資本主義という背景(その5)
丸山健二氏の「新・作庭記」(文藝春秋刊)からの一節を引用するのは、これで三回目だ。
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ひとたび真の文化や芸術から離れてしまった心は、虚栄の空間を果てしなくさまようことになり、結実の方向へ突き進むことはけっしてなく、常にそれらしい雰囲気のみで集結し、作品に接する者たちの汚れきった魂を優しさを装って肯定してくれるという、その場限りの癒しの効果はあっても、明日を力強く、前向きに、おのれの力を頼みにして生きようと決意させてくれるために腐った性根をきれいに浄化し、本物のエネルギーを注入してくれるということは絶対にないのだ。
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現代の資本主義についての文章に思えてならない。
《真の文化や芸術から離れてしまった心》、《虚栄の空間を果てしなくさまよう》、
《結実の方向へ突き進むことはけっしてなく》、《それらしい雰囲気のみで集結》、
これらは現代の資本主義のもつ側面を表現していると思えるのだ。