Archive for 8月, 2021

Date: 8月 11th, 2021
Cate: Cornetta, TANNOY

TANNOY Cornetta(黒バッフルのモデル・その3)

いまヤフオク!に、コーネッタが出ている。
一台はステレオサウンドのキットを組み立てたモノである。
さきほど落札されていた。
二十万円を超えていた。

これが高いのか安いのかは、写真と商品説明だけではなんともいえない。
組立ての技倆がどれだけなのかがまったく不明だからだ。

もとがキットのオーディオ機器の場合、
組み立てる人によって、結果となる音は大きく違ってくる。

エンクロージュアの場合、組立て具合がよくないからといって、
もうどうすることもできない。

もう一台のコーネッタは、いわゆるオリジナルではないが、
これがおもしろいことに私が手に入れたコーネッタにそっくりである。

板材もステレオサウンドのキットとは違う。
そういうところからして、そっくりなのだ。
これも私のコーネッタと同じで、少なくとも写真から伝わってくる雰囲気が同じなのだ。

私のところにあるコーネッタは、腕のいい人が自作したのかな、ぐらいに思っていた。
それにしてもよく出来た造りである。

そっくりのコーネッタの商品詳細を読んで納得した。
そのコーネッタは、ティアックがタンノイの承認を得て、
オートグラフを国内製造していたときの職人が、退職後にコーネッタを製造した、とある。

これが事実なら、おそらく私のコーネッタもそういうことになる。
その可能性は、造りをみていても、かなり高いように思っている。

Date: 8月 11th, 2021
Cate: ショウ雑感

2021年ショウ雑感(その20)

11月のインターナショナルオーディオショウの開催まで三ヵ月を切った。
いまのところ中止の発表はないから、やるのだろう。

それでも、ほんとうにやるの? と思っている。
やるにしても、どこまで徹底してやる(やれる)のか。

来場者は事前予約のみ、ということだけは発表になっている。
この事前予約も、二回のワクチン接種ずみの人だけという制約をつけるのか。

検温もやるはずだが、マスクの種類も受付でチェックするのだろうか。

それ以上に、実際にどうやる(対処する)のだろうか、と思うのは、
各ブースの入場者の制限である。

基本的には各ブースの出展社がやるのだろうが、
それだけでうまくいくとは到底思えない。

ブースによって混んでいるところ、そうでないところ、空いているところがあり、
混んでいるブースにしても時間帯(イベント次第)で空いていることもある。

それにブースへの入場者を徹底して制限したとしたら、
廊下に人が溢れることになるのではないか。
それでいいのか。

結局は主催者である日本インターナショナルオーディオ協議会が主になって、
ブースに入れなかった人たちに対処しなければならなくなるように思える。

日本インターナショナルオーディオ協議会のスタッフと各ブースのスタッフ、
その連携がどれだけ密にとれて、柔軟に対処していかなければ、
会場内のどこか(一箇所とはかぎらない)に密なところができるはずだ。

そうなったら、
各フロアを結ぶ、あの長いスロープに間隔を空けて入場者を並ばせる(待機させる)のか。
出たとこ勝負になってしまうのだろうか。

それとも絶対にそうならない程度に入場者数を制限してしまうのか。

Date: 8月 10th, 2021
Cate: 夢物語

真夏の夜の戯言(その1)

またTIDALのことなのだが、
ソニーのMQAへの本気度は、ほんとうにすごい。

これをMQAで聴きたいと思っているアルバムが、
かなりの割合で登場してきている。

アルゲリッチ弾き振りのベートーヴェンとハイドンのピアノ協奏曲も、
ローザ・ポンセルの椿姫も、
それからラルキブデッリも、
ベートーヴェン、モーツァルト、ハイドンはすでにMQAになっていたが、
私がいちばんMQAで聴きたいブラームスの弦楽六重奏曲はまだだったのが、
さっき見たら、MQAになっていた。

クラシックだけでも追いつかないほどの勢いである。
この勢いのすごさは、もしかすると──、とあることを思ってしまう。

ソニーによるTIDALの買収である。
そんなウワサを耳にしたとか、なんらかの根拠があって書いているわけではない。

今日の午後、ふとそうおもっただけだ。

Date: 8月 10th, 2021
Cate: ディスク/ブック

Bach: 6 Sonaten und Partiten für Violine solo(その8)

黒田先生の、
《音楽もまた、それを感じとる聴き手の身丈以上のものにはなりえない》ということは、
そのままオーディオにもあてはまることだ。

鳴らし手の身丈以上の音にはなりえない。
だからといって、自分の身丈にぴったりのシステムで鳴らせ、というわけではない。

それもまたいいことだと思うけれど、それではいつまで経っても、
自分の身丈はそのままである。
もしくは小さくなっていくのかもしれない。

自分の身丈よりも大きいシステムを鳴らしてこそ、
鳴らし手としての身丈は成長していく。

けれどここで勘違いしてはいけない。
システムの身丈を、自分の身丈だ、と思わないことだ。

Date: 8月 10th, 2021
Cate: ディスク/ブック

バッハ 平均律クラヴィーア曲集(その8)

(その7)を書いたのは8日。
昨日(9日)、寝る前にTIDALをチェックしたら、
リヒテルの平均律クラヴィーア曲集がMQAになっていた。

けれどジャケット写真が通常のCDのそれである。
これは44.1kHzのMQA Studioなんだろうな、と聴く前から予想ができた。
案の定そうだった。

SACDを聴いていなければ、このMQAに満足したはずだ。
けれど、すでにリヒテルの平均律クラヴィーア曲集は、SACDで聴いている。
しかも、そのマスターとなったのは、
アナログのマスターテープからダイレクトに96kHz、24ビットでデジタル化したものだと、
すでに知っているから、SACDと同じジャケットでMQA Studio(96kHz)でも出してほしい。

今回は少し残念だったところがあるとはいえ、
ここまで私が望むアルバムが次々とMQAになっていく。

なので、軽い昂奮状態に陥っている。

Date: 8月 10th, 2021
Cate: High Resolution

TIDALという書店(その4)

ステレオサウンドで働いているときに、六本木にWAVEが出来た。
それまではレコードを買うといえば、銀座だった。

頻繁に行ってのはコリドー街にあったハルモニア。
それから日本楽器、山野楽器にも寄っていた。

それがWAVEが出来てからというもの、最低でも週に二回は行っては、
なんらかのディスクを買って帰っていた。

CDが登場したことも重なって、通う頻度は増すばかりだった。
行けば、なんらかの新しいディスクと出逢えた。

あのころ、こんなに楽しい場所は他になかった。
いま、私にとってTIDALがそれに近い。

8月になって、MQAのタイトルが増えている。
何度も書いてるように、ソニーが本格参入したからだ。

お気に入りの演奏家のところをチェックする。
昨日までMQAになっていなかったアルバムが、今日はMQAになっていたりするからだ。

(その3)の終りに、ウーゴ・ディアスもMQAで聴ける日がそう遠くないのでは、と書いた。
その通りだった。

今日、ほとんと期待せずにウーゴ・ディアスのところを見たら、
一枚だけではあったが、MQAになっていた。

ソニーの本気度に感謝するばかりだ。
そして、あのころのWAVEに毎日のように通っていた気分を、三十数年ぶりに味わっている。

Date: 8月 9th, 2021
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(コロナ禍ではっきりすること・その4)

夕方に、友人のAさんからメールがあった。
こんなことが書いてあった。

Aさんの友人(女性)が、コロナ禍で旅行に行けないものだから、
かわりに、SACDプレーヤーとプリメインアンプを買った、とのこと。

機種名は書かないが、二つあわせると六十万円ほどする。
買ったのはオーディオ専門店ではなく、ヨドバシのオーディオ・コーナーである。

六十万だから、海外旅行を予定していたのだろうか。
旅行に行けない、そのまま貯金にしておくか、
それとも、こうやって別の楽しみに使おうか、
意外に後者は少なくないのではないだろうか。

別の楽しみは、人によって違う。
Aさんの友人は、オーディオ(音楽を聴くこと)を選んだ。

そして選ばなかったのはオーディオ専門店での買物であって、
選んだのはヨドバシでの買物である。

Aさんのメールには、店員がとても親切だった、とあった。
だろうな、と思う。

大型量販店がいいとは考えていないが、
少なくともヨドバシで、私は不快な気持になったことはない。

それにヨドバシではポイントがつく。
10%だとすれば、ポイントで家電製品が買える。
これも大きいことだ。

コロナ禍は長引くであろう。
Aさんの友人のような例が、これからも出てくるように思う。
それほど多くはないにしてもだ。

でも、そういう人たちの多くは(ほとんどは)、
オーディオ専門店では買わないような気がする。

Aさんの友人の例は、たった一例にすぎない──、と言い切れるのか。

Date: 8月 9th, 2021
Cate: ディスク/ブック

Bach: 6 Sonaten und Partiten für Violine solo(その7)

ハイフェッツのバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータを買ったことを、
(その5)に書いた。昨秋のことだ。

ずっと以前、聴いていたよりも、ずっとよく感じられる。
こんなにもよかったのか、と思うほどであって、
その間、くり返し、ハイフェッツのバッハを聴いていたわけではなかった。

ほんとうに二十数年ぶりに聴いて、そう感じていた。
同じことを黒田先生が、「ぼくだけの音楽 2」で書かれている。
     *
 レコードに残されているハイフェッツの演奏はレコードに記録されているものだから、以前きいたものとちがうはずなどてかった。しかし、ハイフェッツの演奏の様相、とでもいうべきものが、昔と今とでは、かなりちがっているように思われた。とりわけ小品をひいたハイフェッツの演奏について、そのことがいえた。演奏そのものが同じで、しかもそれをちがったものと感じたとすれば、変化はこっちにあった、と考えなければならない。そのことに思いあたって、ぼくは愕然とした。
(中略)
 音楽もまた、それを感じとる聴き手の身丈以上のものにはなりえない、ということを、ここでぼくは思い出すべきであろう。おそらく、若い頃のぼくは、ハイフェッツの演奏を味わうには身丈がたりなかったのである。今でもなお、ハイフェッツの音楽を充分にききつくせていると思える自信はないが、しかし、すくなくとも以前はききとれなかったハイフェッツの素晴らしさが感じとれるようになんた。そのことを、だれに感謝したらいいのかわからないが、ぼくはとてもうれしい。
     *
黒田先生は、この文章を1990年に書かれている。
1938年生れの黒田先生は、この時52歳だった。

黒田先生も書かれているが、ハイフェッツの演奏は、
表情豊かで、よく歌っている。
けれど、若い頃は、そんなふうには感じられなかった。

だから、歳をとるのもいいものだ、と書きたいわけではなく、
ハイフェッツの演奏もTIDALで、MQAで聴けるようになったことを書きたいのだ。

バッハの無伴奏も、今回のソニー・クラシカルのMQAへの本格参入によって、
MQAで聴けるようになった。
ハイフェッツのほかの演奏(アルバム)も、かなりMQAで聴ける。

ブルッフのヴァイオリン協奏曲もある。
バッハやブルッフは44.1kHzのMQA Studioなのだが、
モーツァルトのヴァイオリン協奏曲、ドヴォルザークのピアノ・トリオなどは、
192kHzのMQA Studioで聴ける。

個人的にはバッハの無伴奏を192kHzで、と思ったりするが、
それでもハイフェッツのバッハの無伴奏をMQAで聴けるようになって、
その音の表情の豊かさ、よく歌っていることに、あらためて聴き惚れている。

ハイフェッツのヴァイオリンは、少しも乾いていない。

Date: 8月 8th, 2021
Cate: 欲する

新月に出逢う(その7)

今日(8月8日)は新月。
今日から、有楽町交通会館の地下一階、エメラルドルームで、
銀座動物園IIが、14日まで開催されている。

ここにも、半年前に一目惚れした人形の作家、En氏の作品が展示されている、とのこと。

Date: 8月 8th, 2021
Cate: ディスク/ブック

バッハ 平均律クラヴィーア曲集(その7)

その4)で、リヒテルの平均律クラヴィーア曲集を、
MQAで聴ける日がきてほしい、と書いた。

SACDのライナーノートに、
オリジナルのマスターテープからは96kHz、24ビットでデジタルに変換された、
とあったからだ。

TIDALでリヒテルのアルバムは、いくつかはMQAで聴けるようになっている。
平均律クラヴィーア曲集はまだだ。

昨年4月に、MQAで聴ける日がきてほしい、と書いたものの、
ほとんど期待はしていなかった。
でも、いまは違う。

大いに期待できる。

Date: 8月 8th, 2021
Cate: High Resolution

TIDALという書店(その3)

TIDALという書店は、8月に入ってからますます特別な存在の書店になった。
別項で書いているように、ソニー・ミュージック、ソニー・クラシカルのMQAでの提供。
日ごとに、アルバムは増えていっている。

カルロス・クライバーのニューイヤーコンサートも、
今日見たら、1989年のものがMQAになっていた。
数日前は、まだなってなかった。
おそらく1992年のニューイヤーコンサートも、近日中になるであろう。

クラシックだけでなく、ジャズ、ポップスもMQAで盛り上っている──、
そういいたくなるほどソニーが本気になっている。

いままでソニーはハードウェアだけでのMQA対応なのか、とずっと思っていた。
それがやっと始まった。
細々と、ではなく、本気のようである。

とはいっても、これは海外の演奏家に関してだけなのだろう、と今日まで思っていた。
今日、もしかすると、という期待をこめて、大滝詠一を検索してみた。

「DEBUT AGAIN」一枚だけだが、MQAで聴けるようになっている。

それでは、他のソニー・ミュージックの日本人歌手は? と思って、
私が真っ先に思い浮べたのは山口百恵だったけれど、残念ながらなかった。

その次に思い出した松田聖子。
松田聖子のアルバムがTIDALで聴けるのは知っていた。

ユニバーサルミュージックのアルバムはMQAなのだが、
ソニー・ミュージックのアルバムはそうではなかった。

それも変ってきている。
ソニー・ミュージック時代のアルバムもMQAに聴けるようになりつつある。

TIDALも強豪相手が増えて、苦境にたたされている──、
といったニュースを見たのは昨年だったか。
今回のことはTIDALの巻き返しなのかもしれない。

ここまで来たら、ウーゴ・ディアスもMQAで聴ける日がそう遠くないかもしれない。

Date: 8月 8th, 2021
Cate: ディスク/ブック

Billie Jean(その2)

TIDALへのソニー・ミュージック、ソニー・クラシカルのMQAの提供は、
毎日検索してしまうほど、すごい。

8月4日に気づいてから、あれこれ検索していた。
マイケル・ジャクソンも見ていた。
数枚ほどのアルバムがMQAになっていたが、“Billie Jean”が収録されているアルバムはなかった。

今日、見たらやはり増えていた。
“Number Ones”があった。
“Billie Jean”がMQAで聴ける。

96kHzのMQA Studioである。

これが一年前だったら──、と思ってしまう。
2020年夏からMQAで提供してくれれば、
10月7日のaudio wednesday(music wednesday)での“Billie Jean”をMQAで鳴らせた。

いまの私の環境では、あの時ほどの音量では鳴らせない。
もう一度、コーネッタで、今度はMQAで、あの時のこえる音量で聴きたい。

Date: 8月 7th, 2021
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その42)

つきあいの長い音──、私にとってMQAが、すでにそうであると感じさせる。

Date: 8月 7th, 2021
Cate: High Resolution

MQAのこと、グレン・グールドのこと(その2)

三日前に、グレン・グールドがMQAで聴けるようになった、と書いた。
その時点では、アルバム数はそれほどではなかった。
でもすべてがMQAで聴けるようになるには、かなりの時間がかかるのだろうな、と思っていた。

けれど今日、TIDALをみてみたら、かなりのアルバムがMQAで聴けるようになっている。
嬉しいことに、ハイドンもMQAで聴けるようになっていた。

44.1kHzの初期のデジタル録音であるハイドンも、
MQAで聴けることは、MQAの本質を理解している人ならば大歓迎のはずだ。

グールドだけでなく、ソニー・クラシカル、ソニー・ミュージックは、
急にMQAに積極的になっている。

ほかの演奏家のアルバムも、MQAでの数が増えている。

この方針転換の裏には何があったのだろうか。
何があったのかはどうでもいいことで、これはいまのところTIDALのみの強みである。

グールドの残りのアルバムも、そう遠くないうちにMQAで聴けるようになるだろう。

Date: 8月 6th, 2021
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(こんなことが起っている・その3)

今回の件は、どういう経緯でこれらの製品(ジャンク)が市場に出てきたのか、
そのへんの事情を知らずにヤフオク!で落札した人からすれば、詐欺といっていい。
となると事件なのではないだろうか。

いちばん悪いのは転売ヤーということになるだろうが、
中古オーディオ店は、買う時も売る時もわかっていたはずだろうから、
そうとうに悪(ワル)だといっていい。

以前、菅野先生がいわれていた。
オーディオの世界を悪くしているのは、オーディオ店だ、と。

もちろんすべてのオーディオ店が、ということではないのは、
話された菅野先生も聞く私もわかったうえでの話なのだが、
菅野先生の、このときの表情を私は忘れられないでいる。

そして、今回の、この事件のことを書きながら、以前書いたことを思い出していた。

2010年8月13日に、twitterに下記のことを投稿した。
     *
オーディオ業界もマネーゲームに翻弄されている、ときく。それによって復活するブランドもあれば、没落していくブランドもある。なのに、オーディオ誌は、そのことに無関心を装っているのか、関係記事が出ることもない。オーディオは文化だ、というのであれば、きちんと取材し報道すべきだろう。
     *
これに対して、あるオーディオ評論家から反論があった。
そんなことにステレオサウンドの読者は関心をもっていない、有意義な記事にはならない、と。

今回の事件のことも、オーディオ雑誌は記事にしないだろう。
オーディオ雑誌の編集者のなかには、すでに、この事件を知っている人もいるかもしれない。
それでも、どこも記事にはしないように思えてならない。

きっと十一年前に、
そんなことにステレオサウンドの読者は関心をもっていない、といってきたオーディオ評論家は、
今回も同じことをいうだろう。

有意義な記事にならない、とまたくり返すだろう。

オーディオ雑誌の編集者も、同じことをいうのだろうか。
そんなことに、うちの本の読者は関心をもっていない、と。

でも、今回被害にあった人たちのなかには、
オーディオ雑誌の読者もきっといることだろう。