ピュアオーディオという表現(バラストなのか)
アキュフェーズの創業者である春日二郎氏の「オーディオ 匠のこころを求めて」、
この本の中に、ピュアオーディオについて書かれているところがある。
「オーディオはバラスト」とつけられた短い文章だ。
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船舶は、転覆をしないように重心を低くするため、船底に重いバラスト(底荷)を積んでいる。これは直接的な利潤を生まない「お荷物」ではあるが、極めて重要なものである。
歌人の上田三四一(みよじ)氏は、「短歌は高い磨かれた言葉で的確に物をとらえ、思いを述べる、日本語のバラスト(底荷)だと思い、そういう覚悟でいる。活気はあるが猥雑な現代の日本語を転覆から救う、見えない力となっているのではないか」、このように書かれている。
純粋オーディオも、人類にとって大切なオーディオ文化を守る重要なバラストの役目をしているのではないだろうか。
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オーディオはバラストといえる、と思う。
けれど、それはオーディオ文化を守るバラストというよりも、音楽文化を守るバラストのように思っている。
「オーディオはバラスト」について、
そして「オーディオのバラスト」についても、いずれ書いていく。