Archive for 5月, 2016

Date: 5月 24th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その38)

ステレオサウンド 47号の「続・五味オーディオ巡礼」に関してはまだまだ書きたいことがある。
満足いくまで書いていたら、次(48号以降)に進めない。
それに「続・五味オーディオ巡礼」に関しては、まとめて書きたいことがあるので、
いつかあらたに書く予定だ。

48号にうつろう。
表紙はEMT・930stだ。
真上から撮ったカットであり、
930stがあらわしているように、48号の特集はアナログプレーヤーである。

タイトルは「ブラインドテストで探る〝音の良いプレーヤーシステム〟」。
ページ数も多い。

試聴方法もただ単にブラインドフォールドテストということに満足していない。
編集部が、ブラインドフォールドテストを復活させるとともに、試行錯誤がそこにあるようにも感じた。

試聴はかなりの手間だったと思う。
けれど、48号がそれまでのステレオサウンドと同じように読めたかというと、違った。

知りたいことが、伝わってこない感じがしていた。
これだけのことをやっているのだから、48号は面白いはず……、そう思い込もうとしていた。

その「知りたいこと」が自分でもはっきりとしないまま、48号を、それでもくり返し読んだ。
その意味では、私の中で決着のついていない号が、48号である。

Date: 5月 24th, 2016
Cate: the Reviewの入力

the Review (in the past)を入力していて……(オーディオテクニカの広告)

スイングジャーナル 1972年7月号(6月発売)のオーディオテクニカの広告
トーンアームのAT1009の広告であり、これだけならば、ここで取り上げることはしなかった。

広告右側の欄外に、《沖縄の皆様へ》とある。
続けて沖縄のオーディオ店名と住所が書かれている。

このオーディオ店を通じて、オーディオテクニカの全製品が沖縄で購入できるようになった、という報せだ。

沖縄返還は、1972年(昭和47年)5月15日であったことを思い出させてくれた。

Date: 5月 23rd, 2016
Cate: innovation

2016年に考えるオーディオのイノヴェーション(その2)

オーディオ最後のイノヴェーションとなるのは、スピーカーであろう、
とは多くの人が考えるところのはず。

ステレオサウンド 50号「2016年オーディオの旅」に登場するスピーカーには、
いわゆる振動板にあたるものがない。

そのスピーカーについては、こう書かれている。
     *
 書棚の反対側は壁面となっていて、壁の左右には奇妙な形をした装置がひとつづつ置いてあった。その装置は、高さが2m暗いのスタンド型をしており、直径80cmくらいの太いコイルのようなものが取り付けられていた。スタンドの床に接する部分は安定の良さそうな平たい足になっており、カバーが一部外れて、電子装置のパネルのようなものが顔を覗かせていた。不思議なことに、この装置の他には再生装置らしきものは何も見えなかった。
     *
これが2016年のスピーカーであり、ポールの中心部の複雑なアンテナ状のところから、
ごく短い波長の電波を出し、周囲の空気を磁化することで、
コイルに音声信号を流すことで磁化された空気が振動する、というものである。

空気の磁化。
これが可能になれば、このスピーカーは実現する。
長島先生は、このスピーカーの変換効率を、
50mWの入力で、1mの距離で100dB SPL以上とされている。
2016年では、20Wでもハイパワーアンプとなっている。

このスピーカーの音は聴きたい。
いまでも空気をイオン化させて音を発するスピーカーはある。
トゥイーターだけではあっても、その音は聴いたことがあるものの、
全帯域となると、どうなるのか。そう簡単に想像できない。

1980年代、フランスのオーディオメーカーが、
全帯域をイオン型でカバーしたスピーカーを発表している。
当時アクースタットの輸入元であったファンガティの広告に、そのスピーカーは載っている。

けれどほんとうに発売されたのか、そこから後の情報はまったく入ってこなかった。

いわゆる振動板をもたないスピーカーは、昔から多くの人が考え挑戦してきている。
YouTubeでも、検索してみると、いろんな人がいまも挑戦していることがわかる。

いつの日か、振動板をもたないフルレンジのスピーカーが登場するであろう。
でも、それがオーディオ最後のイノヴェーションとなるのだろうか。

オーディオ最後のイノヴェーションは──。
2016年のいま、私が考えるのはリスニングルームであり、
そのリスニングルームをコントロールする機能としての「コントロール」アンプである。

Date: 5月 23rd, 2016
Cate: innovation

2016年に考えるオーディオのイノヴェーション(その1)

「2016年に考える」としたのは、
古くからのステレオサウンドの読者ならばわかってくれよう。

1979年3月に発売されたステレオサウンド 50号には、
創刊50号記念特集 オーディオ・ファンタジーとして、
長島先生の「2016年オーディオの旅(本誌創刊200号)」が載っている。

小説仕立ての「2016年オーディオの旅」の主人公はN氏。
ある朝、目が覚めると2016年にタイムスリップしているところから始まる。

37年先の未来について、書かれている。
読みながら、こういう未来が来るのだろうか。
来るとしたら2016年くらいなのか、もっともっと先なのか……、
そんなことも考えながら読んだ。

2016年に鳴っているであろう音を想像しながら、読んでいた。
こういう企画は、誰にでもできるというものではない。

あと数ヵ月でステレオサウンド 200号が出る。
200号に、「2041年オーディオの旅(本誌創刊300号)」が載るだろうか。
誰か、書ける人がいるだろうか。

1979年当時、夢中になって読んだ「2016年オーディオの旅」だから、
このタイトルにしたわけだ。

「2016年オーディオの旅」で書かれていることがどれだけ実現しているのか。
そこまで到っていないこともあれば、はるかに進歩していることもある。

5年くらい先のことなら、予測がそう大きく違ってしまうことはなくても、
20年以上先のこととなると、誰が予測できるだろうか。

それでも2016年のいま、
これから先、もしオーディオになんらかのイノヴェーションがあるのならば、
オーディオにおける最後のイノヴェーションとなるのはなんなのか。
そのことについて考えてみたい。

Date: 5月 23rd, 2016
Cate: マッスルオーディオ

muscle audio Boot Camp(その12)

スピーカーの振動板はアンプからの信号によって振動する。
この振動によって発電もしている。

フレミングの法則からいっても、そうである。
そうやって起る電気のことを逆起電力という。

この逆起電力がスピーカーの音に影響を与えている。
そのため逆起電力をアンプ側で吸収するために、
パワーアンプの出力インピーダンスは理想をいえば0(ゼロ)でなければならない、
ダンピングファクターは高くなければならない──、
そういったことが昔からいわれている。

いまもダンピングファクターの値を気にする人が少なくないのに、驚くことがある。
数年前のインターナショナルオーディオショウの、とあるブースでオーディオマニアが、
ブースのスタッフと会話されているのが聞こえてきた。

ダンピングファクターに関する内容だった。
かなり高価なアンプを使われていること、オーディオのキャリアも長いことがわかる。
だから、この人でも、いまだにダンピングファクターの値にとらわれているのか、と驚いた次第だ。

話はさらにスピーカーの能率とダンピングファクターと関係に進んでいった。
その話の最後がどうなったのかは知らない。
私は、そのブースで見たいモノを見て、すぐに出ていったからだ。

スピーカーの逆起電力は、オーディオに興味を持ち始めたばかりのころ、ないのが理想だと思っていた。
でもスピーカーの動作原理上発生するものだから、なんとかキャンセルできる方法はないものだろうか。
そんなことを考えていたこともある。

でも逆起電力をなんらかの方法で完全にキャンセル(打ち消す)ことができたとしたら、
スピーカーの動作はどうなるのだろうか。

モーターを使った実験がある。
乾電池をつなげばモーターは回転する。
乾電池を外せばモーターはすぐに止るからといえば、しばらく廻っている。

ではモーターを瞬時に止めるにはどうすればいいか。
モーターをショートさせる。するとモーターはぴたりと止る。
つまりモーターが発生させている逆起電力によってブレーキをかけるからである。

スピーカーのインピーダンスをアンプの出力インピーダンスで割った値がダンピングファクターだから、
ダンピングファクターが高いということは、アンプの出力インピーダンスが低いということである。
ダンピングファクターが高ければ高いほど、出力インピーダンスは0に近づく。
0Ωでショートされる状態に近づくことになる。

Date: 5月 22nd, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(ブームだからこそ・その4)

アナログディスク復活というブームとともに、
ハイレゾもブームになりつつある。

ハイレゾ(ここではあえて、このハイレゾを使う)とは、
サンプリング周波数および量子化ビット数のどちらかが、
CDのスペックである44.1kHz、16ビットを超えていれば、そうみなされる。

つまりサンプリング周波数はCDと同じ44.1kHzであっても、24ビットであれば、ハイレゾとなる。

サンプリング周波数が44.1kHzということは、20kHz以上の音は録音・再生できないため、
20kHz以上の信号を記録・再生できるアナログディスクも、ハイレゾ扱いされつつある。

ここで考えたいのは、東洋化成でカッティング・プレスされるアナログディスク。
つまりカッティングマスターがCD-Rのアナログディスクの場合である。

CD-RはCDと同じサンプリング周波数、量子化ビット数(44.1kHz、16ビット)である。
つまりアナログ録音のマスターテープに、仮に20kHz以上の信号が記録されていても、
CD-Rに記録するために44.1kHz、16ビットでデジタル変換する。

そうやってつくられるアナログディスク(AADAのディスク)を、ハイレゾ扱いすることは、
理屈のうえで間違っている、といえる。

周波数特性だけで音のよさは決定されるわけではない。
CDは20kHz以上が出ないから音が悪い、といわれがちだが、
FM放送が盛んだったころを思い出してほしい。

ライヴ中継の音の良さを思い出してほしい。
FM放送はアナログだが、高域は20kHzまで出るわけではない。
チューナーにもよるがたいていは15kHz、もう少しのびているモノでも16kHzあたりが限度である。

これはひとつの電波でステレオ放送を可能にするために、送信時に一旦ステレオの合成波にして、
受信時にチューナーの内部で、元のステレオ(2チャンネル信号)に分離される。
このために必要なのがパイロット信号で、この19kHzの信号がいわば目印となり、
まちがえることなく分離できるわけである。

つまりチューナーでは、パイロット信号を取り除くためのハイカットフィルターがある。
このフィルターかあるためチューナーの周波数特性はそれほど上にのびているわけではない。

にも関わらずライヴ中継を一度でも聴いたことのある人ならば、
高域の美しさは、周波数特性とは直接的には関係ないことを実感している。

だからアナログディスクの音の特質は、別のところにあると私は考えている。

Date: 5月 22nd, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(ブームだからこそ・その3)

CDが出はじめたころ、DDD、ADD、AADという表記がついていた。
Dはデジタル、Aはアナログのことで、
DDDはデジタル録音、デジタルマスタリングによるCD、
ADDはアナログ録音、デジタルマスタリングによるCD、
AADはアナログ録音、アナログマスタリングによるCD。

アナログディスクにはこの種の表記はなかったけれど、
アナログディスクにもアナログ録音のものとデジタル録音のものとがあるから、
AAA、DAA、DDAとやろうと思えば可能だ。

ではDAD(デジタル録音、アナログマスタリングによるCD)と、
ADA(アナログ録音、デジタルマスタリングによるアナログディスク)はあるのか。

理屈でいえば余計な変換が入るだけに音質劣化が予想され、
こんなことをやるレコード会社はないように思えるし、
得られる結果も決して良好ではないだろう、と思われるが、
実際にはCBSソニーは、ブルーノ・ワルターのLPをADAで出したことがある。

CDでも、一旦アナログに戻してマスタリングをして、
もう一度デジタルに変換して制作されたアルバムがある、と聞いている。

いま東洋化成で行なわれていることは、ADAなのか、といえばそうではない。
カッティングマスターテープがつくられる前にマスタリングは終っているのだから、
AAAであるといえるのだが、CD-Rで持ち込まれるため、AADAというべきだ。

東洋化成がなんらかのテープデッキを導入してくれれば、AADAのDはとれる。

現在東洋化成にアナログディスクのカッティング、プレスを依頼するレコード会社のすべてが、
CD-Rでカッティングマスターを持ち込むわけではない。
アナログということにこだわりと誇りをもっている会社は、
カッティングマスターといっしょにテープデッキも持ち込む、ときいている。

けれどそこまでやる会社はどれだけあるだろうか。
ここまでやっている会社でも、すべてのアナログディスクでそうするわけでもないと思う。

アナログディスクのAADAは、いま流行りのハイレゾにも関係してくる。

Date: 5月 22nd, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(ブームだからこそ・その2)

アナログディスク復活と騒がれている。
確かに売上げは伸びているようだ。
でもそれだけで復活とか、ほんとうのブームだとか、そうは考えたくない。

実態はどうなのだろうか。

いま日本でアナログディスクのプレスができるのは東洋化成、一社だけである。
数が少ないから、そう考えているわけではない。

10年くらい前に、オーディオ関係者の人から聞いたことがある。
東洋化成にはカッティングマスターテープを再生するデッキがない、ということと、
カッティングマスターにはCD-Rが使われることが大半だ、ということを聞いた。

10年くらい前は、その人だけの話だった。
その数年後にも、別の人から、やはり同じことを聞いた。

この人たちのことを信用していないわけではない。
でも、CD-Rがカッティングマスターとして使われている、ということは、
なんと表現したらいいんだろうか、ある種の裏切りともいえるのではないか。
そう思うと、自分の目で確認して書くべきことだと思って、
固有名詞を出して、このブログに書くことは控えていた。

それにアナログディスク・ブームとかいわれるようになって、
東洋化成の業績も、話を聞いたころよりもよくなっているだろうから、
いまではCD-Rではなくて、デッキも導入しているだろう、という期待もあって書かなかった。

カッティングシステムは、カッティングマスターを再生するデッキ、
カッティングへッド、これをドライヴするアンプ、カッティングレース、コントローラーなどから成る。

例えば1970年代ごろのビクターは、カッティングシステムを五つ用意していた。
テープデッキにスチューダーA80、アンプにEL156パラレルプッシュプル、出力200Wのモノ、
カッターヘッドはウェストレックスの3DIIAのシステムがひとつ。
このシステムはおもに大編成のオーケストラ、声楽、オルガン曲に使われたそうだ。

デッキはスチューダーA80、アンプはノイマンSAL74(出力600W)、カッターヘッドはノイマンSX74。
このシステムではロック、歌謡曲、ソウルを。

スカーリーの280デッキに、EL156パラレルプッシュプルのアンプ、カッターヘッドはノイマンSX68。
ピアノ・ジャズ、小編成のオーケストラに使用。

アンペックスのデッキにビクター製、出力300WのトランジスターアンプにノイマンSX74カッターヘッド。
これもロック、歌謡曲、ソウルに使われていた。

スカーリーの280デッキに、オルトフォン製出力800WのGO741アンプに、オルトフォンのカッターヘッドDSS731。
これは室内楽に使われた。

何も同じ規模のシステムを東洋化成も揃えるべきだとは思っていない。
だがスチューダーA80かアンペックス、スカーリーのオープンリールデッキを置こうとは考えないのか。

アナログディスク全盛時代はテレフンケンのM15Aも使うレコード会社もあった。
これらすべてを揃えることができたらいいけれど、
何かひとつ、できればヨーロッパ製とアメリカ製のデッキ一台ずつ導入する気はないのだろうか。

Date: 5月 21st, 2016
Cate: Digital Integration

Digital Integration(本とiPhoneと……・その2)

その本とは、「羊と鋼の森」だ。
川崎先生の、今日のブログに登場している。

「羊と鋼の森」を買った。
「羊と鋼の森」が置かれていたとなりのコーナーに「音に出会った日」が平積みになっていたのが、目に留まった。

この本のタイトルが「音楽に出会った日」だったら、手にとらずにレジに向っていた。
けれど「音に出会った日」である。

帯に書かれている文字を読む、裏表紙の文字も読む。
あの人なのか、と気づく。

2014年、YouTubeに人工内耳の手術を受けた女性の動画が公開されていた。
なにかの記事で知り、その動画を見たのだった。

この人が音楽を聴いたら……、その動画をみて思っていた。
「音に出会った日」には、知りたかったことが書かれている。
本人の手で書かれている。

「音に出会った日」の目次だ。
 わたしの耳
 風船と羽根
 金属の箱
 おじいちゃんの5ペンス硬貨
 レコードの聴き方
 病名
 看護師になる夢
 祖父との別れ
 上着の横縞
 辞表
 写真を見る時間
 盲導犬がやってきた
 職場復帰
 手術室へ
 音に出会った日
 はじめての音楽
 テレビ出演
 あたらしい役割

「音に出会った日」があり、次に「はじめての音楽」がある。
何が書かれているかは、あえて書かない。

思うのは、YouTubeにアップされた動画をみればわかるが、
スマートフォンによるものだとわかる。

この動画が撮られてなかったら……、
YouTubeがなかったら……、
もっといえばインターネットがなかったら……、
「音に出会った日」は出版されなかったであろう。

ここでもスティーブ・ジョブズの言葉を思い出す。
コンピューターは個人の道具ではない、と。
個人と個人をつなぐための道具である、ということを。

世界初のウェブブラウザであるWorldWideWebは、NeXTSTEPによって開発されていることも併せて。

Date: 5月 20th, 2016
Cate: Digital Integration

Digital Integration(本とiPhoneと……・その1)

その本のことは知っていた。
電車に乗っていると、さまざまな広告が目に入る。
つい最近まで、その本の広告が貼ってあった。

読んだ人の短い感想がいくつかあるタイプの広告だった。
この手の広告はいつから始まったのだろうか。
本の広告では、よく見かけるものだ。

中にはうさんくさい感想ばかりがずらずら書いてある広告もけっこう多い。
でも、その本は、その手の本ではなかったことは、広告から伝わってきていた。

機会があれば……、と思っていたら、
少し忘れかけていた。
そんなところに、その本をすすめられた。

短いメッセージで、その本のタイトルは書かれていなかったけれど、
すぐにその本のことだとわかった。

この歳になっても、まだきっかけが欲しかったのか、と思い、
そのメッセージに返事を出した。
明日、その本を買いに行く。

何も紙の本にこだわらなければ、電子書籍化されているからすぐに読もうと思えば読める。
実際、さわりの部分はインターネットで読んだ。

読みながら、なぜ電車で広告を見て何かを感じたときに、そのままにしていたのだろうか。
昔はiPhoneがなかった。
いまはジーンズのポケットには必ずiPhoneを入れているから、
iPhoneからでもさわりの部分を読むことはできたわけだ。
それをしなかった。

スティーブ・ジョブズが言っていた。
コンピューターは個人の道具ではない、と。
個人と個人をつなぐための道具である、と。

iPhoneこそ、まさに人と人をつなぐ道具であり、
持っているだけでは……、と改めて思っている。

Date: 5月 20th, 2016
Cate: High Fidelity

手本のような音を目指すのか(その2)

不気味の谷。
この言葉を昨年あたりからよく目にしたり、耳にしたりすることが増えたように感じている。
つい先日も、テレビドラマでの台詞に「不気味の谷」が出てきていた。

ロボット工学者の森政弘・東京工業大学名誉教授が1970年に提唱した、とある。
そんなに以前からあった言葉が、広く使われ始めているのは、
技術の進歩が「不気味の谷」に近づきつつあることを、
技術者でない人もなんとなく感じつつあるからかもしれない。

私がここで考えたいのは、
もちろんオーディオ(音)における「不気味の谷」についてである。

本項の「手本のような音を目指すのか」を思いついたときは、
不気味の谷と関連づけるつもりはなかったのが、
別項の『アンチテーゼとしての「音」』、「muscle audio Boot Camp」を書き始めて、
不気味の谷のことを意識していてのことではないか、と思い始めている。

オーディオ(音)における不気味の谷はあるはずだ。
その不気味の谷と感じる音は、
オーディオマニアとオーディオに関心を持たない人とでは違ってくるのだろうか。
同じとは、いまのところ思えない。

不気味の谷は法則であるわけだが、反論があるのは知っている。
それでもないとは断言できない、と思っている。
すくなくともオーディオ(音)に関しては。

Date: 5月 20th, 2016
Cate: 表現する

夜の質感(Heart of Darkness)

「地獄の黙示録」は、公開当時、ものすごく話題になっていた映画だった。
あれこれいわれていた映画だった。
あまりにいわれすぎていて、それだけで観たような気になったわけではないが、
なんとなく観る気が失せていっていた。

公開当時は17歳。他に観たい映画があった。
結局「地獄の黙示録」を観たのは東京に来てからだった。

レーザーディスクでだったと記憶している。
映画館で観たのは2001年の特別完全版だった。

「地獄の黙示録」の原題は”Apocalypse Now”、
原作となったのはジョゼフ・コンラッドの小説「闇の奥」ということは、知識として知っていただけだった。

「闇の奥」は読んでいない。だから「闇の奥」の原題が”Heart of Darkness”だということを知ったのは、
それほど昔のことではない。

“Heart of Darkness”が「闇の奥」ということは、
“Heart”は、そういうふうに訳せるのか──、このことが新鮮に感じていた。

新月に聴くマーラー」のことを考えていて、
“Heart of Darkness”のことを思い出していた。

Date: 5月 19th, 2016
Cate: Kate Bush, ディスク/ブック

So(その1)

30年前の5月19日、ピーター・ガブリエルの五枚目のアルバム”So”が登場した。

当時ステレオサウンド編集部にいたO君が教えてくれたアルバムだった。
ケイト・ブッシュを聴く私に、プログレッシブロック好きのO君が、
「ピーター・ガブリエルのアルバムでデュエットしていますよ」と教えてくれた。

ステレオサウンドがある六本木にはすでにWAVEがあった。
けれどなぜかまだ”So”は入荷していなくて、O君に連れられて渋谷のCiscoに行った。

“So”はレジ横の柱に、他の売れ筋のCDと一緒に貼ってあった。
すぐに買って帰った。

ケイト・ブッシュが参加している三曲目から聴きたかったけど、
一曲目から聴き始めた。
“Red Rain”、”Sledgehammer”と聴いて、お目当ての三曲目。

すぐにケイト・ブッシュが歌いだすわけではない。
待つ。もどかしく待つ。

ケイト・ブッシュが”Don’t Give Up”と歌う。
“Never Give Up”ではなく”Don’t Give Up”と歌う、
聴き手に語りかけるかのように歌う。

“So”を聴き終り、もう一度”Don’t Give Up”を聴いた。

歌詞の意味が知りたくて日本盤も買った。

あの日から、何度聴いたのだろう。
30年の間にはいろんなことがあった。
どんな人であろうと、いろんなことがある。

1月に久しぶりに”Don’t Give Up”を聴いた。
“Never Give Up”ではなく”Don’t Give Up”でよかった、と30年前よりも深く思っていた。

Date: 5月 18th, 2016
Cate: マッスルオーディオ

muscle audio Boot Camp(その11)

もちろん6dB直列型の音が、バイアンプの音をすべての点で超えているわけではない。
バイアンプでなければ鳴らない(鳴らしにくい)音があるのは確かだ。

それでも6dB直列型ネットワークにしたときの音は、
これはこれでいい、といえるだけの説得力が確かにあった。
だからこそ「バイアンプにしましょう」という声があがらなかった、
と私は勝手に解釈している。

バイアンプの良さは、まずウーファーとアンプが直結されることにある。
クロスオーバー周波数が低いほど、コイルの値は大きくなり、
コイルのサイズも大きくなっていく。コイルの直流抵抗もその分増えていく。

コイルは銅線を巻いたもの。
値によって変るが銅線の長さはすぐに10mをこえる。
数10mになることも珍しいことではないし、場合によっては100mほどになることだってある(空芯の場合)。

よく言われることだが、
スピーカーの入力端子まで、スピーカーケーブルにどんなに高価なケーブルを使おうと、
もしくはできるかぎりスピーカーケーブルを短くしても、
スピーカー端子の裏側には、長い長い銅線をぐるぐるに巻いたコイルが、
ウーファーであれば直列に入っている。

それでもスピーカーケーブルを交換すれば、
スピーカーケーブルを短くすれば、音は変るけれど、
バイアンプ駆動にしてコイルを省けば、音の変化はもっと大きい。

一度コイルなしのウーファーの音を聴いてしまうと、やはりバイアンプ(マルチアンプ)か、と思う。
でも6dB直列型の音を聴いていると、そうは思わなかった。

この音が出るのなら、もっともっとこまかくチューニングを施していけば……、
そう期待できる音だった。

最終的にはバイアンプに目指すことになろうとも、
この音は、この音としていつでも鳴らせるようにしておきたい。

Date: 5月 18th, 2016
Cate: きく

習慣となっていくこと、なっていかないこと

facebookでシェアされていた記事のタイトルを見て考えてしまった。
音楽にお金を払う習慣はなくなるのか?  LINEミュージックの評価がヤバい」というタイトルだった。

記事の内容は、タイトルから想像がつく範囲のことであったし、内容についてふれたいわけではない。
あくまでもタイトルであり、「習慣」にあったからだ。

この「習慣」がひっかかってきた。
そうか習慣なのか、と思ってしまった。

習慣とは、辞書にはつぎのようにある。
長い期間繰り返し行われていて、そうすることが決まりのようになっている事柄。また、繰り返し行うこと。

レコード(録音物)を買ってきて、家で音楽を聴く。
この行為を習慣と考えたことがなかっただけに、
オーディオマニア、音楽マニアでない人にとって、
レコード(録音物)にお金を払って聴く、ということは習慣なのか、と意外だった。

もしかすると私だけが習慣ととらえていなかっただけなのかもしれない。
でもオーディオマニアにとって、レコード(録音物)にお金を払うことは習慣といえるのだろうか。

いま動画配信を行う会社がいくつかある。
HuluやNetflixがある。
月々約1000円ほどの料金で映画やドラマなどが見放題なのだが、
このサービスにお金を払うことは、私にとって習慣といえる。

この記事のタイトルは、そこまで考えてのものではないのだろうが、
それでも考えさせられるものがある。