Archive for 2月, 2017

Date: 2月 14th, 2017
Cate: 快感か幸福か

快感か幸福か(改めて……)

この項の(その1)を書いたのは2008年9月。
かなり時間をかけて書いている。

時間をかけているからといって、書きたい結論に変りはないことのほうが多い。
でも、「快感か幸福か」については、少し迷っている、といえるところが出てきた。

《人は幸せになるために生まれてきたのではない。自らの運命を成就するために生まれてきたのだ》

この言葉を噛みしめていると、
自らの運命を成就したと思える時が来たならば、
そこでの歓喜は、快感なのかと思いはじめたからである。

《神経を昂奮させるアドレナリンを瞬間的に射出》という快感とは別の次元の快感。
それがあるのではないか、と考えた時、結論に迷いが生じている。

Date: 2月 13th, 2017
Cate: 組合せ

スピーカーシステムという組合せ(セレッションSL600・その4)

SL600が登場するころ、イギリスのオーディオ機器にはネクステル塗装が流行っていた。
メリディアンのMCA1やCDプレーヤーMCDなどがそうだった。

SL600もそうだった。
最初は流行っているからなのか、と思ったが、
(その3)で書いたことを試してみて、
実のところセレッションもエンクロージュアの素材であるアルミハニカムの欠点に気づいていたから、
ネクステル塗装にしたのではないか、とも思うようになった。

エンクロージュアの塗装は、音に大きく影響する。
ピアノ仕上げのスピーカーは見映えのためだけではない。
光沢のある仕上げもそうである。

でも個人的には光沢のある仕上げだと、
スピーカーのバッフルに自分の顔が映ってしまう。
これが苦手だ。

音楽を聴いている自分の顔を、私は見たいとは思わない。
中には、音楽に真剣に向きあう己の姿にうっとりする人もいるけれど、
私はそんな人種ではない。

セレッションが私と同じことに気づいてのネクステル塗装を選択したのかはなんともいえないが、
別の塗装であれば、音は違ったものになっているのは確かである。

アルミハニカムは軽くて剛性も高い。
内部にエネルギーを蓄積しないという点では、SL600の開発意図に添う素材である。

アルミハニカムは蜂の巣と同じ構造となっている。
同じ大きさの六角形が隙間なくきっちりと並んでいる。

テクニクスは六角形の大きさを外周にいくにしたがって大きくなるように工夫していたが、
SL600のアルミハニカムはそうはなっていないはずだ。

この構造が軽くて高い剛性を両立させているわけだが、
同時に聴感上のS/N比を悪くもしている。

同じ大きさの六角形とは、同じ大きさの空洞である。
その空洞を塞ぐようにスキン材が両側に張られている。

この空洞を、何かで埋めない限り、
アルミハニカムで良好な聴感上のS/N比を得るのは無理なのではないか。

具体的にはウールのような天然素材を、
すべての空洞に軽く詰めていく。
ぎゅうぎゅうに詰める必要はないばずだ。

これは試してみたかった。
けれどSL600のスキン材をきれいに剥してすべての空洞をうめたうえで、
もう一度スキン材を張ることができるわけがなくて、あきらぬていた。

それでもときどき思い出しては、
アルミハニカムそのものが入手できるのであれば、
SL600と同じコンセプトのスピーカーを自作できるのに……、と、
インターネットで検索をしていた。

Date: 2月 13th, 2017
Cate: 組合せ

スピーカーシステムという組合せ(セレッションSL600・その3)

セレッションSL600のフロントバッフルの下部中央に、ロゴプレートがある。
これは両面テープで貼られている。

このプレートを指で弾いてみると、いい感じの音はしない。
これを外す。

聴感上のS/N比の優れたスピーカーシステムで、
聴感上のS/N比に充分な配慮をしたセッティングをしていれば、
このプレートを外しただけでも、音ははっきりと変る。

もっとも外した理由は音を良くしたいからではなく、
ロゴプレートのデザインに気に入らなくて、視覚的に外したかっただけである。

けれどSL600での変化は予想に反して鈍い。
同じことは他の個所についてもいえた。

ウーファーの周囲には金属製のプレートがある。
これはネジ止めされている。
これも外してみた。

外したSL600はみっともない。
それでも一度は外した音を確かめておく。

ここでの変化は鈍かった。
ここまで来ると、SL600はもしかすると聴感上のS/N比があまり良くないことに気づく。

他にも試している。
ウーファーのプレートを止めている六角ボルトの頭にゴムキャップをとりつけてみた。
レンチが入るところを埋め、ボルトの頭からの不要輻射を抑えるためである。
同じことをトゥイーターのボルトにやる。

これは当時のダイヤトーンのスピーカーシステムに採用されていた手法である。
ダイヤトーンのスピーカーでは、このキャップがあるとないとでは、はっきりと音の変化がある。

SL600は変化しないわけではないが、変化量が小さい。
これは聴感上のS/N比を大きく疎外している要因があるわけで、
それを抑えてみるために(その2)で書いている方法を採った。

この手法を採った上で、もう一度上記のことをくり返し試す。
あきらかに変化量に違いが出てくる。

これはもうエンクロージュアの素材に起因しているものと判断した。

Date: 2月 13th, 2017
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(アマチュア無線の場合)

CQ ham radioというアマチュア無線の専門誌があるのは、ずっと以前から知っていたけれど、
手にとることはずいぶん前からなかった。
けれど最新号(2017年2月号)の特集は、目を引いた。

「深刻化する都市雑音問題 アマチュア無線の受信ノイズ対策を考える」とある。
アマチュア無線とオーディオと同じなのか、といまさらながら思って手にとった。

五本の記事から構成されている。
 都市雑音の正体と対策テクニック
 アンテナでノイズを抑える
 太陽光発電の不要輻射問題の現状
 ノイズ問題から逃れるための8箇条
 ノイズ・キャンセラの選び方

これらの中で、やっぱりそうかと思ったのは、太陽光発電の不要輻射の現状である。
発電した直流を交流にするためのパワーコンディショナーのノイズについて書かれている。
法規制がどうなっているのかについての記述もある。

1970年代は静かだった、という記述に、思わず頷いてしまった。

Date: 2月 12th, 2017
Cate: ロングラン(ロングライフ)

定番(その3)

ラックスのSQ38FD/IIの横幅は47.6cmで、
ウッドケースを脱ぎさったLX38の横幅は44.0cm。
確かにSQ38FD/IIは、現行のLX380の44.0cm(ウッドケースつき)からすれば、
大きいと感じるサイズである。

けれどラックに収まらない、ということはない。
いまどきのラックは横幅48cmのアンプが収まらないのが多い、というのか。

だとしたらアキュフェーズは? と聞き返したくなる。
アキュフェーズのプリメインアンプの横幅は現行製品は46.5cmになっている。
CDプレーヤーのDP750の横幅は47.7cmと、SQ38FD/IIとほぼ同じである。

いまどきのラックには詳しくない。
けれどアキュフェーズのアンプやCDプレーヤーが、
いまどきのラックに収まらない、ということは一度も耳にしていない。

それにラックのサイズにオーディオ機器のサイズを合せるものなのか、という疑問がある。

これを書くにあたり、ラックスの他の製品の横幅を調べてみた。
おもしろいことにLX380だけでなく、コントロールアンプもパワーアンプも横幅は44.0cmに統一されている。

44.0cmに、なにかこだわりがあるのだろうか。
パワーアンプのM900uは、重量48.0kgで、高さ22.4cm、奥行き48.5cmの大型のサイズだ。
それでも横幅は44.0cmである。

全体のプロポーションを崩してまでも、44.0cmの横幅にこだわる理由は、何なのか。
いまのところ見当がつかない。

ラックスはLX380も定番として捉えているのか。
おそらくそうだと思う。
だからこそSQ38Fから続く基本デザインを、LX380でも採用しているのだから。

けれど、そこにズレが生じてしまったように思うのだ。
管球王国のVol.83の傅信幸氏の文章と同じように、受け手とのあいだにズレがある。

Date: 2月 12th, 2017
Cate: ロングラン(ロングライフ)

定番(その2)

定番といえるオーディオ機器をいくつか思い浮べてみてほしい。
私が(その1)で挙げたモノの他にもいくつかあるだろうが、
その中にはアンプは含まれているだろうか。

たとえばサンスイの607、707、907シリーズは何度もモデルチェンジしている。
けれど定番として捉える人もいれば、そうでない人もいるはずだ。
私は後者だ。

AU607、AU707が最初に登場し、
ダイヤモンド差動回路を採用時に、上級機のAU-D907が登場し、
607、707も数字の前にDがつくようになった。

そして限定モデルとしてAU-D907 Limitedが出た。
ここまでは定番となり得るアンプだった。

けれど次のフィードフォワード回路採用の、型番末尾にFのつくモデルから、
定番から外れはじめたように感じた。

ラックスのSQ38はどうだろうか。
1978年に登場したLX38までは、確かに定番といえるアンプだった。

LX38で一旦シリーズは途絶える。
その後、ふたたびシリーズ展開が始まるのだが、
それを以前のように定番と捉えることはできなかった。

いまはLX380があるが、これを定番と捉える人はどれだけいるのだろうか。

管球王国のVol.83の新製品紹介に、LX380が取り上げられている。
傅信幸氏が書かれている。

そこにLX380のプロポーションについての記述がある。
以前のSQ38は横幅があり大きかった。
このサイズのままでは、いまどきのラックには収まらないだろうから、
横幅を短くする必要があった──、そんなふうな説明がなされていた。

こんな説明で納得する人がいるのか。

Date: 2月 12th, 2017
Cate: ロングラン(ロングライフ)

定番(その1)

長期間にわたって売り続けられている製品・商品をロングランとかロングセラーなどという。
オーディオの世界にもロングラン・コンポーネントはある。

オルトフォンのSPU、デンオンのDL103がすぐに浮ぶ。
これらよりも少し新しいところでは、オーディオテクニカのAT33も挙げられる。

スピーカーユニットではフォステクスのFE103がある。
昔はJBLのLE8T、アルテックの755もそうだったけれど、
いまはどちらも製造中止になって久しい。

JBLには4311があった。
4311の後継機として4312があり、昨年70周年記念モデルとして4312SEが出た。

このへんは人によって捉え方が違ってくるのだが、
私の目には4312は4310、4311とは違うスピーカーとしてうつる。
ましてネットワークに変更が加わった4312SEは、4310、4311の流れの外に位置する。

こういうロングランの製品を日本語にすれば、定番だろう。

SPUにしてもDL103にしても、上に挙げたモデルは、
どれもそのメーカーの定番の製品である(あった)。

ここに来て業績が回復しているというニュースがあったマクドナルドは、
少し前までは、ボロボロの会社のような印象で報道されがちだった。

マクドナルドがなぜダメになったのか。
正確なところはわからないが、友人らと話している時にマクドナルドのことが話題になった。
友人らはみな同世代。
10代のころにマクドナルドを初めて食べている世代だ。

みな、あのころのマックはおいしかった、という。
私も東京に出て初めて食べたビッグマックはおいしいと感じた。

それがいつしかおいしいとは感じなくなっていた。
みな同じだった。
年齢も関係しているだろうし、舌も肥えてきたからなのかもしれないが、
それでもあの頃のビッグマックといまのビッグマックは違い過ぎるだろう、とも話した。

記憶のなかだけの比較でしかないのはわかっている。
正確な比較ではない。
それでも、あの頃のビッグマックは、味だけでなく、ボリュウムもあった、
そのボリュウムが、いかにもアメリカの食べ物という印象を与えてもいた。
とみな感じている。

そのボリュウムがなくなってしまったのが凋落の原因だ、と好き勝手に話していた。

ビッグマックはマクドナルドの定番であり、
ビッグマックという定番があの頃のままであったならば……。
マクドナルドの業績の変化は違っていたかもしれない。

もしかするとあの頃のビッグマックといまのビッグマックは、まったく同じなのかもしれない。
けれど変っている、と感じている。

定番が定番にあり続けるためには、まわりの変化に応じての変化が必要であり、
変化を完全に拒否したところでは、定番を定番として維持することはできないのだろう。

Date: 2月 12th, 2017
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(ブームなのだろうか・その1)

モノ・マガジンの2017年2月16日号は、
レコードとハイレゾの仲間たち」がメインの特集となっている。

2月10日のKK適塾でも、川崎先生がモノ・マガジンについて話された。

こういうのを目にすると、オーディオは少しブームになりつつあるのだろうか、と考える。
その一方で、オーディオ雑誌の書店での取り扱いは、それほどいいといえないも感じている。

オーディオ雑誌が雑誌コーナーになくて、書籍コーナーに置いてあるところもある。
雑誌コーナーに置いているところでも、
すべてのオーディオ雑誌が置いてあるわけでなく、
いくつかのオーディオ雑誌は書籍コーナーにのみ置いてある。

以前は平積みされることの多かったステレオサウンドも、
最近では平積みしている書店は減ってきている。
管球王国に関しては、取り扱いをやめた書店が増えている。

この平積みに関しては、こっちが平積みで、これは違うのか、と思うことはあるが、
書店にとって平積みにする本は、私の基準とは違うところにあるのだから。

これは出版不況だけが理由でなく、
オーディオ雑誌は、書店にとって売れ筋ではなくなってきているからなのか。
雑誌コーナーの広さは決っているから、必然的にそこから追い出される本はあるわけだ。

こんな現状が続いているのを見ているだけに、
オーディオがブームとは思えない。
けれど今回のモノ・マガジンもそうだし、昨年もいくつかの雑誌でオーディオが取り上げられてもいた。

出版不況がいわれている時代に、
売れない企画を出版社はやらないだろうから、
オーディオを特集するということは、それなりの部数が捌けるということだろう。
となれば、オーディオはブームになりつつあるのか、とまた思う。

モノ・マガジンを手にする人は、
ステレオサウンドやオーディオアクセサリーなどのオーディオ雑誌を手にする人よりも、
そうとうに多いはずだ。

けれどそこからステレオサウンドやオーディオアクセサリーを読みはじめる人は、
どのくらいいるだろうか、を考えると、
ヘッドフォン、イヤフォンの世界から、
スピーカーの世界に来ない人がいるのと同じなのかもしれない。そんな気もする。

Date: 2月 11th, 2017
Cate: 情景

続・変らないからこそ(その4)

グラシェラ・スサーナの歌で浮ぶ情景に変りがない、ということは、
その情景は、私にとって郷愁なのか。

郷愁ならば、変らぬことに新鮮さを感じたりはしないはずだ──、
と思いつつも、五味先生が書かれていることを思い出している。
     *
 野口邸へは安岡章太郎が案内してくれた。門をはいると、玄関わきのギャレージに愛車のロールス・ロイス。野口さんに会うのはコーナー・リボン以来だから、十七年ぶりになる。しばらく当時の想い出ばなしをした。
 リスニング・ルームは四十畳に余る広さ。じつに天井が高い。これだけの広さに音を響かせるには当然、ふつうの家屋では考えられぬ高い天井を必要とする。そのため別棟で防音と遮音と室内残響を考慮した大屋根の御殿みたいなホールが建てられ、まだそれが工築中で写真に撮れないのが残念である。
 装置は、ジョボのプレヤーにマランツ#7に接続し、ビクターのCF200のチャンネルフィルターを経てマッキントッシュMC275二台で、ホーンにおさめられたウェスターン・エレクトリックのスピーカー群を駆動するようになっている。EMT(930st)のプレヤーをイコライザーからマランツ8Bに直結してウェストレックスを鳴らすものもある。ほかに、もう一つ、ウェスターン・エレクトリック594Aでモノーラルを聴けるようにもなっていた。このウェスターン594Aは今では古い映画館でトーキー用に使用していたのを、見つけ出す以外に入手の方法はない。この入手にどれほど腐心したかを野口さんは語られた。またEMTのプレヤーはこの三月渡欧のおりに、私も一台購めてみたが、すでに各オーディオ誌で紹介済みのそのカートリッジの優秀性は、プレヤーに内蔵されたイコライザーとの併用によりNAB、RIAAカーブへの偏差、ともにゼロという驚嘆すべきものである。
 でも、そんなことはどうでもいいのだ。私ははじめにペーター・リバーのヴァイオリンでヴィオッティの協奏曲を、ついでルビンシュタインのショパンを、ブリッテンのカルュー・リバー(?)を聴いた。
 ちっとも変らなかった。十七年前、ジーメンスやコーナーリボンできかせてもらった音色とクォリティそのものはかわっていない。私はそのことに感動した。高域がどうの、低音がどうのと言うのは些細なことだ。鳴っているのは野口晴哉というひとりの人の、強烈な個性が選択し抽き出している音である。つまり野口さんの個性が音楽に鳴っている。この十七年、われわれとは比較にならぬ装置への検討と改良と、尨大な出費をついやしてけっきょく、ただ一つの音色しか鳴らされないというこれは、考えれば驚くべきことだ。でもそれが芸術というものだろう。画家は、どんな絵具を使っても自分の色でしか絵は描くまい。同じピアノを弾きながらピアニストがかわれば別の音がひびく。演奏とはそういうものである。わかりきったことを、一番うとんじているのがオーディオ界ではなかろうか。アンプをかえて音が変ると騒ぎすぎはしないか。
     *
オーディオ巡礼の一回目、野口晴哉氏のリスニングルームを訪問されたときの文章である。

Date: 2月 11th, 2017
Cate: 川崎和男

KK適塾(オーディオのこと)

KK塾のときは司会はいなかった。KK適塾にはいる。
毎回そうなのだが、KK適塾が始まる前に司会者からの注意事項がある。

そこにはSNSやブログに、内容について書くな、ということがある。
だからKK適塾になってからは、内容については書かないようにしている。

書きたいことはあっても、そういうことである。

1月のときは少し、今回のKK適塾でも、
川崎先生がオーディオについて語られている。
そのことについて書きたいのだが、書くな、という司会者のお達しだから、
このことについても書けない。

Date: 2月 11th, 2017
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(ヤマハのA1・その9)

デザインに強い関心はあっても、デザインについて専門的に学んできているわけではない。
オーディオのデザインについて書きながらも、
どれだけオーディオのデザインを理解しているのか、を自らに問うている。

何かがひっかかってくるデザインのオーディオ機器の場合、
だからそのオーディオ機器単体で、そのデザインについて判断するのではなく、
いくつかの状況においての判断をするように心掛けている。

ヤマハのプリメインアンプのA1は、その意味でひっかかってきたデザインであった。
すでに書いているように、広告で見て、新鮮な印象を受けた。
その後、オーディオ店で実物を見て、精度感のなさに少しがっかりもした。

それでも気になるデザインのアンプであり、
「コンポーネントステレオの世界 ’78」での写真も、
A1のデザインについて考えるうえで、私にとっては重要な一枚だった。

瀬川先生は、以前、ヤマハのデザインはB&Oコンプレックスだ、といわれた。
熊本のオーディオ店でいわれたことだから、A1の登場よりも一、二年あとのことだ。

瀬川先生が、どのヤマハの製品のことを指してだったのかははっきりとしないが、
なんとなく察しはつく。

「コンポーネントステレオの世界 ’78」では、
そのヤマハのアンプがB&Oのアナログプレーヤーの隣に置いてある。
A1の下にはペアとなるチューナーT1がある。

B&Oとヤマハの後方にB&Wのスピーカーがあるというレイアウトだ。
ここでは、ヤマハのアンプとチューナーが浮いている。

B&WのDM5とB&OのBeogram 4002が並んでいるのに違和感はない。
にも関わらずA1とT1は浮いているように感じる。

Date: 2月 11th, 2017
Cate: ワイドレンジ

JBL 2405の力量(その5)

ここでのタイトルは「JBL 2405の実力」ではなく、力量としたのは、
2405を単体のユニットとして使った経験のある方ならばわかっていただけよう。

JBLのスピーカーシステムにおいても、2405の受持帯域は1オクターヴくらいである。
8月3日に行った「新月に聴くマーラー(Heart of Darkness)」では、
カットオフ周波数は約15kHzだから、もっと狭い。
(もっともスロープ特性は6dB/oct.だから単純比較はできないが)

それでも2405があるとないとでは音は、大きく違ってくる。
もちろんどんなトゥイーターであれ、あるとないとでは音ははっきりと違うわけだが、
単に高域のレンジを延ばすだけのトゥイーターだと、
多くの場合、音が薄くなることが生じてしまう。

昔からよくいわれてきたことだ。
トゥイーターの帯域の音だけが薄くなるわけではない。
下の帯域までも薄くなってしまう。

これもよくいわれるたとえなのだが、
餅をのばすと薄くなるのと同じだ、と。

けれど餅のたとえは正確ではない。
いまある餅に別の餅(トゥイーター)を新たにつけているのだから、
もともとある餅をのばしただけではない。

それでもこのたとえが通用するくらいに、安易にトゥイーターをつけると、
そんな印象になってしまいがちだ。

2405だとそういうことがない。
少なくとも私の経験上ない。
もっとも下の帯域にウェスターン・エレクトリックの594Aを使っていたりすれば、
2405でも音が薄くなるということになるかもしれないが、
パーマネントマグネットを使用したユニットを使っているかぎり、
2405をつけ足して音が薄くなる、ということはないのではないか。

もちろん合う合わないという問題は別にあっても、
2405の音(高域)には、芯がしっかりとある。

結局芯のないトゥイーター、そこまで行かなくとも芯がぼやけてしまっているトゥイーターだと、
音が薄くなってしまうのかもしれない。

こういうことをふまえての「2405の力量」である。

Date: 2月 11th, 2017
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(ヤマハのA1・その8)

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’78」に、
ヤマハのA1もスペンドールのD40も組合せに登場している。

どちらも組合せも山中先生によるものである。
D40が登場する組合せは、スピーカーがスペンドールBCIIで、
アナログプレーヤーはリンのLP12にSMEの3009 SeriesIIIに、
カートリッジはオルトフォンのMC20、ヘッドアンプに同じオルトフォンのMCA76。

一昔前のドイツ系の演奏・録音盤を十全なかたちで再生したいというテーマでの組合せ。
メインとなる組合せはQUADのESLのダブルスタックで、
スペンドールの組合せは予算を考慮した組合せである。

カラーページに、この組合せの写真が見開きで載っている。
LP12もコンパクトなプレーヤーであり、D40もコンパクトなアンプ。
写真をみていると、まとまりのある組合せに感じた。

いま改めて見ても、視覚的にもいい組合せである。
D40はお世辞にもデザインされた、とはいえない。
LP12もこのころは電源スイッチが押しボタンで、洗練されているとはいえない。

BCIIも、凝ったデザインのスピーカーシステムではない。

この組合せで際立ったデザインのモノは、SMEのトーンアームぐらいであるが、
このトーンアームが視覚的に浮いてしまっているからといえば、そうではない。
うまく収まっているように感じられる。

うまい組合せだな、といまも思う。
いまも、この組合せを聴いてみたい、と写真は感じさせる。

一方のA1が登場する組合せは、女性ヴォーカルを中心に楽しみながらも、
優れたデザイン感覚を持つ装置を、というテーマである。

こちらもふたつの組合せがあり、A1の組合せは予算を考慮した案である。
スピーカーはB&WのDM5、アナログプレーヤーはB&OのBeogram 4002である。

Date: 2月 11th, 2017
Cate: アナログディスク再生

アナログディスク再生・序夜(その7)

2月1日はかなり寒い日だった。
audio wednesdayを行う喫茶茶会記のLルームは、
イベントが行われない時は使われていないから暖房も入っていない。

セッティングをやっているときに暖房を入れたわけで、
音を出しはじめるころには部屋はある程度暖まっているけれど、
カートリッジの内部まで十分に暖まっているとはいえない。

そのため針圧も、ずっと同じ値で聴いていたわけではない。
鳴らしはじめの針圧、途中で変えた針圧。
しばらく鳴らしていて、カートリッジの内部も十分に暖まったころの針圧は違ってくる。

カートリッジの針圧を、カタログにある値にぴったりと合わせて、
それ以外の針圧で聴くことはしない人がいるけれど、針圧はすぐに変えられるものであり、
己の感覚に合せて、自由に変えていくものである。

そのためには針圧によって音がどう変化するのかを把握しておく必要はある。
あるレコードにはうまく合っていた針圧でも、
音楽の傾向、録音の年代や方法が大きく違うときには針圧を変えたほうがいいこともある。

料理における塩加減のようなものである。
塩は足りなければ足せるけど、多かったら、その料理から取り除くことは無理だが、
針圧は増やすことも減らすことも簡単にできる。

喫茶茶会記のアナログプレーヤーのトーンアームはRMG309だから、
インサイドフォースキャンセラーがついていない。
たいていのトーンアームにはついている。

インサイドフォースキャンセラーも針圧同様、もっと自由に変えてみて音の変化を把握しておく。
基本は針圧と同じ値にすることだが、それが最良の結果になるわけではない。
少し増やしてみたり減らしてみたりする。

それができるのがアナログディスク再生である。

Date: 2月 10th, 2017
Cate: 情景

続・変らないからこそ(その3)

それにしてもグラシェラ・スサーナの歌によって私の心のなかに浮ぶ情景は、
これほどまでに変らないのだろうか。

最初に聴いたのは13歳だった。
それから四十年が経つ。

あのころはシングル盤でも聴いていた。
ミュージックテープ(カセットテープ)でも聴いていた。
LPでも聴いていた。

いまはCDで聴いている。

再生するシステムも大きく、何度も変っている。
鳴ってくる音はとうぜん、あの頃とは違う。

にも関わらず、グラシェラ・スサーナの歌を聴くと、同じ情景が浮ぶ。

歌を聴けば、必ずそうなるわけではない。
同じ曲を、別の歌手が歌ったのを聴いても、グラシェラ・スサーナとおなじ情景は浮ばない。
違う情景が浮ぶ歌手もいれば、情景が浮ばない歌手もいる。

ここで書いているグラシェラ・スサーナの歌とは、日本語で歌われた歌のことである。
日本語だから──、というのは理由にならないのは、
情景が浮ばない歌手の歌もあるからだ。