スピーカーは鳴らし手を挑発するのか(その3)
瀬川先生にとって「イメージの中の終着点」であったJBLのハーツフィールド。
けれど、ハーツフィールドは、瀬川先生にとって求める音のスピーカーではなかった。
ハーツフィールドは美しいスピーカーである。
JBLのスピーカーシステムの中で、もっとも優れたデザインのスピーカーシステムだと、
いまも思う。
ステレオサウンド 41号「オーディオの名器にみるクラフツマンシップの粋」、
ここでハーツフィールドが取り上げられている。
カラーページのハーツフィールドは、素敵なリスニングルームのコーナーにおさまっていた。
ハーツフィールドは、こういう部屋に置くデザインのスピーカーなんだ、と痛感させられた。
その部屋におかれることで、ハーツフィールドはさらに美しかった。
写真でみてもそうである。
もし、この部屋に入って直にみることができれば、
「イメージの中の終着点」としてのハーツフィールドの存在は確固たるものになっていくはずだ。
意を尽くし贅を尽くした──、
ハーツフィールドをみていると、そういいたくなる。
ゆえに「イメージの中の終着点」となっていくのかもしれない。
それでも……、と思うことがある。
ハーツフィールドは美しい。
デザイナーを目指されていた瀬川先生だから、
そういう目でみても、ハーツフィールドは「イメージの中の終着点」であったと思う。
だがどうしてもハーツフィールドのイメージと瀬川先生のイメージとが一致しないところがある。
ハーツフィールドの中高域はスラントプレートの音響レンズなのだが、
この形状は1950年代のアメリカのイメージそのものであり、
これなくしてハーツフィールドは成り立たないことはわかっていても、
この537-509ホーンの形、大きさ、色とが、瀬川先生と結びつかないのだ。