Archive for 7月, 2020

Date: 7月 11th, 2020
Cate: 欲する

偶然は続く(その2)

去年の6月には、KEFのModel 303をヤフオク!で入手した。
探していたわけではなかった。
なのに、ヤフオク!のお探しの商品からのおすすめのところに、Model 303が表示されていた。

安かった。
この価格で落札できるとはほとんど思わず、
でも、この価格で落札できれば嬉しいなぁ、ぐらいの気持での入札だった。

結果は誰も応札してこなかった。
こういうこともあるものだと思っていた。

一年後、同じことをやっている。
やはりヤフオク!のお探しの商品からのおすすめのところに、コーネッタが表示された。
コーネッタを、この価格で落札できるとは思っていなかった。
なのに何人か入札していたけれど、私が最高値ということで、
思わぬ価格での落札だった。

去年は、Model 303のあとに、ヤマハのカセットデッキK1dを、
その後にサンスイのプリメインアンプAU-D607、
さらにテクニクスのアナログプレーヤーSL01と一ヵ月にほぼ一機種のペースで手に入れた。

もちろんすべて中古、ヤフオク!での入手だ。

別項で書いているので簡単に書くに留めるが、
AU-D607をアンプに選んだのは、ステレオサウンド 56号での、
瀬川先生の組合せを自分の耳で確かめたかった、自分で鳴らしてみたかったからである。

今年も去年と同じことをやってしまうのか。
そうだとしたら、次に手に入れるのは何なのか──、
というよりも、次にヤフオク!のおすすめに表示されるのは、なんなのだろうか。

Date: 7月 10th, 2020
Cate: 価値・付加価値

オーディオ機器の付加価値(その10)

私がステレオサウンドにいたころは、
はっきりと賞の効果というのが、売上げに関係している、ときいていた。

ステート・オブ・ジ・アート賞、名称が変ってコンポーネンツ・オブ・ザ・イヤー賞、
これらの賞に選ばれたオーディオ機器は売れる、ということは、
そのころは確かに賞の影響力があった時代だ。

私だって、高校生のころはそうだった。
高校生ではステート・オブ・ジ・アート賞に選ばれたーディオ機器を、
そう次々と購入できるわけではなかった。

なのでベストバイに選ばれている、ということ。
私にとっては、瀬川先生がベストバイに選んでいるオーディオ機器というのは、
ステート・オブ・ジ・アート賞とほぼ同じくらいだった。

あのころは純真だった……、というつもりはまったくない。
「オーディオ機器の付加価値」というタイトルの、この項で書いているくらいである。

AU-D907 Limitedを手にした時は、
限定品であること、ステート・オブ・ジ・アート賞に選ばれたこと、
これらのことを付加価値とはまったく考えなかった。

むしろ価値そのものだ、と受け止めていたところもある。
変れば変るものだ、と自分でも思う。

私も、高校生のころ、40年前とは変ってきている。
オーディオ雑誌の賞のありかたも変ってきた。

1980年代前半までのころのような賞が放っていた輝きは、
すでになくなった、と私は感じている。

どのオーディオ雑誌も年末に賞を発表する。
あきらかに冬のボーナスをターゲットにした企画といえる。

もちろん編集者はそんなことはいわない。
一年をふりかえっての──、というはずだ。

意外に思われるかたもいるだろうが、
コンポーネンツ・オブ・ザ・イヤーは、一時期6月発売の号の特集だった時期もある。
ステート・オブ・ジ・アート賞のころは冬号だったのに、である。
そのころは、冬のボーナスよりも夏のボーナスのほうが消費をもりあげていた。

Date: 7月 9th, 2020
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代(その11)

都内の大きな書店に行くと、
いまでもオーディオコーナーの書棚に「良い音とは 良いスピーカーとは?」が並んでいる。
たしか2013年に出ているから、それでも売れているわけなのだろう。
けっこうなことだと思う。

思うとともに、「続・良い音とは 良いスピーカーとは?」は出ないのか、と思う。

「良い音とは 良いスピーカーとは?」には、
「コンポーネントステレオの世界 ’75」の鼎談が載っている。
岡俊雄、黒田恭一、瀬川冬樹の三氏で、
「オーディオシステムにおける音の音楽的意味あいをさぐる」というテーマで語られたものだ。

この鼎談について、岡先生がステレオサウンド 61号に書かれている。
     *
 白状すると、瀬川さんとぼくとは音楽の好みも音の好みも全くちがっている。お互いにそれを承知しながら相手を理解しあっていたといえる。だから、あえて、挑発的な発言をすると、瀬川さんはにやりと笑って、「お言葉をかえすようですが……」と反論をはじめる。それで、ひと頃、〝お言葉をかえす〟が大はやりしたことがあった。
 瀬川さんとそういう議論をはじめると、平行線をたどって、いつまでたってもケリがつかない。しかし、喧嘩と論争はちがうということを読みとっていただけない読者の方には、二人はまったく仲が悪い、と思われてしまうようだ。
 とくに一九七五年の「コンポーネントステレオの世界」で黒田恭一さんを交えた座談会では、徹底的に意見が合わなかった。近来あんなおもしろい座談会はなかったといってくれた人が何人かいたけれど、そういうのは、瀬川冬樹と岡俊雄をよく知っているひとたちだった。
     *
この鼎談がいまも読めるわけだから、これもけっこうなことだと思っている。
けれど、この鼎談を読んだ上で、読んでほしいと思う記事は、ステレオサウンドにはいくつもある。

たとえばステレオサウンド 44号と45号のスピーカーシステムの総テスト。
この試聴は、単独試聴であり、一人一人が試聴記を書かれている。
それぞれの試聴記を比較しながら読んでいく、という行為。

私は44号、45号の試聴記を読んで数年後に、
「オーディオシステムにおける音の音楽的意味あいをさぐる」を読んでいる。
順序が逆になってしまったけれど、ここでもう一度試聴記を読み返す面白さがあった。

それからHIGH-TECHNIC SERIES-3のトゥイーターの総試聴。
ここでは井上、黒田、瀬川の三氏による合同試聴で、
書き原稿による試聴記ではなく鼎談による試聴記になっている。

これが、まためっぽうおもしろい。
「オーディオシステムにおける音の音楽的意味あいをさぐる」を読んでいれば、
ここでも、そのおもしろさは増してくる。

それだけではない、
「オーディオシステムにおける音の音楽的意味あいをさぐる」のおもしろさも増す。
「続・良い音とは 良いスピーカーとは?」は出ないのか。

Date: 7月 9th, 2020
Cate: ショウ雑感

2020年ショウ雑感(その27)

インターナショナルオーディオショウの中止は予想していたことだけど、
それでも残念に思っているのは、
今年からハーマンインターナショナルが戻ってくるのに……ということだ。

インターナショナルオーディオショウにハーマンインターナショナルが出展しなくなって、
何年になるのだろうか。
OTOTENに出展していた。それでもインターナショナルオーディオショウにも、という気持が強かった。
そういう人は、私と同世代、上の世代には多いことだろう。

しかも、今年はJBLのモニタースピーカー50周年記念モデルが発表される、といわれている。
4343に憧れてきた私は、それだけにハーマンインターナショナルの復帰は嬉しかったし、
今年のショウの中止は、記念モデルを聴く機会がなくなったに近い。

こういう状況だから、
インターナショナルオーディオショウが中止になったからといって、
大々的な試聴会をかわりにやることもできない。

Date: 7月 8th, 2020
Cate: ショウ雑感

2020年ショウ雑感(その26)

やはりインターナショナルオーディオショウも、今年は中止である。
これまでは開催されるのが当り前と受け止めていた。
これからは、どうなっていくのか。

コロナ禍のゆくえ次第では、当り前が逆転することだって考えられる。
それに考えてほしいのは、開催が当り前であるのは、大都市だけのこと、ということ。

インターナショナルオーディオショウに行きたい、と思っていても、
遠くに住んでいる人のなかには無理、という人もいる。

私だって熊本に住んでいたころ、学生だったころ、
オーディオフェアに行きたく行きたくてたまらなかった。

けれど熊本から東京まで往復の旅費、一泊したとして宿泊費、
そんなことを考えると、とうてい無理だった。

だから、当時のオーディオ雑誌のオーディオフェアの記事は、熱心に読んでいた。
読むよりも、写真を熱心に見ていた。

ステレオサウンドは、あのころ二年続けてオーディオフェアの別冊を出してくれていた。

東京にながいこと住んでいると、そんな感覚が失われてしまう。
それにオーディオ雑誌でのオーディオショウの記事も、昔からすると、
かなりおざなりになっているようにも感じていた。

もっともおざなりになっていく理由の一つは、
出展社のスタッフのなかには、覇気がないというか、
マンネリ感が染みついてしまったのか、せっかくの新製品を来場者に紹介しているのに、
何も伝わってこないことも出てきていることにも関係しているかもしれない。

とにかく当り前のことが当り前ではなくなるのかもしれない。
本音をいえば、今年中止になってよかった、と思うところもある。

おざなり、マンネリ、なげやり、そんな空気が漂い始めてきたように感じていたから、
そういった空気が払拭されるかもしれてないと期待するからだ。

Date: 7月 8th, 2020
Cate: TANNOY, 型番

タンノイの型番(その2)

タンノイの同軸型ユニットは、1974年登場のHPDシリーズからは、
ユニット口径をインチから変更した。

それまではモニター15とかモニター12とか、インチだった。
モニター15はHPD385に、
モニター12はHPD315に、
モニター10はHPD295になっている。

15インチ、12インチの型番が385、315になったのはわかるけれど、
なぜ10インチが295なのか、と疑問に思う人もいるだろう。

この295という数字は、フレームの最大外径からきている。
HPD295だけフレームの形状が違うからだ。

いまコーネッタのことを書いているが、コーネッタのスペルはCornettaだ。
英語が堪能な人は、コルネッタ、もしくはコㇽネッタと発音している。

おそらくコーネッタよりも、そちらのほうが正しいのだろう。
でも、ステレオサウンドが企画してうまれたCornettaは、コーネッタでいい。

Date: 7月 8th, 2020
Cate: 世代

世代とオーディオ(実際の購入・その6)

何が、その人の心をとらえるのかなんて、第三者にはわからないことがある。
オーディオ機器だからといって、音が、その人の心をとらえるのかといえは、
いつもそうではなかったりする。

(その5)で書いている人は、確かにオーディオマニアではない。
でも、それはあくまでも、その時点において、である。

この人が4311を購入したのかどうかはわからない。
友人がオーディオ店の店員なのだから、4311のいいモノがあったら、
店員が教えるだろうし、あの勢いだったら、きっと買っているはずだ。

その人にとって、おそらく、4311が最初の本格的なスピーカーなのだろう。
そこから、どうなっていくのか。
オーディオマニアになっていくのか。

4311と4312のユニット構成は、基本的にはいまも同じである。
だからといって、4312を上下逆さまに置いたら、4311になるのかといえば、
そうではない。

逆さまのユニット配置で様になるのは、4311である。
細部を比較していくと、4311と4312は違うところがある。

それでも見た目が、大きく変化している(上下逆転以外は)わけではない。
なのに、パッとみた時の印象は、4311、4312のことを知らない人のほうが、
大きな違いとして認識しているのではないだろうか。

4312と4311、どちらを選ぶのか。
どちらか一組しかスピーカーが持てないという条件であれば、
4312を選ぶけれど、他にもスピーカーを持っていていいというのであれば、4311である。

ここで4311を選ぶ理由は、(その5)の4331をかっこいいといっていた人とほぼ同じだ。

Date: 7月 8th, 2020
Cate: 世代

世代とオーディオ(実際の購入・その5)

ロングランであるために(JBL 4311というスピーカー・番外)」で書いていることだが、
リンクをクリックしない人のほうが多いので、もう一度書いておこう。

中古も扱っているオーディオ店をのぞいていたら、
30代後半くらいにみえる店員と客との会話が耳に入ってきた。
客は店員の友人のようだった。
パソコンの画面をみながら、おおよそこんな会話をしていた。

「これ、かっこいい」
「いいでしょう」
「いい、いい、いくらくらいするの?」
「古いモノだから、けっこうボロボロでよければ四万から五万くらいからな」
「それでもいい、欲しい、かっこいいよ、これ」

ここまで聞いていて、いったいどのオーディオ機器のことなのかあれこれ考えていた。
ヒントはあった。
店員の「逆さまなんだけどね」だった。

あっ、あれかと思った。JBLの4311のことを話しているんだと気づいた。

「新しいモデル(4312)になって逆さまじゃなくなっているけどね」
「こっち(4311)がいい、かっこいい」

この人は、新品の4312と中古の4311、
どちらを選ぶかといえば、はっきりと4311である。

現在入手できる4311のコンディションと、
新品の4312とで、音を比較試聴すれば、4312のほうが現代的ないい音を出してくれよう。

4312Gは、いまかなり売れているそうである。
それでも、この人が気に入ったのは、音ではなく見た目での4311である。

この人の場合、中古の4311を探すことだけが選択肢となる。

Date: 7月 8th, 2020
Cate: 世代

世代とオーディオ(実際の購入・その4)

若い世代の人が、オーディオに興味を持ち始めたとしよう。
それで相談を受けたら、どう答えるだろうか。

若い人でも予算がたっぷりある人もいる。そうでない人もいる。
そうでない人からの相談だとしよう。

いい音が聴きたければ、ヘッドフォン・オーディオがいいよ、とすすめるだろうか。
そうは答えたくないのだが、これも答の一つであろう。

ヘッドフォンもかなり高価になっているとはいえ、
十万円出せれば、かなり高品質のヘッドフォンを購入できる。

ペアで十万円のスピーカーシステムには、いったいどれだけの機種があって、
どれだけの実力なのか。

そしてモノとして、十万円のスピーカーと十万円のヘッドフォンは、
どちらが魅力的であろうか。

それでもスピーカーで聴きたい、という人もいる。
何をすすめるのだろうか。

中古でもいい、といわれたら、どう答えるか。

私はコーネッタを十万円以下で、今回入手できたが、こんなことは稀なことだ。
そうそう誰にでも、同じ機会がやってくるわけではない。

たまたまコーネッタが、ヤフオク!に出品されている。
写真での判断になるが、かなりくたびれている感じがするだけでなく、
ステレオサウンドが出していたSSL1ではなく、
ステレオサウンドの記事をみての自作エンクロージュアのようにも見える。

いくらで落札されるのかはわからないが、
今回のコーネッタだったら、私は入札しなかった。

と、ここまで書いてきて、一つ思い出したことがある。
以前書いたことだ。

Date: 7月 7th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

TANNOY Cornetta(その21)

タンノイは蓄音器的といわれている。

瀬川先生は《電気蓄音器の音と共通の響きであったように思えてならない》と、
「私のタンノイ」で書かれているし、
井上先生は《アコースティック蓄音器を思わせる音》と、「私のタンノイ観」で書かれていた。
どちらも「世界のオーディオ」のタンノイ号で読める。
長島先生も同じことをステレオサウンド 49号、ロックウッドのMajorのところで書かれている。

いまのタンノイがそうだとはいわない。
違うともいわない。
なにしろ、いまのタンノイのスピーカーがきちんと鳴った音を聴く機会がなさすぎる。
インターナショナルオーディオショウでの音を聴いて、
あれがタンノイの音とは思わない方がいい。

電気蓄音器とアクースティック蓄音器とでは、音の印象として違うところもあるが、
郷愁をくすぐるところがあるという意味では、同じことである。

エジソンの蓄音器が日本に最初に入ってきた時には、
蘇音器(機)、もしくは蘇言器(機)と呼ばれていた。

今回コーネッタの音を、じっくりと聴いていて、
私にとっては蓄音器的というよりも、蘇音器的だな、と感じていた。

蘇音器的といっても、エジソンの蓄音器的ということではない。
聴いていて思い起されること、というよりも、思い起こされる音がいくつもあったからだ。

Date: 7月 7th, 2020
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(iPhone+218・その11)

「iPhoneだから、音がいいのではないのか」と考えるようになってきた私は、
いま期待していることがある。

年末までは登場予定のApple Silicon搭載のMacである。
先日のWWDCで、ウワサになっていたARMベースのMacが登場することが明らかになった。

iPhone、iPadに搭載されいてるCPUがMacにも搭載される。

Macに搭載されてきたCPUは、現在はIntel製である。
その前はApple、IBM、Motorola連合によるRISCチップのPowerPCだった。
さらにその前はMotorolaの68000シリーズだった。

Intelも68000シリーズもCISCである。
もっともCPUの専門家によれば、現在のCPUは、
PowerPCが登場したころのように、はっきりとCISC、RISCと分けられるわけではないようである。
CISCであっても、RISCの技術が導入されている、という話を読んだことがある。

とはいえ、大きく分ければCISCとRISCとがある。
iPhone、iPad搭載のARMは、RISCである。

つまりMacは、RISCへと戻る。

パソコンを使って音楽再生に熱心に取り組んでいる人は増えている。
そういう人たちは、再生用アプリケーションは、どれがいいとか、
あれこれ細かいことは実験している。

それでもCPUの違いによって、どれだけ音が変化するのかについては、
IntelとAMDの違いについて書かれたものは読んだことがあるが、
それ以上のことは、CISCとRISCによる音の違いについては、まだ読んでことがない。

「iPhoneだから、音がいいのではないのか」、その根拠の一つとして、
RISCだから、というのが関係しているのどうかがはっきりしてくるかもしれない。

Date: 7月 7th, 2020
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(iPhone+218・その10)

そんなふうにしてiPhoneでも音楽を聴く時間が増えていった最初の頃は、
「iPhoneなのに、音がいい」というふうに思っていた。

そのうちに「iPhoneだから、音がいいのではないのか」、そんなふうに思うようになっていった。

「iPhoneなのに、音がいい」と思っていたころは、
iPhoneでもこれだけの音がするのだから、
オーディオ専用プレーヤーで、デジタル出力をもっているモノならば、
もっといい音がするのではないか、と、
どんな製品があるのかを調べてもいた。

D/Aコンバーターはメリディアンの218を使うことは決っているのだから、
アナログ出力はなくてもいい、デジタル出力だけの専用プレーヤーも探していた。

けれど「iPhoneだから、音がいいのではないのか」と思うようになってきたから、探すのはやめた。

iPhoneはスマートフォンだから、さまざまな機能をもっている。
オーディオ再生には不能な機能のために、不要な部品を搭載している。

それらを悪さをしていて、iPhone内部はノイズだらけなのではないか──、
最初はそんなふうに考えてもいた。

なのに実際に音を聴いていると、
むしろiPhoneはノイズ対策がきちんとなされているのではないのか、そう考えるようになった。

あの小さいボディのなかに、あれだけの機能と性能をおさめている、ということは、
それだけ完成度が高くなければ、さまざまなトラブルが発生するはずだ。

使ってみれば、そんなことはない。
安定した動作をしている。
なまはんかオーディオ専用プレーヤーよりも、良かったりするのではないだろうか。

市販されているオーディオ専用プレーヤーの中には、iPhoneよりも音のよいのがあるだろう。
けれど、デジタル信号を取り出して、218で聴くのであれば、
その差は意外と小さいのではないだろうか。

Date: 7月 7th, 2020
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(iPhone+218・その9)

そういった儀式がなくなければいい、とは考えていない。
それでも、なぜ、そこまで儀式にこだわるのかを自問してほしい、ということだ。

それでも儀式にこだわる人はいるわけで、
そういう人のなかには、iPhoneなんかで音楽が聴けるか! と主張する人もいる。

iPhoneは持ち運べるモノであり、しかもオーディオ専用プレーヤーではない。
スマートフォンの機能として音楽を再生できる。

専用プレーヤーとしての据置型のオーディオ機器で再生することこそ、
オーディオの本来のあり方だ、とこだわっている人からすれば、
外付けのD/Aコンバーターをもってこようと、
iPhoneなんかで音楽が聴けるか! となって当然なのかもしれない。

最初iPhoneを218に接続したとき、
それほど大きな期待をもっていたわけではなかった。

iPhoneと218を接続するには、Lightning-USBカメラアダプタとD/Dコンバーターが必要になる。
すでに書いているように、iPhoneで使えるD/Dコンバーターは少ない。

私が使っているのはFX-AUDIOのFX-D03J+である。
数千円で購入できるモノで、バスパワーで動作する。

Lightning-USBカメラアダプタもオーディオ専用アクセサリーとは、とてもいえない。
D/Dコンバーターも高品質なモノとはいえない。

これらを介してのiPhoneでの音楽再生である。
大きな期待をするほうがおかしいといえるし、
どれだけの実力と、可能性があるのかを自分の耳で確認したかったから、やってみた。

やってみて、侮れない、と感じた。
そう感じたから、FX-D03J+にも手を加えた。

ますます侮れない、と感じるようになった。
iPhoneを機内モードにしてみる。
これだけでも音は良くなる。小さくない音の変化で、
機内モードにするかしないの音の違いは、audio wednesdayでも聴いてもらっている。

さらにaudio wednesdayでは、それまで使っていたアプリをすべて終了させたうえで、
一度電源をオフにして起動しなおして、音楽再生に必要なアプリのみを起動させている。

こうやって聴いてもらうiPhone+218の音に、
「MCD350に戻してくれ」の声があがったことは一度もない。

Date: 7月 7th, 2020
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(iPhone+218・その8)

今年のaudio wednesdayは、
前半の二時間はマッキントッシュのMCD350とメリディアンの218での音出し、
後半の二時間はiPhoneと218の組合せでの音出しをすることが多い。

こんなことを書くと、iPhoneなんかで音楽を聴くなんて……、と思う人はどれくらいいるのだろうか。
アナログディスク全盛時代からオーディオをやっている人ほど、゛
いわゆる儀式を音楽を聴く前に求める傾向にあるのではないだろうか。

私だってアナログディスク全盛時代からオーディオをやっている。
オーディオで音楽を聴く、といえば、
ほぼ100%、アナログディスクをかけて、ということでもあった。

それからCDが登場した。
そのCDでも、最初のうちは、二度かけをやったものだ。
トレイにディスクをセットしてTOCを読み込ませる。
そして一度トレイを開けてもう一度TOCを読み込ませてからの再生。

あるオーディオ評論家(商売屋)は、
この二度かけを言い出したは自分が最初だ、といっている。
けれど、そんなオーディオ評論家(商売屋)が言い出す以前から、
井上先生が指摘されていたことだ。

音楽を聴くのに、儀式は必要なのか。
若いころであれば、必要だった、といえる。
でも、そのころから何十年、オーディオで音楽を聴いてきたことだろう。

儀式がなければ音楽に集中できない──、
なんてのは、オーディオの介しての音楽の聴き手として、まったく成長していない。
儀式、儀式とうるさい人に向っては、そんなことさえいいたくなる。

求めているのは音楽を聴いての感動である。
儀式に酔いしれたいわけではない。

Date: 7月 6th, 2020
Cate: ショウ雑感

2020年ショウ雑感(その25)

11月6日〜8日開催予定だった大阪ハイエンドオーディオショウも、
今年はコロナ禍の影響で中止が発表になった。

驚きはない。
2018年、はじめて大阪ハイエンドオーディオショウに行った。
ホテルが会場ということで、以前の輸入オーディオショウ的だろうと思っていた。
実際にそうだった。

広いブースを使っている出展社もあったが、多くは狭い部屋である。
三密に、どうしてもなりやすい。

だから、やっぱり……、と思っただけである。
むしろ、いつ発表するのだろうか、と思っていた。

開催予定の四ヵ月前に、中止の発表。
インターナショナルオーディオショウも、四ヵ月前あたりに発表があるのだろうか。
あと二週間ほどである。

インターナショナルオーディオショウの会場は、
会議室がベースだから、スペース的には大阪ハイエンドオーディオショウよりもずっと広い。

けれど、それだけ人も多く訪れる。

仮に開催されたとしても、今年は行かないと決めている。