Date: 10月 27th, 2026
Cate: ショウ雑感
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2026年ショウ雑感(その14)

(その10)に、数日前コメントがあった。

大前徳宏さんというかたからで、《一通り聴いて回りましたが、ほとんどの部屋で、低音域がブーミーで不明瞭に感じられました》とあった。

ここのところを読みながら、早瀬文雄(舘
一男)さんのことを思い出していた。舘さんも、同じことをよく言われていた。

この低音域のブーミーさは、人によってずいぶん感じ方が違うようにも感じている。舘さんの場合、少しでも低音域がブーミーに鳴ると、ある種の圧迫感になってしまうようだった。

それもあって、どうして、あんなブーミーな鳴り方で音が判断できるのか──、そういうことへ話が発展していくこともあった。

同じ部屋で同じ音を聴いて、低音がブーミーだな、と感じても、そこから先は人それぞれでもある。舘さんのように圧迫感を感じ耐えられないという人もいれば、ブーミーではあるけども……、という感じ方の人もいる。

これに関しては、その人の耳の特性のようなもので、どちらが正しいとか、そういうことではない。

低音域のコントロールをどうするか。ここでのテーマから外れてしまうから、ここでは述べないがグラフィックイコライザーの活用は有用であることは確かだ。

コメントには《オーディオは、機器ではなくて、部屋が支配的なのかもしれません》ともある。これもその通りであって、いい部屋があれば、それに越したことはない。
そのため、オーディオは最終的に部屋だよ、と言われているけど、最初から部屋だよ、とオーディオに関心を持ち始めたばかりの若い人に、アドバイスをしていた人を見たことがある。

間違っているとは言わないが、そんなことをオーディオの入り口に立ったばかりの人に言って、何になるのか、この人は、何を伝えたいのか。

いい部屋を持ってなければ、いい音は望めない、と言いたいのか。その人と面識はないから、どういう人なのかはわからないが、自慢したいだけだったのか、自分は、いい部屋を持っている、と。

部屋の重要性は大きい。それでも同じ空間で、違う人が鳴らすと、やはり音は違ってくる。
だから、最終的には人、である。どこまでいっても、音は人であり、そこから逃れることはできない。

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