新製品(JBL 4305P)
別項「2021年をふりかえって(その15)」で書いてるように、
JBLの4309は、聴いてみたいスピーカーの一つである。
その4309をアクティヴモニターとして仕上げた4305Pが発表になっている。
価格は2,200ドルだから、4309と比較してもそれほど高いわけではない。
アンプは当然マルチアンプ仕様で、いまどきのアクティヴ型だけにD/Aコンバーターを搭載している。
ここで嬉しいのが、MQA対応であること。
楽しい製品なような気がする。
別項「2021年をふりかえって(その15)」で書いてるように、
JBLの4309は、聴いてみたいスピーカーの一つである。
その4309をアクティヴモニターとして仕上げた4305Pが発表になっている。
価格は2,200ドルだから、4309と比較してもそれほど高いわけではない。
アンプは当然マルチアンプ仕様で、いまどきのアクティヴ型だけにD/Aコンバーターを搭載している。
ここで嬉しいのが、MQA対応であること。
楽しい製品なような気がする。
昨年末の数日、ケント・ナガノのベートーヴェンの交響曲を集中して聴いていた。
ソニー・クラシカルから出ていたのは知っていたけれど、これまで聴いてこなかった。
TIDALにあるから、今回聴いた。
MQA Studio(44.1kHz)で聴ける。
オーケストラはピアノ協奏曲と同じ、モントリオール交響楽団である。
たまたま目についた四番から聴き始めた。
すぐに気づくのはライヴ録音だということ。
第一楽章の冒頭、聴いていて確認していた。
ケント・ナガノの指揮だということを。
なぜかというと、クライバーの演奏を思わせたからであり、
しかも観衆のざわめきも、クライバーの四番の演奏を思わせるところがあって、
それらがたまたま重なっての錯覚でもあった。
いい演奏だと私は思っている。
そう思ったからこそ、残りの交響曲も聴いたわけだ。
それでも、聴きながら、なんなんだろう……、とも感じていた。
だから聴き終ってから、児玉麻里とのピアノ協奏曲の一番と二番を続けて聴いた。
やはり素晴らしい演奏である。
菅野先生が「まさしくベートーヴェンなんだよ」いわれていたように、
ベートーヴェンの音楽が、そこで響いている。
ケント・ナガノによる交響曲がベートーヴェンの音楽ではない、といいたいのではなく、
ピアノ協奏曲で感じたものが、交響曲では足りない、もしくは欠けている気がする。
動的平衡の音の構築物であってこそ、私にとっての「まさしくベートーヴェン」である、
と以前書いた。
ここのところが、ひっかかっている。
菅野先生のところで聴いたのなら、「まさしくベートーヴェン」と感じたのかもしれないし、
そうでないかもしれない。
それでも、私のところでも児玉麻里とのピアノ協奏曲は、やはり素晴らしいのだから、
しかもオーケストラも同じということは、
ケント・ナガノによるピアノ協奏曲における動的平衡の音の構築物には、
児玉麻里の存在があったから、としかいいようがない。
パソコンが欲しい、といいながらも、
「来年になるともっと性能のいいのが出てくるんでしょ。それまで待とうかしら」といい、
結局買わない人がいることを、(その14)で書いている。
パソコンが欲しい、とはいっていたけれど、
買ってみようかしら、ぐらいの欲しいであって、
おそらく「パソコンが必要!」とまではいっていなかったのだろう。
そんなふうに思っていると、
ステレオサウンドに書いているオーディオ評論家の人たちが、
誰一人としてB&Wの800シリーズを購入しないのは、
必要! と感じていないからなのかもしれない。
家庭で音楽を聴いていく人生において、必要と感じていなければ、
いくら優秀なスピーカーと認めても、決して安価なモノではないだけに、
購入しようとまでは思わなくても不思議ではない。
ここでの必要と感じていないは、ここ数ヵ月、
私がくり返し述べている「心に近い」ということに深く関係しているのかもしれない。
ステレオサウンドに書いているオーディオ評論家で、
「心に近い」ことについて書いている人は誰もいないけれど、
心のどこかで、心に近い(遠い)を感じとっていることだって考えられる。
ほぼ無意識に、B&Wの800シリーズは、心に近くない(遠い)と感じている──、
そんなふうに考えられるのだが、
ほんとうのところは私にはわからない。
いっそのことステレオサウンドの春号(222号)の特集は、
「私はなぜB&W 800シリーズを買わないのか」というテーマでやってほしい。
221号のベストバイで星三つを入れている人たちに、
その理由をきっちりと書いてもらう。
できれば、その原稿を読んだ上で、編集長が個別にインタヴューしていく。
つまりツッコミをいれながら問うていく。
絶対にやらない企画だろうが、なぜ誰も買わないのか、という読者の疑問に、
そろそろきちんと答えてもいい時なのではないだろうか。
それとも誰か購入を決心しているのだろうか。
二十年ほど前のことになるだろうか。
インターネットが普及してきて、それまでパソコンを使ってこなかった人が興味を持つようになった。
私の周りというか、友人の知人・友人でそういう人が何人かいた。
何を買ったらいいのか、という相談もあった。
この人たちの口から共通して聞けたのは、
「来年になるともっと性能のいいのが出てくるんでしょ。それまで待とうかしら」だった。
確かに来年の新製品は性能が向上している。
価格が同じであってもだ。
でも再来年の新製品は、もっと性能が向上して登場してくる。
三年後になると、五年後になると……。
毎年、パソコンの新製品は性能が向上していくのだから、
そんなことを言ってたら、買い時なんてずっとないことになる。
でも、そんなふうには考えないみたいである。
その人たちが、その後どうしたのかまでは知らない。
スマートフォンに関しても、まったく同じことを言っていてもおかしくない。
こんなことを、ふと思い出した。
ステレオサウンドで、B&Wの800シリーズの新製品が出るたびに、
ほぼオーディオ評論家全員が絶賛する。
なのに誰一人として購入することはない。
このことはもう十年ほど前から指摘されていることである。
なぜ、ステレオサウンドのオーディオ評論家はB&Wの800シリーズを買わないのか、
私にそうきいてきた人も何人かいる。
私に訊くよりも、オーディオ評論家本人に、
インターナショナルオーディオショウとかで訊ねればいいだろうし、
ステレオサウンド編集部に電話して訊ねたほうがいい。
でも、ふと上記のパソコンのことを思い出した。
B&Wの800シリーズは、毎年新シリーズが登場するわけではないが、
確実に以前のシリーズよりも新シリーズは、より優秀なスピーカーシステムに仕上がっている。
つまりD3シリーズよりも今回のD4シリーズである。
D3シリーズを絶賛した人のなかには、もしかすると購入を考えた人もいたかもしれない。
「でもD4が出たら、もっと良くなっているはず」
そう考えて購入にいたらなかった可能性もある。
実際、D4シリーズはD3シリーズよりも良くなっている、という評価だ。
では誰かD4シリーズを購入するかといえば、
今回も同じことを考えるのかもしれない。
「でもD5が出たら、もっと良くなっているはず」と。
三人寄れば文殊の智慧、という。
けれど実際は、三人寄っても人の知恵、
ひどい場合は、三人寄っても猿以下の知恵なのかもしれない。
文殊とは、いうまでもなく文殊菩薩のこと。
智慧をつかさどるとされる菩薩である。
つまり人ではない者の智慧。
これがまさしくイノヴェーションなのだろう、と思う。
なのに現実はどうだろうか。
三人寄っても……、と三人が三人とも自説を押し通そうとしたら、どうなるだろうか。
せいぜいが誰かの意見が通り、多少残り二人の意見が加わった程度では、
とうてい文殊の智慧とはいえない。
誰一人として自説を譲ることがなければ、猿以下の知恵となるだろう。
議論とは意見を戦わせることなのだろうか。
(その8)で書いているように、
ステレオサウンド冬号(221号)の表紙は、B&Wの801 D4だった。
221号は昨年12月下旬には、Kindle Unlimitedで読めるようになっていた。
読めばわかる──、というより、読まなくてもわかる、といいたいほどに、
B&WのD4シリーズは、どの機種も絶賛されている。
特に最上級機の801 D4は、ステレオサウンド・グランプリのゴールデンサウンド賞でもあり、
ベストバイにおいても、ほぼ満票に近い。
新製品紹介での扱いも特別といっていい。
悪く言う人は誰一人いない。
それだけきわめて優秀なスピーカーシステムなのだろう。
そのことにケチをつけようとは、まったく思っていない。
それに聴いていないのだから、音について何か書けるわけでもない。
数年後か十年後くらいには、D5シリーズが登場するであろう。
そのときも、今回とまったく同じことが誌面で展開されるはずだ。
それはそれでいい。
B&Wは、800シリーズを長い年月、磨き上げていっている。
その成果なのだから。
けれど前回のD3シリーズのときもそうだった。
おそらく今回のD4シリーズもそうであろう、
ステレオサウンドで絶賛している人で、
誰かD4シリーズをメインスピーカーとして導入するだろうか。
今回もいないだろうし、D5シリーズが登場しても、そのことは同じかもしれない。
「リバーエンド・カフェ」というマンガがある。
全九巻中四巻までが、いまのところKindle Unlimitedで読める。
昨晩遅くに気づいて読んでいた。
大震災あとの宮城県石巻が舞台であり、
ひどいいじめにあっている女子高生が主人公で、
彼女が偶然見つけた一風変った喫茶店を中心に物語は進んでいく。
この喫茶店、ジャズ喫茶とは謳っていないけれど、描かれ方はジャズ喫茶である。
主人公の女子高生は、ここでベッシー・スミスの歌と出逢う。
喫茶店に置かれているスピーカーはJBLの4344Mであり、
ただし「リバーエンド・カフェ」を読んだ方はすぐに気づかれるだろうが、
作品で描かれているのは4344Mではなく、4343である。
アンプはマッキントッシュのプリメインアンプだ。
ベッシー・スミスがどういう歌い手か知らない読み手であっても、
なんとなくどういう歌い手なのかは、その描写が伝えてくれる。
同時に、こういうシーンでのスピーカーは、やはりアメリカのホーン型だな、と納得する。
いまどきのハイエンドスピーカーがそこに描かれていたら、どうだろうか。
日本の598のスピーカーだったら、どうだろうか。
イギリスのBBCモニター系列だったら──、タンノイだったら──、
あれこれイメージしてみるといい。
結局、最後にはJBLかアルテックかになるはずだ。
瀬川先生にとってのスピーカーの「あがり」は、
グッドマンのAXIOM 80だったのかもしれない──、
と(その18)で書いた。
(その14)では、
瀬川先生は、もう一度AXIOM 80を鳴らされそうとされていた、ときいている、
45のシングルアンプを、もう一度組み立てられるつもりだったのか──、
とも書いている。
AXIOM 80を45のシングルアンプで鳴らす。
その音は、いまどきの超高級ハイエンドオーディオシステムの鳴らす音と、どう違うのか。
ここでいいたいことも、「心に近い」ということに関係してくる。
AXIOM 80と45のシングルアンプが奏でる音こそ、
瀬川先生にとってのもっとも「心に近い」音なのだろう。
今日は1月1日だから、四週間後には一つ歳をとる。
一年と四週間後には、さらに一つ歳をとって、六十になる。
還暦か……、と自分でも驚く。
それだけ生きてきても、いままでやってこなかったことはいくつもある。
山ほどある、といってもよい。
誰だってそうである。
未体験・未経験のことのほうが、体験・経験したことよりもずっと多いはずだ。
なので嘆くことではないと思っているのだが、
意外にも、初めてだったのか、と気づいたことがあった。
昨年の12月31日に日付が変ったころ、深夜に、手紙を書いていた。
書いていた、といっても手書きではなく、iPhoneで入力していた。
ある人に想いを伝える手紙だから、
ラヴレターと呼ばれる類である。
書き始めてすぐに気づいたことがある。
生れて初めてのラヴレターであることに、気づいた。
これまでの人生で、想いを寄せた人に告白したことはもちろんあるが、
ラヴレターでの告白ということは一度もしてこなかった。
自分でも意外だった。
この歳になって、初めて書いている。
ならば便箋を選んで、きちんと手書きにしろよ、と自分でも思ったりしたわけだが、
でも、もしそうしていたら、手が震えて、何回も書き直していただろうし、
そうしているうちに書くのをやめてしまっていたかもしれない。
初めてのラヴレターなのに、iPhoneで書いて、書き終ったらすぐに送信。
味気ないといわれれば否定しないけれど、
だからこそ相手に送れた、という面もある。
いまの若い人たちは、ラヴレターを書いているのだろうか。
そんなことも思っていたし、
私と同じ世代、上の世代の人たちは、やはり書いていたのだろう、とも思っていた。
どれだけの人が書いていたのか、わからない。
親しい人との会話でも、そのことが話題になったことはない。
みんな書いていたのだろうか。
とにかく、私は六十をほぼ一年後に迎えるいま、初めて書いた。
新しい経験だったわけだ。
ここからがオーディオのことだ。
ラヴレターでもそうだったわけだから、
オーディオに関しても、同じことがあるはずだ。
やっていたつもりなのに、まだ経験してこなかったことがきっとある。
六十までの一年と四週間、
その間に、オーディオに関しての、そういうことを見つけ出していこう、と思っている。
このブログでは、つねに複数のテーマで書いている。
今年、それも終りが近くなって気づいたことは、
すべてのテーマとまではいわないものの、多くのテーマに共通していることがある、こと。
耳に近い(遠い)、心に近い(遠い)ということだ。
音もそうだし、音楽もそうである。
私は、耳に近い音、耳に近い音楽よりも、
心に近い音、心に近い音楽をとる。
どんなに耳に近い音であっても、心に遠い音であれば、
若いころならいざしらず、心に近い音をとる。
「目に遠く、心に近い」、
これはインドネシアのことわざらしい。
そのことについて触れたのが、2015年である。
『「正しい音とはなにか?」(正確な音との違い・その2)』で触れている。
それから六年半ほどかけて、「心に近い」ということがどういうことなのかを実感している。
今年は、心に近い音、心に近い音楽だけではない、
心に近い人に関してもそうだった。
十数年、このブログを書いてきて、
「心に近い」、そのことの大切を感じていた一年といえる。
《オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる》
結局、心に近い音を見つけなければ、裸の音楽が鳴り始めることはない。
私が熱心に読んでいたころのステレオサウンドには、
若いころ、オーディオのいろんなことに挑戦してきた人が、
ある年齢に達してからは、高能率のスピーカー(ラッパ)と直熱三極管のシングルアンプの組合せ。
これが一つのオーディオの「あがり」のように、
音楽を楽しまれているオーディオマニアの方が登場していた。
私がまっさきに思い出すのは、(その4)で触れている長谷川氏である。
ステレオサウンド 54号の「スーパーマニア」に登場されている。
長谷川氏のリスニングルームの写真を、十年ほど前に、
別のオーディオ雑誌でみたことがある。
JBLのパラゴンを鳴らされていたころの写真だ。
長谷川氏は「スーパーマニア」の本文を読んでもらえばわかるように、
まさしくスーパーマニアと呼べる人である。
ハイエンドオーディオ機器を一式揃えて鳴らしているから、といって、
その人をスーパーマニアと呼べるとは限らない。
その長谷川氏が、「あがり」として、
シーメンスのオイロダイン、伊藤先生製作のアンプ、EMTの927Dstである。
このスタイルが、すべての人にとっての「あがり」となるわけではない。
長谷川氏にとっての「あがり」であり、
長谷川氏にとっての「あがり」とは、耳に近い音の実現ではなく、
心に近い音を鳴らすことだった──、
今年になって、そうおもうようになった。
昨晩集まった三人は、いまのところ、皆元気である。
健康上の問題もない。
来年、再来年の忘年会も、たぶん皆元気に集まれるだろう。
けれど五年後の忘年会となると、どうだろうか……。
そんな話もした。
誰か一人、今日は体調が優れないから、という理由で参加できなくなることが、
十分考えられる。
十年後ともなると、もしかすると誰か欠けるかもしれない。
そんな話を、三人で笑いながらしていたけれど、
それが五年後か十年後か。
それとももっと早くなのか、もっと遅くなのかはなんともいえないけれど、
いつか、そういう時がくるのだけは確かである。
そして、誰かが一人だけ、となってしまう。
2008年に、菅野先生と話していたときに、
菅野先生が、つぶやくようにいわれたことがある。
「みんないなくなってしまった……」
みんなとは、菅野先生にとってのオーディオ仲間である。
昨晩(12月28日)は、オーディオマニア三人集まっての忘年会だった。
Yさんは1962年、Aさんと私は1963年生れで、つまり同世代。
あれこれ話していたら、あっという間に時間が過ぎっていた感じで、楽しかった。
話にも出てきたのだが、われわれ三人は、
10代のころ、熱心にステレオサウンドを読んで過ごした。
Yさんが通っていた私立の高校の図書室にはステレオサウンドがあった、とのこと。
雑誌類は貸し出し禁止なのだが、夏休みにまとめて貸し出してくれた、と。
私が通っていた田舎の公立の高校とは大きく違うなぁ、と思いながら、
そういう私はカバンに必ず一冊はステレオサウンドを入れていた。
たまに必要な教科書を忘れることはあっても、ステレオサウンドを忘れたことはない。
三人に共通していることの一つに、
三人ともJBLのスピーカーに憧れ、いまも好きだということがある。
現在のJBLのすべてのスピーカーを認めるわけではないが、
それでも10代のころに4343を筆頭に、JBLのスピーカーは憧れだった。
4343はスーパースターのようにも私は感じていた。
そして三人とも、いまJBLのスピーカーを鳴らしている。
JBLのスピーカーをバカにする人が少なくないのは知っている。
そんな彼らがどんなスピーカーを高く評価しているのかも知っている。
でも、それはどうでもいいことだ。
1970年代後半にオーディオに興味をもち、
ステレオサウンドを熱心に読んできた者でなければ理解できない世界がある──、
それだけのことである。
いまでこそ最も重量のあるオーディオ機器が増えてきてしまったが、
ある時代までは、JBLのパラゴンが最重量のオーディオ機器の代名詞でもあった。
左右チャンネルのスピーカーを一体化したことで、
パラゴンの重量はカタログ発表値で316kgだった。
片チャンネルあたりだと158kgとなる。
実際には当時でもパラゴンよりも重量のあるスピーカーシステムは、いくつもあった。
1970年代後半、カタログ発表値で最も重たいスピーカーは、
エトーンのExcellent SP Systemで、約300kgと発表されていた。
もちろん一台の重量であるから、パラゴンの二倍もの重量である。
それからテクニクスのSB9500が190kg、クリプシュのMCM1900が174kg、
ヴァイタヴォックスのBass Binが170kg、オンキョーのScpeter 500が158kgと続く。
パラゴンよりも重量のあるスピーカーシステムが四機種、
同重量が一機種もあった。
それでも感覚的にはパラゴンの堂々とした風格もあって、
最重量のスピーカーシステムのようにも感じられていた。
そのパラゴンを紹介する文章によく登場していたのが、
グランドピアノとほぼ同じ重量、ということだった。
そんなこともあって、私のなかでは、
重いオーディオ機器の上限はパラゴンの重量、
つまり300kgというふうにできあがってしまったようだ。