手本のような音を目指すのか(その2)
不気味の谷。
この言葉を昨年あたりからよく目にしたり、耳にしたりすることが増えたように感じている。
つい先日も、テレビドラマでの台詞に「不気味の谷」が出てきていた。
ロボット工学者の森政弘・東京工業大学名誉教授が1970年に提唱した、とある。
そんなに以前からあった言葉が、広く使われ始めているのは、
技術の進歩が「不気味の谷」に近づきつつあることを、
技術者でない人もなんとなく感じつつあるからかもしれない。
私がここで考えたいのは、
もちろんオーディオ(音)における「不気味の谷」についてである。
本項の「手本のような音を目指すのか」を思いついたときは、
不気味の谷と関連づけるつもりはなかったのが、
別項の『アンチテーゼとしての「音」』、「muscle audio Boot Camp」を書き始めて、
不気味の谷のことを意識していてのことではないか、と思い始めている。
オーディオ(音)における不気味の谷はあるはずだ。
その不気味の谷と感じる音は、
オーディオマニアとオーディオに関心を持たない人とでは違ってくるのだろうか。
同じとは、いまのところ思えない。
不気味の谷は法則であるわけだが、反論があるのは知っている。
それでもないとは断言できない、と思っている。
すくなくともオーディオ(音)に関しては。