Archive for 5月, 2021

Date: 5月 25th, 2021
Cate: 欲する

新月に出逢う(その6)

新月だった2月12日に出逢ったEleanorは大きいといっても、
等身大ではない。

等身大ではなかったからこそ、
もしEleanorが等身大だったら──、ということをふと想像してみる。

実際にそういうモノはないのだけれど、一目惚れしたであろうか、とおもう。
どきっ、としたであろう。
それでも欲しい、とまでは思わなかったような気がする。

等身大の、有名人にそっくりの人形といえば、蝋人形がよく知られている。
蝋人形も、いうまでもなく人形である。

蝋人形を見たことがある。
売られているわけではないこともあってなのだが、欲しい、と思ったことはない。

それは蝋人形が、実在の人物そっくりにつくろうとしているからなのかもしれない。
だから、蝋人形は等身大である。

こんなことを考えていると、人間の剥製は人形といえるのかにいきつく。
もしかすると、世界のどこかには人間の剥製が存在しいてるのかもしれないが、
私は見たことがない。

剥製といえば、動物の剥製を何度かみたことがあるくらいだ。
動物の剥製は、等身大であるし、
動物の皮を剥いで、綿などの芯を入れてつくるのだから、
そっくりということでは蝋人形以上なのだが、
剥製を人形として捉える人は、あまりいないのではないだろうか。

こんなことを考えていたら、そういえば、と思い出したのが、
菅野先生の「ぬいぐるみ」(「音の素描」所収)である。

Date: 5月 24th, 2021
Cate: 「オーディオ」考

巧言令色鮮矣仁とオーディオ(その3)

先週の金曜日、ある人のお宅で四人集まっての軽い飲み会だった。
四人とも音楽好きで、音に関心をもつ。
オーディオ歴はそれぞれだが、四人ともオーディオ好きといっていい。

音楽、音、オーディオのことを中心に、五時間ほどいろんなことを話していた。
楽しかったわけだが、
帰り道、こんなに楽しかったのはどうしてなのか、とふと考えていた。

こまかな理由はいくつかあるように思うけれど、
いちばん大きいのは、巧言令色鮮矣仁とは無縁だったから、と私は思っている。

Date: 5月 23rd, 2021
Cate: 純度

オーディオマニアとしての「純度」(その17)

ステレオサウンド 52号の巻頭に、瀬川先生が、こう書かれている。
     *
 新型のプリアンプML6Lは、ことしの3月、レビンソンが発表のため来日した際、わたくしの家に持ってきて三日ほど借りて聴くことができたが、LNP2Lの最新型と比較してもなお、歴然と差の聴きとれるいっそう透明な音質に魅了された。ついさっき、LNP(初期の製品)を聴いてはじめてJBLの音が曇っていると感じたことを書いたが、このあいだまで比較の対象のなかったLNPの音の透明感さえ、ML6のあとで聴くと曇って聴こえるのだから、アンプの音というものはおそろしい。もうこれ以上透明な音などありえないのではないかと思っているのに、それ以上の音を聴いてみると、いままで信じていた音にまだ上のあることがわかる。それ以上の音を聴いてみてはじめて、いままで聴いていた音の性格がもうひとつよく理解できた気持になる。これがアンプの音のおもしろいところだと思う。
     *
オーディオマニアとしての「純度」も、アンプの透明度と同じなのかもしれない。

オーディオマニアとしての「純度」を高めてきた──、
そう信じている人でも、なにかのきっかけでもっと上の「純度」があることを知るかもしれない。

アンプの場合、それ以上の透明度をもつアンプを聴くことで、そのことがわかる。
けれど、オーディオマニアとして「純度」ともなると、アンプの比較のようにはいかない。

《それ以上の音を聴いてみてはじめて、いままで聴いていた音の性格がもうひとつよく理解できた気持になる》、
これはそのとおりである。

いままでの聴いてきた音とのつきあいは長い。
長いからこそ、すべてを知り尽くしている、と聴き手をそう思い込ませるかもしれない。

でも現実には、それよりも一つ先の段階へと進んで、
やっと一つ前の段階の音を理解できるところがあるのがオーディオだ。

ならば、オーディオマニアとして、一つ先の段階へと進んでこそ、
一つ前の段階となる「純度」を理解できることになる。

ここのところがアンプと違い、微妙なところである。

Date: 5月 22nd, 2021
Cate: 再生音

続・再生音とは……(その33)

つぼみのままで終ってしまう音なのか、
花を咲かせてこその音なのか。

自己模倣という純化の沼にはまってしまったら、
永遠に花を咲かすことはできない。

自己模倣という純化の沼がやっかいなのは、
浸かってしまっていることに気づかないことが多いからだ。

オレは大丈夫、スピーカーをよく交換するから、という人がいるかもしれない。
そんなことをいう本人のなかでは、
それまでのスピーカーとはまったく別のタイプのスピーカーにした、という意識があるはずだ。

でも、これは昔からよくいわれていることで、
周りからみたら、また同じタイプのモノにして、ということだったりする。

つきあう女性がころころ変る人がいる。
こういう人も、同じことをいう。

これまでつきあってきた女性とはまったく違うタイプの女性とつきあうことにした、と。
でも、周りからみたら、また同じタイプの女性とつきあっている、ということでしかない。

スピーカーの場合、タイプ的にまったく別のタイプにすることはできる。
それまで大型ホーン・システムを使っていた人が、
コンデンサー型スピーカーに変更することとかがそうである。

タイプ的にも音的にも、まったく別のスピーカーではあっても、
おもしろいもので、自己模倣の泥沼に陥っている人が鳴らすと、
結局、同じ音になってしまう。

このことを肯定的に捉えることがてきる人がいる。
どんなスピーカーであっても、自分の好きな音で鳴らせる、というふうにだ。

Date: 5月 21st, 2021
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(コロナ禍ではっきりすること・余談)

一ヵ月ほど前に、フェイスシールドをつける機会があった。
使い捨てタイプで、文房具、事務機器などでよく知られている会社のモノだった。

かけてみて気づいたのは、この会社にはオーディオマニア、
もしくは音に敏感な人はいないのか、ということだった。

いるのかもしれない。
けれど、この使い捨てのフェイスシールドに関っている人たちのなかには、一人もいないのだろう。

このメーカーのフェイスシールドをして話すと、
自分の声で、フェイスシールドのペナペナの透明なところが部分的に共振する。
そのせいで、自分の声がビリつくように、自分の耳にきこえてしまう。

すべての帯域ではなく、ごく一部の周波数の範囲で共振しているのだが、
ビリついたときは、ほんとうに耳障りで話すのをやめたくなるほどだ。

衛生的にも使い捨てがいいのはわかる。
使い捨てだから、厚みを増したり、素材を変更したりすれば、
価格に反映されてしまうのもわからなくはない。

それでも、このビリつきがもたらす気持悪さはけっこうなものだ。
この会社のひとたちは、誰もそんなふうに感じないのか。

音に関することは軽視されがちなことが多いのを、こんなところでも感じていた。

Date: 5月 21st, 2021
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その69)

オーディオの想像力の欠如した耳では、
聴き手としての冒険、鳴らし手としての冒険も無理である。

Date: 5月 20th, 2021
Cate: background...

background…(ポール・モーリアとDitton 66・別の余談)

ステレオサウンド 43号、ベストバイの特集のなかで、
瀬川先生がセレッションのDitton 66について、こんなふうに書かれている。
     *
 仕事先に常備してあるので聴く機会が多いが、聴けば聴くほど惚れ込んでいる。はじめのうちはオペラやシンフォニーのスケール感や響きの自然さに最も長所を発揮すると感じていたが、最近ではポピュラーやロックまでも含めて、本来の性格である穏やかで素直な響きが好みに合いさえすれば、音楽の種類を限定する必要なく、くつろいだ気分で楽しませてくれる優秀なスピーカーだという実感を次第に強めている。
     *
《仕事先に常備してある》。
この仕事先がどこなのか、ずっと疑問だった。

最初に読んだ時は中学三年だったから、
瀬川先生について、それほどいろんなことを知っているわけではなかった。

どこかメーカーのショールームにあるのだろうか、とまず思った。
一、二年読んでいるうちに、デザインの仕事をやられていたことを知った。
だから、デザインの事務所なのか、と次におもった。

けれど、このころは事務所を構えてデザインの仕事をやられていたわけではないことが、
またしばらくしてわかった。

すると、どこなのか。
Ditton 66が常備してある仕事先?

瀬川先生と親しかったオーディオ関係者に訊いたけれど、わからなかった。
どこだったのか。
長年の疑問だった。

一ヵ月ほど前に、ひらめいた。
あそこだ、池袋の西武百貨店のオーディオ売場のことだ。

瀬川先生は西武百貨店のオーディオ売場で、
定期的に客(オーディオマニア)相手の相談の仕事をされていた。

ここならば、確かに仕事先だし、Ditton 66が常備してあっても不思議ではない。

誰かに確かめたわけではないが、間違っていないはずだ。

ほとんどの人にとって、瀬川先生の仕事先がどこなのかは、
どうでもいいことでしかないのはわかっている。
それはそれでいい。

私がそうじゃないだけのことだ。

Date: 5月 20th, 2021
Cate: High Resolution

MQAのこと、TIDALのこと(その2・補足の補足)

二日前に、Amarra Playを1.26にヴァージョンアップしたところ、
iPhone 12 proとHiByのFC3の組合せで、MQA再生ができなくなった、と伝えた。

二時間ほど前に、1.27が公開になった。
さっそくダウンロードした。

Amqrra Playはあまりアップデートしない。
それがわずかのあいだにアップデートしたということは、
1.26の問題点が解消しているはず、という期待がもちろんあった。

1.27ではMQAの問題は解消されている。
これで寝る前の楽しみが、また味わえるようになった。

Date: 5月 20th, 2021
Cate: 電源

ACアダプターという電源(その2)

ACアダプターとは、いわゆる外付け電源である。
外付け電源といえば、オーディオマニアにとっては、
マークレビンソンのLNP2、JC2が採用したことから、
コントロールアンプの理想の実現のための条件の一つのようにもうつっている。

私も中学生のころは、そう思っていた、というより信じていた。
電源トランスを、アンプ本体と別シャーシーとすることで、
その影響から逃れられる。

けれど少し勉強すればわかることなのだが、
外付け電源にするということは、アンプ本体との接続用ケーブルが必要になる。
このケーブルは外付け電源の設置の自由度を考慮すると、それほど短くできない。

どうしてもある程度の長さは必要となる。
ケーブルは、どんなに良質のものであっても、インダクタンスをもつ。
ケーブルが長くなれば、それだけその値は大きくなる。

マークレビンソンの外付け電源には定電圧回路が内蔵されていた。
定電圧回路の出力インピーダンスは低い。

けれど、それはあくまでも定電圧回路の出力端での値であって、
そこからケーブルを伝わって、別シャーシーのアンプ本体に届くときには、
ケーブルのインダクタンスによって中高域からインピーダンスの上昇が始まる。

電源部とアンプ本体を結ぶケーブルが長くなればなるほど、
インピーダンスの上昇は低い周波数から始まることになる。

つまり可聴帯域において、定電圧回路の出力インピーダンスは、
ケーブル込みのトータルでは、フラットではなくなってしまう。

ではどうすればいいのかというと、ケーブルを短くするのが一つの手である。
マークレビンソンもML6では、かなりケーブル長が短くなっている。
それにマークレビンソンの電源も、途中からリモートセンシングを採用することで、
インピーダンスの上昇を抑えるようになった。

Date: 5月 19th, 2021
Cate: ショウ雑感

2021年ショウ雑感(その16)

今年のインターナショナルオーディオショウが事前予約のみになることは、
しかたないことではある。他に手はない、とも思っている。

それでも今年の開催は、たまたま会場近くを通りかかった人が、
何かやっている、おもしろいかも、とふらっと寄ってくれることはなくなる。

今年の2月、別項「新月に出逢う」で書いているように、
特に用事はなく、有楽町の交通会館の地階に降りたところ、
偶然にも、クラフトアート創作人形展をやっていた。

そこで、Enという人形作家の、Eleanorという作品に出逢えた。

そこで人形展をやっているとは知らなかった。
ただ、たまたま通りかかったから、である。
そうやっていままで知らなかった人形の世界に、わずかとはいえ興味をもつことになった。

実はそのあとにも、丸の内・丸善の四階で開催されていた人形展にも行っている。
書店で人形の本のコーナーも寄るようになった。

もしクラフトアート創作人形展が事前予約のみでしかなかったら、
人形に興味をもつことはなかった。

オーディオに関しても、同じことはあるはずだ。
ふらっと寄ってみて、こういう世界(オーディオ)があるのか、と目覚める人もいるはず。

そういえば、そういう人がいたことを、以前菅野先生からきいている。
その人は、たまたま国際フォーラムの近くを通っていて、
こんなの(インターナショナルオーディオショウ)がやっている、
ちょっと覗いてみよう、ということで、
これもたまたまなのだが、菅野先生が講演をやられていたタイムロードのブースに入られた。

そこで菅野先生の話に感銘を受け、音を聴いて、一式システムを揃えた、という話だった。

こういう人が来場者のうち、どれだけいるのかといえば、ごく少数のはずだ。
それでもこういう人がいるのだ。
幸運な出逢いをする人が、ごく少数であってもいるのは確かなことだ。

しかたないこととはいえ、今回はそういう機会がまったくなくなる。

ここからはどうでもいい余談なのだが、
今年はインターナショナルオーディオショウが開催される、とわかって、
まず思ったのは、まだ発表になっていないが、
東京オリンピックの中止もしくは延期が決ったのではないか──、
そんなことをつい勘ぐってしまった。

ワクチン接種も進んでいくはず。
そこにオリンピック、パラリンピックが中止か延期になれば、
11月ごろにはコロナ禍もかなりおさまっている可能性がある。

Date: 5月 19th, 2021
Cate: ショウ雑感

2021年ショウ雑感(その15)

日本インターナショナルオーディオ協議会が、
11月5日から7日、国際フォーラムでインターナショナルオーディオショウを開催する、
と発表している。

開催の決定。
素直に喜びたい。

開催の実現にあたって、事前予約になるようだ。
そうだろう、と思う。

けれど事前予約にしても、感染防止の対策はそうとうに大変なことになるはずだ。
そのことは協議会の人たちがいちばんわかっていることだろう。

来場者は、入場パスを首から下げて、だった。
ほとんどの人がきちんと守っていたけれど、
この入場パスひとつとっても、ファッションに強い拘りのある人なのだろうが、
こんなもの下げていられない、という人を何人か見ていた。

会場には警備の人たちがエレベーターの前に立っている。
エレベーターから降りてきた人たちが、入場パスを下げているかもチェックしている。

下げていない人がいた。警備の人が、下げてください、といっていた。
けれど、この人は警備の人に悪態をついていた。

残念ながら、そういう人もインターナショナルオーディオショウには来る。
こんな人に、どう対処するのか。

事前予約の予定のようだが、実際にはどうするのだろうか。
予約は日にちだけのなのか、それとも時間まで、となるのか。
そして人気のあるブースとそうでないブースとがあるのだから、
ブースの入場も予約制とするのか。

入場パスは、予約ごとに色分けするのだろうか。
警備の人たちも、例年以上の人数となるであろう。

マスクをずらす人もきっと出てくる。
マスクをしていては音がわからない、という人が絶対に出てくる。

こまかなことをひとつひとつ徹底しなければならないし、
考えられるかぎりのことを挙げて、対処をしていかなければならない。

当然、経費もかかることになる。
発表では、今年の開催も無料とある。
けれど、こういう状況下でも開催なのだから、
学生は無料で、大人からは入場料をとることを考えてもいいように思う。

Date: 5月 19th, 2021
Cate: 情景

情報・情景・情操(音場→おんじょう→音情・その3)

音情は、九年前に作った私の造語なのだが、
ここにきて、音場ではなく音情が、問いを展いていくように感じている。

情報、情景、情操、それに情緒、
そういったものをふくめての音情があってこその問いであり、
音情をもたない(感じない)人は、問いを展いていくことができないのではないのか。

Date: 5月 19th, 2021
Cate: Digital Integration

Raspberry Piとオーディオのこれから(その1)

今日、Raspberry Pi 4(4GB)とAllo社のDigiOne Signatureを譲ってもらった。

これからぼちぼちとRaspberry Piとオーディオのことをやっていく予定だ。
頻繁な更新にはならないと思っている。
思い出したように更新していくぐらいだろう。

「Raspberry Pi オーディオ」で検索すれば、いくつも検索結果が表示される。
どのOSにするのか、どういう構成にするのか、
どういう設定にするのかなどは、そちらを参照してもらったほうが確実だし早い。

私は、感じたことを書いていくだけのつもりである。

昼過ぎに手に入れて、帰りの電車のなかで思い出したことがある。
ラックスのAUDIO OSECHI BOXのことだ。

最初の発表は2018年春だった。
Raspberry Pi搭載のオーディオ機器である。
2019年春にも発表があった。

2020年春に、新たな発表があるのか、と期待していたけれど、
コロナ禍でヘッドフォン祭が中止になったこともあってだろう、何もなかった(はずだ)。

さっき検索してみたけれど、
オーディオ関係のサイトでの記事は2018年と2019年がほとんどだった。
2020年、そして2021年の記事はない、といっていい。

LUXKITブランドを復活させて出す、とまで発表があったのに、
その後、まったく音沙汰なしなのは、コロナ禍のためなのか、
それとも他に事情があるのか。

春のヘッドフォン祭にあわせて発表がおこなわれていたから──、
も理由のひとつなのか。

計画そのものが中止になったのか、それとも継続中なのか。

Date: 5月 18th, 2021
Cate: High Resolution

MQAのこと、TIDALのこと(その2・さらに補足)

夜おそくなると、iPhone 12 proとHiByのFC3を使ってヘッドフォン、
そしてTIDALで音楽を聴くことが多い。

再生用アプリはAmarra Playだ。
TIDALにアクセスできて、MQA(コアデコード)に対応してくれているからだ。
FC3はMQAのレンダラーなので、iPhoneでコアデコードしておく必要がある。

先日、Amarra Playが1.26にヴァージョンアップした。
困ったことにFC3でMQA再生ができなくなってしまった。

音は鳴る。
ただしMQAではない。

Amarra Play(ヴァージョン1.26)が、勝手に96kHzにアップサンプリングしているためだ。
送り出し側で信号処理がされると、MQAはMQAとして再生できなくなる。

Amarra Playには、設定項目にPassthrough MQAがある。
これを使うと、信号処理なしになるのだが、
コアデコードもやってくれなくなるので、FC3でMQA再生ができないことは変らない。

ならばFC3ではなく、ほかの製品に買い替えればすむかというと、
この種のポータブルD/AコンバーターでMQAに対応しているモノの多くは、
MQAレンダラーであるから、症状としてはFC3と同じになる。

Amarra PlayにアップサンプリングのON/OFF機能があれば問題解決なのだが、
1.27で解消するのか、それとも変化なしなのか。

Date: 5月 18th, 2021
Cate: 挑発

スピーカーは鳴らし手を挑発するのか(その4)

その1)を書いたのは2012年7月だから、九年前。
いまになって、タイトルのことを考えている。

「スピーカーは鳴らし手を挑発するのか」というタイトルなのだが、
「スピーカーは聴き手を挑発するのか」にしなかった理由を、
いまごろになって思い出そうとしている。

鳴らし手と聴き手では、微妙に違う。
鳴らし手は、ほとんどの場合、すでに、そのスピーカーを購入している人である。

オーディオを仕事にしていて、自分のリスニングルーム以外で試聴する、
それもスピーカーのセッティングを他人まかせにせずに自分でやる。
その場合も、スピーカーの鳴らし手であるわけだが、
オーディオマニアのほとんどは、オーディオを仕事にしていないわけだから、
鳴らし手という場合、自分のリスニングルームで、自分のスピーカーとなる。

それが聴き手となると、話は少し違ってくる。
聴き手なのだから、何も自分のスピーカーの聴き手とはかぎらない。

オーディオショウやオーディオ店で鳴っているスピーカーを聴く人も聴き手だし、
オーディオの仲間のところにいって、その人の音を聴かせてもらってときも聴き手である。

スピーカーの聴き手とは、誰のスピーカー、どこで、といったことは問われない。
スピーカーからの音を聴いていれば、聴き手と呼ばれる。

「スピーカーは聴き手を挑発するのか」と「スピーカーは鳴らし手を挑発するのか」では、
微妙なところで違ってくる。

おそらく六年前もそんなことを少しは考えていたはずだ。
だから「スピーカーは鳴らし手を挑発するのか」にしたはずだ。