Archive for 12月, 2017

Date: 12月 18th, 2017
Cate: 世代

世代とオーディオ(その16)

エアチェックという言葉が、昔よく使われていた。
(その12)で書いているように、
本来は放送局からの電波が正しく送信されているのかをチェックするから、
エアチェックなのであって、主に放送に携わっている人たちが使う言葉だった。

それがFM放送を受信して録音することに使われるようになっていった。
私が高校生だったころ、エアチェックという言葉は、
オーディオマニアでなくとも使っていた。

電波を受信して録音することをエアチェックといっていたということは、
TV放送をビデオデッキで録画するのも、エアチェックであるわけだ。

その13)で、瀬川先生の別冊FMfanでの発言を引用している。
     *
 最後に一つ、お話しておきたいのは、この前、「週刊朝日」だったかで明治時代の写真を日本中から集めたことがありましたよね。
 要するに、家の中に眠っている写真を何でもいいから、日本中から集めて。そうしたら、しまっていた人でさえ気がつかなかったようなすばらしい資料がたくさん集まったわけですね。
 今エア・チェックでやっていることって言うのはそれに似ていると思うんですよ。一人一人は何気なく自分が聴きたいから、あるいは、そういう意志もなしに、習慣でテープのボタンを押してしまって、録っちゃったみたいなこともある。これだけFM放送がはんらんしてくると、それぞれ、みんな録る番組が違うと思うんですよ。しかし、どこかにみんな焦点が合っている。これから十年、二十年たって、あるいは五十年くらいたって、かつてこんな番組があったのか、誰かこれ持ってないかなと言うときに、ちゃんと残っていたら、これは大変な資料になると思うんです。
 エア・チェックには楽しさの他に、そうした意義があると思う。そこに、エア・チェックのスゴサみたいなものをぼくは強く感じるわけです。
     *
1976年のことだから、家庭用ビデオデッキの普及はまだ先のことだった。
1980年代に入り、ビデオデッキが急速に普及してくる。

まだまだテープが高価だったから、
録画しては消去して、また録画・再生という使い方がよくされていた。

それでも、昔録画したテープを保管している人もいる。
そうやって残っていったテープからの動画が、いまYouTubeにアップロードされている。

まさに瀬川先生が語られていた《エア・チェックのスゴサ》が、
インターネットのおそろしいほどの普及によって、この時代、強く感じられるようになった。

Date: 12月 18th, 2017
Cate: 1年の終りに……

2017年をふりかえって(その7)

一年ほど前に「タンノイがふさわしい年齢」というタイトルで書いている。

今年は「ヴァイタヴォックスがふさわしい年齢」というタイトルで、
一本書こうかな、と思うほどに、
ヴァイタヴォックスのことを考えることが、日常的といえるほどに増えてきた。

Date: 12月 18th, 2017
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(その17)

そんなふうにおもう私でも、今日は楽しかった。
つきあいのながい人たちと観に行ったわけではない。

一人は11月に知りあったばかり。
でも、そんなことはどうでもいいほどに、映画の後の雑談が楽しい。

映画の後に、何を話そうか……、などと考えながら映画を観てもつまらない。
そんな観方はしない。

オーディオで、誰かのところに行って音を聴くということを、
私の方から積極的にしないのは、同じ理由からである。

初対面の人のところに行って、音を聴く。
聴き終れば、当然感想を聞かれる。
これが苦痛になることがある。

なんといおうかと考えながら聴いていては、
中途半端に聴き方になってしまうし、聴かせてくれた人に対して失礼でもある。

それでも、なんといおうかと、言葉につまることも、実際にある。
当り障りのないことでごまかすのも失礼だし、
かといって正直に話すのも……、と憚られることも少なくない。

確認したわけではないが、いっしょに行った二人も、
そんな映画の観方はしていないはず。

そういう三人でも、というか、そういう三人だから、というべきか、
話は盛り上る。

10数年、誰かと映画を観ることはしてなかった。

映画だけでなく、コンサートもオーディオに関係することも、
ひとりでやることが圧倒的に多い。
これからもそうであろう。

それでも、これからは、ひとりで、ということに頑なにならずに、
これからは機会があれば、積極的に誰かと映画を観ることにしよう。

Date: 12月 18th, 2017
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(その16)

映画館で映画を観るようになったのは、小学校の低学年からか。
その時代、東映まんがまつりが、春休み、夏休み、冬休みに上映されていた。
そのあたりから映画館で観るようになって、今日までに何本の映画を観てきたのか、
けっこうな本数を観ている。

子供のころは、親と一緒だった。
けれど中学生ともなると、一人で行く。
一人で観るようになってから、誰かと一緒に観た映画はわずかだ。

思い出すかぎりで、十本に満たない。
映画は一人で行って観るものだ、とおもうようになったのは、
観たいと思った時に、観たい映画を観たいから、である。

そんな私も、今日は三人で観てきた。
先週の水曜日に、観に行こう、ということになった。

こんなことは初めて、である。
いままで誰かと観に行った映画は、当日、「じゃ観に行こうか」という感じだった。

前もって約束して、集合時間と場所を決めて観る。
そんなの当り前だろ、といわれそうだが、
こと映画に関しては、初めてだった。

観終って映画館を出たら、そこで別れるわけではなく、
三人で軽く食べながら飲みながら、映画の話となる。

実をいうと、20代、30代のころは、これが苦手だった。
観終ったばかりの映画について語る──、
なぜ、観終ったばかりの映画について、こんなに語れるのか、
一緒に行った人が語るのを聞いていて、不思議に思うこともあった。

20代終りごろ、ある試写会に行った。
ちょっと変った試写会で、観終った後に、
アンケート用紙に記入させられた。

まわりの人をみると、かなりのいきおいでびっしりと書いている人ばかりだった。
この人たちは、映画評論家を目指しているのか、と思うほどに書いていた。

その姿を見ていて、
この人たちは映画を観ながら、何を書くかを考えていたんじゃないのか──、
そんなことを勝手に思っていた。
もうそうだとしたら、なんとつまらない映画の観方なのだろう、ともおもっていた。

Date: 12月 17th, 2017
Cate: オーディオ評論

「商品」としてのオーディオ評論・考(その8)

その7)に書いている広告代理店とメーカーの、かなりずうずうしいといえる依頼。
こんなことを平気でいってくる広告代理店は、
つまり、それが当り前のように通るものだ、と思っているからだろう。

もちつもたれつなのはわかっている。
完成品でなくとも、プリプロダクツ(量産直前の生産モデル)ならば、まだわかる。
けれど、その時のCDプレーヤーはプリプロダクツともいえない段階だった。

そういうモノを試聴用として持って来ていて、
文句をいれてくる。

オーディオ評論家(商売屋)とオーディオ評論家(職能家)がいる。
オーディオ雑誌の編集者も同じだ。
編集者(商売屋)と編集者(職能家)がいる。

その時の私が、編集者(職能家)だった、とはいわない。
だが編集者(商売屋)ではなかった、とはっきりと言い切れる。

広告代理店の人も同じだ。
商売屋と職能家がいよう。

試作品のCDプレーヤーが、どういう段階のモノなのか、
それすらも理解せずに、ごり押しすれば……、と考えていたのだろうか。
はっきりと商売屋でしかない。

編集者、広告代理店の他にも、いえる。
出版社の営業部の人たちだ。

Date: 12月 17th, 2017
Cate: pure audio

ピュアオーディオという表現(「3月のライオン」を読んでいて・その6)

「やはり将棋そのものを本質的にどこまで分かっているかといわれれば、分かっていないのが実情」

産経ニュースのサイト、今日公開されたページに、そうあった。
永世七冠を手にした羽生善治棋聖のことばである。

なんというタイミングなんだろう、とおもった。
ここ(その6)で書こうとしていたことはあったけれど、
まず羽生善治棋聖のことばを書いておきたかった。

「やはり将棋そのものを本質的にどこまで分かっているかといわれれば、分かっていないのが実情」、
このことばを、
「菅野沖彦の音を超えた」
「瀬川先生の音を彷彿させる音が出せた」
「頂点まで最短距離で登っていった」
これらの言葉を吐いてきた人たちは、どう受け取るのだろうか。

Date: 12月 17th, 2017
Cate: JBL

なぜ逆相にしたのか(その12)

振動モードの位相に関しては、パイオニアのS3000も興味深い。
S3000は1987年ごろに登場した3ウェイのスピーカーシステムで、
最大の特徴は、三つのユニットをフロントバッフルに固定しないところにある。

パイオニアは、この取付方法をフルミッドシップマウントと呼んでいた。
トゥイーターとスコーカーはフロントバッフルの裏に設けられた二枚目のバッフル、
つまりインナーバッフルと呼べる板に取り付けてあった。

もっとも重量物であるウーファーは、
アルミダイキャストの台座を介して底板に固定してあった。

ウーファーの、そのかっこうは、
ウェスターン・エレクトリックの励磁型ウーファーにも似ていた。
ウェスターン・エレクトリックのウーファーは重量がありすぎるため、
フロントバッフルへの固定ではなく、底板への固定であった。

フルミッドシップマウントは、その後もパイオニアのスピーカーでは使われていったが、
いつのまにか消えていった、と記憶している。

確かにフロントバッフルにユニットを取り付けないことで、
フロントバッフルへの加重はほぼなくなるし、
そのことによってフロントバッフルの振動モードは大きく変化する。

もちろんユニットから伝わってくる振動も大幅に抑えられているはずだから、
それによる影響の度合も大きな変化となっているはずだ。

けれど、ここでも井上先生が、ボソッといわれたことをいまでも憶えている。
その11)に書いたことと、同じことだ。

振動モードの位相の在り方が、
フロントバッフルに固定した場合と、そうでない場合とでは変ってくる、ということ、
それにフロントバッフルと底板、フロントバッフルとインナーバッフル、
これらの振動モードの位相が同相であるわけではないこと。

それらすべてひっくるめてのスピーカーシステムの音であること。
このことを抜きにして、JBLのユニットが逆相であったことによる、
一般的な正相との音の違いについて語る(考える)ことは、やめてほしいと、
知ったかぶりの、一部の人たちには強くいいたい。

Date: 12月 17th, 2017
Cate: 瀬川冬樹

確信していること(その28)

ステレオサウンドで働くようになって、
ウェスターン・エレクトリックの真空管の音にふれる機会があったし、
特別なことでもなくなってきていた。

ウェスターン・エレクトリックの300Bよりも、
シーメンスのEdに魅力を感じていた私でも、音を聴けばウェスターン・エレクトリックの300Bだった。

オーディオのベテランほど、ウェスターン・エレクトリックの真空管を高く評価していた。
サウンドボーイの編集長のOさんも、そのひとりだった。

Oさんが話してくれた。

ウェスターン・エレクトリックの真空管の音は、ボケている。
トランジスターアンプのほうが、音の輪郭はボケずに鮮明である。
けれど、ウェスターン・エレクトリックの音は、芯がきちんとあるし、
そこはボケていない。
トランジスターアンプの音とは正反対である、と。

マイク野上さんの、ライカのレンズの話とまったく同じことだ。

ライカで撮った写真にシャープネスをかけると同じことを、
ウェスターン・エレクトリックの真空管のアンプに対してはできないが、
パソコンでのシャープネスという処理を、音の世界では耳(聴き手の頭)で行っているとしたら……。

そしてライカのレンズのボケとは、グラデーションをきちんと捉えている、ということのはず。
だからこそ情報量が多いのではないのか。

「音楽・オーディオ・人びと」の巻頭の瀬川先生撮影の写真、
元の写真をスキャンしてシャープネスをかけたら、どう仕上がるのか。

Date: 12月 17th, 2017
Cate: 瀬川冬樹

確信していること(その27)

サプリーム No.144で、岡先生が書かれている。
     *
 最近、トリオの前会長中野英男さんの「音楽・オーディオ・人びと」という、とてもおもしろい本が出たが、その莞島にのっている中野さんの写真は瀬川冬樹撮影となっている。中野さんの懇望をきいて、最初の手術で退院してやや元気を恢復したばかりの瀬川さんは、しばらくライカを手にしていないから、シャッターの感触をとりもどしたいので、しばらく時間がほしいといい、実際にトレーニングをやったそうである。しかし、むかしのような感触がもどらぬままに撮影しなければならぬことになり、御当人は不本意な出来ばえだといっていたという。仕事についていいかげんなことのできない、またそれを自分に許せなかった瀬川さんらしいエピソードだったと改めておもうのである。
     *
瀬川先生撮影の写真は、もちろん見ている。
岡先生の、この文章を読む前に見ている。

不思議な感じがしたのを憶えている。
瀬川先生にとっては不本意な出来ばえだっただろうが、
それでも、たった一枚の写真であっても、そこから感じられることがあったのも事実だ。

文章も写真も、どちらも視覚情報であっても、伝えてくるものは同じではない。

なんとなくではあっても、瀬川先生が求められていた音は、
こういう音だったんだな、と納得できるものを感じていた。

ライカのレンジは、ボケ味が特長だと、以前からいわれている。
実際にライカのカメラとレンズを使ったことのない私は、
そういうものなんだ、という程度の認識であった。

日本のレンズのほうが、全体的にシャープだということもきいてはいる。

ライカのレンズと日本の優秀なレンズ、
どちらがカメラのレンズとして優れているのかは、私には判断できないが、
先日、マイク野上さんからきいた話は、ひじょうに興味深かった。

ライカのレンズで撮った写真を、Photoshopなどのアプリケーションでシャープネスをかけると、
ものすごく鮮明な写真に仕上がる、とのこと。
その情報量の多さにも、驚くそうだ。

そしてライカのレンズで撮った写真には、芯がある、と。
まったく同じことを、30数年前にきいている。

Date: 12月 16th, 2017
Cate: 1年の終りに……

2017年をふりかえって(その6)

中島平太郎氏が亡くなられていたことは、
友人から知らされた。

ちょうど長電話していたときだった。
友人が驚いた様子で、「中島平太郎さんが亡くなった……」といった。
9日に亡くなっていた、と友人は続けた。

ニュースでは、CDの父とあった。
SNSに中島平太郎氏の死について投稿していた人たちも、
「CDの父」としていた。
確かにそうである。

でも私にとって中島平太郎氏は、SS-G7の人である。
1976年に登場したスピーカーシステムSS-G7は、ソニーとしては異色の存在だったように思う。

SS-Gを傑作とか名器とは思っていない。
でも力作である。

美しいデザインとは思っていない。
けれど堂々としていて、印象に残る。

広告も印象に残っている。
中島平太郎氏が、SS-G7の広告には必ずスピーカーの横に座っての写真だった。
広告の文章も中島平太郎氏によるものだった。

SS-G7は中島平太郎氏の自信作だった、はずだ。

Date: 12月 16th, 2017
Cate: マーラー

マーラーの第九(Heart of Darkness・その8)

12月6日のaudio wednesdayから10日経った。
今日も、気がつくとマーラーの二番の第一楽章を口ずさんでいる。

これまでだってマーラーの音楽は数え切れないほど聴いてきている。
聴いた直後はそういうこともあったが、10日経っても……、ということは今回が初めてだ。

口ずさみながら、いくつかのことを思い出す。
ステレオサウンドの試聴室で聴いたマーラーのことなどを思い出す。

最初にステレオサウンドの試聴室で聴いたマーラーは、
ハインツ・レーグナーの第六番だった。
ドイツ・シャルプラッテンから出ていた。

1981年録音で、1982年に聴いている。
まだベルリンの壁があった時代で、
ドイツ・シャルプラッテンは東ドイツのレコード会社だった。

デジタル録音だった。
まだCDが登場する数ヵ月の前のことだから、LPだった。

その数年後のインバルのマーラーほど回数を聴いたわけではなかったが、
一楽章の途中までとはいえ、くり返しくり返し何度も聴いたマーラーだった。

自分でもマーラーのディスクは、少しずつ買い始めたころだった。
まだ九曲すべてのレコードを持ってはいなかった。

六番はまだだった。
レーグナーのディスクは試聴室にあるわけだから、
聴きたければ、最後まで聴けたわけだが、
一楽章は最後まで聴いたことが一度あるが、
二楽章以降は聴いていない。

私が最初に買った六番は、テンシュテットのLPだった。

Date: 12月 15th, 2017
Cate: 老い

老いとオーディオ(若さとは・その3)

むき出しの才能、
むき出しの情熱、
むき出しの感情、
これらをひとつにしたむき出しの勢いを、
audio wednesdayでの音で出しているのだろうか。

出せているのだろうか、それとも出せなくなったのか。

Date: 12月 15th, 2017
Cate: 菅野沖彦

講演会「菅野録音の神髄」菅野沖彦の人間像に迫る

2018年1月14日、
杉並区の中央図書館の視聴覚ホールにて、
オクタヴィア・レコードの江崎友淑氏による講演会「菅野録音の神髄」が行われる。

申し込みは、直接、中央図書館に連絡とのこと。
詳細は下記のリンク先をお読みください。
講演会「菅野録音の神髄」

Date: 12月 14th, 2017
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(その15)

火曜日は、別項「実感した電源事情」で書いているように、
渋谷のギャラリー・ルデコに行っていた。

4Fで24日まで開催されているSUBTERRANEAN HOMESICKは、
金村修、小松浩子、マイク野上、三人の写真家による展示である。

SUBTERRANEAN HOMESICKで音楽を鳴らしているシステムは、野上さんのモノである。
12日の夜は、野上さんと渋谷で飲んでいた。

ライカの話が出た。
ライカの話をされるときの野上さんの手つきは、
そこにライカのカメラがあるかのような手つきである。
ライカのカメラが、そこにスポッとおさまっているかのようである。

野上さんのライカの話を聞いていて、
瀬川先生の文章を思い出してもいた。
     *
 カメラについて、私の知るかぎり最もその扱いの見事な人は、故人となった木村伊兵衛先生だった。写真に凝ったあげく「ライカ倶楽部」の会員の端くれに入れて頂いた私にとって、木村先生は雲の上のような存在だったが、その木村先生のカメラさばきの見事さについては、いくつもの〝伝説〟が残っている。だが、それを最もうまく言いあてているのは、「まるで呼吸すると同じように」カメラを扱った、という大倉瞬二氏の表現だろう。木村伊兵衛氏が写真を「撮っている」ところを、しかと見た人は少ない。つまり、カメラを「構えた」という感じを周囲の人にまったく気づかせない。首からぶら下げたライカが、時折、顔のところまでスっと引き上げられ、スっと元のところにおさまる。居合抜きもかくやという雰囲気で、確かにそれはもう、呼吸すると同じくらい、身体の一部になってしまっていた。
(「音の味覚学(ガストロノミー)」より)
     *
ライカこそ、そういうカメラなんだ、と野上さんの話を聞きながら思っていた。

楽しい三時間は、あっという間だった。
帰宅して布団の中に入って、ふと気になったことがあった。

iPhoneで「木村伊兵衛」で検索してみた。
木村伊兵衛氏は、1901年12月12日の生れだった。

その場に居合わせなかった人にとって、どうでもいいことなのだろうとわかっていても、
12月12日に、ライカについての野上さんの話を聞けたことは、
私にとっては単なる偶然ではない意味をもつ。

Date: 12月 14th, 2017
Cate: 1年の終りに……

2017年をふりかえって(その5)

「今年をふりかえって」的なことを書き始めたのは、2015年12月からである。
そのころは、一年のうちに登場したオーディオ機器で、気になるモノについて書いていた。

買える買えない、好き嫌い、そんなことを抜きにして気になる製品というのは、
いつの時代にもある。
今年もなかったわけではないが、
目の前に今年のステレオサウンドを一冊も置かず、パッと浮んでくるモノがない。

今年出た四冊のステレオサウンドをパラパラとめくっていけば、
そういえば、この製品もあったなぁ、とか、気になる製品はいくつも出てこよう。

ないと、なかなか思い浮ばない、ということは、
私の記憶力が衰えてきたのか、それほど強烈な印象のオーディオ機器と出合えなかったからか。

それでも最初に浮んできたのは、マンガーのスピーカーシステムである。
アブサートロンが輸入元になっている。

今年のインターナショナルオーディオショウは、アブサートロンのブースには行かなかった。
時間の余裕がなかったこともあるが、マンガーのことを知っていれば、真っ先に行ったのに……。

来年のインターナショナルオーディオショウでの楽しみにとっておける。

マンガー以外では、CHORDのBlu MkIIとPSオーディオのDirectStream Momory Player
どちらもCDトランスポートだ。