background…(ポール・モーリアとDitton 66・その4)
セレッションのDEDHAMが日本で発売されるようになったのは1978年。
その六年後のステレオサウンド 72号の巻頭対談で、山中先生が発言されていることが、
DEDHAMにも関係してくる。
*
山中 オーディオの機械の中で一番の困りものは、スピーカーなんですよ。
ほかのものは、極端なことを言えば、よく向こうの人がやっているけど、アンプとかそういうものを家具の中に入れちゃう。部屋のコーナーをうまくつかって、自分の気に入らないものは見せないようにすることもできるけれども、スピーカーはそれができない。
イギリスでは18世紀ぐらいの古い建物をきれいに直して住むというのが、最近の中流以上の人たちのひとつの流行みたいになっている。その場合にどうしてもその部屋の中にオーディオ装置は欲しい。そこで一番困るのはスピーカーなんだそうですよ。
いま出ているスピーカーでそこの部屋に置いてマッチするものがない。
菅野 ないでしょうな。
山中 そのために、スピーカーの外側に家具調というか、その部屋に合わせたデコレーションする業者があって、それが結構いい商売になる。
菅野 むずかしいことですね、音響的に言ってもね。
山中 性能的には必ず落ちますよ。
*
この対談のテーマは「日本のオーディオのアンバランスさと日本人の子供っぽさについて考える」だった。
この対談を読んでいて、DEDHAMが誕生してきた背景には、こういうことがあったのかと思った。
DEDHAMの試作品は1977年のオーディオフェアに参考出品されていた。
そのころから、18世紀の古い建物に住むということが流行し出していたのか、
それともすでにそういう建物に住んでいる人たちから、こういう外観のスピーカーが欲しいという、
要求に応えてのDEDHAMだったのだろうか。
そうとも考えられるし、違うとも考えられる。
少なくともメーカーが、そう多くはない数とはいえ量産するわけだから、
既存のスピーカーにデコレーションする業者とは違うところにたってのDEDHAMであったといえよう。
それに、そういう業者によるスピーカーは、山中先生の発言にあるようにデコレーションが施される。
DEDHAMはどうだろうか。
デコレーションといえる要素は確かにある。
けれど、デザインといえる要素もはっきりとある。