Archive for 11月, 2015

Date: 11月 23rd, 2015
Cate: コントロールアンプ像, デザイン

コントロールアンプと短歌(その5)

CX10000、MX10000が登場するまで、
ヤマハのアンプのフロントパネルは、セパレートアンプが黒、プリメインアンプはシルバーだった。
(プリメインアンプでは、普及モデルで若者向けを謳っていたCA-V1は例外的にブラックパネルだった)

CI、BI、C2、B2をはじめ、その後のB3、C4、B4、C6、B6、C70、B70などすべて黒だった。
それが100周年記念モデルということもあってか、
CX10000、MX10000は黒ではなく、かといってもシルバーでもなく、
ガンメタリックのヘアーライン仕上げとなっている。

CX10000登場時は、単に100周年記念だからなのだろうな、というぐらいにしか捉えていなかった。
おそらくそうであろうとは思う。
でもそれだけでもないのでは、といまは思っている。

CIはアナログ時代の多機能コントロールアンプである。
CX10000はデジタル時代を迎えての多機能コントロールアンプだ。

CIにはフォノイコライザーが搭載されていた。
CX10000にはフォノイコライザーは搭載されていない。
HX10000という単体のフォノイコライザーアンプが、少し遅れて登場した。

HX10000は、フォノイコライザーアンプとしては、かなり大きい。
HX10000と同じものをCX10000に内蔵するのは、CX10000本体が大きくなりすぎるし、
それにデジタル信号との干渉を考えても、独立した形しかない。

CIとCX10000の間の12年、
コントロールアンプに求められるものがずいぶんと変化しようとしていることを、
CIとCX10000のデザインとともに、フロントパネルの色が表しているように見える。

同時に、CIはなぜ黒なのかという、別項のテーマに関係することも考えてしまう。

ステレオサウンドは81号の新製品紹介のページでCX100000をMX10000、CDX10000とともに取り上げている。
柳沢功力氏が担当されている。

その半年後、83号で長島先生がCX10000だけを、
「エキサイティング・コンポーネントを徹底的に掘り下げる」を取り上げられている。
この記事の写真の撮影は、私の指示で撮影してもらった。
写真の説明文も、私が書いた。

いまごろになって、CIとCX10000を並べての写真を撮影しておくべきだった、と後悔している。

Date: 11月 22nd, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(ブームについて)

私は1976年に「五味オーディオ教室」と出あった。
そこからオーディオの世界が始まり開けていった。

このころはCDはまだ登場していなかった。
デジタル録音のLPが話題になっていた時期であり、
そろそろデジタルオーディオディスクの声が聞こえはじめてきたころでもある。

自分のオーディオで音楽を聴くということは、
ほぼ100%、LP(アナログディスク)を買って聴く、ということだった。
FM放送も聴いていたけれど、やはりLPだった。

1982年にCDが登場した。
ステレオサウンドで働いていたけれど、すぐにCDプレーヤーを購入したわけではなかった。
そのころはトーレンスの101 Limitedを使っていたから、
これに匹敵すると思えるCDプレーヤーはすぐには登場していなかったし、
フィリップスのLHH2000の音を聴いて驚き、欲しいと思ったことはあったが、
あの価格はすぐに手が出せるわけではなかった。

最初に購入したCDプレーヤーは、マランツ(フィリップス)の普及クラスのものだった。
それまで14ビットのD/Aコンバーター(TDA1540)を搭載していたマランツが、
やっと16ビット対応のTDA1541を搭載したCDプレーヤーを購入した。

だから、そのころの私にとってCDは、メインのプログラムソースではまだなかった。
CDプレーヤーは、その後数台国産モデルを使い、スチューダーのA727になった。

ここでやっとアナログディスクとCDを聴く比率が逆転しつつあった。

そういう時代にオーディオをやりはじめて、やってきた私にとっては、
いまの状況をアナログブームといわれても、ピンと来ない。

アナログディスクの生産量をみていくと、1999年にピークがある。
それまでCDの不急におされ生産量が減少していたアナログディスクだったが、
1999年はいきなり増えているし、2000年もその余波が残っている、といえる。
その後はまた減少している。

つまり1999年、2000年はアナログディスクのブームといえる。
だが、私と同世代、そして上の世代の人にとっては、
こういうデータを見せられても頭でブームであったことは理解できるが、
実感としてのアナログディスク・ブームであったとは感じていないのではないだろうか。

アナログディスク全盛のころからやっていた人はそう感じる。
けれどもっと若い世代の人たち、
つまりオーディオに関心を持ち始めた時、CDで音楽を聴くのが当り前という時代から始めた人にとっては、
1999年、2000年は、はっきりとしたアナログディスク・ブームであったはずだ。

昔はもっとアナログディスクが生産されていたことを、若い世代の人たちは知識として知ってはいても、
実感は伴っていなかった。
実感を伴ったブームは、だから1999年、2000年ということになる。

では、いまいわれているアナログディスク・ブームは、
さらに若い世代の人たちにとってのブームなのだろうか……、
ここで私は疑問を感じている。

Date: 11月 22nd, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(ガウスのこと・その16)

バート・ロカンシーが、その開発に深く関係しているユニットとしてパイオニア・TADの製品がある。
ウーファーのTL1601、ドライバーのTD4001がそうである。

TD4001の写真を見たときに、何かに似ている、と感じた。
ガウスのHF4000に似ていることに気づいた。

HF4000の写真とTD4001の写真を比較してみると、
似ているというよりも外観に関してはそっくりといってもいい。

TADもガウスもロカンシーがやっていたわけだから当然といえば当然であり、
だからこそ型番もガウスが4000であり、そのあとに登場したTADが4001であるのも頷ける。

TD4001の型番を誰が付けたのかわからない。
でも、私はロカンシーが付けたか、もしくは4001という要望を出したのかもしれない、と思っている。

HF4000と基本的に同じながらも、HF4000の口径モデルとして改良されているわけだから、
1ステップ進んでいるという意味での「4001」のような気がしてならない。

このことはHF4000の開発まではロカンシーはガウスにいたことの証明でもある。
おそらくトゥイーターの1502はロカンシーの設計ではない、と思っている。

ステレオサウンド 38号に掲載されたガウスの写真は、
ステレオサウンドによる撮影ではなく、
メーカーもしくは輸入元に決りかけていたところから提供された写真である。

この写真には1502は写っていない。
HI-FI STEREO GUIDEのバックナンバーをみると、
ガウスは、1977年12月に発売されている’77-’78年度版に新製品として載っている。
フルレンジユニットが三機種、ウーファーが十四機種、あとはHF4000とホーンが二機種だけである。

1502がHI-FI STEREO GUIDEが載ったのは、半年後の’78年度版からである。

ロカンシーはこの時期、すでにガウスを離れパイオニア・アメリカに移っている。
エド・メイも1972年にJBLに復帰している。1976年に再びJBLから離れ、
スーパースコープ時代のマランツで、900シリーズのスピーカーシステムをてがけている。

ガウス初期の主要メンバーは、ガウスの輸入が始まったころにはいなくなっていた。

Date: 11月 21st, 2015
Cate: audio wednesday

第59回audio sharing例会のお知らせ(スピーカーの変換効率とは)

12月のaudio sharing例会は、2日(水曜日)です。

アナログディスクの生産量が増えている、というニュースを今年は何度か目にした。
カセットテープの人気も復活している、というニュースもあった。

インターネットで「アナログ回帰」で検索すると、
こんなにも……、と思うほど検索結果が表示される。

デジタルの音は冷たい、アナログの音はあたたかい──、
そんなことがいわれ続けているし、ここに来て、その声は大きくなりつつあるようだ。

このことと同時に言われてきたのは、
アナログディスク再生でも、CDよりもぎすぎすした音、冷たい音の製品はいくつもあったということだ。
アナログはあたたかい、デジタルは冷たい──などと、そう簡単にはいえないにも関わらず、
アナログ回帰ということで、短絡的な評価が罷り通りはじめようとしている気もしてくる。

アナログディスクの人気は、もはやブームではなく、完全な復活だという人も出て来ている。
ほんとうにそうだろうか、と私は懐疑的に見ている。

私はアナログディスクとCDは、
エネルギー伝送メディアと信号伝送メディアというふうに捉えている。

アナログディスクはエネルギー伝送メディアであり、
ならばそこで重要となってくるのはエネルギーの変換効率ではないだろうか。
それは、何もカートリッジの電磁変化効率だけではない、
最終的に音を発するのは、もうひとつの電磁変換機であるスピーカーである。

ならば、ここでも変換効率の高さは、エネルギー伝送メディアの再生においては非常に重要なことのはずだ。
にも関わらず……、と私は思っている。

12月のaudio sharong例会では、スピーカーの変換効率について話す予定である。
スピーカーのことにとどまらず、アナログディスクのことまで話を広げるかもしれない。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 11月 21st, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(ガウスのこと・その15)

ステレオサウンド創刊20周年記念別冊として出版された「魅力のオーディオブランド101」の中で、
菅野先生が、ガウスはもともとはデュプリケーターのメーカーだった、と話されている。
プロの分野ではデュプリケーターで有名だったそうだ。

このガウスに、JBLにいたエドモンド・メイ(Edmond May)1969年から1972年まで在籍している。
エド・メイは、JBLで4310、4320といったスタジオモニターの他に、Decaedシリーズ、L65などを手がけていた。
彼がガウスでスピーカーの開発に携わっている。

そしてもうひとりJBLからガウスへ移籍してきたのが、よく知られるバート・ロカンシー(Bart Locanthi)である。
ロカンシーはJBLを1970年に離れている。
その後アルテックに移りガウスに来て、1975年からパイオニア・アメリカである。

ロカンシーがガウスにいたのが正確にいつからいつまでなのかは,わからない。
エド・メイとバート・ロカンシーのふたりがガウスに在籍していたのは、1970年から1972年なのか。
ロカンシーはエド・メイがいなくなったあとも、パイオニア・アメリカに移るまではガウスにいたようだ。

ステレオサウンドにガウスが紹介されたのは、38号(1976年3月発売)である。
新製品紹介のページで、山中先生と井上先生がガウスについて語られている。

ただ、記事中にもあるように、試聴に間に合わなかったため、あくまでも紹介に留まっている。
この記事で、山中先生は、ガウスは大パワーに強いコーン型ユニットを数機種発表していて、
アメリカで評判になっていた、と語られている。

38号に掲載された写真には、コーン型ユニットとともにコンプレッションドライバーのHF4000も写っている。

記事では、試聴は次の機会にゆずる、とある。
ということは、この時点で輸入元がほぼ決っていた、と思われる。
まだ本決まりでなかったため、
輸入元については何も語られずに、紹介のみになってしまったのではないだろうか。

結局、「次の機会」はないままだった。
シャープがガウスの輸入元に決り、ガウス・オプトニカの製品を出すまで、
ステレオサウンドにガウスは登場しなかった。

Date: 11月 20th, 2015
Cate: コントロールアンプ像, デザイン

コントロールアンプと短歌(その4)

ステレオサウンドのバックナンバーを読み返していると、
いまになって気づくことがある。

ヤマハのコントロールアンプCX10000のことを、いま思い出している。
CX10000はヤマハ創業100周年記念モデルとして、1986年に登場した。

CX10000の他に、パワーアンプのMX10000、CDプレーヤーのCDX10000、
スピーカーシステムのNSX10000があった。

100周年を記念しての10000番シリーズの中で、いま注目したいのはCX10000である。
CX10000は、デジタル信号処理を採り入れたコントロールアンプである。

CX10000の登場からいまでは約30年が経過している。
デジタル信号処理の進化はすごいものがあった。
だからCX10000のデジタル信号処理の性能、それと音について語ろうとは思っていない。

ここでのテーマである「コントロールアンプと短歌」ということで、
CX10000を見直すことができないか、と思っている。

CX10000はブロックダイアグラムをみれば、アナログ系は実にシンプルになっている。
そこにデジタル信号処理が加わり、当時としてはかなり複雑(細かな)なことが可能になっていた。

1986年当時はiPadもiPhoneは、それこそ影も形もなかった。
つまりデジタル信号処理に関する操作は、すべてコントロールアンプだけで完結している必要があった。

タブレットのようなタッチディスプレイもなかった。
CX10000にはふたつのディスプレイがついているが、
どちらも数字と文字だけの表示である。表示領域も狭いし、モノクロ表示である。

CX10000はレベルコントロールだけがロータリー型で、
あとはすべてプッシュボタンである。
ただ正確にいえばバランスコントロールもロータリー型であるが、
フロントパネルにはなく、右前脚の隣にひっそりとつけられている。

ボタンを多用したコントロールアンプとしては、
CX10000の前にアキュフェーズの C240があった。
C240はレベルコントロール以外のすべてボタンにはしていなかった。

CX10000の写真をみながら、いまごろ思っているのは、
CX10000のデザインに関する苦労である。

いまならばiPadにインターフェースをすべてもっていって、
コントロールアンプ本体は、いわゆるブラックボックス化していくだろうが、
1986年はそういうわけにはいかない。

少ない情報量のディスプレイといくつものボタンとその操作だけで、
CX10000の多機能を、使い手に直感的に理解してもらう必要がある。

Date: 11月 19th, 2015
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その18)

つきあいの長い音と使いこなし──、使い熟していけるかだろう。

Date: 11月 19th, 2015
Cate: 日本の音

日本のオーディオ、日本の音(創られた「日本の心」神話・その1)

二ヵ月ほど前に、輪島裕介氏の著書《創られた「日本の心」神話》を、
audio sharing例会の常連の方から教えてもらった。

副題として、「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史、とついている。
2011年に新書大賞となった本である。

四年前の本をいま読んでいるところだ。

ステレオサウンド 56号「いま、私がいちばん妥当と思うコンポーネント組合せ法、あるいはグレードアップ法」で、
瀬川先生が《歌謡曲や演歌・艶歌》と書かれていたことが、ずっとひっかかっていた。

艶歌と書いても「えんか」と読む。
なぜ《歌謡曲や演歌》ではなく《歌謡曲や演歌・艶歌》と書かれたのか。

《創られた「日本の心」神話》の冒頭に書いてあることは、驚きだった。
     *
 確かに「演歌」は明治二〇年代に自由民権運動以降の文脈であらわれた古い言葉ですが、「歌による演説」を意味する明治・大正期演歌は、社会批判と風刺を旨とする一種の「語り芸」であり、昭和初期に成立するレコード会社によって企画された流行歌とは別物です。
     *
辞書をひくと、確かに同じことが書いてある。
瀬川先生は56号では、演歌は《歌謡曲や演歌・艶歌》のところのみで、
その後に出てくるのはすべて艶歌のほうである。

そして歌謡曲や艶歌をよく聴かせるスピーカーとしてアルテックをあげられている。
日本のスピーカーではなく、アルテックである。

そして続けて、こう書かれている。
     *
 もうひとつ別の見方がある。国産の中級スピーカーの多くは、概して、日本の歌ものによく合うという説である。私自身はその点に全面的に賛意は表し難いが、その説というのがおもしろい。
 いわゆる量販店(大型家庭電器店、大量販売店)の店頭に積み上げたスピーカーを聴きにくる人達の半数以上は、歌謡曲、艶歌、またはニューミュージックの、つまり日本の歌の愛好家が多いという。そして、スピーカーを聴きくらべるとき、その人たちが頭に浮かべるイメージは、日頃コンサートやテレビやラジオで聴き馴れた、ごひいきの歌い手の声である。そこで、店頭で鳴らされたとき、できるかぎり、テレビのスピーカーを通じて耳にしみこんだタレント歌手たちの声のイメージに近い音づくりをしたスピーカーが、よく売れる、というのである。スピーカーを作る側のある大手メーカーの責任者から直接聞いた話だから、作り話などではない。もしそうだとしたら、日本の歌を楽しむには、結局、国産のそのようなタイプのスピーカーが一番だ、ということになるのかどうか。
     *
いま別項でデンオンのSC2000を書いていた関係で、ステレオサウンド 81号を読み返している。
81号の新製品紹介のページでダイヤトーンのDS1000HRを、柳沢功力氏が記事を書かれている。

《オーディオ製品は音にお国柄が現れると言われる。》という書き出しではじまり、
日本のスピーカーのお国柄について次のように書かれている。
     *
 このお国柄を言葉にするのが難しいが、思い切って言ってしまえば、この音はとことんまで情に溺れない、高潔で毅然とした人物像にも例えられる。言動の一切にあいまいさがなく、やらねばならぬことは、けっして姑息な手段に頼らずあくまでも正攻法での解決をめざす。もちろんそのためには、それだけの努力も能力も必要であり、そうした裏付けから生まれた結果は、人に反論の余地を与えないような、ある種の説得力を持つものになっている。
 前置きが長くなったが、この日本的お国柄を代表するものがダイヤトーンの音と、僕は思っている。
     *
これには反論したいことがないわけではない。
けれど、柳沢氏の日本のお国柄をあらわす音については、あくまでも新製品紹介の前書きとしてであり、
文字数の制約もあってのことである。

日本のお国柄をあらわす音がテーマの、ある程度長い文章であれば、
もっと補足されることが出てくるであろうから、
81号の柳沢氏の文章そのものについて書くことはしない。

それに頷けるところもある。
特に81号で取り上げられているDS1000HRは、そういう音であるからだ。

では、そういうお国柄の音(DS1000HRのような音)は、
歌謡曲や演歌・艶歌をよく聴かせてくれるだろうか。

Date: 11月 19th, 2015
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーのアクセサリーのこと(その19)

スタビラザーにはコレットチャック式のモノもあった。
日本製ではマイクロのST20(銅製、重量800g、13000円)、
オルソニックのDS250、DS200G、DS500Gなどがあった。
オルソニックのスタビラザーは型番の数字が重量を表していた。

DS500Gは圧着力1500gと発表されていた。
ST20にはオーディオクラフトのSR6と同様の金属製のリングが三枚附属していた。

SR6は、これそのものがなくても他のもので代用できる。
圧着力を高めて補正リングを何枚か使っても、
外周部の反りを抑え込むには、外周部を抑えるのが確実だ。

トリオのスタビラザーDS20(28000円)が、そのもののスタビラザーだった。
DS20は真鍮削りだしの内周スタビラザーと、同じく真鍮削りだしの外周スタビラザーからなる。

内周スタビラザーは、いわゆる一般的なスタビラザーで、
外周スタビラザーは外径34.8cm、内径29.8cm、重量1.6kgのリング状で、
これでレコードの最外周を抑え反りを補正するもの。

DS20には内周・外周スタビラザーの他に、
直径29.78cmのアクリル製の外周スタビラザー位置決めゲージがついていた。

レコードをターンテーブルにのせたら、レコードの上に位置決めゲージをのせる。
次に外周スタビラザーをのせ、位置決めゲージを取り去り内周スタビラザーをのせる、という手順が、
レコードをかけかえるごとに求められる。

位置決めゲージを使わずに外周スタビラザーをのせればオフセットしてしまう。
そうなればターンテーブルプラッターのダイナミックバランスが崩れてしまう。
これを防ぐには正しく外周スタビラザーをのせる必要がある。

この行為を面倒だと感じない人にとっては、DS20は手放せないアクセサリーとなるだろう。
でも、そういうい人はどのくらいいる(いた)のだろうか。
私はレコードのかけかえごとにそんなことをくり返すのは面倒だと感じる。

試聴室という場ではまったくそう感じないけれど、試聴室から出たところでは感じ方は違ってくる。

Date: 11月 19th, 2015
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーのアクセサリーのこと(その18)

私が初めて買ったスタビライザーは、オーディオクラフトのSD33だった。
真鍮製で重量は730g。価格は7500円だった。

SD33にした理由は、このころのオーディオクラフトのつくる製品は、
大きなメーカーのアクセサリーとは、なにか違うものを感じさせるところがあった。

当時のオーディオクラフトの社長であった花村圭晟氏が、自身のためにつくったモノだったからかもしれない。

当時は各社からスタビライザーが出ていた。
材質も違っていたし、形状も違う。
それらの違いによって、スタビライザーを使ったときの音は、違ってくることは容易に想像できた。
では、どれにするのか。
価格的には大きな差はなかった。
スタビライザーが試聴できるオーディオ店もなかった。

そうなると直感しかない。

SD33にはSD33B(7000円)という、重量を追加できるアダプターもあった。
SD33とSD33Bにはしっかりと嵌合するようにネジが切ってあった。

その他にSR6(1500円)も用意されていた。
これは反り補正リングで、金属製の平ワッシャーが数枚入っていた。

レーベルが盛り上っているレコードならばスタビライザーの使用である程度は反りを抑えられる。
けれど、そのレコードを裏返してのせれば周囲が持ち上っているわけだから、
スタビライザーに反りの補正は期待できない。

SR6はターンテーブルシートとレコードのレーベルの間に挿入して使う。
スピンドルに、レコードの反り具合に応じてSR6を挿す。
反りがひどければ枚数を足していき、スタビラザーの重量で反りを抑えるというものだ。
抑えの重量が不足と思えたらSD33Bを足すことで、SD33+SD33Bの重量は1460gになる。

SD33Bを買うことはなかったが、SR6は買った。
使ってみると、よく考えられたアクセサリーだと実感できた。

Date: 11月 18th, 2015
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(オーディオと黒・その4)

黒といっても、実にさまざまな黒がある。
サンスイのアンプのブラックパネルとマッキントッシュのアンプのブラックパネルは違う。
同じメーカーであっても、価格帯や時期が違えば、同じ黒とはいえない違いがある。

ヤマハのスピーカーシステムにしても、NS1000Mの黒と来年夏に登場するNS5000の黒は同じではない。
NS5000の黒はピアノの黒である。

ピアノは黒が多い。
白や赤のピアノもあるが、数は少ない。
多くの人がピアノの色として思い浮べるのは黒である。

そのピアノの黒は最初からではない。
現代的なピアノの形になる前のピアノは黒ではなかった。
ピアノが黒になった理由は? という記事がタイミングよく公開された。

漆塗りの時計についての記事なのだが、そこにこう書いてある。
     *
特に「黒」が彼ら(海外の人たち)の目には素敵に映ったようです。なんでも漆塗り独特の深い黒色に海外の王侯貴族が魅せられ、ピアノが黒く塗られるようになったとか。それまでのピアノは木目が出たニス塗りだったそうです。漆のような黒にすることをジャパニングといい、ヨーロッパの人が憧れたようです。
     *
漆の黒だけが、ピアノが黒になっていった理由のすべてではないのかもしれない。
それでも漆の黒がピアノの黒につながり、黒の深さ、歴史の長さがあることを教えてくれている。

Date: 11月 18th, 2015
Cate: デザイン

Beocord 9000というデッキ(その2)

B&Oの製品の型番は、Beoから始まる。
スピーカーシステムはBeoにvoxがついてBeovoxであり、
アナログプレーヤーはBeogram、レシーバーはBeomasterとなっている。
(カートリッジとヘッドフォンはそのかぎりではないけれど)

テープデッキはBeocordである。
いまでこそインターネットがこれほどまでに普及してさまざまな情報、
それも過去の情報も得られるようになったおかげで、
B&Oがテープデッキに積極的であったことを知ることができたが、
Beocord 9000登場当時、そんな情報はほとんどなかった。

ステレオサウンドの姉妹誌テープサウンドには、
もしかするとB&Oのテープデッキが取り上げられていたかもしれないが、
ステレオサウンドで取り上げられたことはなかったはずだ。

日本市場で市販されているオーディオ機器、アクセサリーなどを網羅したHI-FI STEREO GUIDEをみても、
B&Oのテープデッキは私の知る限りではBeocord 1900が載っていたくらいである。

日本におけるB&0のイメージといえば、
そのころはレシーバーのBeomasterとアナログプレーヤーのBeogramだった。
Beovoxは、そのころはまだフロアー型はなく小型のモノかブックシェルフ型のモノだった。

カセットデッキの型番をすぐにあげられる人は少なかったと思う。
ましてオープンリールデッキも手がけていたことは、私も知らなかった。
インターネットの普及のおかげで知ることができた。

そして驚いたのは、B&Oのカセットデッキのモデル数のおおさであった。
こんなに作っていたのか、と思ったほどである。
HI-FI STEREO GUIDEのバックナンバーをみても、Beocord 1700、2200が載っているくらい。
しかもB&Oのデッキが掲載されていないHI-FI STEREO GUIDEの号もある。

B&Oの輸入元はけっこうかわっている。
昔はゼネラル通商がやっていた。
それからアクステックシステム、イースト・アジアチック……と変っていた。

おそらく、その時々の輸入元の判断で輸入されなかったモデルがあったのだろう。
そういう状況でBeocord 9000があらわれた。
いきなり本格的なカセットデッキを、B&Oは出してきた、という印象に、だからなってしまった。

Date: 11月 17th, 2015
Cate: 孤独、孤高

毅然として……(その18)

コンサートホールでの感動の再現を求めているわけではない、と(その16)に書いた。
このことはあくまでも聴者でいたいからなのかもしれない。
聴衆にはなりたくない……、そう思っているのかもしれない。

ラインスドルフのモーツァルトのレクィエム、ケネディの葬儀でのレクィエムに感動して電話してきた知人は、
どうだったのだろうか。
彼は聴衆の一人でいたかったのだろうか。

彼もオーディオマニアである。
私よりも幅広く音楽を聴いている。
グレン・グールドももちろん聴いている。
それほど熱心なグールドの聴き手とはいえなくとも、聴いているほうだろう。

知人は聴者と聴衆ということを考えていたとは思えない。
そういったこと、そこに関係してくることがらについて彼が話すのは聞いたことがない。

だからといって、そういったことを考えていないとは断言できない。
でも、わざわざラインスドルフのモーツァルトのレクィエムのことで電話をしてくる。
彼は私と、彼が受けた感動を共有したかったのかもしれない。

おそらくそうであろう。
ならば彼は、少なくともラインスドルフのモーツァルトのレクィエムのレコード(録音)を聴くとき、
聴者というよりも聴衆であったのかもしれない。

ラインスドルフのモーツァルトのレクィエムはドキュメンタリーであるだけに、
他の録音以上に、聴者なのか聴衆なのかは、無視できないことであるし、こうやって考えてしまう。

こんなことにこだわらずとも、
ラインスドルフのモーツァルトのレクィエムのLP、CDにおさめられている音楽は聴ける。
そうやって聴いたほうが幸せだろう、と思っても、考えてしまう自分に気がつく。

Date: 11月 16th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(ガウスのこと・その14)

私が聴くことができたガウスの音は、3588同軸型ユニットを搭載したModel 7258と、
デンオンのSC2000だけである。

無線の実験の記事で、ガウスの登場を知り、つよい憧れを抱いてきたのに、
たったこれだけしか聴くことができなかった。
おそらく、これから先も聴く機会は訪れないような気がする。

なんとも不完全燃焼な感じがしている。
もっと聴きたかった、と思っていたけれど、ほとんど縁がなかった。

今回ガウスのことを書いていて思い出したことがある。
ステレオサウンド別冊HIGH TECHNIC SERIESのトゥイーター号のことだ。
このトゥイーター号は1978年12月ごろに出ている。
にも関わらず、テスト機種にガウスの1502はない。

このムックの巻末に佐伯多門氏によるトゥイーターの技術解説のページがある。
ドーム型、コーン型、リボン型、ホーン型などの構造の解説がなされていて、
それぞれの代表的な製品の写真も載っている。

ホーン型のところにはガウスの1502の写真が使われている。
このときガウスのユニットの販売は始まっていた。
けれど、岡先生、黒田先生、瀬川先生による試聴記事にはガウスは登場していない。

このとき、なぜだろう、と疑問に感じていた。
JBLの2405とガウスの1502の比較、
それを読みたいと思っていただけに、肩透かしのようでもあった。

いまなら、その理由のいくつかは推測がつく。
でも当時はまったくわからなかった。
ただただ、なぜ?、と思うばかりだった。

ガウスへの憧れは、そうやってしぼんでいった。
SC2000以降、ガウスのユニットを搭載した製品はでていない。
話題にものぼらなくなっていった。

ガウスがどうなったのかも気にしなくなっていた。
そんな私が、ふたたびガウスのことを、そういえばどうなったんだろう……とか、
やっぱり聴いてみたかったなぁ、とか思い出したのは、
菅野先生と川崎先生の対談がきっかけである。

この対談で、川崎先生は1978年にガウスへ企業留学する予定だった、と語られている。

Date: 11月 16th, 2015
Cate: デザイン

Beocord 9000というデッキ(その1)

以前、カセットデッキをいま手に入れるとしたら、ナカミチの680ZXだと書いた。
理由はそのときも書いているように、半速の録音・再生ができるからである。

私はカセットデッキ、カセットテープにあまり夢中になれなかった。
同世代のオーディオマニアだと、学生時代にはカセットデッキに夢中になっていた人がけっこういる。

彼らがナカミチのデッキに、当時にどれだけ憧れていたか、という話を聞くと、
へんな話なのだが、うらやましく思うこともある。
そんなに夢中になれなかったから、そう思うのであって、
彼らが抱くナカミチのデッキへの憧れは、私にはかけらもない。

その理由は、デザインでいいと思ったことがないからだ。
680ZXも、いいデザインとは思っていない。
ナカミチらしいデザインとは、それでも思っている。
誰がみても、他社製のカセットデッキと間違うことはない。

1980年にフラッグシップモデルとして1000 IIが1000ZXLとなったときも、
その価格(550000円)、機能、性能は、カセットテープでここまでやるのか、と思っても、
そこに熱さを感じることは、残念ながら私はなかった。

1000ZXLよりも680ZXの方が、使って面白そう、楽しそうと思っていた。
このころマランツは680ZXとは反対に倍速の録音・再生可能なデッキを出した。

カセットデッキ(テープ)に音質追求を望む人は、
半速の680ZXへの興味よりも倍速のカセットデッキへの興味があることだとだろう。
私は反対だった。

そんな私でも、ヤマハのTC800GLは、写真を見て、いいな、と思ったことがある。
カタログや広告ではマリオ・ベリーニによるデザインであることを謳っていた。

マリオ・ベリーニがどんな人なのかは、当時はまったく知らなかった。
ただ広告に書いてあることを鵜呑みにしていただけだ。
でも、TC800GLと同じように傾斜したスタイルをもつナカミチの600 IIよりも、
TC800GLは洗練されていて、マリオ・ベリーニは有名な人なんだろうな、と思っていた。

そのTC800GLも、スライド式のレベルコントロールのところにもっと精度感があれば……、
金属製であったらなぁ……、と価格を無視したようなことも思っていた。

カセットデッキに対して、常にどこか醒めていたところがあった私でも、
ひとつだけ、おぉっ、と圧倒されたモデルがある。
Beocord 9000だ。1981年ごろに登場したB&Oのカセットデッキである。