Archive for 8月, 2021

Date: 8月 6th, 2021
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(こんなことが起っている・その2)

きちんとしたメーカーであれば、製品化のためにいくつかの試験を行う。
ある一定の高さから落下させたりそういった類の耐久試験をやる。

そういった試験が行われた機器は、破損する。
破損したモノを修理して売るわけにはいかない。

廃棄処分するしかない。
廃棄処分といっても、昔といまでは大きく違っている。

産廃業者に依頼することになる。
おそらくだが、そのオーディオメーカーから産廃業者へは処分費が払われているはずだ。

リサイクルできるモノが大きく含まれていれば、
買い取りと処分費を計算して、差額を産廃業者が請求したり、
産廃業者が支払ったりするはずだ。

今回の件は、メーカー側が産廃業者ときちんと契約して費用を支払っている、と思われる。

にも関らず、この産廃業者は、
引き取った、いわゆる産廃を中古オーディオ店に売っている。

つまりメーカーからと、中古オーディオ店からと、
その両方からお金を受けとっているわけだ。
横流しであり、メーカーとの契約違反のはずだ。

買い取ったオーディオ店も、そのへんの事情はわかっていたようだ。
だから、シリアルナンバーを消して売っている。

しかも、そのオーディオ店のウェブサイトでは、
過去に販売した中古オーディオ機器の履歴も、情報のひとつとして公開している。

なのに、今回のジャンクに関しては、その履歴を完全に消してしまっている。
ということからも、このオーディオ店は産廃業者が横流ししたことをわかっていたと思う。

中古を扱う店なのだから、この店自体も産廃業者を使っているであろう。
そのへんのシステムも知っているとみていい。

処分を依頼したメーカーからすれば、産廃業者と中古オーディオ店の行いは、
もうグレーゾーンではないはずだ。

これらのジャンクを購入した転売ヤーは、まとめて購入したのだろうか。
かりにそうだとしたら、この中古オーディオ店は、何も怪しまなかったのか。

私の憶測でしかないが、このオーディオ店は、かなりわかっていたうえで、
それらのジャンクを売ったように思われる。

最初にやってはいけないことをしたのは、横流しの産廃業者なのだが、
この中古オーディオ店は、見ようによってはかなり悪質ではないだろうか。

Date: 8月 6th, 2021
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(こんなことが起っている・その1)

二ヵ月ほど前だったか、
ある人のソーシャルメディアへの投稿は、
ある中古オーディオ店へのリンクが貼ってあった。

クリックすると、ある特定のメーカーのジャンクといえる状態のオーディオ機器が、
アンプ、プレーヤー、CDプレーヤーなど、かなりの点数が表示される。

あきらかに故障している、というより破損している状態の機器ばかりである。
どういうことなのだろうか、と思いつつも、
それらに付けられている価格は、非常に安価だった。

あれはなんだったんだろう……。
そう思いはしたが、それ以上、投稿した人に訊ねることもしなかった。

今日、少しばかり詳細を知った。
あるメーカーが耐久試験を行ったオーディオ機器を大量に処分した。
これをある廃棄業者がまとめて引き取っている。

通常ならば、廃棄業者は、それらの京浜を部品ごとにバラバラにして、
使える材料とそうでないモノとに分類していく。

ところが、この廃棄業者は、これらの破損したオーディオ機器を、
ある中古オーディオ店に横流しした。

私が少し前に見たのは、そういう廃棄処分されたオーディオ機器だったわけだ。

その店はジャンクとして売った。
ここまでなら、あえて書くようなことはしない。

ところが、これらのジャンクを大量に購入した転売ヤーがいた。
彼らは不具合の隠したまま、ヤフオク!に出品。

そういう事情を知らない人たちが落札。
届いたモノは、ヒドい状態のモノ。当然トラブルになっている──。

そういうことである。

どのメーカーなのか、どのオーディオ店なのかも聞いている。
今回は固有名詞は出さない。

Date: 8月 5th, 2021
Cate: 広告

オーディオ雑誌と広告(その6)

昨日、クイック・ジャパンの8月発売の号の発売を中止する、というニュースがあった。
編集体制の見直しのため、というのが次号休止の理由として発表されている。

この理由だけなのだろうか、と変に勘ぐってしまう。
これだけの騒動になってしまったため、広告が取りやめになってしまったのかもしれない。
すべてではなくても、ほとんどの広告が入る見込みがなくなってしまうと、
次号は休刊せざるをえない──、
これが現実的な理由のような気がしてならない。

編集体制の見直しだけが理由である可能性はある。
それでも広告に、今回の騒動がなんら影響を及ぼしていないとは考えにくい。

Date: 8月 5th, 2021
Cate: デザイン

プリメインアンプとしてのデザイン、コントロールアンプとしてのデザイン(その11)

amazonがKindle Unlimitedのサービスを開始したとき、
ラインナップにそれほど魅力を感じずに、利用しようとは思わなかった。

それからずいぶん経って、今年になって、友人からステレオサウンドが、
Kindle Unlimitedで読めることを聞いた。
ステレオサウンド以外にオーディオアクセサリーも読めるし、
レコード芸術もある。

契約しようか、と思っていたところに、最初の二ヵ月間99円で利用できるキャンペーンが始まった。
なので先月から利用している。

ステレオサウンドも、四冊分読んだ。
217号のベストバイのところを読んでいて、
ここで書いている(取り上げている)ヤマハのコントロールアンプのC5000のところで、
目が留まった。

黛健司氏が書かれている。
《このデザインのオリジナルは1973年に登場したCA1000プリメインアンプで、和の洗練の極みと言いたいテイストに衝撃を受けた》
とある。

私はC5000のデザインは、コントロールアンプとしてのデザインではなく、
プリメインアンプのデザインだと書いていたのは、的外れなことではなかった。

いわれてみるとCA1000に似ているといえばそうなのだが、
C5000を見て、CA1000を思い浮べたことはこれまでなかった。

私がオーディオに関心をもったころには、すでにCA1000はCA1000IIIになっていた。
CA1000にメーターはなかった。
CA1000IIもメーターなしだったが、III型になり、メーターがつくようになった。
CA2000と共通のデザインでもある。

なのでCA1000といえば、私にはCA1000IIIの印象である。
今回、CA1000の写真を見較べた。

私には、CA1000IIIからメーターを外したデザインというふうに映った。

Date: 8月 4th, 2021
Cate: ディスク/ブック

サー・コリン・デイヴィスのベートーヴェン 序曲集(その3)

エソテリックの人たちの何人かは、
菅野先生監修のリマスタリングに立ち合っていることだろう。

それにエソテリックからのSACDの第一弾に、
コリン・デイヴィスのベートーヴェンを選んだということは、
菅野先生のところで聴いてのことのはずだ。

にも関らずの2007年のインターナショナルオーディオショウでのエソテリックでの、
コリン・デイヴィスのベートーヴェンは、正体不明でしかなかった。

誰の指揮なのか、どの国の、どのオーケストラなのか、
そういったことだけでなく、ベートーヴェンの曲なのに、
ベートーヴェンの音楽になっていなかった。

その意味において、別項で書いているゼルキンのベートーヴェンのことを思い出す。

エソテリックのSACDの出来が悪かったわけではない。
このSACDは手に入れて聴いている。

悪いのは鳴らし方である。
一時期、中古相場が三万円(元は3,300円)程度までになったSACDであっても、
鳴らし方を根本的なところで間違ってしまえば、とんでもない鳴り方に変容してしまう。

エソテリックのSACDだから、いい音で鳴ってくれるわけではない。
エソテリックのSACDも、TIDALのMQAも、選択肢である。

最良とおもえる選択をしたところで、音楽の聴き方をどこかで間違ってしまっていては、
間違った鳴らし方しかできない。

少なくとも菅野先生のところでコリン・デイヴィスのベートーヴェンを聴いている人間が、
2007年のエソテリックのブースで、正体不明の音楽を鳴らしてしまっている。

私がスタッフの一人だったら、あれでは鳴らせないと、
つまり聴かせられないと判断する。

けれど2007年のエソテリックはそうではなかった──、
ということは、あの音を、菅野先生のところでの音と同じとまではいわないものの、
良さは出せていると判断してのことなのだろう。
そうとしか思えない。

だとしたら、鳴らし方以前の聴き方の、本質的なところでの問題である。

Date: 8月 4th, 2021
Cate: ディスク/ブック

サー・コリン・デイヴィスのベートーヴェン 序曲集(その2)

今日、TIDALで、コリン・デイヴィスのベートーヴェンもMQAになっているのに気づいた。

急にソニー・ミュージック、ソニー・クラシカルはMQAに積極的になったようだ。
クラシックだけでなく、ジャズも、ポップスもMQAになっているのが、けっこうある。

ジョージ・セルのベートーヴェンの交響曲第七番もなっていた。
192kHzのMQA Studioである。

これがじつにいい。
セルはもともと好きな指揮者の一人だったが、
こんなにすごかったのか、と再認識しているくらいにいい。

今回のソニーのMQAは、私が見た範囲ではすべてMQA Studioである。
コリン・デイヴィスのベートーヴェンは比較的初期のデジタル録音だから、
MQA化はあとまわしにされるのかと、勝手におもっていた。

ところがこんなに早くMQAで聴ける。

どれで聴くのがいちばんなのか。
それは、聴いた人それぞれが判断すればいいことで、今回のMQAの登場は、
コリン・デイヴィスのベートーヴェンの序曲集を聴く選択肢が一つ増えた、ということ。

以前書いていることだが、
2007年のインターナショナルオーディオショウのあるブースでは、
このコリン・デイヴィスのSACDが、ひどい音で鳴っていた。

私は菅野先生のところで三回、コリオランを、
エグモントを一回聴いていて、その音がこの録音・再生のリファレンスとなっている。

自分のシステムでも聴いている。
なのに、2007年のインターナショナルオーディオショウでの、あるブースの音は、
音がひどいというよりも、コリン・デイヴィスのベートーヴェンだ、すぐには気づかないほど、
音楽的に変質してしまっていた。

ほかのブースでは、ブースに入った時にかかっていれば、
すぐにコリン・デイヴィスのベートーヴェンだとわかるのに、
そのブースでは、コリオランが鳴っていたにもかかわらず、
まず、この曲なんだっけ、という一瞬ではあったけれど、考えてしまった。

そして、コリン・デイヴィスの演奏だと気づくのに、また少し時間を必要とした。
気づいたあとでも、ほんとうにコリン・デイヴィスの演奏? という鳴り方だった。

このことを書いた時は、どのブースなのかはあえて書かなかった。
あれから十年以上経っている。書いておこう。

コリン・デイヴィスのベートーヴェン(エソテリックのSACD)がひどい鳴り方だったのは、
エソテリックのブースだった。

Date: 8月 4th, 2021
Cate: ディスク/ブック

サー・コリン・デイヴィスのベートーヴェン 序曲集(その1)

菅野先生のリファレンスディスクといえるサー・コリン・デイヴィスのベートーヴェンの序曲集。
ソニー・クラシカルからCDが登場したときは、
あまり話題にならなかった、と記憶している。

出ていたのは知っていたけれど、聴いてはいなかった。
菅野先生のリスニングルームで聴いたのが初めてだった。

演奏も録音も素晴らしい、と菅野先生はいわれていた。
菅野先生がお持ちのCDは日本盤だった。

その時に、一枚しか持っていないし、廃盤になっているから、
もしなくした時の用心にもう一枚手に入れたい、
探してほしい、と頼まれたことがある。

その時に、ほかのディスクも予備が欲しいので、ということで頼まれた。

コリン・デイヴィスのベートーヴェンの序曲集は、
アメリカのAmazonで見つけて手に入れた。
ほかのディスクは、穴場的なレコード店にきっとあるな、と目星をつけて行ったら、
やっぱりあった。

そのコリン・デイヴィスのベートーヴェンが、2007年に、
エソテリックからSACDとして登場した。
菅野先生のよるリマスター監修だった。

2007年のインターナショナルオーディオショウでは、
このディスクがよくかかっていた。

エソテリックのSACDは限定販売なので、
しばらくしたら中古相場はけっこうな値段になっていた。

いまは一万円程度に落ち着いているようだが、
私が知っている範囲では、三万円ほどしていたこともある。

コリン・デイヴィスのベートーヴェンは、44.1kHzでの録音である。
それをDSDに変換して聴くことを、どう捉えるのかは、その人の自由である。

いまSACDは売っていないが、ソニー・クラシカルから廉価盤として出ている。
こちらを買って、自分でDSDに変換したり、アップサンプリングするのも、
いまではアプリケーションがあれば、簡単に行える。

Date: 8月 4th, 2021
Cate: High Resolution

TIDALという書店(その2)

三ヵ月ほど前に、感覚的にTIDALはレコード店というよりも、
大型の書店、もしくは大規模な図書館だ、と書いた。

だから、なぜ、この大型の書店に入店しないのか。
そう言いたくなることがある。

音楽が好きで、MQAの音の良さを認めている人ならば、
なぜ? と問いつめたくなる。

いまやインターネットの回線速度は、TIDALを利用するのに十分なはずだ──、
そう思い込んでいた。

ところが、どうもそうでない状況がある、と聞いた。
マンションによっては、かなり回線速度が遅いところ(時間帯)がある、らしい。

それも私が想像していた遅さよりも、さらに遅いようで、
クォリティの高いストリーミングを利用するには無理があるようなのだ。

しかも、その状況を改善するには個人ではまず無理である。
大がかりなことになる場合もあるから、いますぐに、ということにならない。

東京においても(むしろ東京だからなのか)、そういうところがあるらしい。

Date: 8月 4th, 2021
Cate: High Resolution

MQAのこと、グレン・グールドのこと(その1)

二週間ほど前に、イル・ディーヴォのアルバムが、
TIDALでMQAで配信されていることを書いた。

今日、なにげなくTIDALでバーンスタインのアルバムを眺めていたら、
ソニー・クラシカルからのアルバムのいくつかにMQAのマークがついていることに気づいた。

えっ、と思う。
本当に? ともおもった。

まだすべてのアルバムということわけではないが、いくつかはMQAで聴けるようになっている。
ということは、もしかすると、グールドも、と思う。

グールドもMQAで聴けるようになっている。
こちらもすべてのアルバムが、というわけではないが、
とにかくMQAでの配信が始まっていることは確かだ。

ほかの演奏家は? と、いうと、
まだまだすべての演奏家を検索したわけではないが、
ジョージ・セル、ブルーノ・ワルターもMQAでの配信か始まっている。

パブロ・カザルスは、もっと数が少ないが、
こちらもMQAでモーツァルトのピアノ協奏曲が聴ける。

クラシック以外では、マイルス・デイヴィスのコロムビア時代のいくつかはMQAで聴ける。

サンプリング周波数はまちまちだ。
いまのところグールドのは44.1kHzのみのようだ。

とはいえ、こんなに早くグールドをMQAで聴ける日が来るとは!

Date: 8月 3rd, 2021
Cate: 戻っていく感覚

SAE Mark 2500がやって来る(コントロールアンプのこと・その4)

いい結果が得られるかどうかはなんともいえないのだが、
一度SAEのMark 2500と組み合わせて、その音を聴いてみたいと思っているのが、
コンヴァージェントオーディオテクノロジーのSL1だ。

現行製品のSL1 LEGEND BLACK PATH EXTREMEと、
SL1 RENAISSANCE BLACK PATH EXTREMEが、何世代目にあたるのか、
よく知らない。

現行ヴァージョンの音を聴いていない。
私が聴いたSL1の音は、もう二十年ほど前のモデルである。

そのころはステレオサウンドでの評価も高かった、と記憶している。
いまではどうだろうか。

217号のベストバイでは、上級機のSL1 LEGEND BLACK PATH EXTREMEに、
小野寺弘滋氏が星を一つだけ、である。

いまは、少しは改善されているのだろうか。
SL1は決して使い勝手のよいコントロールアンプではない。

デザインも優れているわけではない。
それでいてかなり高価な管球式コントロールアンプである。

価格的に、Mark 2500とはアンバランスである。
現実的な組合せだとは、まったく思っていない。

組み合わせた結果の音が仮に良かったとしても、
誰かにすすめられるような組合せではない。

それでもSL1(どの世代のSL1でもいい)とMark 2500との音は、
そんな機会はまず訪れないことはわかっていても、興味津々である。

Date: 8月 2nd, 2021
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドと幕の内弁当の関係(その2)

ステレオサウンドの幕の内弁当化について、これまで何度か書いてきている。

弁当といえば、弁当箱が必要になる。
弁当箱があるから、弁当といえる。

弁当箱という器である。
器ということで思い出すのは、菅野先生の「仕出し弁当の器」である。
     *
さて、六本木に「正直屋」というめし屋がある。近くに私が仕事の関係でこの十年来出入りしている出版社があるが、食事時になるとこの正直屋の仕出し弁当を出前してもらう。とてもアットホームな味付けで、ご飯もよく焚けており、惣菜にも細かい気配りがしてあって私は大いに気にいっていた。料理も美味しいが、お重がまた何ともいえない情緒があり、料理の味をいっそう引き立てていた。
 ところが、あるとき例によって出前を頼むと、お重の表面がいやに光っているし重量感がない。つまり、木のお重から姿かたちは同じようだがプラスティック系の器にかわっていたわけだ。幸い中身はかわっていなかったが、食べながら何となく寒々しい気持になってきたことを覚えている(最近はさらに、持ち帰り用の寿司などに用いられているペラペラの容器に入って、表面を紙で巻いて届けられる)。
 以来、私はこの弁当を、正直屋の〝うそつき弁当〟と名付けて呼んでいるが、考えてみればこれは、出前する方としてはワンウェィなので回収の手間が省けるし、こちらも食べ終ったらそのまま屑籠に捨てればいいのだから、便利といえば便利だ。
 しかし、以前のお重に入っていたときのお弁当の味と、現在の味気ない容器に入っているお弁当の味は、味付けは同じであるが、見た目も、舌での感じかたにも残念ながら大きな違いがあることは否めないのだ。先刻申しあげたように、TPOという観点で言えば、出前のお弁当なんだから使い捨ての容器に入っていても容認はできよう。しかし、実質は同じでも、容器が違えば味も違ってくるということのひとつの見本ではある。
     *
六本木にある出版社とはステレオサウンドのことであり、
私が勤めていたころのステレオサウンドである。

正直屋の弁当は、だから何度も食べている。
私がいたころは、すでにペラペラの容器になっていた。

菅野先生は、うそつき弁当と名付けられていた。

料理はなにがしかの器に盛られている。
弁当では、弁当箱という器である。

弁当箱は、皿や椀とは、同じ器であっても、包んでいる、という点での違いがある。

Date: 8月 1st, 2021
Cate: 戻っていく感覚

SAE Mark 2500がやって来る(コントロールアンプのこと・その3)

スレッショルドのSL10を、いまでも欲しいとは思っているものの、
SAEのMark 2500と組み合わせての音を期待しているわけではない。

組合せばかりは実際に、
その音を聴いてみないことにはいえないことが多々あるのはわかっている。
それでも直感として、うまくいきそう、とか、あまり合わなさそう、というものはある。

SL10とMark 2500は、ひょっとすると意外な音を聴かせてくれる可能性がなくもない──、
そう感じさせるところはあるが、あまり合わない、と思う気持の方がはるかに強い。

もっとはっきり書けば、SL10の音を聴いて感心したことがない。
といってもSL10の音をじっくり聴いたわけではない。
数回、聴く機会があったくらいなのだが、
そこでの印象は、ステレオサウンドでの菅野先生、瀬川先生の評価にかなり近いものだった。

悪くはない音である。
クォリティの低い音というわけでもないのだが、
音楽を聴いてワクワクするかというと、そうではない。

どこか禁欲的なところを感じてしまう。
禁欲的ということでは、スレッショルドのパワーアンプにも共通してある性格である。
少なくともSTASISシリーズまでは、そう感じていた。

それでも800AとかSTASIS 1には、凄みがあって、
決して禁欲的という域に留まらない表現力の深さと大きさがあった。

けれどSL10となると、そういうところを音に感じない。
コントロールアンプのラインナップ、
パワーアンプのラインナップの充実度の違いよりも、ここのところに、
スレッショルドはパワーアンプを得意とするメーカーということを感じるわけだ。

SL10のデザインは、それでも欲しいと思わせる。