妄想組合せの楽しみ(カラヤンの「パルジファル」・その24)
小林利之氏の文章を読んですぐには、そうとは思えなかった。
カラヤン好きの知人がいて、彼を見ていると、どうにもそうは思えないことも関係していた。
数年後、1987年1月、ウィーン・フィルハーモニーのニューイヤーコンサートにカラヤンが登場した。
それまではマゼールだった。
ボスコフスキーが1979年秋にニューイヤーコンサートを辞退してからの七年間、マゼールだった。
私がNHK中継で見るようになったのも、マゼールの時代だった。
いつまでマゼールなのだろうか、と思いながら見ていた。
そこにカラヤンの、いきなりの登場だった。
このころのカラヤンは相当に体調が悪かったともきいている。
それでもカラヤンは登場している。
カラヤンのニューイヤーは、これ一回きりである。
カラヤンもそうなるとわかっていたのかもしれないし、
ウィーン・フィルハーモニーのメンバーもそう思っていたのかもしれない。
1987年のニューイヤーコンサートから、録音も再開されるようになったし、
毎年リリースされるようになった。
カラヤンのニューイヤーコンサートを聴いて、
小林利之氏の文章を思い出してもいた。
確かに、カラヤンの演奏が、健康な心を持った聴き手のため、ということに、
完全ではないものの同意できるようになった。
カラヤン好きの知人は、そういえばクーベリックはほとんど聴いていなかったなぁ、と思い至った。
小林利之氏は、クーベリックの演奏もカラヤン同様に、と書かれていた。
カラヤンとクーベリックの演奏を、好んで聴く人は、健康な心を持っているのかもしれない。
ならば、ここでの組合せに選ぶアンプも、そういうアンプを持ってこよう。