Date: 4月 5th, 2024
Cate: 挑発

挑発するディスク(その18)

この項では、
カザルス指揮マールボロ音楽祭管弦楽団によるベートーヴェンの第七番について書いている。

国内盤のLPで聴いたのが最初だった。
そのすさまじさに圧倒された。

それからさまざまな音で聴いてきた。
LPもドイツ盤も買ってみたし、CDになってからもいくつか買ってきている。

それでも、国内盤LPを、
ノイマンのカートリッジDSTをトーレンスの101 Limitedに取りつけて聴いた音、
この時の音を超えることはできない──、そんなふうな諦めが私のなかでは育っていっていた。

DSTでの音は、ステレオサウンドの試聴室でも何度か聴いているし、
幸運なことに一ヵ月ほど借りることができ、自分のシステムでも聴いている。

DSTを、カザルスのベートーヴェンの七番をかけるためだけに欲しい、
と真剣に思っていたけれど、当時、いったいいくらで買えたのかは訊く気にもならなかった。

MQAで聴けるようになってから、少し可能性を感じてもいた。
4月3日のaudio wednesdayでは、第四楽章をかけた。

冒頭の音が鳴ってきた瞬間、ここまで来た! と感慨にひたっていた。
ここから新たな挑発がうまれてくるのかどうか──。

Date: 4月 5th, 2024
Cate: 終のスピーカー

エラック 4PI PLUS.2のこと(その7)

4月3日のaudio wednesdayでは、
ユッカ=ペッカ・サラステ指揮トロント交響楽団による
シベリウスのレンミンカイネン組曲をかけた。
TIDALではMQAで聴くことができる。

会途中の休憩でも、会終了後にも、
シベリウスがとてもよかった、といってくれた。
たしかに、この日のシベリウスはよかった。

ここまで鳴ってくれるのか、と思うほどによかった。
別項で書いているように、サラステによるシベリウスは、
菅野先生のリスニングルームで、ジャーマン・フィジックスを中心としたシステムで聴いている。

その時の衝撃が強かっただけに、私にとって宿題としての一枚になっているだけでなく、
こういう場でかけよう、という気にはまずならない。

CDしかない時代であれば、持参することすらしなかっただろう。
でも、いまの時代、インターネットがあれば聴くことができる。

この音ならば、けっこううまく鳴ってくれるかも──、という期待が生まれていた。

菅野先生のところでの音には、まだまだ及ばない。
それは鳴らす前からわかっていたことで、私にとって大事なのは、
同じところを目指しているかどうか、である。

アポジー単体で鳴らしていたら、おそらくかけなかっただろう。
4PI PLUS.2があったからこその選曲だった。

Date: 4月 5th, 2024
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) – 第四夜と第九

1824年5月7日、ウィーンのケルントナートーア劇場での初演。
今年、ベートーヴェンの第九は初演二百年を迎える。

5月のaudio wednesdayは1日。ちょうど7日ではないけれど、
ベートーヴェンの第九をかけることは、すでに決めている。

スピーカーが何になるのか、いまのところわからないけれど、
それでも第九をかける。

指揮者は誰にするか。これもまだ決めていない。
きっと当日まで迷っているだろう。
かける寸前に、誰にするか決めるかもしれない。

とにかく第四夜の中心は、ベートーヴェンの第九となる。

Date: 4月 4th, 2024
Cate: 終のスピーカー

エラック 4PI PLUS.2のこと(その6)

昨晩(4月3日)のaudio wednesdayでは、
アポジーのDuetta Signatureだけでなく、
エラックのリボン型トゥイーター 4PI PLUS.2をつけ加えた。

どちらもリボン型とはいえ、リボンの形状が大きく違うことによって、
放射パターンもはっきりと違う。

アポジーは、いわゆるダイボール型で前面と後面の音は極性が逆なのに対し、
エラックは水平方向の無指向性なのだから、
アポジーの後面に放射された音とエラックからの音とでは、
単純に考えれば打ち消しが、かなり生じることにもなるだろう。

実際のところ、どんなふうになっているのか。
音を聴いてみるしかない。
うまくいかなければエラックを外すだけ。

18時開場の前に、エラックを加えて鳴らしてみた。
うまくいきそうな感触だった。

しばらく鳴らしてみて、とくに違和感のようなものは感じなかったから、
そのまま鳴らすことにした。

結果は成功といえた。

Date: 4月 4th, 2024
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) – 第三夜を終えて

昨晩の第二夜を終えての書きたいこと。

告知していたように、昨晩はアポジーのDuetta Signatureを鳴らした。
1980年代後半のモデルだから、ほぼ四十年ほど前の製品であって、
当時は、オール・リボン型スピーカーの実現ということで、かなり話題になっていた。

ステレオサウンドでも、アポジーは表紙になってこともあるし、
新製品紹介の記事でもカラー扱いだったした。

ステレオサウンドの試聴室で、アポジーのスピーカーシステムは聴いている。
一度や二度ではなく、けっこうな回数聴いている。

だから、多くのオーディオマニアがどこかしらで聴いているものだと思っていた。

けれど、昨晩来られた、私と同世代と思われる方にきいてみると、
今日、初めてアポジーを聴いた、という人が数人おられた。

オーディオマニアでない方もこられている。
もちろん彼らにとって初めて見るスピーカーだろう。
けれどオーディオマニアで、私と同世代の人ならば──、というのは、
私の勝手な思い込みだったことを知らされた。

あのころ、オーディオ店に行ったことはほとんどない。
アポジーが、オーディオ店でどういう扱いをされていたのか、知らなかった。
ただただ、これだけ話題のスピーカーだし、
特にCaliper signatureはサイズといい価格といい、
アポジーの製品中、手頃だったし、音も魅力的だった。

以前書いているように、Caliper signatureを本気で買おうと思ったこともある。
だから、大型のDivaは聴けるところが少ないだろうけど、
Caliper signatureならば、オーディオ店に行けば聴けるもの──、それこそが思い込みだった。

Date: 4月 3rd, 2024
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) – 第四夜

audio wednesday (next decade) – 第四夜は、5月1日である。
時間、場所はこれまでと同じ。

テーマはまだ決めていない、というか、
スピーカーシステムが何になるのかが決ってからになる。
来週末には決っている(はず)。

Date: 4月 2nd, 2024
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) – 第三夜(いよいよ明日)

明日(4月3日)は、audio wednesdayである。

今回鳴らすのは、アポジーのDuetta Signatureだ。
パワーアンプは、今回もクレルのKMA200、CDトランスポートはアキュフェーズのDP100。

D/Aコンバーターはメリディアンの818 v3で、
これまでTIDALを再生するのにはroonのNucleusを使っていたが、
今回はサイレントエンジェルのZ1。
CDトランスポート以外、宇都宮からこれらを運んできてくれるHくんのシステムということになる。

Duetta Signatureは3月の会が始まる前に、二時間弱ほど鳴らしている。
ULTRA DACが818 v3になっているからといって、
前回よりも聴き劣りのする音を出すつもりはない。

開始時間は19時。終了時間は22時。
開場は18時から。

18時から音は鳴らしているけれど、
19時までの一時間は、質問、雑談の時間でもある。

音を鳴らし始めると、話す時間がほとんどなくなる。
とにかく聴いてもらいたいし、曲を途中で止めるのもできればやりたくないため、
曲の紹介を短めでやるくらいになってしまっている。

もともとそういうつもりで18時開場にしていたわけだが、
最初から話しかけてくる人はいないわけで、
今回で四回目なので、話のほうに少しはウェイトをおきたい。

会場の住所は、東京都狛江市元和泉2-14-3。
最寄り駅は小田急線の狛江駅。

参加費として2500円いただく(ワンドリンク付き)。
大学生以下は無料。

Date: 4月 1st, 2024
Cate: High Fidelity

手本のような音を目指すのか(その9)

別項「真空管アンプの存在」の(その50)、(その51)で書いている。
1980年代の、ある国産のパワーアンプのことだ。

当時としてはけっこう高価格のパワーアンプであり、
その会社のフラッグシップモデルでもあった。

造りも良かった。回路も意欲的だった。物量も投入されていた。
滑らかで音の透明度も高い。
安定度も高いから、パワーを上げてもまったく不安を感じさせない。

こう書いていくと素晴らしいアンプのように思われるだろう。
実際に優秀なアンプといえたし、そういう評価を得ていた。

けれど、決定的に、ピアニシモ(ローレベル)においての力を感じさせなかった。
ローレベルでの力のなさゆえに、このアンプでスピーカーを鳴らしていると、
ついボリュウムを上げてしまう。

力のないローレベルの領域をできるだけ使わないように、無意識で上げていたようだ。

このことを持ち出しているのは、
時計の秒針の音が気になる音、
パワーアンプの空冷ファンの音が気になる音というのも、
実のところ、この高級国産アンプの音と同じだから、といえる。

ローレベルの力のない音で聴いていると、周囲のもろもろの音が気になってしまう。
これは人によって違うのだろう。

この項の(その6)で書いているように、
私と同じように感じていた人もいるし、そうでない人もいる。

そうでない人は、上にあげた高級国産アンプの音を聴いても、
私と同じような不満は感じないであろう。

Date: 3月 31st, 2024
Cate: VUメーター

VUメーターのこと(その27)

メーターをもつオーディオ機器は、
カセットデッキやオープンリールデッキなどもある。

これらのテープデッキ類とパワーアンプとの大きな違いは、
シンメトリーな配置かどうかが挙げられる。

パワーアンプのメーターの配置にもいくつかあるが、
ステレオ仕様の場合、シンメトリーな配置のモノが多い。

私が毎日眺めているSAEのMark 2500もシンメトリーなパネルフェイスである。
つまりメーターが、人の目に相当するようにみえるし、
パネルそのものが人の顔を連想させることもある。

そしてメーターの大きさや色、フロントパネルの色、質感、
そしてスイッチ類の数、配置によって、
その顏は精悍にみえるモノもあれば、どこか笑い顔のようにみえるモノもある。

無表情にみえるモノもあるが、こういうアンプはあまり顔を連想させない。

マッキントッシュのパワーアンプはソリッドステートになってから、
ほとんどの機種にメーターがついている。

けれど昔の機種はシンメトリーではなかった。
たとえばMC2300。二つのメーターは無かって左側に寄っていた。

MC2300の後継機、MC2500もツマミが一つ増えたけれど、
それ以外に関してはMC2300と同じだった。

MC2500の後継機、MC260になってからシンメトリーな配置に変更になった。
大きな変更とはいえないまでも、受ける印象の違いは小さいとはいえない。

MC2300には、どこか凄みのようなものが感じとれた。
それがMC2600になると、それは感じとれない。

MC2300とMC2600、デザインはほぼ同じであっても、メーターの配置を含めて細部が違う。
フロントパネルの色、仕上げも違う。
それらを含めての全体の印象であることは理解しても、
人の顔を連想させるかどうか、それによるものではないのか。

Date: 3月 30th, 2024
Cate: background...

background…(その1)

安部公房の「他人の顔」の主人公〈ぼく〉について書いている。
《ぼくは決して、音楽のよき鑑賞者ではないが、たぶんよき利用者ではあるだろう》、
「他人の顔」の〈ぼく〉は、そう語っている。

いまの時代、利用されている音楽は?、というと、ジャズかもしれない──。
e-onkyoの、各ジャンルのニューリリースを眺めるたび、そう思ってしまう。

いまe-onkyoのジャズのニューリリースのところには、
「朝、コーヒー、ジャズ。」、「ゆったり朝に聴きたいボサノヴァBGM」、
「朝カフェで流れるおしゃれなジャズBGM」、
「ハーブティーとゆったりジャズでくつろぐ午後」、
「気分を高めて仕事をするためのジャズ」、
そんな類のタイトルがけっこうな数、並ぶ。

他のジャンルのニューリリースのところには、この手のものがまったくないわけではないが、
ジャズのところの数の多さはダントツ。

見るたびに、なんなんだろう、と思う。

この手のタイトルのアルバムを買う人がいるのか。
そう私は思ってしまうのだが、
以前からずっとリリースされているのだから、ある程度の数は売れているのだろう。

どんな人が買っているのかは、私にはまったくわからない。
そして、タイトルにあるような利用の仕方(聴き方)をしているのかもわからない。

「気分を高めて仕事をするためのジャズ」を、
ハーブティーとともにくつろぎたいときに聴く人はいるのか、
「朝カフェで流れるおしゃれなジャズBGM」を聴いて、
気分を高めて仕事をする人はいるのか──。

この種のタイトルのアルバムを購入する人は、
タイトルにあるような聴き方をしているとすれば、
その人ははたして音楽のよき利用者といえるのか。

ここでのよき利用者は、そういうタイトルをつけて提供している側なのか。

Date: 3月 29th, 2024
Cate: ハイエンドオーディオ

ハイエンドオーディオ考(その11)

ハイエンドオーディオの定義とは、
目の前にリアルなサウンドステージを創り出すシステム──、らしい。

X(旧twitter)で、ステレオサウンド・オンラインが投稿していた、
と友人が先日教えてくれた。

ステレオサウンド・オンラインのアカウントによると、
ハイエンドオーディオという言葉をつくったのは、
アブソリュート・サウンド誌のハリー・ピアソンとなっている。

ハリー・ピアソンが言い始めたということは、私も聞いて知っていたが、
本当なのかどうかは、よくわからない。
ハイエンドオーディオという言葉を広めたのは、ハリー・ピアソンといってもいいだろうけれど。

言葉をかえれば、録音されたサウンドステージの再現ということになるわけだが、
完全なサウンドステージの再現とは、誰が判定するのだろうか。

ステレオサウンド 29号に、黒田先生の「ないものねだり」を思い出す。
     *
 思いだしたのは、こういうことだ。あるバイロイト録音のワーグナーのレコードをきいた後で、その男は、こういった、さすが最新録音だけあってバイロイトサウンドがうまくとられていますね。そういわれて、はたと困ってしまった。ミュンヘンやウィーンのオペラハウスの音なら知らぬわけではないが、残念ながら(そして恥しいことに)、バイロイトには行ったことがない。だから相槌をうつことができなかった。いかに話のなりゆきとはいえ、うそをつくことはできない。やむなく、相手の期待を裏切る申しわけなさを感じながら、いや、ぼくはバイロイトに行ったことがないんですよ、と思いきっていった。その話題をきっかけにして、自分の知らないバイロイトサウンドなるものについて、その男にはなしてもらおうと思ったからだった。さすが云々というからには、当然その男にバイロイトサウンドに対しての充分な説明が可能と思った。しかし、おどろくべきことに、その男は、あっけらかんとした表情で、いや、ぼくもバイロイトは知らないんですが、といった。思いだしたはなしというのは、ただそれだけのことなのだけれど。
     *
これに近いような気がする。
自分で録音した音源ならば──、という人もいようが、
録音された状態のサウンドステージがどうなのか、録音した本人もわかっていないはずだ。

録音の場のサウンドステージはわかっていても、
それがそのまま録音されているわけではない。

マイクロフォンの段階、テープレコーダーで記録される段階、
その他、いろいろな段階で変質していくのだから。

なのに、どうして、そういえるのだろうか。

ならば、お前はどう定義するのか、と問われれば、
オーディオの可能性の追求と答える。

Date: 3月 28th, 2024
Cate: ディスク/ブック

宿題としての一枚(その14・補足)

ステレオサウンド 84号に
「シェフィールドの生みの親 ダグラス・サックスと語る」が載っている。
岡先生による記事だ。
     *
 時間がのこりすくなくなったので、最後に「ステレオサウンド」の読者代表として、レコードとオーディオソフトウェアのありかたについてきいてみた。以下は彼の意見の要約である。
サックス レコードのすべてをきくことは不可能ですが、それぞれのレコード会社には音楽媒体としてのフィロソフィをもっています。DGGは、ダイナミックレンジがせまい傾向があり、私の好みではない。デッカ/ロンドンはイギリス人らしい大胆さが見られ、幅の広いレンジをもっているが、出来不出来がある。フィリップスはホールのえらび方から音楽の暖かさの表現、マイクをあまり数多くつかわず、一番好ましくきけます。
     *
ステレオサウンド 84号は1987年秋に出ている。
その14)で引用している瀬川先生が書かれていることもいっしょに読んでほしい。

Date: 3月 28th, 2024
Cate: 戻っていく感覚

戻っていく感覚(「風見鶏の示す道を」その20)

黒田先生の「風見鶏の示す道を」は、不思議とずっと印象深く残っている。
そして、なにかあるごとに思い出す。

「風見鶏の示す道を」に登場する乗客は、目的地を駅員に尋ねる。
彼が持っているのはレコードだけ。
そのレコードだけが行き先を告げている。

いま思うのは、そのレコードの中の一枚は、
その人にとっての故郷ともいうべき一枚だということ。

そういう一枚があるからこそ、レコードが告げるところに旅することができる。

Date: 3月 27th, 2024
Cate: ジャーナリズム

レコード芸術ONLINE

昨年7月に休刊となったレコード芸術。
先月、レコード芸術2023年総集編というムックが出た。

おっ、と思い手にとったけさど、買わなかった。
このムック、どれだけ売れたのだろうか。

意外に売れたのかもしれないと思ったのは、
レコード芸術ONLINEのクラウドファンディングが発表になったからだ。

受付開始は4月10日からで、目標金額は15,000,000円である。
けっこうな金額である。
これだけの金額、集まるのだろうか。

レコード芸術の休刊が発表になって、継続の署名が始まった。
老いとオーディオ(とステレオサウンド・その18)」で、
署名を集めるよりも、レコード芸術の名称を音楽之友社と交渉して買い取り、
オンラインのレコード芸術をスタートするためのクラウドファンディングを募らないのか、
と書いた。

そのとおりになったわけだが、微妙だな……、と感じるところもある。

レコード芸術ONLINEに期待したい、望むのは過去の記事のアーカイヴ化である。
もちろん新しい記事も読みたい気持はある。
けれど、それ以上に七十年ほどの歴史をもつレコード芸術の記事を、
インターネットで公開してほしい。

今回のクラウドファンディングの発表とともに、主な特徴が掲載されている。
そこに、アーカイヴ連載とある。
     *
創刊から70余年の月刊誌『レコード芸術』が蓄積した潤沢なアーカイヴから、いま読んでも新鮮な記事を発掘、再掲載していきます。

読者アンケートなどでリクエストも募る予定です。
     *
ものたりなさを感じてしまう。
すべてをアーカイヴ化しようとは、なぜ考えないのだろうか。

七十年ほどということは、これまでに840号ほどあるわけだ。
これをすべてオンラインで読めるようにしてほしい。
十年ほどで、すべてを公開するようなペースで。

一週間に二冊ほど公開していくのは、さほど無理なことではない。
そのくらいの意気込みを示してくれれば、よし、私も、という気になる。

けれど、そんな意気込みは、いまのところ感じとれない。
それに個人的には記事だけではなく、当時の広告も見たい。

今回のクラウドファンディングが成立するのかどうか。

Date: 3月 26th, 2024
Cate: MERIDIAN

メリディアン DSP3200のこと(その6)

昨年の新製品で、オーラ・デザインのプリメインアンプVA40 rebirthがある。
VA40 rebirthの記事は、目につくかぎり読んでいる。
あることについて、誰か書いているか発言しているか、それを確かめたかったからだ。

誰も指摘していなかった。
おそらく輸入元からの資料に、そのことが記載されていなかったからなのか、
それとも内部を直接もしくは写真で見ても気づかないのか、
どちらにしろなかった。

そうだろうと思っていた。
それでも井上先生ならば、さりげなく指摘されたことだろう。

VA40 rebirthは、ステレオサウンド・グランプリを受賞している。
井上先生は、そこでの座談会で重要なことを、ほんとうにさりげなく発言される。
ステレオサウンドのバックナンバーを読み返してみれば、そのことはわかる。

わからなければ、読み手側がそれまでのレベルだというだけのこと。

VA40とVA40 rebirthは、メインのプリント基板の向きが違う。
VA40はプリント基板の上に部品という、いわゆる一般的な配置だ。

VA40 rebirthではプリント基板を裏返している。
つまりプリント基板に部品がぶら下がっている格好である。

このことは写真を見ればすぐにわかること。
そして、このことが音に与える影響は決して小さくないことは、
井上先生の試聴で何度か確認している。

でも、VA40 rebirthに関する記事で、誰もそのことを指摘しない。
できないだけなのかもしれないが、
自分の目でみて、自分の頭で考えることをやらないのだろうか。

それとも、プリント基板の向きで音は変らないという考えなのか。

昨年末に、そんなことを考えていただけに、
DSP3200について何か語られたとしたら、
ボザークのB200Yのことを話されていた可能性はある、と思っている。