続・変らないからこそ(その3)
それにしてもグラシェラ・スサーナの歌によって私の心のなかに浮ぶ情景は、
これほどまでに変らないのだろうか。
最初に聴いたのは13歳だった。
それから四十年が経つ。
あのころはシングル盤でも聴いていた。
ミュージックテープ(カセットテープ)でも聴いていた。
LPでも聴いていた。
いまはCDで聴いている。
再生するシステムも大きく、何度も変っている。
鳴ってくる音はとうぜん、あの頃とは違う。
にも関わらず、グラシェラ・スサーナの歌を聴くと、同じ情景が浮ぶ。
歌を聴けば、必ずそうなるわけではない。
同じ曲を、別の歌手が歌ったのを聴いても、グラシェラ・スサーナとおなじ情景は浮ばない。
違う情景が浮ぶ歌手もいれば、情景が浮ばない歌手もいる。
ここで書いているグラシェラ・スサーナの歌とは、日本語で歌われた歌のことである。
日本語だから──、というのは理由にならないのは、
情景が浮ばない歌手の歌もあるからだ。