Archive for 9月, 2022

Date: 9月 21st, 2022
Cate: 老い

老いとオーディオ(若さとは・その17)

別項でふれているように、ここしばらくシューベルトを主に聴いている。
そのこともあって、しばらくグレン・グールドの演奏を聴いていなかった。

といっても三ヵ月ほど聴いていなかっただけである。
今日、グールドを聴きたくなった。

昨夏よりグールドを聴く、ということは、TIDALでMQA Studioを聴くことに、
すっかりなってしまっている。
さきほども、だからTIDALでMQA Studioで聴いていた。

何を聴こうか、ということよりも、グールドを聴きたかった。
なので目に入ってきたアルバムを選択した。

バッハの平均律クラヴィーア曲第一集を聴いていた。
MQA Studioで聴いたからといって、最新録音のように聴こえてくるわけではない。
いまとなってはもう古い録音である。
テープヒスもきこえてくる。

いまどきのピアノ録音と比較するまでもない。
それでも十分ほど聴いていると、
グールドのバッハが身体にしみ込んでくるような感触がした。

聴きながら、しみ込んできている、しみ込んできている──、
そんなことをつぶやきそうになるくらいにだ。

平均律クラヴィーア曲集は、グールドの演奏をいちばん多く聴いている。
それでも、いままでこんなふうに感じたことはなかった。

これは老いからくることなのだろうか。

Date: 9月 20th, 2022
Cate: ディスク/ブック

ベートーヴェン: ピアノと管楽のための五重奏曲

ベートーヴェンのピアノと管楽のための五重奏曲。
よく聴く曲ではない。
ディスクも持っていないわけではないが、
積極的に購入してのディスクとは言えなかったりする。

前回、この曲の聴いたのはいつだったのか、もう正確には思い出せないほど聴いていない。
今日、ふと思い立ってTIDALで聴いていたところだ。
     *
そして他に、ちょっと変ったところでは、初期の作品で、ピアノと木管のための五重奏曲・変ホ長調・作品16、ピアノをウラディミール・アシュケナージが弾き、ロンドン・ウィンド・ソロイスツとの合奏の1枚だ(SLA6247)。これも、新しい録音ではないし、今、買えるかどうかはわからないが、これは大変録音がいい。アシュケナージも、今とちがって清新で、大家の風格というより、純粋で単純といってよい快演である。
     *
菅野先生が、朝日新聞社が発行していた「世界のステレオ」に、
「ベートーヴェン 私の愛聴盤」のタイトルで書かれていた短い文章に、それは出てくる。

さきほどまで聴いていたのも、アシュケナージとロンドン・ウィンド・ソロイスツによる演奏だ。
「世界のステレオ」は、オーディオブームだったころに出ている。
1970年代後半のオーディオのムックである。

菅野先生の「ベートーヴェン 私の愛聴盤」は、ずいぶん以前に読んでいる。
それでも、この菅野先生の文章に登場するディスクのなかで、
アシュケナージの、このディスク(録音)だけは聴いてこなかった。

特に、これといった理由があるわけではなく、なんとなくでしかない。
アシュケナージも、いつのころからかすっかり大家になってしまっている。

岡先生は、1980年代からのアシュケナージの演奏を高く評価されていた。
岡先生と菅野先生、二人のベートーヴェン対談を聞きたかった。

Date: 9月 20th, 2022
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・その25)

東芝ライフスタイルから、TY-XKR1というラジカセが先日発売になった。

ラジカセといっても、いまではCDラジカセが一般的になり、
カセットテープがついていないモノもある。

TY-XKR1は文字通りのラジカセ(ラジオとカセット)で、
スピーカーは10cm口径のコーン型が一発。モノーラル再生仕様である。

外形寸法はW26.5×H12.3×D10.0cmと、むしろ小型。
私が中学生の頃、使っていたラジカセよりも小さい。

価格は八千円ほど。
ちょっと買ってみようかな、という気持になった。

ここ二年ほど、グラシェラ・スサーナのカセットテープ(ミュージックテープ)を、
十本ほどヤフオク!で落札している。

これらスサーナのテープを、いまTY-XKR1で聴いたら、どんな感じなのだろうか。
TY-XKR1にドルビーはついていない。そうだろう、と思う。

いまドルビー搭載のラジカセ、カセットデッキの新製品はないのだから。
ドルビーなしでも、まったくかまわない。

私が落札したスサーナのミュージッテープのうち、ドルビーなのは一本だけ。
あとはドルビーはかかっていない。

それにTY-XKR1は外部入力端子がついている。
ここに、iPhone+PAW S1の出力を接続して聴いてみるのもいいかも──、
そんなことも想像している。

TY-XKR1の音に期待しているわけではない。
それでも、カセットテープをモノーラルで再生して、いまどう感じるのか。

三年前の7月のaudio wednesdayで、
グッドマンのAXIOM 150でのモノーラル再生を行っている。

ソニーのカセットデッキにマッキントッシュのプリメインアンプ。
モノーラル再生とはいえ、そこそこのシステムでの音だった。

TY-XKR1は、ラジカセ。
比較にならないほど貧弱なシステムといえる。

その音は、三年前の音ともずいぶん違うはず。
四十数年前、ラジカセで聴いていた音と、どれだけ違うのだろうか。

違いを聴きたいのではなく、どう感じるのかの違いを知りたい。

Date: 9月 19th, 2022
Cate: 真空管アンプ

五極管シングルアンプ製作は初心者向きなのか(50CA10単段アンプ・その11へ、さらに補足)

武末数馬氏のECC81、上杉先生のECC82、
どちらも八本のプッシュプルのパワーアンプに以前から関心を持ちながらも、
今回50CA10の単段シングルアンプを優先して作るのには、
手元に来たある人の50CA10のシングルアンプという、いわば素材となるアンプがあるからだ。

それでもECC81、ECC82の八本パラレル・プッシュプルアンプを作ろうと思えば、
ある程度の部品は揃っている。

なのに単段シングルアンプにこだわるのは、
信号経路をかなり短くできるということが、もう一つの理由といえなくもない。

真空管のパワーアンプで信号経路を極力短くすることに、どれだけの意味があろうか。
出力トランスの巻線の長さを考えれば、
入力から出力トランスの一次側巻線までの信号経路を短くしても、
割合で考えればあまり意味のある、効果のあることではないのではないか。

そうは思いながらも、単段シングルアンプならば入力端子から出力トランスまでの信号経路は、
わずかばかりで仕上げることはできるわけでは、
例えばシェルリード線を交換した時の音の違いの大きさを思い浮べたりもする。

カートリッジ内の巻線、トーンアーム内の配線、トーンアームからアンプまでのケーブル、
これらトータルの長さからすればシェルリード線の割合はわずかだ。
なのにシェルリード線を交換すると、少なからぬ音の違いが生じる。

だからいまでもシェルリード線は各社から発売されている。
この経験があるからこそ、その先に長いもの(出力トランス)が存在していても、
そこまでの配線をできるかぎり短くすることが、決して無意味とは思えないし、
シェルリード線のように、割合からするとかなりの音の違いになってあらわれるかもしれない。

ECC81、ECC82八本パラレルのアンプも単段構成にすることはできる。
それでも信号経路は、どうしても長くなってしまう。

長くなってしまうことよりも、短い信号経路は長い信号経路が混在することになる。

Date: 9月 18th, 2022
Cate: 瀬川冬樹

瀬川冬樹というリアル(その9)

ステレオサウンド 59号掲載の、
瀬川先生によるアキュフェーズM100の新製品紹介の文章。

この文章が、読んだ時から、ずーっと心のどこかにひっかかっているような気がしていた。
アキュフェーズのM100に、当時、すごく関心を寄せていたわけではない。
自分でも不思議に思いながらも、
ひっかかっているような気がしていた、という感じだったので、
あまり、というか、ほとんどそのことについてそれ以上考えることはしなかった。

最近になって、ああそうだ、と気づいた。
     *
 そのことは、試聴を一旦終えたあとからむしろ気づかされた。
 というのは、かなり時間をかけてテストしたにもかかわらず、C240+M100(×2)の音は、聴き手を疲れさせるどころか、久々に聴いた質の高い、滑らかな美しい音に、どこか軽い酔い心地に似た快ささえ感じさせるものだから、テストを終えてもすぐにスイッチを切る気持になれずに、そのまま、音量を落として、いろいろなレコードを、ポカンと楽しんでいた。
 その頃になると、もう、パワーディスプレイの存在もほとんど気にならなくなっている。500Wに挑戦する気も、もうなくなっている。ただ、自分の気にいった音量で、レコードを楽しむ気分になっている。
 そうしてみて気がついたことは、このアンプが、0・001Wの最小レンジでもときどきローレベルの表示がスケールアウトするほどの小さな出力で聴き続けてなお、数ある内外のパワーアンプの中でも、十分に印象に残るだけの上質な美しい魅力ある音質を持っている、ということだった。夜更けてどことなくひっそりした気配の漂いはじめた試聴室の中で、M100は実にひっそりと美しい音を聴かせた。まるで、さっきの640Wのあの音の伸びがウソだったように。しかも、この試聴室は都心にあって、実際にはビルの外の自動車の騒音が、かすかに部屋に聴こえてくるような環境であるにもかかわらず、あの夜の音が、妙にひっそりとした印象で耳の底で鳴っている。
     *
瀬川先生の文章の終りのほうである。
ここのところが、ずーっと私の心のどこかにあった。

ここのところを読んで、どう思うのかは、人それぞれでしかない。
私は私の読み方をするだけで、
ここのところを読んでいると、
瀬川先生は独りでM100を聴かれているのか──、
そんなことを感じてしまうから、私の心のどこかにひっかかっていたのだろう。

そんなことはない。
ステレオサウンドの試聴室での試聴なのだから、
瀬川先生の隣には編集者が最低でも一人か二人はいるはずだ。

なのに、何度読み返しても、私には瀬川先生が独りで聴かれていくように感じてしまう。

Date: 9月 17th, 2022
Cate: 五味康祐, 情景

情景(その12)

リアルとリアリティについて考えていると、
別項「新月に出逢う」で書いているEn氏の人形に、
なぜこれまほどまでに惹かれるのか、その理由の輪郭がはっきりしてきそうである。

つまり、私はリアリティのある人形に惹かれているのであり、
リアリティを感じさせる人形を欲しい、と思っているのだろう。

En氏のつくる人形よりも、ずっとリアルな人形は世の中にたくさんあるだろう。
そういう人形を欲しい、と思わない。
欲しいのは、リアリティのある人形であり、
そのことは私にとっては、いまのところEn氏の人形であるが、
このことは、あくまでも私にとって、である。

私以外の人は、En氏の人形にリアリティを感じないのかもしれないし、
私と同じように強くリアリティを感じて惹かれる人もいることだろう。

この項の(その2)、(その3)で書いているように、
「五味オーディオ教室」を読みながら、中学二年だった私は、
ハイ・フィデリティよりもハイ・リアリティを、と思うようになっていた。

とはいっても、その時点では、あくまでも言葉の上だけでしかなかった。
それから四十年以上が経ち、ようやくハイ・リアリティとは──、
ということが摑めてきている。

Date: 9月 16th, 2022
Cate: アナログディスク再生, 老い

アナログプレーヤーのセッティングの実例と老い(その10)

OTOTENでのDSオーディオのブースで、一つだけ確認したいことがあった。
けれど、それをリクエストするのは、さすがにどうかな、と思い何もいわなかった。

何を確認したかったのかというと、
ES001を使うことで偏心量を数値で確認できる。
そして減らすことで、音は良くなる。

偏心量を検出するときはもちろんディスクのレーベル上に、ES001がのっている。
ディスクをずらすときものっている。
偏心量がある値よりも小さくなって、もう一度再生するときものっている。

OTOTENでは、偏心量が大きいときも小さくなった時も、つねにES001がのっている。
ES001がのっている音しか聴けなかった。

私が聴きたかったのは、偏心量を小さくした状態で、
ES001がのっている音とのっていない音である。

いま書店に並んでいるオーディオ雑誌は、ES001を取り上げていることだろう。
誰がどんなことを書いているのかは知らないが、
ES001をのせた音、のせない音に言及している人がいるだろうか。

そしてES001の効果を絶賛しているようにも思う。
だがES001は、くり返すが測定器である。
偏心をなくしてくれるわけではない。

これまで感覚量でしかなかった偏心の度合を、数値で表してくれる測定器である。
そして、偏心による音の影響については、
昔からアナログディスク再生にまじめに取り組んできた人にとっては、
あたりまえすぎる常識である。

測定器に頼ることなく、すぐに対処できることでもある。

私はES001を評価しないわけではない。
測定器として捉えている。
測定器としてES001は、存在価値がある、と思っている。

ただいいたいのは、ES001を持ちあげている人で、
私と同世代、上の世代の人がいたら、
その人は、それまでただ漫然とアナログディスクを扱ってきた──、
と白状しているようなものだ。

そのことに気づかずにES01を高く評価しているのであれば、
それはもう老いでしかない。

Date: 9月 16th, 2022
Cate: アナログディスク再生, 老い

アナログプレーヤーのセッティングの実例と老い(その9)

ディスクの偏心に関しては、ステレオサウンド時代に、
井上先生から指摘されたことが一度ある。

アナログディスク関連機器の試聴の時だった。
当然だが、アナログディスクを何度もかけかえる。

そのうちの一回、「けっこうズレているな」と井上先生がいわれた。
ズレているとは偏心が大きいということである。
それでどうしたかというと、かけかえである。

これでまた偏心の大きいかけかたをしようものなら、
それは漫然とディスクを扱っている証左であり、
もしそんなことをしようものなら井上先生から怒られただろう。

一度目は偏心が大きくても二度目で偏心の少ないようにすればいい。
そこに測定器はいらないし、結局はどういうかけかたをするかである。

もちろん反対に、ほとんど偏心のないと思えるときも何度かあった。
そういうときはきまって井上先生は「いいところに決ったな」ときちんといってくれる。

これだけのことなのかもしれない、他人から見れば。
それでもそんな井上先生のことばがあったからこそ、レコードのかけかたである。

DSオーディオのES001は、それまで感覚量でしかなかったことを数値で示してくれる。

そういう経験があるからこそ、なぜディスクのかけかえをせずに、
ディスクの縁を指でチョンチョンと押すのだろうか。

なんとなくいじましい行為におもえるし、
偏心が大きかったら、スパッと一度やりなおす(かけかえる)ほうが、
見ている側としても潔く見えると思うのだが、どうだろうか。

これは私だけの感覚なのかもしれないが、
ターンテーブルプラッター上でディスクをずらすことは、
ディスク表面を傷つけるような感じがして、やりたくはない。

良質のシートがあれば傷つくことはないのだろうか、
なんとなく雑に扱っているようにも感じてしまう。

Date: 9月 15th, 2022
Cate: アナログディスク再生, 老い

アナログプレーヤーのセッティングの実例と老い(その8)

DSオーディオのES001は、スタビライザーというよりも測定器といったほうがしっくりくる。

ES001は、ディスクの偏心量を測定してくれる。
検出したディスクの偏心を少なくしていくのは、人の手(指)である。

DSオーディオのデモでは、ES001でディスクの偏心を検出後、
ディスクの縁を指で少しずつ押して、またES001で測定。
それで偏心量が減っているのか、増加したのかを判断。

ナカミチのDragon-CTがやっていたことを、人の指で行うわけだ。
この作業になれていなければ、指で押して、逆に偏心を増やすことにもなりかねない。

この作業をやっている人がどのくらい馴れていたのかはわからなかったけど、
偏心の仕方によっては、けっこうな時間をかけて指を押す作業をくり返していた。

それを見て私が思っていたのは、なぜディスクをかけかえないのか、だ。
指でこのくらいかな、とチョンチョンと押すくらいなら、
ES001を取って、ディスクも取って、もう一度ターンテーブルプラッターにのせる。
こちらの方がずっと早い。

そしてもう一度ES001をのせて測定してみればいい。

ディスクの偏心による音の影響は、なれれば、最初の音が出た時点でわかるものだ。
偏心量が大きい、とわかる。

ただ漫然と聴いていてはわからないかもしれないが、
偏心に注意して、同じディスクを何度もかけかえては、
その音の違いを意識して聴くようにしていれば、
今回は偏心が大きいな、とか、今回はうまく芯出しができた、とかわかるようになる。

もちろん偏心の量まではわからない。
ES001は、これまで偏心が大きいな、と感じていたのが、
どのくらいの偏心量なのかを数値で示してくれる。

その意味での測定器である。

Date: 9月 14th, 2022
Cate: 基本, 音楽の理解

それぞれのインテリジェンス(その8)

紀伊國書店で、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトらの教育法、
子育てについて訊ねていた女性は、想像するに幼い子供の母親なのだろう。

その子供が音楽に関心を示し、才能の片鱗を感じさせたのだろうか。
母親として、子供の音楽の才能をのばしたい、
モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトのような音楽家に育ってほしい。

そのためにはどういう子育て、教育法が求められるのか。
それを知りたい一心での問合せだったような気がする。

品のいい女性だった。
年の頃は三十前後か。

おそらく彼女は、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトが、
どういう家庭環境で育ったのか、まったく知らないのだろう。

(その7)で引用した五味先生の文章にあるようなシューベルトを想像していたのだろう。
モーツァルトもベートーヴェンも同じような感じでの想像だったのだろう。

《映画なんかでは、大へんロマンティックな恋をする音楽青年が登場して、伝記風にその生涯が描かれてゆくが、本当は、一度のロマンスにもめぐまれなかったシューベルトは青年》、
まさか梅毒に罹って、苦しみ抜いた青年、
そんなふうにはまったく思っていなかったのだろう。

勝手な、これは私の想像でしかないのだが、
育ちのよさそうな女性の横顔をみていると、そんな気がしてならなかった。

Date: 9月 14th, 2022
Cate: アナログディスク再生, 老い

アナログプレーヤーのセッティングの実例と老い(その7)

今年のOTOTENで、DSオーディオのES001を聴くことができた。
DSオーディオいうところの偏心検出スタビライザーなのだから、
その音を聴くという表現は、少し間違っているのかもしれないが、
その効果を聴いた、という表現も少し違うように感じてもいる。

DSオーディオのブースに入ったときに、
ちょうどタイミングよくES001のデモが始まろうとしていた。

ES001が出ていたのは知っていた。
ただどんな製品なのかを正確には知ろうとはせずに、
レコードの偏心の問題を自動的に解決してくれるモノだと勘違いしていた。

DSオーディオのスタッフの話は面白かった。
ナカミチのDragon-CTの話も出てきた。

私よりも二まわりほど若い方のようで、TX1000の話はなかった。

アナログディスク再生において、ディスクの偏心は音に大きく影響する。
そのことはずっと以前から云われてきたことだし、
だからこそナカミチが、いまから四十年以上前にTX1000を開発しているし、
高価すぎるTX1000の普及モデルとしてDragon-CTも出してきた。

私はどちらもステレオサウンドの試聴室で、その効果を聴いている。
偏心しているレコードの芯出しを行うと、誰の耳にもあきらかなほどの音の違いが生じる。

ナカミチのアナログプレーヤーは、どちらの機種も偏心を検出し、
芯出しまでボタン一つで行ってくれた。

その印象が残っていたために、
ES001も検出・芯出しまで行ってくれるモノだと思い込んでしまった。

思い込みながらも、実際にはどんな方法で行うのだろうか、とあれこれ想像はしていた。
検出はなんとなくこんな方法だろうと想像はついたけれど、
芯出しの機構をスタビライザーのなかで、どう実現するのか。

なかなか大変なことなのに──、
と思っていたわけだが、ES001の説明を聞くと、
ユーザー(人間)が芯出しを行う。当然といえば当然か。

Date: 9月 13th, 2022
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(その8)

人としてたくましくあることで、オーディオを徹底的に楽しめる。
この項で、以前書いている。

別項で深刻ぶる人がいることを書いている。
深刻ぶるオーディオマニアは、深刻ぶることが好きな人なのかもしれない、
そんなことも書いた。

深刻ぶる人は、人としてたくましくないのかもしれない。

Date: 9月 13th, 2022
Cate: 新製品

Meridian 210 Streamer(その4)

くり返すが、メリディアンの210は、2019年に発表されている。
なので日本以外の国では、いまとなっては新製品とは呼べないのだが、
オンキヨーのせいで、ようやく210の取り扱いが開始になっている。

210は、新製品なのだろうか。
オーディオ雑誌は、210を新製品として取り扱うのだろうか。

ステレオサウンドの最新号(224号)はまだKindle Unlimitedでは読めないで、
自分の目で確認しているわけではないが、
224号の新製品紹介記事には、210は登場していない、と友人が教えてくれた。

225号で取り扱われるのだろうか。
225号でも取り扱われないのか。

Date: 9月 13th, 2022
Cate: 真空管アンプ

五極管シングルアンプ製作は初心者向きなのか(50CA10単段アンプ・その11の補足)

その11)でも、別項でも、
武末数馬氏のECC81の八本並列接続のプッシュプルアンプについて触れている。

武末数馬氏が、このアンプをラジオ技術に発表されたのは1981年ごろである。
こういう構成のアンプは、武末数馬氏が最初だと思っていた。
わりと最近までそう思っていたが、
先日、上杉先生の「管球式ステレオアンプ製作80選」の目次を、
インターネットで眺めていたら、
そこに12AU7の八本並列のパワーアンプの記事があるのに気づいた。

「管球式ステレオアンプ製作80選」は古い本で、いま復刻版が入手できる。
手元にないので、12AU7のパワーアンプの記事がいつ発表されたのかははっきりとしないが、
武末数馬氏のアンプよりもずっと前のはずだ。

12AU7はECC82。
武末数馬氏はECC81。

上杉先生のアンプは、初段で位相反転しているようだ。
武末数馬氏のアンプは入力トランスで対応している。

そういう違いはあるが、八本並列というところは同じである。
ECC81、ECC82八本並列プッシュプルアンプも面白いと感じているが、
それ以上に、オーディオの歴史をふり返えると、もっともっと面白いことに気づく。

そんなこと、いまのオーディオ(技術)には、ほとんど関係ない──、
そんなふうに切り捨てることは誰にでもできようが、果たしてそうだろうか。

Date: 9月 12th, 2022
Cate: German Physiks, 新製品

ジャーマン・フィジックス HRS130(とサウンドクリエイト・その4)

サウンドクリエイトは、銀座二丁目の古いビルの二階と五階にある。
このビルは、昭和のビルそのものである。そうとうに古い。

その古いビルとサウンドクリエイトの雰囲気は、
いい感じでマッチしているようにも思う。

ジャーマン・フィジックスは五階にあった。
ソファにすわると、男性のスタッフの方がiPadを渡してくれる。
iPadで選曲するので、CDを持参することなく、聴きたい曲が聴けた。

ほんとうに便利な時代になった、と思う。

連れの彼が一曲目を選び、次に私が、三曲目はまた彼が──、
そんな感じで、約一時間、ジャーマン・フィジックスの音を聴いていた。

私が最初に選んだのは、
ケント・ナガノと児玉麻里によるベートーヴェンのピアノ協奏曲第一番だ。
何度もここで書いているように、
この演奏(録音)は、菅野先生のリスニングルームで聴いている。
菅野先生のリスニングルームで聴いた最後のディスクでもある。

そして、もっとも驚いた演奏(録音)でもある。

その次に選んだのは、サー・コリン・デイヴィスのベートーヴェンの序曲集からコリオラン。
コリン・デイヴィスのコリオランは、エソテリックのSACD第一弾で、
発売になった年のインターナショナルオーディオショウでは、いくつかのブースで鳴っていた。

この演奏(録音)も、菅野先生が高く評価されていたし、
菅野先生のところで何度も聴いている。

ひさしぶりに聴けるジャーマン・フィジックスでは、
この二枚のディスクは外せない。