オーディオ入門・考(その16)
その人個人の説をつらぬいたオーディオの入門書は、主観的にならないのか。
オーディオの入門書ならば客観的であるべき──、と考える人はいると思う。
そういう人たちがつくり手側にいるから、あたりさわりのない入門書まがいの本が出てくる。
考えてほしいのは、オーディオの入門書はオーディオの解説書か、ということだ。
解説書であるならば、客観的なことが書けよう、解説書なのだから。
だが入門書は、解説書ではない。
同じ意味では、評論は解説ではない。
評論に客観性を求める人がいるが、
そういう人は評論を解説だと勘違いしているのではないのか。
オーディオ評論とオーディオ解説をいっしょくたに捉えて、
オーディオ評論に対して主観的すぎる、客観的でない、ということ自体がおかしい、と私は思っている。
オーディオのシクミについて分かりやすく解きました──、
それは解説書である。どこまでいっても解説書であって、入門書とはいえない。
入門書とは、オーディオの入門書とは、(その14)で引用している瀬川先生のあとがきにすでに書かれている。
その中の「第二に」のところを.もういちど読んでほしい。
これからオーディオの世界に入ってこようとしている者が、
オーディオという広い・深い趣味の世界を覗くことはまず無理である。
誰かの目を借りて、その広い・深い世界を覗きこむことしかできない。
誰の目を借りるのか。
これは読み手側にとって大事なことであり、
書き手側にとっては読み手の目となることをどれだけ意識しているのか、
そのために大事なことは、その人個人の説をつらぬくこと、それ以外になにがあるのか。