Archive for 10月, 2015

Date: 10月 23rd, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(あるスピーカーの評価をめぐって・その6)

ステレオサウンド 73号の特集、Components of the years賞。
オンキョーのGS1はカウンターポイントのパワーアンプSA4とともに、この年のゴールデンサウンド賞でもある。

岡俊雄、井上卓也、上杉佳郎、菅野沖彦、長島達夫、柳沢功力、山中敬三、
七氏の座談会で、GS1について語られている。

GS1についての座談会のまとめは三ページ、
SA4のそれは二ページと、同じゴールデンサウンド賞受賞機種であっても、扱いに差があるとみることもできる。

GS1についての各氏の発言を読んでいくと、いくつかの注文がつけられている。

まず、その能率の低さがある。
カタログ値は88dB/W/mである。

いまどきのスピーカーシステムとしての低い値とはいえないけれど、
GS1は1984年登場のスピーカーシステムで、しかもオールホーン型でもある。

この88dBという値は、ホーン型としてはかなり低いといわざるをえない。
ただ、カタログをみると、100dB/W/mとも書いてある。
こちらの値は外部イコライザー使用時のもので、
この100dBがGS1本来の出力音圧レベルということになる。

なのになぜ12dBも低い値になっているのか。
この点について、菅野先生の発言はこうである。
     *
 ただし、スピーカーはどんなスピーカーでもそうですが、いろんな点であちらを立てれば、こちらは立たずということろがあり、このスピーカーも、何でもかんでも全面的にいいスピーカーというふうに理解すると問題もあろうかと思います。
 例えば、オールホーンシステムで、あんなに低い能率しか持っていない。その低い能率というのは、結果的に高い能率のものを、かなりアッテネーターで絞り込んで使っているからですが、そういう点では変換機としてある部分、全く問題がなしとも言えないと思います。
     *
72号のGS1の記事には、この点に関しての記述がある。
高域ホーン部の端子部分の写真の下に、
周波数特性補正用イコライザーをネットワークに内蔵するため能率は88dB/W/mでしかないが、とある。
周波数特性を良くするために能率を12dB犠牲にしているわけである。

もっともネットワークでそういう補正を行っている関係で、最大入力は高い。
カタログには300Wとあり、瞬間最大入力は3000W(3kW)である。

Date: 10月 23rd, 2015
Cate: オリジナル, 挑発

スピーカーは鳴らし手を挑発するのか(オリジナルとは・その2)

昨晩、JBLのハーツフィールドの外観だけをコピーしたスピーカーを作ろうと考えていた人のことを書いた。
私は、はっきりいって、こういうことは否定する。

だが一方で違う考え方ができる。
ハーツフィールドの外観だけそっくりのスピーカーを作ろうとしていた彼は、
少なくともオリジナルのハーツフィールドを手に入れて、
それに手を加えようとしていたわけではない。

その意味で、彼のことをオリジナル尊重者だとみることもできるし、
そう見る人もいると思う。

むしろ、私のように購入したオーディオ機器に手を加える者は、
オリジナルを尊重していない、けしからんやつだという見方もできる。

彼は彼なりにハーツフィールドを尊重しての考えだったのだろうか。
私には、どう考えてもそうは思えない。

私がオーディオに興味を持ち始めた1970年代後半は、
電波新聞社からオーディオという月刊誌が出ていた。
このオーディオ誌の別冊として、自作スピーカーのムックが何冊か出ていた。

スピーカーを自作するために必要な知識、実際の製作例の他に、
自作マニアの紹介のページもあった。

ここに登場する人たちは、JBLのパラゴンやハーツフィールドを自作するような人たちだった。
オリンパスの、あの七宝格子をコピーして自作のスピーカーに取りつける人もいた。

この電波新聞社のムック以外にも、
当時は、アマチュアとは思えない木工技術をもっているオーディオマニアが、
タンノイのオートグラフやその他のスピーカー・エンクロージュアをコピーしていた。

そんな人たちの中には木工を仕事とする人もいたようだが、
世の中にはすごい人がいるものだと、中学生の私は感心していた。

この人たちは、ハーツフィールドの外観だけをコピーしようとした彼とは違っていた。
この人たちの木工技術があれば、彼が計画していたスピーカーをつくることは造作も無いことだろう。
複雑な内部構造は無視して、外観だけをそっくりに作ればいいのだから。

けれど、この人たちの中に、そんなコピーともいえないコピーを作る人はいなかった。
少なくとも当時のオーディオ雑誌に登場する人の中にはいなかった。

Date: 10月 22nd, 2015
Cate: オリジナル, 挑発

スピーカーは鳴らし手を挑発するのか(オリジナルとは・その1)

ハーツフィールドのことを書いていて思い出した人がいる。
彼もまたハーツフィールドを欲しい、といっていたひとりだし、
彼の財力があれば、程度のいいハーツフィールドを手に入れることはそう無理なことではなかった。

けれど、彼はハーツフィールドを買おうとはしなかった。
彼の求める音の方向とハーツフィールドは違っていた。

折曲げ低音ホーンの音を彼は毛嫌いしていた。
生理的にだめだったのかもしれない。
だから彼はハーツフィールドそっくりのエンクロージュアをどこかに作らせる、という。
ただし内部構造はホーン型ではなく、一般的なエンクロージュアとして、である。

ウーファーは左右の開口部に配置する。
ハーツフィールドの寸法からいって15インチ口径のウーファーを開口部のところにおさめるのは無理がある。
だからここにおさまる範囲の中口径のウーファーを数発左右に配置する。
そこそこの数のウーファーが取りつけられる。

中高域はJBLのホーンとドライバーを使う。
これで見た目はハーツフィールド、
出てくる音はハーツフィールドは違う、彼好みの音ということになる。

そんなことを熱心に話してくる。
やんわりとやめたほうがいい、といっても、
彼は、うまくいく、ハーツフィールド(の外観)がほしい、と熱っぽく語っていた……。

なんなんだろうなぁ……、と思っていた。
彼はこういう人だったのか、と。

Date: 10月 22nd, 2015
Cate: 挑発

スピーカーは鳴らし手を挑発するのか(その3)

瀬川先生にとって「イメージの中の終着点」であったJBLのハーツフィールド。
けれど、ハーツフィールドは、瀬川先生にとって求める音のスピーカーではなかった。

ハーツフィールドは美しいスピーカーである。
JBLのスピーカーシステムの中で、もっとも優れたデザインのスピーカーシステムだと、
いまも思う。

ステレオサウンド 41号「オーディオの名器にみるクラフツマンシップの粋」、
ここでハーツフィールドが取り上げられている。
カラーページのハーツフィールドは、素敵なリスニングルームのコーナーにおさまっていた。

ハーツフィールドは、こういう部屋に置くデザインのスピーカーなんだ、と痛感させられた。
その部屋におかれることで、ハーツフィールドはさらに美しかった。

写真でみてもそうである。
もし、この部屋に入って直にみることができれば、
「イメージの中の終着点」としてのハーツフィールドの存在は確固たるものになっていくはずだ。

意を尽くし贅を尽くした──、
ハーツフィールドをみていると、そういいたくなる。
ゆえに「イメージの中の終着点」となっていくのかもしれない。

それでも……、と思うことがある。
ハーツフィールドは美しい。
デザイナーを目指されていた瀬川先生だから、
そういう目でみても、ハーツフィールドは「イメージの中の終着点」であったと思う。

だがどうしてもハーツフィールドのイメージと瀬川先生のイメージとが一致しないところがある。
ハーツフィールドの中高域はスラントプレートの音響レンズなのだが、
この形状は1950年代のアメリカのイメージそのものであり、
これなくしてハーツフィールドは成り立たないことはわかっていても、
この537-509ホーンの形、大きさ、色とが、瀬川先生と結びつかないのだ。

Date: 10月 22nd, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(あるスピーカーの評価をめぐって・その5)

ステレオサウンド 72号で、菅野先生がオンキョーのGS1をどう書かれているかは、
the re:View (in the past)“で全文を公開しているので、興味ある方はお読みいただきたい。

とはいえ、一部だけ、最後のところだけを引用しておく。
     *
しっとりと鳴る弦、リアリティに満ちたピアノの音色の精緻な再現、ヴォーカリストの発声の違いの細部の明瞭な響き分け、たった一晩のグランセプターとのわが家におけるつき合いであったが、このスピーカーはそんな正確な再生能力に、しっとりと、ある種の風格さえ加えて鳴り響いた。
 このわずかのつき合いの間に、私は、このスピーカーを欲しくなっている私自身を発見した。ただ、せっかくの仕上げの高さにもかかわらず、あの〝グランセプター〟のエンブレムはいただけない。前面だけならまだしも、サランをはずした時にはホーンの開口部にまで〝ONKYO〟と貼ってある。このユニークな傑作は誰が見てもオンキョーの製品であることを見誤るはずがない。本当はリアパネルだけで十分だ。エンクロージュアやホーンと看板とをごちゃまぜにしたようなものだ。
 私がこのシステムを買わないとしたら、このセンスの悪いブランドの誇示と、内容からして決して高いとは思わないが、とにかくペアで200万円という大金を用意しなければならないという理由ぐらいしか見つからない。
     *
エンブレムに関してだけは注文をつけられているが、
肝心の音に関しては、絶賛に近いといえよう。

なにしろ《わずかのつき合いの間に、私は、このスピーカーを欲しくなっている私自身を発見した》
とまで書かれている。

72号の記事では、菅野先生の一万字を軽くこえる本文とともに、
写真の枚数も少なくない。
その中に「グランセプター開発の歩み」として、14枚の写真が載っている。
数々の試作品の写真である。

20以上のホーンが写っている写真がある。
この写真の下には、《これでも全数の何分の一かにすぎない》とある。
また別の写真には大理石の中高域ホーンがある。
この写真の下には、こうある。
《某雑誌の編集長の発言がもとで、大理石のホーンを作ってみたこともある。
しかし固有の音色があるのと、あまりにも高価になりすぎるため結局あきらめざるを得なかったという。》

あえて書くまでもないだろう。
某雑誌とはステレオサウンドのこと、編集長とは原田勲氏である。

オンキョーGS1は、翌73号にも登場している。
この項の(その1)にも書いたComponents of the years賞である。

GS1はステレオサウンド 71、72、73と、
さらに74号の特集「ベストコンポーネントの新研究」でも菅野先生が取り上げられている。
つまり四号続けてカラーページに登場することになる。

Date: 10月 21st, 2015
Cate: オーディオマニア
1 msg

つきあいの長い音(その17)

つきあいの長い音は、鳴らし手の「おもい」を受け止めてくれているのだろうか。

Date: 10月 21st, 2015
Cate: ロマン

ダブルウーファーはロマンといえるのか(その7)

38Wといっても、二発のウーファーをどう配置するのかがある。
横に二発なのか、縦に二発なのか。

私にとって38Wの代名詞といえるJBLの4350Aは横に二発のシステムである。
1980年代ころまでは、ダブルウーファーといえば横に二発というイメージがあった。

それが変化してきたのは、
いわゆるヴァーチカルツイン(仮想同軸配置)と呼ばれるモノの登場によってだ。

レイオーディオのRMシリーズ、JBLのK2(38Wではないけれども)によって、
縦に二発のダブルウーファーが増えてきた。

そのころ同じダブルウーファーなら、縦と横、どちらが有利なのか、という記事をみかけたことがある。
そこにはこんなことが書いてあった。

ふたつの図があった。どちらの図もスピーカーと床との関係をあらわしたもので、
ひとつは横に二発のダブルウーファー、もうひとつは縦に二発のダブルウーファーである。

横に二発の場合、どちらのウーファーと床との距離は等しい。
一方、縦に二発の場合は、下側とウーファーと上側のウーファーとでは床との距離が違う。
そのため床からの影響を受けにくい、と説明するものだった。

その記事を書いていた人は、だから縦に二発のダブルウーファーがいい、と結論づけていた。
確かに床からの影響だけをみれば、そう捉えることはできる。

だが現実の部屋は床もあれば天井もあるし、左右の壁、前後の壁がある六面体である。
ほとんどの場合、天井と床、左右の壁、前後の壁は平行面である。
そういう空間において床だけからの反射を示して、
縦に二発のダブルウーファーが音的に有利という理屈は成り立たない。

スピーカーから見て横の壁に対してはどうなのか、となる。

どちらのウーファー配置がいいのかは、そう簡単には断言できない。
それでも横なのか縦なのか。
大まかな傾向はあるとは感じている。

私にとっての38Wは、やはり横に二発のダブルウーファーである。
38Wならではの音が得られるのは、横に二発なのではないだろうか。

だからといって横に二発の方が縦に二発よりも音が優れているというわけではない。
あくまでも私にとって38Wならではの音を聴かせてくれるのは、縦よりも横だというだけのことだ。

Date: 10月 21st, 2015
Cate: background...

background…(ポール・モーリアとDitton 66・その4)

セレッションのDEDHAMが日本で発売されるようになったのは1978年。
その六年後のステレオサウンド 72号の巻頭対談で、山中先生が発言されていることが、
DEDHAMにも関係してくる。
     *
山中 オーディオの機械の中で一番の困りものは、スピーカーなんですよ。
 ほかのものは、極端なことを言えば、よく向こうの人がやっているけど、アンプとかそういうものを家具の中に入れちゃう。部屋のコーナーをうまくつかって、自分の気に入らないものは見せないようにすることもできるけれども、スピーカーはそれができない。
 イギリスでは18世紀ぐらいの古い建物をきれいに直して住むというのが、最近の中流以上の人たちのひとつの流行みたいになっている。その場合にどうしてもその部屋の中にオーディオ装置は欲しい。そこで一番困るのはスピーカーなんだそうですよ。
 いま出ているスピーカーでそこの部屋に置いてマッチするものがない。
菅野 ないでしょうな。
山中 そのために、スピーカーの外側に家具調というか、その部屋に合わせたデコレーションする業者があって、それが結構いい商売になる。
菅野 むずかしいことですね、音響的に言ってもね。
山中 性能的には必ず落ちますよ。
     *
この対談のテーマは「日本のオーディオのアンバランスさと日本人の子供っぽさについて考える」だった。
この対談を読んでいて、DEDHAMが誕生してきた背景には、こういうことがあったのかと思った。

DEDHAMの試作品は1977年のオーディオフェアに参考出品されていた。
そのころから、18世紀の古い建物に住むということが流行し出していたのか、
それともすでにそういう建物に住んでいる人たちから、こういう外観のスピーカーが欲しいという、
要求に応えてのDEDHAMだったのだろうか。

そうとも考えられるし、違うとも考えられる。
少なくともメーカーが、そう多くはない数とはいえ量産するわけだから、
既存のスピーカーにデコレーションする業者とは違うところにたってのDEDHAMであったといえよう。

それに、そういう業者によるスピーカーは、山中先生の発言にあるようにデコレーションが施される。
DEDHAMはどうだろうか。
デコレーションといえる要素は確かにある。
けれど、デザインといえる要素もはっきりとある。

Date: 10月 20th, 2015
Cate: ロマン

ダブルウーファーはロマンといえるのか(その6)

38Wを、どう読むのかはスイングジャーナルには書いてなかったはずだ。
38W(さんじゅうはちだぶりゅー)ではないと思う。
やはり38W(サンパチダブル)と読むはずだ。

他の口径、30cmのダブル(30W)、25cmのダブル(25W)、20cmのダブル(20W)を、どう読むか。
38Wほどのキマリの良さがない。

そんな読み方は、音には無関係のはずだ。けれど、決してそうじゃないと言い切れないものを感じる。
38Wには、他の口径のダブルウーファーでは味わえぬ、38Wならではの不思議な魅力がある。

もちろん、すべての38Wが素晴らしいとは言わないし、
私が38Wとして真っ先に思い浮かべるJBLの4350Aにしても、
角を矯めて牛を殺すような鳴らし方をしていては、38Wならではの不思議な魅力ある音は味わえない。

それでもうまく鳴ったときの「38Wならでは!!」と、つい口走りたくなる躍動感、
フォルティシモでの音の伸び、音楽としての表情の豊かさと深さ──、
一度でも体験すれば、いつかは38W……と思ってしまう。

肌が合う、という。
38Wの音は、まさに肌が合う。
耳で聴く低音と肌で感じる低音感とのバランスがうまくいっているからこそなのかもしれない。

肌が合う、とは、あくまでも感覚的なものだから、
私に賛同してくれる人もいれば、そうでない人もいる。

そうでないという人の中には、肌が合う、というようなことを再生音に求めていない人もいるように思う。

Date: 10月 19th, 2015
Cate: ロマン

ダブルウーファーはロマンといえるのか(その5)

その1)で、私にとっての「ダブルウーファー」とは15インチ口径のウーファーが二発のこと、と書いた。

38cmよりも小口径のウーファー、
それが30cm口径のダブルであっても、38cmのダブルに感じるものからすると、
なにかひとまわりもふたまわりもスケールダウンしたように感じてしまう。

ましてもっと小口径のダブルウーファーとなると……、書くまでもないだろう。
そういうダブルウーファーのスピーカーシステムを否定はしないし、
そういう仕様のシステムでもいいスピーカーはある。

けれど、そこには38cm口径のダブルウーファーに感じる凄みがない。
だから、まったく別種のダブルウーファーのスピーカーシステムのように感じる。

これはなぜなのだろうか。

よく井上先生はいわれていた。
低音とは、耳で聴く低音と肌で感じる低音感、
このふたつのバランスが巧みにとれていることが、低音再生(低音感)にとって大事である、と。

私には、このふたつのバランスが破綻をきたすぎりぎりのところでバランスがとれるのが、
38cm口径のダブルウーファーのような気がしている。

これは私だけが感じていることはないと思う。
少なからぬ人が感じていることではないのだろうか。

そういえば昔スイングジャーナルでは、38cm口径のダブルウーファーのことを、
38Wと表記していた。

古くからのオーディオマニアだと、
エレクトロボイスの30Wという30インチ(76cm)口径のウーファーがあったから、
38Wとあると38インチ口径のウーファーと思わないわけではないが、
それでもあえて38Wという表記を使うスイングジャーナル編集部の気持はわからないわけではない。

38Wには、2トラ38(ツートラサンパチ)に通じるところがある。

2015年ショウ雑感(その6)

こういう試聴方法で何が聴きとれるのか。
五味先生の「五味オーディオ教室」にも書いてある。
     *
 音の味わい方は、食道楽の人が言う〝味覚〟とたいへん似ているように、思う。
 佳い味つけというのは、お吸物(澄まし)の場合なら、ほとんどが具の味をだしに生かしてあり、一流の腕のいい板前ほど塩加減でしか味つけをしない。したがって、たいへん淡白な味だが、その淡白さの中に得も言えぬ滋味がある。でもこれを、辛くて粗雑な味の味噌汁を飲んだあとで口にすると、もう滋味は消え、何かとても水っぽい味加減に感じるものだ。
 腕のいい板前はだから、他の料理が何であるかも加味して、吸物の味をつけるという。淡白で、しかもたいへん上品な味加減のその素晴らしさは、粗悪な味のあとでは賞味できないものだから。
 人間の舌はそれほど曖昧——というより、他の味つけの影響をとどめやすいものなので、利き酒を咽喉に通さず、一口ふくんでは吐き出す理由もここにあろう。
 ヒアリング・テストも同じだ。よほど耳の熟練した人でも、AのスピーカーからBのスピーカーに変わった瞬間に聴き分けているのは、じつは音質の差(もしくは音クセ)なので、そのスピーカー・エンクロージァがもつ独自な音色の優秀性(また劣性)は、BからAにふたたび戻されたときには、もう聴き分け難いものとなるのがしばしばである。
     *
私がオーディオに興味を持ち始めた1976年の時点で、
すでに瞬時切り替え試聴の問題点は指摘されていた。

それでも……、と反論する人がいると思う。
いるからこそ、今回のオーディオ・ホームシアター展(音展)での、あのやり方が行われたのだろう。

Aの音とBの音の違いが聴きとれれば、何の問題もないじゃないか、という人がいるだろう。
だが、このやり方で聴きとれるのはAの音とBの音の違いではなく、あくまでも差である。

くり返すがA-Bの音という差、B-Aの音という差であり、
違いではなく差であるからこそ、A-Bの音とB-Aの音は、人間の感覚として同じになることはない。

味覚では、この話は通用するのだが、
なぜか聴覚となると、私の耳はそうではない、といいはる人がいて、通じない場合もある。

違いと差は決して同じではない。
そして試聴(特に比較試聴)では、
何が聴きたいのか、何を聴こうとしているのか、何を聴いているのか、
これらのことを曖昧にしたままでは、何を聴いているのかがわからなくなってしまう。

それできちんとしたデモ、プレゼンテーションができるわけがないし、
ましてスピーカーの開発は……、である。

2015年ショウ雑感(その5)

瀬川先生が「コンポーネントステレオのすすめ」の中で、
この瞬時切り替え試聴の注意点について書かれている。
     *
 たくさんのスピーカーが積み上げられ、スイッチで瞬時に切換比較できるようになっている。がそこには大別して三つの問題点がある。
 第一、スピーカーの能率がそれぞれ違う。アンプのボリュウムをそのままにして切換比較すると、能率の高いスピーカーは大きな音で鳴り、能率の低いスピーカーは小さな音になってしまう。馴れない人は、大きな音が即、良い音、のように錯覚しやすい。スピーカーを切換えるたびに、同じような音量に聴こえるよう、アンプのボリュウムを調整しなおすこと。
 第二、AからB、BからCと切換えて聴くと、その前に鳴っていた音が次の音を比較する尺度になってしまう。いままで鳴っていた音が、次の音を聴く耳を曇らせてしまう。この影響をできるだけ避けるため、A→B→Cと切換えたら、こんどはB→A→C、次はC→B→A、B→C→A……と順序を変えながら比較すること。もしも少し馴れてきたら、切換比較をやめて、あるレコードをAで聴いたらそこで一旦やめて、Bのスピーカーで同じ部分を改めて反復する。そして、音色の違いを比較しようとせずに、どちらがレコードをより楽しく、音楽の姿を生き生きとよみがえらせるか、という点に注意して聴く。
 第三、スピーカーの置かれてある場所によって、同じスピーカーでも鳴り方が変る。下段は概して低音が重くなり、音がこもり気味になる。冗談は低音が軽くなり、音のスケール感が失われがち。中段が大体いちばん無難、というように、本当に比較するなら、抜き出して同じ場所に置きかえなくてはわからないが、それが無理なら、一ヵ所に坐って聴かずに、鳴っている二つのスピーカーの中央に自分の頭を移動させる。めんどうくさがらずに、立ったりしゃがんだりして聴く。あるべくスピーカーのそばに近づいて聴いてみる。別の店で、同じスピーカーの置き場所が違うと音がどう変るか聴いてみるのも参考になる。
     *
今回のオーディオ・ホームシアター展(音展)での、
そのブースではふたつのスピーカーシステムの音量はほぼ同じに感じられるようになっていた。
なので、ここでは第一の問題点について取り上げる必要はない。

第三のスピーカーの置かれている場所による音の違い。
これは厳密には試聴のたびにスピーカーを移動して、という作業をする必要がある。
ステレオサウンドの試聴室ではそうやっていた。
だが、今回のケースはいわばオーディオショウという場であり、
限られた時間でのデモということを考慮すると、しかたないという面もある。
だから、この問題点についても、とやかくいわない。

問題としたいのは、第二のことである。
今回は比較対象となるスピーカーシステムは二組だから、AとBということになる。
10秒ごとのスピーカーの瞬時切り替えということは、
A、B、A、B……となるわけで、そこで聴いているのは
Aの音、Bの音というよりも、A-Bの音、B-Aの音である。

A-Bは、前に鳴ったAの音とBの音の差であり、
B-Aは、前に鳴ったBの音とAの音の差である。

AとBは交互に鳴っているわけだから、A-Bの音とB-Aの音は同じじゃないか、と考える人もいよう。
だが人間の感覚として、A-Bの音とB-Aの音は同じではない。

A-Bの音とB-Aの音が同じだと考えているから、
そのブースでは10秒ごとの瞬時切り替えを行っていたのではないのか。

Date: 10月 19th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(あるスピーカーの評価をめぐって・その4)

ステレオサウンド 72号でオンキョーのGS1を取り上げているのは、
「エキサイティング・コンポーネントを徹底的に掘り下げる Dig into the Exciting Components」である。

この記事は71号から始まった企画で、
71号ではマイクロのターンテーブルSX8000II(5000II)、
京セラのCDプレーヤーDA910、アナログプレーヤーPL910、
コントロールアンプC910、パワーアンプB910が取り上げられている。筆者は柳沢功力氏。

カラー口絵があり、それぞれの本文は、マイクロが6ページ、京セラが10ページ。
それまでの新製品紹介の記事では無理だったページ数を割いている。

二回目となる72号では、アキュフェーズのC200LとP300Lのペア、
それとオンキョーのGS1で、前者を柳沢氏、後者を菅野先生が担当されている。

アキュフェーズ、オンキョーともに11ページが割り当てられている。
アキュフェーズはコントロールアンプとパワーアンプの二機種で11ページ、
オンキョーはGS1の一機種で11ページとなっている。

GS1の試聴はステレオサウンドの試聴室だけでなく、
菅野先生のリスニングルームにも持ち込んでも行っている。

菅野先生のご自宅は一階が車庫になっているから、
GS1は玄関の階段を担ぎ上げなければならない。
GS1の重量はカタログ発表値は117kg。
ウーファー部とトゥイーター部に二分割できるとはいえ、
それぞれ77kgと40kgで、けっして持ちやすい形状ではない。

そういう大変さがあるけれど、じっくり聴いてもらうために菅野先生のリスニングルームに運び込んでいる。

そしてステレオサウンドの試聴室での試聴でも、
それまでであれば編集部が設置するのだが、このときはオンキョーの人たちによるセッティングだった。
これも異例のことである。

Date: 10月 18th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(その15)

チューナーというオーディオ機器をどう捉えるのか。
それによって、いわゆる高級チューナーの必要性に対しての、人によっての考え方が違ってくる。

ステレオサウンド 59号の特集「ベストバイ」で長島先生が書かれていることを思い出す。
     *
 チューナーにもスーパーマニア向けといってよい超高級チューナーがある。これらの持つ魅力とはいったい何なのだろうか。昔、マランツ♯10Bやマッキントッシュのチューナーは、どう考えても放送局が送り出している元の音より美しいと話題になったことがある。簡単に考えるなら、チューナーは単なる伝送系の一部に過ぎず、このようなことが起るはずがないのだが、実際は、チューナーは単なる伝送系ではなく、ある意味ではリプロダクションシステムと考えることができるである。なぜならば、チューナーを通してオーディオ信号が出てくる仕組みは、受信電波を単に増幅しているだけではなく、受信検波、ステレオ復調という部分でチューナーがオーディオ信号を再組立しているともいえるからだ。したがって、回路構成、使用部品によって、前述のようなことが起り得る。この良い意味での個性を持つということが超高級チューナーの必要条件のひとつだと考えている。
     *
私がFM誌を読んでいたころ(1970年代終りごろ)、
何かの雑誌の相談コーナーで、自分のプレーヤーでレコードをかけるよりも、
同じレコードがFMで放送されるのを聴いたほうが音がいいのはどうしてでしょうか、という質問があった。
これはこういった相談コーナー以外でも取り上げられていた。

この場合のチューナーは、決して高級チューナーではない、普及型のチューナーであり、
アナログプレーヤーに関しても同じである。

FM放送のほうがよく聴こえるのであれば、
アナログプレーヤーのクォリティが低いのか、調整がうまくなされていない。
そう回答されていた。

中にはNKH FMの場合、使用カートリッジはデンオンのDL103なのだから、
FMよりも音が悪いということは、あなたが使っているカートリッジがDL103よりもクォリティが低い、
そんなことを書いているのも読んだ記憶がある。

この話も、同じ普及型のチューナーを使っていても、アンテナが違っていれば、
受信地域が違っていれば、その他の条件の違いによって変ってくるにしても、
当時、アナログプレーヤーの音の基準として、
同じレコードがFMで放送されたのよりも悪かったから、まだまだということだった。

このふたつの話は、レベルの違いはあるし、同一視できないところもあるけれど、
たとえレコードの放送であっても、
場合によっていい音、美しい音で聴けることが起り得ることを、考えさせる。

Date: 10月 18th, 2015
Cate: 五味康祐

続・長生きする才能(映画・ドラマのセリフ)

映画やドラマで、ときどきこんなセリフに出会す。

人はいつか死ぬ。早いか遅いかの違いだけだ。

こんなセリフが映画やドラマの中で使われることがある。
このあいだも聞いた。
たいてい、このセリフがいいたいことは、
早く死ぬことも遅く死ぬことも大きな違いはない、ということだ。

この手のセリフを聞くたびに思うことがある。
確かに人は必ず死ぬ。死なない人はいない。
世の中に絶対といえることは、このことくらいである。
死は避けられないのだから、早いか遅いかの違いだけだ、というセリフには半分同意できても、
半分は、早いか遅いかの前に、言葉がひとつないことを思ってしまう。

親より早く死ぬか遅く死ぬか、である。
私は、この違いは大きいと思う。