Date: 10月 19th, 2015
Cate: ショウ雑感, 試聴/試聴曲/試聴ディスク
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2015年ショウ雑感(その6)

こういう試聴方法で何が聴きとれるのか。
五味先生の「五味オーディオ教室」にも書いてある。
     *
 音の味わい方は、食道楽の人が言う〝味覚〟とたいへん似ているように、思う。
 佳い味つけというのは、お吸物(澄まし)の場合なら、ほとんどが具の味をだしに生かしてあり、一流の腕のいい板前ほど塩加減でしか味つけをしない。したがって、たいへん淡白な味だが、その淡白さの中に得も言えぬ滋味がある。でもこれを、辛くて粗雑な味の味噌汁を飲んだあとで口にすると、もう滋味は消え、何かとても水っぽい味加減に感じるものだ。
 腕のいい板前はだから、他の料理が何であるかも加味して、吸物の味をつけるという。淡白で、しかもたいへん上品な味加減のその素晴らしさは、粗悪な味のあとでは賞味できないものだから。
 人間の舌はそれほど曖昧——というより、他の味つけの影響をとどめやすいものなので、利き酒を咽喉に通さず、一口ふくんでは吐き出す理由もここにあろう。
 ヒアリング・テストも同じだ。よほど耳の熟練した人でも、AのスピーカーからBのスピーカーに変わった瞬間に聴き分けているのは、じつは音質の差(もしくは音クセ)なので、そのスピーカー・エンクロージァがもつ独自な音色の優秀性(また劣性)は、BからAにふたたび戻されたときには、もう聴き分け難いものとなるのがしばしばである。
     *
私がオーディオに興味を持ち始めた1976年の時点で、
すでに瞬時切り替え試聴の問題点は指摘されていた。

それでも……、と反論する人がいると思う。
いるからこそ、今回のオーディオ・ホームシアター展(音展)での、あのやり方が行われたのだろう。

Aの音とBの音の違いが聴きとれれば、何の問題もないじゃないか、という人がいるだろう。
だが、このやり方で聴きとれるのはAの音とBの音の違いではなく、あくまでも差である。

くり返すがA-Bの音という差、B-Aの音という差であり、
違いではなく差であるからこそ、A-Bの音とB-Aの音は、人間の感覚として同じになることはない。

味覚では、この話は通用するのだが、
なぜか聴覚となると、私の耳はそうではない、といいはる人がいて、通じない場合もある。

違いと差は決して同じではない。
そして試聴(特に比較試聴)では、
何が聴きたいのか、何を聴こうとしているのか、何を聴いているのか、
これらのことを曖昧にしたままでは、何を聴いているのかがわからなくなってしまう。

それできちんとしたデモ、プレゼンテーションができるわけがないし、
ましてスピーカーの開発は……、である。

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