはそういうことなんだけれど、それを早めてやるということです。だから、あたためては使い、あたためては使い、とそうやっていると、ひじょうに早くエイジングが進みます。
     *
具体的なやり方として長島先生は60W程度の電球の下にSPUを置き、温度にして40度ぐらいまであたためられる。
この40度くらいは、触って、あたたかいかな、というぐらいである。
熱く感じるようでは、あたためすぎ、ということになる。

そうやってあたためたカートリッジでレコードを再生する。
これをくり返すわけである。

その結果、SPUのダンパーは軟らかくなる。
これに関するやりとりも61号にはある。
     *
長島 S君、針先をちょっとさわってざらん。
──いいんですか? 指でさわっちゃって?
長島 いいよ、かまわない。
── アレッ? エッ!?
長島 ワッハッハッハ……。
── ナニッ!? こんなになります?
長島 なる。だって現になっているじゃない!
     *
これを読み、ダンパーの素材(ゴム)に対する認識が変化していった。

Date: 9月 4th, 2014
Cate: Technics, チューナー・デザイン

チューナー・デザイン考(テクニクスの型番)

テクニクスのオーディオ機器の型番にはルールがあった。
スピーカーシステムはSBから始まる。
プリメインアンプとコントロールアンプはSU、パワーアンプはSE、レシーバーにはSAが頭につく。
チューナーはST、グラフィックイコライザーはSH、カセットデッキ、オープンリールデッキはRSで始まる。

アナログディスク関連の機器はプレーヤーシステムがSL(CDプレーヤーもSL)、ターンテーブル単体はSP、
カートリッジはEPC(省略されることが多く、型番末尾にCがつく)、トーンアームはEPA、といった具合にだ。

昨晩、ドイツ・ベルリンで開催されているIFAで、テクニクスの製品が発表になった。
R1シリーズとC700シリーズがあり、
R1シリーズのスピーカーシステムがSB-R1、コントロールアンプがSU-R1、パワーアンプがSE-R1、
C700シリーズのスピーカーシステムがSB-C700、プリメインアンプがSU-C700、CDプレーヤーがSL-C700、
ネットワークプレーヤーと呼ばれる新ジャンルの機器がST-C700となっている。

ほぼ従来通りの型番のつけ方であるわけだが、ST-C700だけが少しだけ違う。
STの型番は、これまではチューナーの型番だった。

今回のラインナップにチューナーはない。
おそらく今後もチューナーが出ることはないだろう。

そのチューナーの型番(ST)が、ネットワークプレーヤーに使われている。
アルファベットは26文字あるから、ネットワークプレーヤーSTではなく、他の型番をつけることもできる。
にも関わらず、今回テクニクスはネットワークプレーヤーにSTとつけている。

個人的に、ここに注目している。

この項(チューナー・デザイン考)を書いているだけに、
わが意を得たり、の感があるからだ。

Date: 9月 3rd, 2014
Cate: 素材

素材考(カートリッジのダンパー・その1)

カートリッジにはダンパーと呼ばれる部分がある。
このダンパーには、たいていゴム系の素材が使われている。

ごく一部のカートリッジにはゴムのダンパーが使われていないモノもあるが、
ほぼすべてといっていいほど、ほとんどカートリッジにはゴムのダンパーが使われている。

ゴムときくと、反発する素材というイメージがある。
ゴムのボールを壁や床にぶつけると跳ね返ってくる。
輪ゴムを伸ばしていた指を離すと、即座に元の大きさに戻る。

そういうイメージが、ゴムにはある。

カートリッジにゴムのダンパーが使われている、と知って、
まずそういうゴムのイメージでカートリッジのダンパーをとらえていた。

けれどカートリッジの動作を考えると、そういうゴムの性質はダンパーとして理想化というと、
そうでもないことに気づく。

最初のきっかけはステレオサウンド 61号の「プロが明かす音づくりの秘訣」だった。
60号からはじまった、この企画、一回目は菅野先生、二回目は長島先生だった。

ここで長島先生はオルトフォンのSPU-Aのエージング方法を紹介されている。
これがきっかけである。

Date: 9月 2nd, 2014
Cate: モーツァルト

続・モーツァルトの言葉(その3)

50をこえて、これから先どこまで執拗になれるのか、と考えるようになってきた。
齢を重ねることで淡泊になる、枯れてくるかと思っていたら、
どうも執拗になっていくようだ。

だから、そういう音を望むようになってきている。

20代前半、ステレオサウンドで働いていたころ、
菅野先生がよくいわれていた──、
「ネクラ(根暗)重厚ではなく、ネアカ(根明)重厚でなければ」と。

菅野先生は1932年生れだから、そのころの菅野先生の年齢にほとんど同じぐらいになっている。

どこまで執拗になれるのか、と思うようになり、
菅野先生の、この「ネアカ重厚」を思い出している。

ネクラ執拗ではなく、ネアカ執拗でありたい。

Date: 9月 1st, 2014
Cate: サイズ

サイズ考(大口径ウーファーのこと・その7)

昔からいわれつづけていることで、いまもそうであることのひとつにウーファーの口径の比較がある。
15インチ(38cm)口径ウーファーと8インチ(20cm)口径ウーファー4本の振動板の面積はほぼ同じである──、
といったことである。

20cm口径1本と10cm口径4本も振動板の面積はほほ同じになり、
38cm口径1本と10cm口径16本もそういうことになる。

このことから小口径ウーファーを複数使用することで、大口径ウーファーと同じことになる、ということだ。

ウーファーの振動板が平面であれば、この理屈もある程度は成り立つ。
だが実際にはウーファーの振動板はコーン(cone、円錐)であるから、そう単純な比較とはならない。

ウーファーの振動板を手桶としてみた場合、
38cm口径のコーン状の手桶が一回ですくえる水の量、
20cm口径のコーン状の手桶が四回ですくえる水の量、
このふたつが同じになるには20cm口径のコーン状の手桶はかなり深いものでなければならない。

つまり一回の振幅で動かせる空気の量は、
38cm口径1本と20cm口径4本とでは同じにならない。38cm口径のほうが多い。

こう書いていくと、次には振幅でカバーすればいい、ということになる。
昔のユニットでは難しかった大振幅がいまのユニットでは可能になっている。
だから小口径、中口径のウーファーに足りない部分は、振幅を大きくとることで補える、という考えだ。

だが、これはスピーカーの相手が空気ということを無視している、としか思えない考えである。

Date: 9月 1st, 2014
Cate: Technics, 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(テクニクス・ブランドの復活・その11)

1976年10月にテクニクスのオープンリールデッキRS1500Uは登場した。
この年の4月にエルカセットが発表になっている。

1976年秋は、ちょうど私が五味先生の「五味オーディオ教室」とであい、
急速にオーディオへの関心が高まっていった時期でもある。

このとき電波科学を読んでいた。
いまはなくなってしまった電波科学はおもしろかったし、勉強になった。
毎号、メーカーの技術者による新製品の解説記事が載っていた。
ページ数も10ページほどあったように記憶している。
かなり詳細に、その新製品に盛り込まれている技術についての解説だった。

テクニクスのRS1500Uについての、その記事もあった、と思う。
詳しい内容はほとんど憶えていないが、
RS1500Uに投入されたアイソレートループ技術は、
それまでのオープンリールデッキの走行メカニズムとは違うことが、
視覚的にはっきりと、わかりやすく提示されていて、
そのころはオーディオ初心者だった私にも、それがいかに独創的であるかが伝わってきていた。

この点に関して、オープンリールデッキとスピーカーシステムは共通する、といえることをこのとき感じていた。

Date: 8月 31st, 2014
Cate: Technics, 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(テクニクス・ブランドの復活・その10)

テクニクスはブランド名、ナショナルもブランド名、松下電器産業が会社名だったころ、
松下電器産業のことを「マネした電器産業」と揶揄した人が少なからずいた。

そういう人たちがそんなふうに口さがないのも、ある面しかたなかった。
オーディオ製品に関しても、いわゆるゼネラルオーディオと呼ばれていた普及クラスの製品に関しては、
そういった面も少なからずあった。

それでもテクニクス・ブランドで出していたオーディオ機器に関しては、
「マネした電器産業」といってしまうのは失礼であるし、どこを見ているのだろうか、といいたくなる。

マネした電器産業が、ダイレクトドライヴ方式のターンテーブルを世界ではじめてつくり出すだろうか。
SP10だけではない。
他にもいくつも挙げられる。

リニアフェイズ方式のスピーカーシステムもそうだ。
カートリッジにしても、テクニクスならではのモノをつくってきていた。
特にEPC100CはMM型カートリッジとしてのSP10的存在、つまり標準原器を目指した製品といえる。

テクニクスの製品の歴史をふり返っていくと、決して「マネした電器産業」ではないことははっきりとしてくる。
その中でも、強く印象に残っている、テクニクスらしい製品といえば、オープンリールデッキのRS1500Uがある。

RS1500Uはリニアフェイズのスピーカーシステムと視覚的に同じところがる。
ひと目で、そこに投入されている技術が確認できるし、
テクニクスの製品であることがわかるからだ。

Date: 8月 31st, 2014
Cate: 書く

毎日書くということ(実感しているのは……)

毎日書いている。
ステレオサウンドについても、あれこれ書いている。
書いていて実感しているのは、あのころは未熟だったな……、ということ。

すべてが未熟だったとは思っていない。よくつくったな、といまでも思う記事も手がけている。
それでも、オーディオ雑誌の編集者として未熟な点はあった。
それに気づくのは、ステレオサウンドを離れてからだった。

距離をおくことで見えてくるのがあるのは、ほんとうのことだ。

そしてステレオサウンドが属しているオーディオ業界は、
他の業界からみれば、狭く小さな業界ともいえる。

そのことが全面的に悪いことだとは思っていないが、
それでも気をつけなければならないのは、
プロフェッショナルの編集者になる前にオーディオの業界人になってしまうことである。

Date: 8月 30th, 2014
Cate: サイズ

サイズ考(大口径ウーファーのこと・その6)

JBLの2インチ・スロートのコンプレッションドライバーの大きさは、なかなか見慣れるということがない。
毎日眺めているのだから、いつのまにか、大きいと感じられないようになるのかと思っていたけれど、
ふとしたことで、やはり大きいな、といまも感じることがある。

ただ大きいな、とおもうのではなく、その大きさに少しばかりの異様さも感じることがある。
この大きさのドライバーが、JBLのスタジオモニターのフラッグシップであった4350、4355の中に入っている。

エンクロージュアの中におさまっているから、ふだんは目にすることのない2440、2441。
だがこのコンプレッションドライバーをエンクロージュアから取り外してみると、
なぜ、このユニットだけ、これほどの物量を投入しているか、と思い、
オーディオマニア(モノマニア)としては嬉しくもなるし、
これだけのユニットとエネルギーとしてバランスを得るには、
ウーファーは15インチ口径で、しかも二発使いたくなる。

だからといって15インチ口径ウーファーをシングルで鳴らして、うまくバランスしない、といいたいのでなはい。
菅野先生のリスニングルームでは、375と2205Bが見事にバランスしている。
2205Bは一本で鳴らされている。

それはわかっている。
けれども視覚的に捉えてしまうと、2インチ・スロートのコンプレッションドライバーには、
ダブルウーファーがよく似合う。

Date: 8月 29th, 2014
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

総テストという試聴のこと(その3)

レコード芸術の1981年5月号、瀬川先生が「音と風土、そして時の流れと」を書かれている。
それまでの約二年間、読者代表のふたりと試聴してきた連載の終りをむかえての、まとめ的な意味を含んでのものだ。
そこから、総テストに関係している部分を引用しておく。
     *
 メーカーを問わず国を問わず、多くのスピーカーを聴いてみる。はじめのうちは、そのひとつひとつの違いの大きさに驚かされる。が、数多く聴く体験を重ねてゆくうちに、同じメーカーの製品にはひとつの共通の鳴り方のあることに気づかされる。さらに、国によって、つまりその製品を生み育てた風土によって、大きな共通の傾向を示すことにも気づかされる。そのことは、料理の味にたとえてみるとわかりやすいかもしれい。
 同じ素材を使った料理でも、店の違い、料理人の違いによって、味は微妙にないしは大きく、違う。しかしそれを、大きく眺めれば、日本料理、中国料理、フランス料理……というように、国によって明らかに全く違う傾向を示す。細かくみれば、国、地域、店、料理人……とどこまでも細かな相違はあるが、大きくみれば、同じ国の料理は別の国と比較すれば間違いなくひとつの型を持っている。その〝型〟を育てたものが、その国の風土にほかならない。
 しかしまた、時代の流れによる嗜好の変化、そして国際間の交流によって影響を受け合うという点にもまた、料理と音に類似点が見出される。世界的に、酒が次第に甘口になり、交易の盛んになるにつれてその地域独特の地酒の個性が少しずつ薄められると同じことが、スピーカーの音色にも見出される。少し前までは、あれほど違いの大きかったアメリカの音とイギリスの音が、最近では、部分的によく似た味わいをさえ示すようになっている。その部分をみるかぎり、国によるスピーカーの違いなど、遠からず無くなってしまうのではないかとさえ思わせる。だが、風土の違いが無くならないのと同じように、仮に差が微妙になったとしてもその違いが無くなることはないと、私は思う。そして、オーディオを楽しみとするかぎり、こうした差の微妙さを味わい分けることは、むしろ本当の楽しみの部類に入る。ベルリン・フィルハーモニーの音が、いまやドイツ的と言えるかどうか、という説がある。たしかに、国際的に著名なオーケストラには、いまや国籍を問わず優秀な人材が送り込まれている。けれど、それならベルリン・フィルハーモニーの音が、シカゴの音になってしまうだろうか。ならないところが微妙におもしろい。逆にまた、ベルリンとウィーンの音の違いが無くなってしまったら、演奏を聴く楽しみは無くなってしまう。
 スピーカーの音はそれとは違う、と言われるかもしれない。スピーカーは、それ自体が性格や音色を持つべきではない。ベルリンとウィーンの違いを、スピーカーを通して聴き分けるには、スピーカー自体に音色があってはおかしいんじゃないか。スピーカーは、単に、入力の差をそのまま映し出す素直な鏡であるべきだ……。
 それは正論だが、そういう意見を本気で論じる人は、世界じゅうの数多くのスピーカーを、本気で比較したことのない人たちだ。ひとつひとつの音はたしかに大きく違う。が、一流のスピーカーであればどれをとっても、ウィーン・フィルとベルリン・フィルの違いは歴然と聴き分けられる。
 スピーカーの音の違いと、オーケストラや楽器の音色の違いとは、全く性質の違うもので、それを言葉の上では、あるいは机の上の理屈では混同しやすいが、聴いてみればそれは全く違うということがわかる。こればかりは、体験のない人にどう説明してもなかなかわかって頂けないが、たとえば、どんな写真を通してみても、ある人のその人らしさが写らないことはない、と考えれば、いくらか説明がつくだろうか。そういう意味では、こんにちのカメラやレンズや感光材料(フィルムや印画紙)もまた、決して理想的な段階に至っていない。だがそれだからといって、二人の違った人間のそれぞれ、その人らしさが写らないなどとは、誰も思わない。しかもなお、写真の愛好家は、日本の違ったレンズのそれぞれの描写の味の違いを楽しむ。
 音楽とスピーカーの関係もこれに似ている。
 私自身のそうした考え方を、第三者に立ち合って確かめて頂く、という意味もあって、これまで、Aさん、Kさんという、互いにその性格も音楽や音の好みも全く違う、二人の愛好家といっしょにいま日本で入手できる世界じゅうのスピーカーの、大部分を聴いてきた。
 ご両人とも、最初のうちは、同じレコードがときとしてあまりにも違うニュアンスで鳴ることに驚き、大いに戸惑ったこともしばしばあった。しかもその音の違い、音楽表現の違いを、言葉で説明することの難しさに、頭をかかえたらしい。だが二年も続けていると、お二方とも、次第に聞き上手、語り上手になってきたことは、この連載の最初からずっとお読み下さった読者諸兄にはよくおわかりの筈だ。
 その意味では、むしろ一般読者代表の形でご登場頂いたお二人が、少しずつプロに近い聴き方をするようになってきたことが、果してよいことなのかどうか、私自身少々迷っていた。お二人には、連載開始当時の純朴な耳をそのまま持ち続けて頂いたほうがよかったのではないだろうか、などと勝手な考えを抱かせるほど、A、K、ご両者の聴き方は変化していった。
 しかし私がひとつの確信を抱いたのは、当初の素朴な耳の頃からすでに、お二人によって、スピーカーの鳴らす音の味わいの違いが、メーカーや型番の違いよりももっと、風土による影響こそ本質的な違いであることに、賛意が得られたことだった。ある月はイギリスの音ばかり聴く。ひとつひとつ、みな違う。だがそこに一台でもアメリカやフランスを混ぜると、明らかに、たった一台だけ、違った血の混じったことが、誰の耳にも聴き分けられる。そうして一台だけの別の血を混ぜてみると、それまでずいぶん違うと思っていた個々が、全くひとつの群(グループ)にみえてきて、そこに同じ血の流れていることがまた確認できる。何度も何度も、そういう体験をして、血の違いのいかに大きくまた本質的であるかを、確認した。
     *
レコード芸術での、この連載企画はステレオサウンドの総テストと比較すると小規模といえるけれど、
それだけにじっくりと時間をかけて、瀬川冬樹という最適のアドヴァイザーがいての試聴であり、
そういう試聴だから、総テストと同じように見えてくることが、はっきりとある。