日本のオーディオ、日本の音(創られた「日本の心」神話・その1)
二ヵ月ほど前に、輪島裕介氏の著書《創られた「日本の心」神話》を、
audio sharing例会の常連の方から教えてもらった。
副題として、「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史、とついている。
2011年に新書大賞となった本である。
四年前の本をいま読んでいるところだ。
ステレオサウンド 56号「いま、私がいちばん妥当と思うコンポーネント組合せ法、あるいはグレードアップ法」で、
瀬川先生が《歌謡曲や演歌・艶歌》と書かれていたことが、ずっとひっかかっていた。
艶歌と書いても「えんか」と読む。
なぜ《歌謡曲や演歌》ではなく《歌謡曲や演歌・艶歌》と書かれたのか。
《創られた「日本の心」神話》の冒頭に書いてあることは、驚きだった。
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確かに「演歌」は明治二〇年代に自由民権運動以降の文脈であらわれた古い言葉ですが、「歌による演説」を意味する明治・大正期演歌は、社会批判と風刺を旨とする一種の「語り芸」であり、昭和初期に成立するレコード会社によって企画された流行歌とは別物です。
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辞書をひくと、確かに同じことが書いてある。
瀬川先生は56号では、演歌は《歌謡曲や演歌・艶歌》のところのみで、
その後に出てくるのはすべて艶歌のほうである。
そして歌謡曲や艶歌をよく聴かせるスピーカーとしてアルテックをあげられている。
日本のスピーカーではなく、アルテックである。
そして続けて、こう書かれている。
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もうひとつ別の見方がある。国産の中級スピーカーの多くは、概して、日本の歌ものによく合うという説である。私自身はその点に全面的に賛意は表し難いが、その説というのがおもしろい。
いわゆる量販店(大型家庭電器店、大量販売店)の店頭に積み上げたスピーカーを聴きにくる人達の半数以上は、歌謡曲、艶歌、またはニューミュージックの、つまり日本の歌の愛好家が多いという。そして、スピーカーを聴きくらべるとき、その人たちが頭に浮かべるイメージは、日頃コンサートやテレビやラジオで聴き馴れた、ごひいきの歌い手の声である。そこで、店頭で鳴らされたとき、できるかぎり、テレビのスピーカーを通じて耳にしみこんだタレント歌手たちの声のイメージに近い音づくりをしたスピーカーが、よく売れる、というのである。スピーカーを作る側のある大手メーカーの責任者から直接聞いた話だから、作り話などではない。もしそうだとしたら、日本の歌を楽しむには、結局、国産のそのようなタイプのスピーカーが一番だ、ということになるのかどうか。
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いま別項でデンオンのSC2000を書いていた関係で、ステレオサウンド 81号を読み返している。
81号の新製品紹介のページでダイヤトーンのDS1000HRを、柳沢功力氏が記事を書かれている。
《オーディオ製品は音にお国柄が現れると言われる。》という書き出しではじまり、
日本のスピーカーのお国柄について次のように書かれている。
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このお国柄を言葉にするのが難しいが、思い切って言ってしまえば、この音はとことんまで情に溺れない、高潔で毅然とした人物像にも例えられる。言動の一切にあいまいさがなく、やらねばならぬことは、けっして姑息な手段に頼らずあくまでも正攻法での解決をめざす。もちろんそのためには、それだけの努力も能力も必要であり、そうした裏付けから生まれた結果は、人に反論の余地を与えないような、ある種の説得力を持つものになっている。
前置きが長くなったが、この日本的お国柄を代表するものがダイヤトーンの音と、僕は思っている。
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これには反論したいことがないわけではない。
けれど、柳沢氏の日本のお国柄をあらわす音については、あくまでも新製品紹介の前書きとしてであり、
文字数の制約もあってのことである。
日本のお国柄をあらわす音がテーマの、ある程度長い文章であれば、
もっと補足されることが出てくるであろうから、
81号の柳沢氏の文章そのものについて書くことはしない。
それに頷けるところもある。
特に81号で取り上げられているDS1000HRは、そういう音であるからだ。
では、そういうお国柄の音(DS1000HRのような音)は、
歌謡曲や演歌・艶歌をよく聴かせてくれるだろうか。