Date: 8月 27th, 2016
Cate: 終のスピーカー
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最後の晩餐に選ぶモノの意味(その5)

フルトヴェングラーのモーツァルトのレクィエムは、
死ぬまでに聴きたい、と思う。
けれど、いまのところLPでもCDでも出ていない(はずだ)。

五味先生が書かれていた。
     *
 フルトヴェングラーが、ウィーンで『レクィエム』を指揮した古い写真がある。『レクィエム』とは、こうして聴くものか、そう沁々思って見入らずにおられぬいい写真だ。フルトヴェングラーがいいからこの写真も一そうよく見えるにきまっているが、しかしワルターでもトスカニーニでもこの写真の雰囲気は出ないように思う。私はこんなレコードがほしい。(「死と音楽」より)
     *
これを読んでいるから、どうしても聴きたい、と思う。
録音が残っていないのか。

調べるとフルトヴェングラーがレクィエムを指揮したのは、1941年が最後である。
第二次大戦後は一度もレクィエムを指揮していない。

その理由はわからない。

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