Date: 2月 8th, 2026
Cate: 「ルードウィヒ・B」

「ルードウィヒ・B」(1989年2月9日・その2)

マンガから音は出てこない。
マンガの神様と言われた手塚治虫のマンガであっても、その作品が載った誌面から音が出てくることはない。

明日(2月9日)は、手塚治虫の命日。三十七年、四十年近い月日が流れ、マンガにおける音楽の描写は進歩してきていると感じている。

全てのマンガにおいてではないが、いくつかのマンガのシーンで、そう感じることが、ここ五年ほどの間に何度かあった。

そういうシーンでは、絵だけだったりすることが割とある。登場人物のセリフがない。

絵があるから、音が鳴っているような感覚になるのだろう。

オーディオ評論は、それが載っている誌面から音が聴こえてくるわけではない。
マンガには絵がある、オーディオ評論には言葉しかない。

だから無理なことと、最初から諦めていていいのだろうか。

Date: 2月 7th, 2026
Cate: 複雑な幼稚性

ゲスの壁(その4)

ステレオサウンドとオーディオアクセサリー(もしくはアナログ)。
二十年ほど前までだったら、比較すればステレオサウンドと思えていた。
けれどオーディオアクセサリーも少しずつ変っていく。
ステレオサウンドも、少しずつ変っていっている。

別項「2024年をふりかえって」で書いているように、オーディオアクセサリー(アナログ)において、読みごたえのある記事が載るようになってきた。

ジャーマン・フィジックスのHRS130の石原俊氏の文章、
フェーズメーションのCM1500の土方久明氏の文章が、そうである。

HRS130、CM1500、どちらもステレオサウンドにも記事が載ったが、通り一遍の紹介記事にとどまっていた。

毎号、オーディオアクセサリー(アナログ)に、そういった記事が載っているわけではないし、いかにも──、と言いたくなる記事もある。

いまオーディオアクセサリー(アナログ)とステレオサウンド、私の中ではどんぐりの背比べぐらいの位置づけになっている。

ステレオサウンドがいまでも上──、
そう言いたい気持はあっても、そうではなくなりつつある。

だからといって、数年後、どうなっているのかはなんとも言えない。
オーディオアクセサリーは、128号の付録CDが発端となった裁判に関する検証記事を載せるのか、
それともだんまりを決め込んでしまうのか。

それによって、今後がずいぶん変っていく。
オーディオ・ジャーナリズムなきオーディオ雑誌にしていくのかどうか、でもある。

Date: 2月 6th, 2026
Cate: 複雑な幼稚性

ゲスの壁(その3)

Googleで「オーディオ 裁判」で検索すると、アコースティック・リヴァイブ裁判、サーロジック裁判が表示される。

サーロジック裁判は、聞いたような記憶がなんとなくあったけれど、知らなかった。

アコースティック・リヴァイブ裁判は、サーロジックよりも記憶ははっきりとしていて、そういえばそんなことがあったなぁ、ぐらいではある。

アコースティック・リヴァイブ裁判で、今回驚いたのは、第一審がまだ結審していないことである。
アコースティック・リヴァイブ裁判は、2008年2月21日発売のオーディオアクセサリー 128号の付録CDが発端である。

十八年前のことだ。
アコースティック・リヴァイブが原告となって裁判を起こしたことは当時それなりに話題になっていたので、私も記憶している。

とはいえもう随分前のことで、どこかの時点で結審している、もしくは和解しているものと勝手に思っていたのだから、第一審がまだ継続していることに驚いた。

結審しても、そこで決着とはなりそうにない感じを受けるから、最高裁まで争うのかもしれない。そうなったら、後何年かかるのだろうか。

第三者には理解できない、お互いに絶対に譲れないことがあるのだろうし、現時点では被告側からの情報発信が多い。

個人的にいろいろおもうところはあるが、決着がつくまで控えておくつもりだが、それでも一つだけ書けば、
オーディオアクセサリー(音元出版)は、なぜ黙ったままなのかだ。

オーディオアクセサリー 128号の付録のCDから始まっているわけだから、オーディオジャーナリズムをかけらでも持っているのならば、しっかり検証すべきである。

アコースティック・リヴァイブ裁判のこれまでの経緯を細かくみていったわけではないが、
オーディオアクセサリー(音元出版)は、だんまりを決め込んでいるとしか思えない。

十八年前のことだから、当時の編集者がいまも在籍しているのかも、私は知らない。すっかり入れ替っていてもおかしくない年月だ。

時間が経てば経つほど検証は難しくなっていく。

Date: 2月 5th, 2026
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) –第二十四夜を終えて

新たなところに移ってのaudio wednesdayも、昨晩で三回。やるたびに面白くなってきたと感じているのは私だけではないようで、
昨晩、来られた方たちも、面白かった、と言ってくれた。

そして共通の感想として、音の違いがよくわかる、とも言われた。
少し前にちょっと触れているが、トリノフ・オーディオによる音響補正のおかげもある。

電気的な補正で全ての問題点が解消するわけではないが、それでも適切に音響補正がなされることで、
それまでのさまざまな音の癖を、ある程度抑えることができる。

それらの音の癖によるマスキング効果が、適切な音響補正によって抑えられるのだから、音の違いはよくわかるようになる。

逆に言えば、音の違いがあまりわからないようなのであれば、その音響補正はまだまだだということになる。

昨晩来られた方の一人は、トリノフ・オーディオに強い関心を持たれたようだ。

これから先、どんなことをやっていけるのかは、なんともいえないが、退屈することなくやっていけそうである。

場所がかわり、システムもかわる。そのことは、実のところ大したことではない。
四谷三丁目から狛江、そして今の渋谷になって、そのことを実感している。

音を出せる場とシステムがあれば、なんとかなる。

Date: 2月 4th, 2026
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) –第二十五夜

3月のaudio wednesdayは、4日開催。
参加希望の方は、私宛に連絡ください。

Date: 2月 4th, 2026
Cate: 中点

中点(その15)

(その12)と(その13)で、レコード(録音物)は中点だと書いた。
レコードの送り手(録音側)とレコードの受け手(再生側)の中点であり、
レコードの送り手にとってレコード(録音物)は最終点であって、
レコードの受け手にとっては出発点であるからだ。

同じことをオーディオ機器について考えると、
アンプにしてもスピーカーにしても、レコードと同じく中点といえる。

ここで書いたいのはそのことではなく、オーディオ雑誌、オーディオ評論は中点といえるのか、である。

Date: 2月 3rd, 2026
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) –第二十四夜(いよいよ明日)

明日(2月4日)のaudio wednesdayは、話すことに比重を置こうと考えている。

別項「audio teach-in」で書いていることが、どこかに引っかかっている感じがするからだ。
オーディオマニアは、何を知りたいのだろうか。そして何を知らないのだろうか。

このことをはっきりと掴んでいる人は、いないような気がする。
一人ひとり違うし、だからこそ話していかないと、何もわからないままになってしまう。

音を聴きながら、テーマをあえて絞らずに対話を重ねていければと思っている。

Date: 2月 2nd, 2026
Cate: the Reviewの入力

早瀬文雄氏の文章を入力していて(その5)

私がJBLの2405の存在を知ったのは、ステレオサウンド 41号の表紙となっていた4343によってである。

それがトゥイーターということはすぐにわかっても、オーディオに興味を持ち始めて二ヵ月ほどの中学生の私には、
2405の構造がどうなっているのかを、すぐには理解できなかった。

ホーン型トゥイーターの一般的な構造は知っていたが、2405の中心に見える、あのクサビ的な形状のディフューザーと周りのホーンとの関係が、よくわからなかった。

その点、同じJBLのトゥイーターの075の構造はすぐに理解できた。
075同様、リングダイアフラムを使っていて、その前面に位置するホーン部の形状の詳しいことを知りたくても、
どんなに目を凝らして写真を見ても、全体が黒く塗装されている2405は、わかるようでわからない。そんなもどかしさがあった。

2405のホーン部の形状がわかったのは、ステレオサウンドで働くようになって、実際の2405をじっくり見るだけでなく、
開口部に小指を入れてみたりしたからだ。

そして、しばらくして知ったのは、2405と075のホーンは同じだということ。
075のディフューザーをクサビ状にして、ホーンの内側に、ホーンのカーブにしたがうスペーサーを、ディフューザーを挟みこむ感じで配している。

正面から見て左右の半円状のスペーサーは、ホーンから外すことができる(外したことはない)。

Date: 2月 1st, 2026
Cate: きく

音楽をきく(その9)

家庭用ビデオデッキが登場したのは、1965年、ソニー製のオープンリール型だときいている。

家庭用ビデオデッキときいてイメージするカセット型となると1975年にソニーがベータマックス方式、1976年にビクターがVHSなのだが、
当時、私の周りでベータマックス、VHS、どちらかを導入した家庭はなかった。

仮面ライダーの放送は、ベータマックス、VHS登場以前である。
もしすでに登場していたとしても、同級生の誰かの家にはある、というものでもなかった。

つまり仮面ライダーは録画して見るものではなかった。
週一回の放送時にテレビの前にいなければ見れなかった。

小学生だった私、同じクラスのみな、そうやって仮面ライダーを見ていた(楽しみにしていた)。
当時は共有という言葉は知らなかったけれど、同じ時間を共有していたなぁ、といまになって思う。

Date: 1月 31st, 2026
Cate: オーディオ入門

audio teach-in(その8)

生成AIとの会話、それも承認欲求を満たすためだけの会話は、
静慮とは全く無縁の行為でしかないからこそ、やっている本人には楽しいことなのかもしれない。

Date: 1月 30th, 2026
Cate: オーディオ入門

audio teach-in(その7)

適切な技術書や解説の文章があって、
それをきちんと理解するために生成AIを利用するのは、いい使い方だと思う。

オーディオにおける生成AIを全否定はしない。使い方次第、使い手次第な面はあるけれどもだ。

使い手次第なのだ。
オーディオ雑誌でのベストバイ的なもの、賞、そういった記事が載った号が売れるのは、
いくつかの理由があろうが、大きな理由として、自分が使っているオーディオ機器が選ばれている──、
このことによる間接的な承認欲求が満たされるからではないのか。

生成AIは、間接的な承認欲求ではなくて、直接的な承認欲求をも満たしてくれる。
そういう使い方をすれば、であるのだが、そんなことをやって何が楽しいのか、嬉しいのか、と私は思うけれど、
世の中は人さまざまなのだから、生成AIによる承認欲求を必要とする人もいるのだろう。

このことも、その人がそれで良ければ、第三者がとやかくいうことではない、と思いつつも、
こわいのは、そうやって生成AIとの会話を重ねることで、聴かずに音の判断をくだしてしまう愚かさをやってしまうことだ。

この項で触れている人は、ある方式と別の方式との比較を生成AIに訊ねている。
そして、ある方式は聴くに値しないという判断をくだした。

聴いた上で、それがたとえ十全とはいえない試聴ではあっても聴いての判断であれば、
私と全く正反対の評価であっても、そうですか、という。

けれど聴かずして判断して、そして聴く気もないと言ってくる。
生成AIに訊く前に、とにかく、その音を聴こうよ、と言いたいだけだが、もうそれすら、その人の耳には届かないようだ。

生成AIは使い手を愚かにすることもある。

Date: 1月 30th, 2026
Cate: オーディオ入門

audio teach-in(その6)

生成AIにオーディオに関することを質問すると、面白いことに音についても語ってくれる。
つい先日、ある真空管について、プレート電圧はこのくらいで、バイアスはこのくらいで動作させたらローレベルのリニアリティについてきいたところ、
返ってきたのはリニアリティについてだけでなく、その場合の音についても返してきた。

これをすごいな、と感心して信じ込める人もいる。
でも少し考えれば、現時点で生成AIは音を聴くことができない。
もちろん音を判断することもできない。

にも関わらず、
この動作の音質的特徴
非常に低歪み: 動作の直線性が非常に高く、上品で繊細な音色になります。
ボーカルや室内楽に最適: 2A3や300Bのような華やかさよりも、芯が強く、中域に艶がある音になります。
と答える。

笑うしかないと私は思うけれど、そうでない人もいる。

私が訊ねたような動作例でアンプを作っている人を、私は見つけられなかった。
同じようなことを考える人は、他にもいるのは承知しているが、それでもそれほど多くはないはず。

なのに、その動作例での音について生成AIは答える。

Date: 1月 29th, 2026
Cate: オーディオ入門

audio teach-in(その5)

オーディオの世界は、世の中の悪いところを先取りする。
こう言われたのは菅野先生。
もう二十年以上前に、これを聞いている。

当時も、本当にそうだ、と思い書いていた。
残念なことに、いまもそうでありこれからもそうなのだろう。

生成AIの使い方にしてもそうである。

それにしても、オーディオの世界は、これほどまでに世の中の悪いところを先取りするのか。

Date: 1月 29th, 2026
Cate: オーディオ入門

audio teach-in(その4)

先ほどの(その3)で取り上げた人は、これから先増えてくるのではないだろうか。
そうなった場合、オーディオ雑誌にとって、非常に厄介な読者となる可能性も高い。

オーディオ雑誌は、早いうちに生成AIをきちんと検証する記事を作った方がいい、と私は思っている。

(その3)で触れている人は若い人ではない。私よりも年上の人だ。
世代は関係ないようにも感じている。 

生成AIは道具であって使い方次第とはいっても、どんなレベルの人が使っても、それなりに使えてしまうところが怖い。
そうやって偏った人がさらに偏っていく。
そんな人が読者となったりもする。

オーディオにとっても、オーディオ雑誌にとっても、とんでもない未来がすぐそこに来るのかもしれない。

もちろんきちんと使い、自身のオーディオへの理解を深めている人もいるのはわかっている。
でも、存在を無視できないほどに、使い方によっては害悪を垂れ流しているに近い、とも感じている。

Date: 1月 29th, 2026
Cate: オーディオ入門

audio teach-in(その3)

生成AIは、オーディオをダメにしていくかもしれない──、今朝、ある人からのメールを読んで、そう感じた。

その人は、生成AIとオーディオについての会話を楽しんでいる。そのこと自体は否定することではないが、
生成AIはどういう質問の仕方をするかによって、返ってくる答が違ってくる。

オーディオの理解を深めるために、その人も使っているのかもしれないが、メールを読む限り、自身の考え、感性が正しいことを生成AIに認めてもらいたいだけ。
私には、そうとしか思えないくらいに、こんな質問の仕方をどうしても繰り返すのか──。

オーディオはややもすると自分の臍だけを見つめてしまいがちな面も持つ。
それが悪いまでは言わないけれど、その人は、その方向に躊躇わず進むために生成AIとの会話を重ねていっている。

オーディオにはいろんな方式、技術、製品がある。
それらの音を聴かずに生成AIと会話して、こういう音だと思い込む。

思い込むのも、その人の自由というか勝手である。やりたければずっと続けていけばいい。
けれど、その行為はオーディオへの理解を深めることではなく、どこか片隅に自分自身を追いやって、
自分の臍だけを見つめて過ごすことでしかない。

この人だけがそうなのか。他にも同じような人がいるようにも思える。
偏ったオーディオの知識を持った人が、生成AIとの会話を重ねていくことでますます偏る。

オーディオの未来は、どうなっていくのだろうか。
こういう人が極々少数派であればいいのだが……。