30年ぶりの「THE DIALOGUE」(その23)
ステレオサウンド 60号に「プロが明かす音づくりの秘訣」の一回目が載っている。
一回目は菅野先生である。
低音について、こう語られている。
*
菅野 だいたいぼくは、よく締まっているのがいい低音と言われるけれども、必ずしもそうは思わないんです。やはり低音はふくよかなものであるべきだと思うんです。締まっているというのは、結局ブーミーな、混濁する、ピッチのはっきりわからないような低音が多いから、それに対するアンチテーゼとして、締まった低音=いい低音というふうに受けとられているんじゃないかと思うけれども、本来、低音は締まっていたのではいけないんで、やっぱりファットじゃないといけない。ファットでいて明快な低音がほんとうにいい低音じゃないかと思います。
それはピアノなんかでもそうですね。銅巻線の部分というのは、とにかく膨らんだ、太い音がしなきゃいけない。締まっているというのは言い方をかえれば少しやせているわけですから、たしかに明快です。けれどもほんとうの低音の表情が出てこないと思うんです。
ほんとうの低音の表情というのは、太くて、丸くて、ファットなものだと思う。それでいて混濁しない。言葉で言えばそういうことなんですけれども、それだけでは言い切れないような、低音の表情に対するぼくの要求があるわけです。
*
60号は1981年9月発売の号である。
フランコ・セルブリンのKtêmaから鳴ってきたベースの音は、実にこんな感じだった。
こんなことを書くと、Ktêmaで鳴らせば、必ずそういう低音が聴けると思い込む人が絶対にいる。
うまく鳴らせば、というよりもきちんと鳴らせば、聴ける。
だけど勘違いしないでほしい。
きちんと鳴っていないKtêmaで聴いて、これが菅野先生が語られていた低音だ、と思わないでほしい。