ダブルウーファーはロマンといえるのか(その1)
ダブルウーファーときいて、反応する人としない人とがいる。
前者がさしずめ肉食系オーディオマニアとでもいおうか、
後者はそうなると草食系オーディオマニア……。
あえて分けるとすると、こんなことを思いつく。
私にとってダブルウーファーのスピーカーシステムとして最初に強烈な印象を受けたのは、
やはりJBLの4350Aである。
ステレオサウンド 41号で見た4350Aが、
ダブルウーファーのスピーカーシステムは凄い、
こころときめかすものを感じていた。
つまり私にとっての「ダブルウーファー」とは、
15インチ口径のウーファーが二発ということでもある。
いつのころからか大口径ウーファーに対するアレルギーのようなものをもつ人が増えてきた。
少なくとも私はそう感じている。
15インチなどという大口径のウーファーを求めるのは、
知的とはいえない、野蛮な行為でもあるかのようにいう人が増えている。
小口径ウーファーのスピーカーを鳴らすことが、
知的な行為であるかといわんばかりの人が増えているような気がする。
低音を出すのに、大きさに走ってしまうのは、
あまり知的とは言い難いのかもしれない。
それもダブルにするとは、ますますもって知的とは言い難い。
大口径ウーファーを使うくらいならば、小口径ウーファーを複数使用したほうがいい──、
そんな風潮もいつのころからか強くなってきている。
大口径ウーファーを鳴らせば、
低音再生の問題は解決するほど単純で簡単なものではないことはわかっているし、
小口径ならではの良さがあり、大口径ゆえに発生しやすい悪さがあるのもわかったうえで、
それでもダブルウーファーは、オーディオのロマンの最もはっきりとあらわれたカタチといいたくなる。