Archive for 8月, 2017

Date: 8月 29th, 2017
Cate: 再生音

続・再生音とは……(波形再現・その9)

トリオのプリメインアンプKA9300の広告には、
差信号をスペクトラムアナライザーで周波数分析したオシロスコープの表示も載っている。

これだけの違いを見せられると、
ACアンプよりもDCアンプの優秀性を、鵜呑みにしたくもなる。

KA9300の、この広告には、こんなことも書いてあった。
     *
20Hzのパイプオルガンと10Hzのドラムが同時に演奏されると、パイプオルガンがさきに聴こえる……そんなバカな、音速は周波数にかかわらず一定じゃないか、という声もきかれそうですが、位相回転により時間差が生じた結果なのです。そしてこの位相回転による歪が、いま問題となっている位相差歪です。
     *
こういう書き出しで広告の本文は始まり、
ACアンプとDCアンプの、実際の特性の違いを再生波形の違いで見せる。
説得力はある。

DCアンプの優位性は、確かにある。
ゆえに間違っている、とはいえない。

だが、この理屈でいくならば、真空管アンプは、聴くに耐えない音、
そこまでいうのがいいすぎならば、かなり不正確な音ということになる。

真空管アンプの場合、パワーアンプでも最低でも時定数が二つ以上存在するわけだから、
KA9300の広告にある測定を行なったら、その波形をみたら、
こんなにも……とびっくりするような結果になるはずだ。

ならば真空管アンプはダメということになるかといえば、
むしろ逆に、音楽性豊かな音といわれることがあるのも事実である。

ここでも、別項で引用した菅野先生のマッキントッシュ論を手にとってみたい。
     *
 彼は、こんな実験をしたという。それは、最近よく問題にされるスルーレートに関するものである。「方形波を入れて、それがアウトプットでどういう形になるか。それがアンプの特性を示す一つの目安になることは確かだ」と彼も言う。しかし同時に「現在のような形でスルーレートを取り上げるジャーナリズムのあり方には、大きな問題がある」と言うわけだ。
 彼は、一般のユーザーを集め、方形波のかなり悪いシステムと、かなり良いシステムを比較させ、音楽を聴く上でそれがどれだけの影響を持つかを確めている。彼は言う「たとえばテープレコーダーは方形波がきわめて悪い。磁気ヘッドは本質的に位相特性が非常に悪いから、方形波はめちゃめちゃに崩れてしまう。でも、そういうテープレコーダーで、はたして音楽は音楽でなくなってしまうか。あの波形を見ると、確かにびっくりするほどの波形だが、音楽はちゃんと音楽らしく鳴っているではないか」
 もちろん彼は、エンジニアにとって方形波が非常に重要なものである事は認めている。ただ、現在のジャーナリズムの取り上げ方は本当にアンプの物理的なことを理解していないコンシューマーに対して、「方形波がこうなるということは、あたかも音楽がそういう形になるかのようなすりかえで、アピールしている」これは大変に危険なことだ、と言うのである。
 私はこの考え方を、オーディオの認識のトータルの姿として重要だと思う。これを、単なるガウ氏のデモンストレーションとして受け取ったら、それは浅い。彼自身の意図は、エンジニアリングの立場だけを、一般の人にアピールしたのでは、一般の人たちが神経質になってしまい、オーディオを楽しめなくなってしまう、という事なのだ。それは、ガウ氏が単なるエンジニアではなく、彼自身が音楽好きで、しかもオーディオマニアであるからだろう。もし単なるエンジニアだけだったら、方形波は悪くとも音楽は聴けるではないか、というような事はなかなか言えるものではないと思うのである。
     *
KA9300の広告もゴードン・ガウの言葉にあるよう一種のすりかえに近いことで、
大変に危険な面もはらんでいる。

Date: 8月 29th, 2017
Cate: 広告

広告の変遷(ソニーのこと・その6)

ソニーのMC型カートリッジといえば、私の場合、XL55である。
1970年代後半のMC型カートリッジブームにのって、
国内メーカー各社から、それぞれに工夫を凝らしたカートリッジが登場した。

ソニーは8の字コイルの採用を謳っていた。
XL55の内部構造は、長島先生の「図説・MC型カートリッジの研究」で知っていた。
けれど、肝心の8の字コイルをどうやって巻いていくのか、その説明はなかった。

空芯型の場合、同一磁場における打ち消し電圧が発生する。
たださえ低いMC型の出力電圧がさらに低くなるし、
打ち消しが起るということは、出力電圧の低下だけでなく、
細かな表情をかたちづくっているローレベルの信号も、
打ち消されている可能性があるとみたほうがいい。

その打ち消しをなくすだけでなく、さらに出力を倍加させようというソニーの試みが、
8の字コイルである。

8の字コイルという文字をみたときに、まず考えたのは、
8という数字を、何度も何度も上書きするようにコイルを巻いていく、だった。
こういう書き方(巻き方)をしていくと、8という字の中心、交差する点がどうなっていくのか、
これはすぐに想像できた。

出力電圧を増すためにコイルの巻数を増えば増やすほど、交差点のコイルの厚みが増していく。
そうすれば振動系の動きを妨げることになる。

ではどういう巻き方をしているのか。
それがはっきりとしたのは、1985年になってからだった。
ステレオサウンド 76号のソニーサウンドテックの広告。

ここに8の字コイルの巻き方(ケンちゃん巻き、というそうだ)が公開されている。
8という字を上下で分けて巻く、というものだった。

まず8の字の上の円(コイル)を必要な巻数だけ巻く。
その下に同じように、今度は逆方向に巻いていく。

コイルの巻線は一本であるから、上のコイルと下のコイルのあいだは線が一本だけ。
答を知ってしまうと、なんだぁ、と思ってしまうけれど、
こういう巻き方でも、8の字コイルは出力を倍加できる、という。

オーディオ雑誌に広告は要らない、
広告がオーディオ雑誌をつまらなくしている、と思っている人は少ないが、
私は必ずしもそうとは考えていない。

それにXL55のように、広告で答が得られることもある。
悪いのは(オーディオ雑誌を悪くしているのは)、
広告ではない、出版社の広告営業部である。

Date: 8月 29th, 2017
Cate: 戻っていく感覚

二度目の「20年」(商売屋か職能家か・その1)

この項の最初に、
心の中ではオーディオ少年だ、と書いた。

オーディオマニアは、みなオーディオ少年だった。
少年もいつしか大人になる。

オーディオを仕事としていれば、大人にならざるをえない。
どんな大人になるのか。

商売屋という大人になっていったオーディオ少年、
職能家をめざしていくオーディオ少年、
前者があふれ返っている。

Date: 8月 28th, 2017
Cate: 真空管アンプ

五極管シングルアンプ製作は初心者向きなのか(その16)

以前のステレオサウンドには自作記事もときおり載っていた。
私が最初に買った41号には、上杉先生のKT88のプッシュプルアンプの製作記事、
45号には、このKT88のパワーアンプとペアとなるコントロールアンプの記事があった。

43号では、神戸明氏のスピーカーエンクロージュア(エレクトロボイスのBaronet)の製作記事、
その他にもいくつもの自作記事が載っていた。

41号のKT88のパワーアンプの記事は、
「リアルサウンド・パワーアンプをつくる」と題されていた。
43号のコントロールアンプの記事は、
「最新のテクノロジーによる真空管式ディスク中心型プリアンプをつくる」だった。

どちらも実体配線図がついていた。
シャーシー加工は初めての人、道具が揃っていない人にとっては、
けっこうハードルが高いだろうが、シャーシーはステレオサウンドが限定で販売していた。

なので、あとはハンダ付けを丁寧にやっていくのであれば、
ほぼ同じアンプが出来上る、ともいえる。
決して難しい、とは思わせない製作記事だった。

1980年代、ステレオサウンドにはサウンドボーイという弟分の月刊誌があった。
1981年8月号のサウンドボーイに伊藤先生のEL34プッシュプルアンプの記事が載った。

「伊藤流アンプ指南」とついていた。
副題には、
「誰でも作れそうなアンプの、やさしくない作り方」とつけられていた。
そして「心得篇」となっていた。

全ページカラーで、写真の点数も多い。
三号にわたって掲載されていた。
製作中の写真も多かった。これは有難かった。

いままでにない製作記事のつくり方でもあった。
でも、これは副題には「誰でも作れそうな」とあるが、
どうみても、そうではないことは、すぐにわかる。

Date: 8月 27th, 2017
Cate: ワーグナー

Parsifal(その1)

ワーグナーのパルジファル。
本音をいうと、クナッパーツブッシュ(フィリップス盤)と、
カラヤン(ドイツグラモフォン盤)の二組があれば、私は充分である。

実をいうと、最初から最後までパルジファルを聴いたのは、この二組だけである。
他にもパルジファルのディスクは、いくつも出ている。
そのうちのいくつかは聴いている。
部分的に聴いているだけであり、最初から最後まで聴きたいと思わなかったから、
買うにはいたっていない。

聴いていないパルジファルのディスクの中に、
そこにはこれから発売されるパルジファルのディスクも含まれるわけだが、
いま20代くらいの若造だったら、新しい録音のパルジファルを聴いてやろう、と思うかもしれない。

でも、現実には50を過ぎている。
かといって、クナッパーツブッシュの演奏の中で、
最高のパルジファルを聴いて見つけ出す気力もない。

去年だったか、クナッパーツブッシュのバイロイトでの全録音(フィリップス盤は除く)が、
CDボックスで発売になった。
手頃な価格だった。
手を伸ばしそうに、少しはなった。
手に入れたとしても、それだけでお腹いっぱいになりそうだし、
結局はほとんど聴かずじまいになることは、わかっていた。

そういう態度(聴き方)で、パルジファルの何がわかるのか。
そう問われれば、答に窮するだろう。

何もわかっていないのかもしれない。
いいわけめくが、だからといって、積極的にパルジファルの録音のあれこれを聴いたところで、
いったい何がわかるのか、とも言葉に出して反論しなくとも、そうおもう。

むしろそういったことよりも、ショーペンハウアーを読むことのほうが、
パルジファルの理解には近いようにも感じている。

Date: 8月 27th, 2017
Cate: 再生音

続・再生音とは……(波形再現・その8)

スピーカーから出た音をマイクロフォンで拾い、
その波形とCDプレーヤーからの出力波形とを比較する。

波形が完全に一致していれば、
それは正しい音といえるのか、
正確な音といえるのか、
さらにはいい音といえるのだろうか。

この波形再現の測定方法には、まずマイクロフォンをどこに設置するのかが、
問題になる。

無響室であれば、スピーカーから1m離れたところにマイクロフォンを置くるのが、
測定のひとつの基準となっている。
だが実際の部屋は残響がある。

ならばスピーカーの直近にマイクロフォンを置けばいいのか、
それともあくまでも聴取位置に置くのか。

直近に置くとしても、ではそのあたりにするのか。
フロントバッフルの中心近くなのか、ウーファーの正面なのか、
トゥイーター、スコーカーの正面なのか。
もっといえば点で考えるのではなく、面で考えなければならないはずだ。

波形再現の測定におけるそういったことはひとまず措くとして、
たとえばアンプにおいて入力波形と出力波形を比較することは、
測定条件としては、そういったこまごまとした問題はあまりない、といえる。

実際にメーカーは入力波形と出力波形の比較を行っていた。
DCアンプがメーカーから登場したはじめたころ、1970年代後半、
国内メーカー各社は、広告やカタログで、DCアンプとそれまでのACアンプの周波数特性、
それに位相特性のグラフを示していた。

トリオもやっていた。
トリオはさらに実際の音楽信号を使い、
DCアンプとACアンプの出力との比較写真も広告に掲載していた。
それだけでなく引き算回路を用いて、30倍に拡大した差信号の写真もあった。
KA9300の広告がそうである。

Date: 8月 27th, 2017
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(ヤマハのA1・その12)

ステレオサウンド44号と、そのころ読んでいたFM誌の広告で、ヤマハのA1の登場を知った。
49号のヤマハの広告までの一年ちょっとのあいだに、A1の実機をオーディオ店で見ている。

少しがっかりしたことは、(その6)に書いた通りだ。
その理由のひとつに、三つの正方形のプッシュボタンの精度感のなさである。

私が見た実機は電源が入っていなかった。
灯っていない正方形のプッシュボタンは、色気がなかっただけでなく、
明らかにA1のデザインの魅力を半減させていた。

このころのテレビは、まだブラウン管だった。
液晶のテレビはなかった。

テレビ好きだけど、電源を入れていない状態のブラウン管の色は嫌いだった。
黒ではなかった。
灰色に緑色が混じっている、とでもいうのか、どんよりした陰気くさい感じが、
たまらなくイヤで、だからテレビでのスイッチをオンにしてしまう、
そんな感じさえ受けていた。

ヤマハのA1のブッシュボタンも、それに近い印象を受けた。
実は、この点がマッキントッシュのアンプとの小さからぬ違いだと思っている。

マッキントッシュのアンプも、電源を入れていない状態より入れた方がずっと魅力的なのは当然としても、
電源を入れられるのを持っているかのような感じがするのに対し、
ヤマハのA1は自らの出番を待っているというよりも、後に下がってしまったかのようにも、
少しオーバーに表現すれば、そんな感じだった。

49号のヤマハの広告を先に読んでいれば、
プッシュボタンが灯った状態を見るまで保留しておこう、という考えもおきただろうが、
まだ10代の若造で、そこまで考えも及ばなかった。

Date: 8月 27th, 2017
Cate: 対称性

対称性(その9)

ステレオサウンド 41号掲載の「瀬川冬樹の語るプレーヤーシステムにおける操作性の急所」で、
B&Oのアナログプレーヤーの操作性について触れられている。
     *
 たとえばターンテーブルの形状についていえば、B&Oのベオグラムのように、いわゆるモーターボード(フレーム)とターンテーブルがほとんど面一(ツライチ)の状態にあるものは、レコードを真上から掬いとるような形で持っていくような状態でレコードをかけかえるようになる。少なくともそういう操作をしろということを、機械のデザインが暗に指示するわけです。それ以外の方法では扱いにくい。本質論からいうと、レコードのかけかえというのはどんな手くせの人が、どんな手つきでかけかえようとしてもやりやすいのが一番いいわけで、B&Oなんかは、少し理屈っぽくいえば、あるひとつの姿勢を、そういう手くせじゃない人にも強いるわけだから、そういう意味で本当に客観的に完璧とはいいにくいんです。
 ただ一般的には、ヨーロッパの機械に対する考え方には、ひとつの扱い方を、それを扱う人間に徹底して体にしみ込ませるように指示するというところがあるんですね。たとえばハッセルブラッドなんていとうカメラは、やはりひとつの手くせを自分の手に覚え込ませないと扱いにくい。逆に、ひとつの手くせが自分の習慣のようになると、大変扱いやすい。どうもヨーロッパの機械の設計の伝統の中にそういうことがあるわけです。
 その反対に、アメリカあたりから出てきたいわゆるフールプルーフという考え方は、いろんな手くせの人がどんな使い方をしても扱いやすいという設計ですね。ところが、それをやると今度はすごい無個性なものができる怖れがある。どちらがいいかは別として、設計の思想には二つの基本的な姿勢があるということです。
 ですからB&Oのタイプはひとつの手くせを覚え込まないと扱いにくいけれども、それが身にしみ込んでしまえば扱いやすい。しかし、B&Oに一見似て、ターンテーブルが非常に薄くデザインされているために、レコードのかけかえにひとつの姿勢を強いながら、その姿勢でやってみても扱いにくいという機械が中にはあるんです。これは人間工学的に問題外ですね。そういうところを見分ける必要がある。
 もうひとつの手くせに、プレーヤーの正面からほとんど手を前に並えするような形でレコードをかけかえる方法がある。この形でレコードを持っていってそのつまかけかえる場合には、ある程度ターンテーブルが高い設計の方がかけやすい。このときによく考えられたプレーヤーは、ターンテーブルの直径と、シートの直径・形状がうまく選ばれていて、持っていった手が30センチレコードの一番外側のふちに自然にかかるようになっている。これが、レコードのふちよりもシートやターンテーブルの径が大きいとかけかえにくいわけです。ここは絶妙な寸法が当然あるわけなんだけれど、ターンテーブルの高さも問題になります。
     *
確かにB&OのBeogramシリーズは、両中指の先でレコードをすくいとるような形で、かけかえる。
ここで比較対象としているEMTの930stは、というと、Beogramとは違う形状をしている。
モーターボード(メインデッキ)とターンテーブルは面一ではない。
ターンテーブルはフレームデッキよりも高い位置にある。

ならば、前に並え的なレコードのかけかえができるのかというと、そうではない。
プレクシグラスにフェルトを貼ったサブターンテーブルの直径は、
周囲にストロボスコープのパターンがあるため33cm。
しかもターンテーブルの周囲は、フレームデッキが盛り上っている。

930stの真上からの写真をみればわかるが、
ターンテーブルとトーンアーム、カートリッジとの間に、それほどスペースがない。
加えてサブターンテーブルの大きさがあるから、
Beogramとは大きく違う形状であり、フールプルーフに属するような形状でありながらも、
レコードのかけかえは、B&Oと同じで、ひとつの手くせを指示する。

Date: 8月 27th, 2017
Cate: 再生音

続・再生音とは……(波形再現・その7)

電圧発生器か電力発生器という、カートリッジの分類は、
スピーカーを聴いていても、同じではないかと感じるところがある。

音圧発生器なのか音力発生器なのか。
そんな違いが、古くからのスピーカーを含めて眺めてみたときに、あると感じる。

ここでも波形再現の精度が高いのは、
音圧発生器といえるタイプのスピーカーシステムであることが多い。

音力──、
電気に電圧と電流があって、電力が、その積として存在するように、
音も、音圧だけでなく、音力といえるものが存在するように、感覚的には直感している。

何度か、アナログディスクはエネルギー伝送、CDは信号伝送、
そういうイメージがあることを書いている。

デジタルのハイレゾリューションの方向は、信号伝送メディアとして間違ってはいない。
でも正しい、とは、素直に書けない(思えない)何かを感じてもいる。

何かが足りないのではないか、という感覚が、いまのところ残る。

それが何なのかは、コンピューターのディスプレイに表示される波形だけをみていては、
いまのところわからないもののはずだ。

スピーカーから発せられる音をマイクロフォンで捉えて、
その波形とCDプレーヤーの出力は系とを比較して、波形再現を目指すのは、
オーディオの再生系を信号伝送系として捉えるのであれば、
ここでも間違ってはいない、といえるけれど……、となる。

Date: 8月 27th, 2017
Cate: 再生音

続・再生音とは……(波形再現・その6)

ハイレゾと呼ばれているものは、
いわゆる波形再現の精度を高めていく方向である。

アナログディスク時代、波形再現の精度を高めていく方向は、
ハイコンプライアンス化であった、といえよう。

カートリッジの振動系の軽量化、それに伴う軽針圧化、
針先の形状は丸針から楕円針、さらには超楕円とよばれる形状へ、
トーンアームも軽量化されていった。

その流れのなかで、オルトフォンのSPUやEMTのカートリッジは生きのびていた。
MC型カートリッジのブームが、1970年代の終りに訪れた。

軽量化の中心にあったのは、MM型やMI型であり、
MC型はローコンプライアンス、重針圧に属するモノであった。

SPUの針圧は3gが目安だった。
軽量化を誇っていたカートリッジの針圧は1g台に入っていたし、
1gを切るカートリッジもあらわれていた。

理屈のうえでは、軽量化しやすいMM型、MI型カートリッジのほうが、
音溝の追従性ということでは、重量級のMC型よりも優れている、といっていい。

にも関わらずSPUやEMTのカートリッジは、常に評価されてきたからこそ、
製造中止になることなく、現在に至っている。

MM型、MI型は、いわば電圧発生器である。
MC型は電力発生器である。

電圧なのか電力なのか、この違いは波形再現だけをみていては関係ないことになろうが、
スピーカーから出てくる音を聴くうえでは、無視できないどころか、
大きな違い、本質的な違いでもある。

MM型とMC型の電圧と電力の関係については以前書いているし、
長島先生の「図説・MC型カートリッジの研究」(ステレオサウンド刊)、
その他の方も発言されていることなので、ここではくり返さない。

Date: 8月 27th, 2017
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(ヤマハのA1・その11)

ヤマハのA1のデザインは、A1が登場した時から心にひっかかっていた。
そのこともあってヤマハの当時の広告はしっかりと読んでいた。

ステレオサウンド 49号のヤマハの広告。
A1とA3の広告があった。
となりのページにはCA2000の広告だった。

A1の広告のキャッチコピーは「その灯りは、心はずむ序奏であるだろうか」。
ボディコピーを引用しておこう。
     *
●現代の、光が、あるいは灯りがどんなに氾濫する時代にあっても、思わずはっと心にとまり、思わず、つと心に安らぎをもたらしてくれるような灯りは、そう多くはないといえるかもしれませんが、そうであれば、真四角にほの淡くイルミネートされるA-1やA-3のスウィッチの灯りはアンプデザインのあり方に、あるいは音楽を待つ人の心のあり方に一石を投じたとはいえ、それがすべてではなく、本質的には、新しく価値ある介すと機能からの必然的な顕われです
     *
確かに光が氾濫している時代に、
トランジスターアンプに移行してからの時代は入っていた、といえよう。
だからこそ、真空管のヒーターの灯の意味が増してきた、ともいえよう。

A1のデザインは、国産アンプとしては初めて、灯をデザインにとり入れた、といえる。
マッキントッシュとは違うやり方で、ヤマハはやっている。

けれど、それがマッキントッシュほど徹底したものであったかは、少々疑問である。
菅野先生のマッキントッシュ論をもう少し引用しておく。
     *
 ガウ氏は、この空港で得たヒントを研究室に持ち帰り、徹底的なリサーチを行った。その結果決定されたのが、マッキントッシュのイルミネーションに使われている、ブルーでありグリーンであり、レッドなのである。
 彼の説明によると、ブルーという色は、人間に、少ない光量で視覚的に正確な認識を与えるものとして最も適している。光量が一番少なくていいわけである。要するに、イルミネーションで正確な認識を与えるためには、光量が多ければいい。しかし、それでは結果的にまぶしく、疲れてしまう。最低の光量で、最も正確に認識しうるものが、イルミネーションの基本のはずである。「現に、飛行場のイルミネーションも、この実験から生まれたものだったんだよ」と彼は言う。
 しかし、心理的に、このブルーという色は冷たい感じを与える。「視野の中に入ってきたブルーから冷たい感覚を得ないためには、それにグリーンとレッドを組み合わせること。こういうデータをミシガン大学の研究室で得たんだ」
 たとえばメーターは、最低の光量で見えるべきだ。見てまぶしいようなメーターでは困る。最低の光量で正確に見える色はブルーである。だが、これだけでは冷たい。そのためにグリーンを持ちレッドを持つ。「これが、あのイルミネーションの基本的な考え方なんだ」
 次に、なぜガラスを使ったかなのだが、これについてガウ氏は、「それは単純だよ」と言う。つまり、イルミネーションというアイデアが浮かべば透明なものを使わなくてはならない。考えられるのはアクリルなどのプラスチック類とガラスである。「三つの点でガラスがまさっている。第一に傷に強い。第二に最も純粋な透明度が得られる。第三にフィーリング・オブ・アキュラシー、つまり緻密な精度感を持つ。せっかくいいメカニズムを作っても、そのフィニッシュにアキュラシーなフィーリングがなくては……。それは中味を象徴することになるのだから」
 だが、材質をガラスに決定した事によってイルミネーションのプリントには大変な苦労をしたようである。ピンホールがちょっとでも出来ると、相手が光だからパッと出てしまう。しかもプリントの精度は、1万分の1インチ以上でなくてはフィーリング・オブ・アキュラシーが出ない、と彼は言う。
「とにかく、200種類のインクを分析して実験した。その結果、出来るようにはなったんだが、プリント時の温度は絶対に70度プラスマイナス5度。そして湿度は15%プラスマイナス5%。これを管理しなければならない。実際にこれは、途中で何回やめようと思ったかわからない。でも、思いついたことをやりとげるのが自分達の仕事の喜びなんだ」
 あまり飾らないガウ氏が熱をこめて語るこの言葉は、同時に、彼のマッキントッシュ製品に対する自信のほどを、裏づけるものとも、私には思えたのである。
     *
ヤマハのA1は115,000円のプリメインアンプ、
マッキントッシュは価格帯も上のセパレートアンプ。
そういう前提条件の違いはあることはわかっていても、それでも……、と思うところがある。

Date: 8月 27th, 2017
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(ヤマハのA1・その10)

オーディオに興味をもったときには、アンプのほとんどは半導体アンプだった。
真空管アンプは、ごくわずかだった。いまよりも数としては少なかった。

真空管アンプにはヒーターという灯がある──、
そんなことが当時もいわれていた。

確かに真空管にはヒーターがあって、小さな灯といえる。
けれど真空管アンプのすべてが、ヒーターの灯が見えていたわけではない。

コントロールアンプではまず見えないし、
パワーアンプでも、マランツのModel 9のようにフロントパネルをもつモノは、
まったく見えないわけではないけれど、
マッキントッシュのMC275のような、真空管の灯というイメージとは違ってくる。

それでも、真空管のヒーターの灯が……的なことがいわれていた。
このことは幾分植え付けられた印象なのかもしれないと思いつつ、
ヤマハのA1というプリメインアンプのデザインを、
いまになってあらためて考えることは、
灯をデザインにとり入れるということに目を向けることでもあるように思う。

マッキントッシュのアンプのデザイン、
それはトランジスター化されてからのデザインである。

マッキントッシュの、現在のガラスパネルとイルミネーションを採用したデザインについては、
菅野先生がゴードン・ガウの言葉を借りて、
ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」マッキントッシュ号の巻頭で書かれている。
     *
 おれはデザインについてこう思うんだ。デザインは思いつきや感覚だけで出来るものではないと。最も大切なのはリアリティだよ。君がおれのアンプをきれいだと言ってくれるのは大変うれしい。もちろん、きれいじゃなくては困るんだけど、一番必要なことは、絶対に必然性だ。機械としてのね。
 そこで、アンプの場合には何が最も必要かという事になるのだが、アンプは音楽を聴くためのものだ。音楽を聴く場合には、音楽を聴く人のエモーショナル・レスポンス・フォー・ミュージック──音楽に対する情緒的反応──これが生命だと思う。だからアンプは、エモーショナル・レスポンス・フォー・ミュージックというものを持つべきで、これを大切にしなくてはいけない。そのために何が最もふさわしいかなのだが、おれはそれに対し、イルミネーションが最もふさわしいものだと考えたわけだ。
 次に、それならイルミネーションの色はどうすべきか、という問題になる。
 そんな事を考えながら、ある時、飛行機に乗っていて、それが滑走路へおりて行く時に、おれはタクシーウェイのイルミネーションを見た。これだ、これは絶対にすばらしいと思った。しかも、これはだてや酔狂で、ネオンサインのつもりで色をつけているのではないはずだ。そう思うだろう? 相当リサーチされた結果に違いないんだよ。
 実の所、イルミネーションでいこうと決めた時、その色やデザインについて、おれはミシガン大学の研究室に協力をあおいでいたんだ。(ミシガン大学はデトロイトにある関係もあって、すぐれた自動車デザイン部門を持っている)おれは何をやるにも、まず基本的なスタディからはじめないと気がすまない性格だからね……。
     *
イルミネーションが最もふさわしいと考えた理由がなにかはわからないが、
そこに真空管アンプからトランジスターアンプに切り替ったことが、
まったく無関係とは思えないのだ。

Date: 8月 26th, 2017
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(A&Dのこと)

1987年に、赤井電機が三菱電機グループに加わり、
A&Dという新ブランドが登場した。

AKAI & DIATONEで、A&Dである。
A&DのAはanalog、Dはdigitalという意味も込めている、という説明があった。
ききながら、その程度なのか、と思っていた。

A&Dの製品はあまり話題になることはなかった。
1991年ごろにはA&Dというブランドはなくなった。

アポロン(Apollōn)とディオニュソス(Dionȳsos)。
アポロン的とディオニュソス的。
そういう意味を込めてのA&Dであれば、いまも残っていたかもしれない。

Date: 8月 26th, 2017
Cate: オーディオ評論

「商品」としてのオーディオ評論・考(その7)

そういえばこんなことがあった。

ある国内メーカーがCDプレーヤーの新製品を出した。
けれど完成品(量産品)は、新製品の試聴には間に合わない。
だから試作品で試聴してほしい、という依頼が、広告代理店からあった。

広告代理店といっても、電通や博報堂といった大手のそれではなく、
オーディオだけの広告代理店が、当時はいくつかあった。

取材(試聴)で製品の貸し出しをお願いする際に、
メーカー、輸入元に直接電話することもあれば、
広告代理店を通じて、というのもあった。

国内メーカーのいくつかは広告代理店を通じて、だった。
そのメーカーの、20万円ほどのCDプレーヤーの新製品である。

ステレオサウンドは季刊だから、最新号の掲載を逃せば、
次は三ヵ月後になる。
それでは商戦に間に合わない。
だから試作品にも関わらず、新製品で取り上げてほしい、という強い押しだった。

試作品ということで、内部写真も撮らないでほしい、という制約が、
広告代理店からあった。
しかも1ページの扱いではなく、2ページでやってほしい、という。

かなりずうずうしい依頼である。
当時のステレオサウンドの新製品の紹介ページでは、
1ページの場合は、製品写真のみ、2ページは内部写真の他に、部分にスポットをあてたカットも入れていた。
そういう写真はやめてほしい、写真はこちらで用意する、という。

確かに写真は用意してくれたが、
ステレオサウンドの新製品紹介のページのフォーマットに使えないものばかりだった。

結局どうしたか、というと、内部写真をとって掲載した。
D/AコンバーターのLSIの近くには、ブチルゴムが貼ってあった。
ブチルゴムは、ここだけでなく、何個所に使われていた。
その部分もしっかり撮ってもらい、ブチルゴムが使われていることを説明文にも入れた。

量産機では絶対にしないことを、試作品ではやっていた。
だからこそ、誌面にはそのことをしっかりと掲載した。

本が出て、その広告代理店からクレームという名の文句が来た。
予想通りに文句をいってきた。

Date: 8月 26th, 2017
Cate: オーディオ評論

「商品」としてのオーディオ評論・考(その6)

私が編集部にいた時も、書き直しを頼んだことはある。
けれど、それはメーカー、輸入元に忖度しての書き直しではなく、
でき上ってきた原稿が、あまりにもひどいためである。

時間的に余裕があるときはそういうことができる。
けれど、〆切をすぎて渡された原稿がそうであったときは、
多少は手直ししてもどうにもならないときは、そのまま掲載してしまったこともある。

記事は原稿だけででき上るわけではなく、写真や図も入る。
その説明文は編集者が書く。
そこのところで少しでも、記事としてのクォリティを上げようとする。

一度あったのは、スピーカーのエンクロージュアについて、
ある筆者に依頼した原稿があまりにも酷すぎた。
私の担当ではなかったけれど、担当から「どうにかならないか」と頼まれたので、
写真の説明文において、原稿とは180度違う主張をしたことがあった。

別の編集者が、原稿本文と写真の説明文がまるで違うんですね、ときいていたけれど、
ステレオサウンドが、いままで主張してきたこと、
それにステレオサウンドの読者のレベル、そういったことに対して、
その筆者はまるで認識していなかったから生じたものだった。

それからしばらくその筆者はステレオサウンドには書いていない。

書き直しを依頼したときも、再度上ってきた原稿がたいして変っていなかったこともある。
そのときは、全面的にこちらで書き直した。

そんなことはあったけれど、
くり返すが、メーカー、輸入元に悪い意味での忖度してのそれでは決してなかった。
あくまでも原稿がつまらなかったからである。

けれど現在の忖度は、そうでないことを、
ステレオサウンドの書き手(ひとりではない)から、直接聞いている。