新月に出逢う(その6)
新月だった2月12日に出逢ったEleanorは大きいといっても、
等身大ではない。
等身大ではなかったからこそ、
もしEleanorが等身大だったら──、ということをふと想像してみる。
実際にそういうモノはないのだけれど、一目惚れしたであろうか、とおもう。
どきっ、としたであろう。
それでも欲しい、とまでは思わなかったような気がする。
等身大の、有名人にそっくりの人形といえば、蝋人形がよく知られている。
蝋人形も、いうまでもなく人形である。
蝋人形を見たことがある。
売られているわけではないこともあってなのだが、欲しい、と思ったことはない。
それは蝋人形が、実在の人物そっくりにつくろうとしているからなのかもしれない。
だから、蝋人形は等身大である。
こんなことを考えていると、人間の剥製は人形といえるのかにいきつく。
もしかすると、世界のどこかには人間の剥製が存在しいてるのかもしれないが、
私は見たことがない。
剥製といえば、動物の剥製を何度かみたことがあるくらいだ。
動物の剥製は、等身大であるし、
動物の皮を剥いで、綿などの芯を入れてつくるのだから、
そっくりということでは蝋人形以上なのだが、
剥製を人形として捉える人は、あまりいないのではないだろうか。
こんなことを考えていたら、そういえば、と思い出したのが、
菅野先生の「ぬいぐるみ」(「音の素描」所収)である。