Date: 10月 22nd, 2015
Cate: 挑発
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スピーカーは鳴らし手を挑発するのか(その3)

瀬川先生にとって「イメージの中の終着点」であったJBLのハーツフィールド。
けれど、ハーツフィールドは、瀬川先生にとって求める音のスピーカーではなかった。

ハーツフィールドは美しいスピーカーである。
JBLのスピーカーシステムの中で、もっとも優れたデザインのスピーカーシステムだと、
いまも思う。

ステレオサウンド 41号「オーディオの名器にみるクラフツマンシップの粋」、
ここでハーツフィールドが取り上げられている。
カラーページのハーツフィールドは、素敵なリスニングルームのコーナーにおさまっていた。

ハーツフィールドは、こういう部屋に置くデザインのスピーカーなんだ、と痛感させられた。
その部屋におかれることで、ハーツフィールドはさらに美しかった。

写真でみてもそうである。
もし、この部屋に入って直にみることができれば、
「イメージの中の終着点」としてのハーツフィールドの存在は確固たるものになっていくはずだ。

意を尽くし贅を尽くした──、
ハーツフィールドをみていると、そういいたくなる。
ゆえに「イメージの中の終着点」となっていくのかもしれない。

それでも……、と思うことがある。
ハーツフィールドは美しい。
デザイナーを目指されていた瀬川先生だから、
そういう目でみても、ハーツフィールドは「イメージの中の終着点」であったと思う。

だがどうしてもハーツフィールドのイメージと瀬川先生のイメージとが一致しないところがある。
ハーツフィールドの中高域はスラントプレートの音響レンズなのだが、
この形状は1950年代のアメリカのイメージそのものであり、
これなくしてハーツフィールドは成り立たないことはわかっていても、
この537-509ホーンの形、大きさ、色とが、瀬川先生と結びつかないのだ。

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