Archive for 7月, 2015

Date: 7月 7th, 2015
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

ブラインドフォールドテスト(続・音の尺度)

音を聴くということは、音に反応するということでもある。
そこで鳴っている音に反応するからこそ、聴き手は尺度を、ほぼ無意識に切り替える。

音の尺度(聴き方の尺度)を切り替えない、
そういうものではないし、常に一定だ、という人は、
切り替わっていることに気づいていないのか、
もしほんとうに尺度がまったく切り替わっていないのであれば、
その人は音に反応していないのではないか。

反応しない、ということは、音、音楽を聴いているといえるのだろうか。
反応するからこそ、「耳」は経験を積める。
経験を積むことで、以前は聴き取れなかった音の違いを聴き取れるようになっていく。

長いことオーディオをやってきたから、その人の「耳」が経験を積んでいるとはいえない。

Date: 7月 7th, 2015
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(ガラード301との比較・その8)

たまたま松田聖子のディスクで、EMTの930stとガラードの301+オルトフォンSPUとを聴き比べたから、
松田聖子について書いてきたわけだが、
これが私自身が熱心な聴き手であるグラシェラ・スサーナだったら、
930stと301+SPUのどちらを選ぶかとなると、これもためらうことなく930stを選ぶ。

前回、親密感について書いた。
私は熱心な松田聖子の聴き手ではないから、そこでは親密感を求めない、とした。
だから930stをとる、と。

グラシェラ・スサーナに関しては熱心な聴き手だ。
彼女の歌い方からすれば、そこに親密感はあってほしいとは思う。
けれど、親密感というよりも、もっと求めるのは、私ひとりのために歌ってほしい。

このことは女性ヴォーカル、それも気に入っている女性ヴォーカルのレコードを鳴らす場合に、
多くの聴き手(男ならば)が求めていることだろう。

ならば親密に鳴ってほしいのかといえば、私はそうではない。
グラシェラ・スサーナにしても松田聖子にしてもプロの歌い手である。

私が望むのは、あくまでもプロの歌い手が私ひとりのために歌っている、
そういう感じで鳴ってきてくれたらうれしいのであって、
プロの歌手が聴き手に媚びているような親密感で歌ってほしいとは思っていない。

親密より濃密に歌ってほしい。
そしてなによりも930stと301+SPUの聴き較べてあらためておもったのは、
930stの音のデッサン力の確かさである。

Date: 7月 7th, 2015
Cate: ロマン

ダブルウーファーはロマンといえるのか(JBL 4520と4530)

JBLのバックロードホーン・エンクロージュアとして、以前4520と4530という、
ふたつのモデルがあった。

4520はダブルウーファー用で、4530はシングルウーファー用。
価格は、1978年当時、4520が166000円、4530が78000円。
4520は4530の約二倍だった。

ダブルウーファー仕様とシングルウーファー仕様だから、この価格差は当然と思われるだろうが、
このふたつのエンクロージュアの違いを知る人からすれば、4520の方が安いと思ってしまう。

4520と4530の違いは、単にウーファーを二発か一発かの違いだけではない。
4530に15インチ・ウーファーを横に二発取りつけられるように横幅を延ばしただけではない。
エンクロージュアのサイズ(プロポーション)、それに伴うホーンロード長が違う。

4530の外形寸法はW60.3×H121.3×D60.3cm、重量は54kg。
4520の外形寸法はW90.8×H127.6×D75.6cm、重量は98kg。

4530では150Hz以上は搭載したウーファーから直接放射され、
それ以下の周波数になるとホーンが受け持つ。
4530のホーン長は2mと発表されていて、再生可能な低域は50Hzまでとなっている。

4520は、エンクロージュアの奥行きが15cm増していること、
それから高さも5cm増し、ホーン開口部の底辺の位置が4530よりも低い位置になっている。
ホーン長も当然長くなっている。

JBLの公称値は4mとなっているが、さすがにそこまで長くはない。
もう少し短いはずだ。

とはいえ4520の低域の再生限界は30Hzまで伸びている。
42Hzまでホーンロードがかかると発表されている。
ウーファーから直接放射されるのは150Hz以上なのは4530と同じである。

4530と4520、
ダブルウーファーとはこういうものだということを強烈に感じさせてくれる。

Date: 7月 7th, 2015
Cate: 4350, JBL, 組合せ

4350の組合せ(その1)

別項でダブルウーファーのことを書いていると、
頭の中にJBLの4350のことが何度も浮んでくる。

私にとって、最初の、そしてもっとも強烈だったダブルウーファーのスピーカーは4350Aだった。
4350Aで聴いた菅野先生録音のザ・ダイアローグの音はすごかった。

調整に十分な時間がかけられていたわけでもないだろうし、
完全な鳴り方でもなかったのだけれど、それでも凄い音が鳴ってきた。

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’79」で、
菅野サウンドのジャズ・レコードを製作者の意図したイメージで聴きたい、
という読者から手紙に応えて、菅野先生がつくられた組合せのスピーカーは4350だった。

《私としては自分がこのシリーズを録音したときの意図というものを、理想的に再生するシステムとしては、
JBLのスピーカーしか、現在のスピーカー・システムの中では見当たらないわけです》
と菅野先生は4350を選択した理由を語られている。

ステレオサウンド、別冊をみても、4350の組合せは意外と少ない。
バイアンプ駆動ということ、
組合せにはたいてい予算の制約が設けられているから、4350はその点で不利になる。
そんな理由であまり組合せ記事に登場してこなかったのか。

私が記憶している4350の組合せは上に書いた菅野先生の例と、
「コンポーネントステレオの世界 ’80」での井上先生の組合せ、
それからスイングジャーナルでの瀬川先生の組合せだけである。

スピーカーが同じでも組合せをつくる人が違うと、
そこで選ばれるアンプ、プレーヤーはずいぶん違ってくる。

三つの記事を並べて読むと、実に興味深い。

Date: 7月 6th, 2015
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

ブラインドフォールドテスト(音の尺度)

ブラインドフォールドテストのみが信用できる試聴である、と主張する人に聞きたいことがある。
それは音の尺度(聴き方の尺度)をどう捉えて考えているかである。

三月に別項で音の尺度について書いた。
人は意識的に、無意識的に尺度を切り替えて聴いている。
まったく切り替えずに、常に不変の尺度で聴いている人はいるのだろうか。

もしかするとブラインドフォールドテストのみが……と主張(言い張る)人は、
尺度を切り替えたりはしない、というのかもしれない。

そういう聴き方が不可能だとはいわない。
けれど、そういう尺度を常に一定にしたままで聴くことが、
音の美しさを受け取る行為といえるだろうか。
この疑問があるから、私はブラインドフォールドテストのみが……と主張する人に、
あなたは尺度を切り替えているのか、つねに一定にしているのか、と聞きたい。

Date: 7月 6th, 2015
Cate: ロマン

ダブルウーファーはロマンといえるのか(その3)

ごく初期のJBLの4435のように、ダブルウーファーでも、
片側は2234H、もう片方は2234Hにマスコントロールリングを装着した仕様の2235Hであり、
2235Hは2234Hよもf0が低く、
この場合、シングルウーファーよりもダブルウーファーとすることで低域の再生下限はのびる。

低域の再生下限をのばしたければ、
同口径でもよりf0の低いウーファーを使うか、より大口径のウーファーを用意した方がいい。

ではなぜダブルウーファーとするのか。
単純に同じユニットを二発使えば音圧は3dB上昇する。
これはメリットではあるものの、
最大出力音圧レベルに不足を感じていない、
パワーアンプにより出力の大きなモノをもってこれるのであれば、さほどメリットとはいえなくなる。

そんなことはわかっていても、ダブルウーファーにする人がいるし、ダブルウーファーに憧れる人がいる。
その理由は頭で考えるよりも、ダブルウーファーがよく鳴っている音を一度でも体験してみればわかる。

ダブルウーファーがうまくいけば、エネルギーの再生において、あきらかなものがある。
低域の再生において、エネルギー的にシングルウーファーとダブルウーファーは、
音圧の3dB上昇以上に、感覚的には6dBほどの違いがあるといえる。

この低域のエネルギーは、音のリアリティと直結しているようにも、
ダブルウーファーのシステムを聴けば、そう感じられる。

ナマより生々しい音──。
ナマの楽器の実体感、リアリティが、シングルウーファーよりもグンと増すというよりも、
シングルウーファーでは越えられなかった領域を聴かせてくれる。

Date: 7月 6th, 2015
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その12)

つきあいの長い音が、オーディオマニアとしての「純度」を高めていくのかもしれない。

Date: 7月 6th, 2015
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その11)

つきあいの長い音は、そうやって聴き手を育てていく。

Date: 7月 6th, 2015
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

ブラインドフォールドテスト(その4)

オーディオ機器の評価の難しさは、それ単体では音が出せない(出ない)というところにある。
パワーアンプの試聴をするにも、
パワーアンプだけを用意すれば試聴が可能になるわけではない。

必ずアナログプレーヤーなりCDプレーヤーが必要になり、
コントロールアンプ、スピーカーシステムも用意しなければならない。
そしてこれらの機器を接続するためのケーブルも、である。

パワーアンプの音を聴くといっても、
実際にはそこでのトータルの音を聴いているわけである。
いうまでもなく、そこでのトータルの音には、オーディオ機器だけでなく部屋も含まれる。

だからこそ馴染んだ環境がなければ、実のところ試聴は成立しない。
ステレオサウンドの筆者にとっては、ステレオサウンドの試聴室がそういうことになる。

同じ場所で、その試聴室のリファレンス機器での音を何度も聴いて知っているからこそ、
試聴は成り立つといえる。

つまりパワーアンプの試聴は、
同じ場所での同じ機器での音の一部(パワーアンプ)を交換した音を聴いているわけで、
交換した一部以外は、いっさい変更してはならない。
そして交換する一部は、すべての機種を可能なかぎり同条件のセッティングが前提となる。

つまり置き場所、置き方、電源のとり方、その場所、
コントロールアンプとの接続ケーブルの引き回し、スピーカーケーブルの這わせ方など、
すべての機種で同じになるように注意しなければならない。

パワーアンプにはステレオ仕様とモノーラル仕様がある。
注意したいのはモノーラル仕様の場合である。
たいていの壁コンセントには挿込み口が二つある。

私がいたころはステレオサウンドの試聴室では、
ステレオアンプは上の挿込み口から、
モノーラルアンプの場合は、左チャンネルを上、右チャンネルを下の挿込み口からとるようにしていた。

左チャンネルを上、右チャンネルを下にしていたのは、
これがすべての場合において音が良いから、ということではなく、
常に同じセッティングをどの機種に対しても行うための、いわばルールである。
いうまでもないが、電源の極性は合せている。

Date: 7月 5th, 2015
Cate: 純度

オーディオマニアとしての「純度」(その13)

硬度と書いて気づいたことがある。
水のことだ。

スーパーに行けば、いろいろなミネラルウォーターが並んでいる。
日本のミネラルウォーターだけでなく、世界各国のミネラルウォーターが並んでいる。

どのミネラルウォーターにも硬度が表示されている。
一般的に日本の水の硬度は低い。
いわゆる軟水である。

フランスの水は硬度が高い。硬水である。
エビアンも日本の水よりも硬いけれど、
ヴィッテルはもっと硬いし、コントレックスはさらに硬い。

ミネラル成分の違いによって、水の硬度が違ってくる。

ということは、いわゆる純水は不純物(ミネラルも不純物である)を含まないのだから、
日本のミネラルウォーターよりも、もっと軟水ということになるのだろうか。

だとすれば、水に関しては純度が高くなればなるほど硬度は低くなる。

水の純度とオーディオマニアとしての「純度」は同じには語れないことはわかっている。
それでも純度と硬度の関係について考えていると、
ミネラルにあたるものはなんなのか、となる。

Date: 7月 5th, 2015
Cate: 黄金の組合せ

黄金の組合せ(その23)

AGIのコントロールアンプ511とQUADのパワーアンプの405の組合せ。
このふたつが、ある時期、良好な組合せ、うまい組合せと評価されてきたのは、
それぞれがもっている枠がうまく合さった結果のような気もする。

どちらのアンプにも枠がある。
ただしQUADの枠は意図的、意識的な枠なのかもしれないし、
AGIの枠は若さゆえに生じた枠だったのかもしれない。

このふたつの枠は、どちらも比較的初期の段階ではうまく合さっていた。
でもどちらのアンプも何度か小改良が施されている。
そのことによって枠に変化が生じる。

QUADの枠は、その枠自体が魅力となっていても、
405の改良、405-2への変更によって枠は少しとはいえ大きくなっている。

AGIの枠は、大きくしようという改良ではなく枠そのものをなくしていこうという改良のようでもある。

ふたつのアンプの枠は方向性にわずかとはいえ違いが出てきた。
AGIのデヴィッド・スピーゲルは20代の若いエンジニア、
QUADのピーター・ウォーカーは老獪といえるエンジニアである。
違いがあって当然であろう。
そのため、ある時期から511と405の組合せは、ステレオサウンドの誌面にも登場してこなくなっていった。

タンノイのIIILZとラックスのSQ38Fの組合せは、黄金の組合せと呼ばれていた。
けれど、IILZの後継機Eaton、SQ38Fの後継機 SQ38FD/IIの組合せは、誰も黄金の組合せとは呼ばなかった。
この理由も、改良にともなう枠の変化だったのではないだろうか。

Date: 7月 5th, 2015
Cate: 純度

オーディオマニアとしての「純度」(その12)

その1)の冒頭に書いているように、
書きたい内容があって書き始めたわけではない。

オーディオマニアとしての「純度」というタイトルが思い浮んで書き始めた。
それだけに、ここから先、どんなことを書いていくのかまだ見えてきていない。

それでもオーディオマニアとしての「純度」とは、
どこまでオーディオマニアとしてのわがままを貫き通せるかどうかではないだろうか。

そして、この「純度」とは、オーディオマニアに共通するものなのか、
共通する何かがあるものだろうか、
オーディオマニアひとりひとりまったく違うものなのか。

オーディオを趣味として長くやっているから、
オーディオマニアとしての「純度」が高いということになるのだろうか。

オーディオマニアとしての「純度」が高いとは、そもそもどういうことなのか。
音は人なりというのだから、
オーディオマニアとしての「純度」が高くなれば、純度の高い音を鳴らしているのか。

純度の高い音は透明度の高い音とイコールではないはず。

純潔という言葉がある。
純潔なオーディオマニアとはどういうことなのか。

ただひとつのスピーカーだけ、他のスピーカーにはまったく関心をもたずに、
そのスピーカー一筋で鳴らしてきた人を純潔なオーディオマニアと呼べるのか。
呼べるとしたら、その人はオーディオマニアとしての「純度」が高いのか──、
私にはそうは思えない。

オーディオマニアとしての「純度」とは、なんなのか。
「わがまま」なのだろうか。

純度が増すということは硬度が増すということでもある。
ならばオーディオマニアとしての「硬度」が増すということは、
やはり「わがまま」ということなのか、硬度があるから「わがまま」を貫き通せるのか。

Date: 7月 5th, 2015
Cate: pure audio

ピュアオーディオという表現(バラストなのか)

アキュフェーズの創業者である春日二郎氏の「オーディオ 匠のこころを求めて」、
この本の中に、ピュアオーディオについて書かれているところがある。

「オーディオはバラスト」とつけられた短い文章だ。
     *
 船舶は、転覆をしないように重心を低くするため、船底に重いバラスト(底荷)を積んでいる。これは直接的な利潤を生まない「お荷物」ではあるが、極めて重要なものである。
 歌人の上田三四一(みよじ)氏は、「短歌は高い磨かれた言葉で的確に物をとらえ、思いを述べる、日本語のバラスト(底荷)だと思い、そういう覚悟でいる。活気はあるが猥雑な現代の日本語を転覆から救う、見えない力となっているのではないか」、このように書かれている。

純粋オーディオも、人類にとって大切なオーディオ文化を守る重要なバラストの役目をしているのではないだろうか。
     *
オーディオはバラストといえる、と思う。
けれど、それはオーディオ文化を守るバラストというよりも、音楽文化を守るバラストのように思っている。

「オーディオはバラスト」について、
そして「オーディオのバラスト」についても、いずれ書いていく。

Date: 7月 4th, 2015
Cate: アナログディスク再生

電子制御という夢(その32)

テクニクスがもしSL10、SL15といったLPジャケットサイズのアナログプレーヤーを開発していなければ、
ビクター、ソニー、デンオンと同じように、電子制御のトーンアームを出していただろうか。

SL10はリニアトラッキング方式で、電子制御である。
ただし一般的なリニアトラッキング方式では、
ストレートのトーンアームパイプがある。

SL10とほぼ同時代の他社のリニアトラッキングアームのプレーヤー、
ヤマハのPX1、パイオニアのPL-L1のように。

テクニクスのジャケットサイズでは、
同じリニアトラッキング方式ではあっても、このパイプはない。

テクニクスがSP10との組合せを前提としたリニアトラッキングアームを開発したとしたら、
どんな形になっていただろうか。
パイプのないリニアトラッキングになっていたのだろうか。

パイプがなかったとしたら、
パイプに起因する問題もなくなる。
つまり低域共振の問題もほとんど無視できるはずであり、
そうなると他社の電子制御のトーンアームで行っていた低域共振の制御は不要となる。

Date: 7月 4th, 2015
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

ブラインドフォールドテスト(その3)

ブラインドフォールドテストを絶対視し、
いわゆるオープンテストは信用できないと主張している人の多くは、
ステレオサウンドがやってきた試聴というものを一度も体験したことのない人なのだろう。

試聴というものは、オーディオ雑誌を読んでいた時と、
実際に試聴室という現場で仕事をするようになってからでは、認識がそうとうに変ってくる。

これはいくら言葉で説明しても伝わりにくいものであるようで、
私も読者だった時代、
ステレオサウンドの特集記事のテストの方法は毎回きちんと読んでいた。
それでも、試聴という仕事をあまく捉えていたことを、
ステレオサウンドで働くようになって気づいた。

試聴の方法として、どういうやり方がいいのか。
ブラインドフォールドテストがいちばんいいやり方ではない。
そのことははっきりしている。
他のやり方すべてに問題点があることもわかっている。

これはすべてのテスト(試聴)方法に共通していえることだが、
いったい何をテストしているのかを明確にしていかなければならない。

何をバカなことをいっているんだ、と思われた方は、
試聴というものがよくわかっていないといえる。

例えばパワーアンプのテスト。
試聴順(ステレオサウンドの場合、価格順が多い)にアンプを聴いていく。
CDプレーヤー、コントロールアンプ、スピーカーシステムは試聴の間、変更はしない。
変っていくのはパワーアンプのみである。

そうやってかなりの数のパワーアンプを聴く。
果して、この試聴はパワーアンプの試聴とはっきりといえるだろうか。
パワーアンプの試聴だといえるには、どういうことが条件となってくるのか。