Archive for 2月, 2015

Date: 2月 18th, 2015
Cate: 相性

本末転倒だったのか(その4)

自転車をオーディオにあてはめて捉えることになにか意味があるのか。
ないのかもしれないと思いつつも、こりずにやっている。

たとえばチェーンリングとチェーン。
このメカニズムは、オーディオでいえばトランスにあてはまる。
ギヤ比がトランスの巻線比に相当する。

真空管アンプの出力トランスは、
高電圧・小電流を低電圧・高電流へと変換する。

自転車では遅い回転数を速い回転数へと変化する。
アンプの出力トランスとは逆の変換を行っている。
つまり一次側と二次側を反転させたようなものである。

そう考えるとホイールという回転体がスピーカーということになる。
では、その場合、フレームは何にあたるのか。

Date: 2月 18th, 2015
Cate: BBCモニター

BBCモニター、復権か(その17)

株、為替といったものは変動することで利益が生れる。
安定してしまっていたら、これらで利益を得ることはできないのではないだろうか。
そう考えると、いまの資本主義においては、変動こそが利益なのかもしれない、と思ってしまう。

だからそれぞれの業界は変動を必要とする。そうも思えてしまう。
ブームがあるのもそのためではないのか。

私はBBCモニターへの思い入れが強い。
BBCモニターが最高のかたちで復刻されるのは嬉しいし、
さらには新しいBBCモニターが開発されること(おそらくないだろうが)も望んでいる。

そうであるから、昨今のBBCモニターの復刻を好意的にみていきたい、という気持は強い。
それでも、復刻が続いている理由のひとつは、
BBCがライセンス料で稼ぎたいということが大きく絡んでいるような気がするのだ。

BBCモニターのLSナンバーを型番に使うには、BBCにライセンス料を収めなくてはならない。
だから当時は、同クラスのスピーカーシステムよりも、
LSナンバーがつくスピーカーは高価だった。
これはいまもそうだと思う。

もしかすると、いまはライセンス料が撤廃されているのかもしれない。
だとしても、最近のBBCモニターの復刻は、こういう世の中で利益を得るための変動要素なのではないか。
そう思えてしまうところがある。

そんなことはない、と払拭しようとしても、そう思える。
これは何もBBCモニターに関してだけではない、
アナログディスクのブームにも、同じような臭いを感じてしまう。

Date: 2月 18th, 2015
Cate: BBCモニター

BBCモニター、復権か(その16)

スピーカーの完成度は高くなり、完結しているのが理想ではある。
けれど完成度を高くすることを目指しているうちに、完結することを忘れてしまったスピーカーもある。

そういうスピーカーシステムのつくり手は、もしかすると完結していることを目指していないのかもしれない。
私は完成度の高さとともに完結していることをスピーカーに求めているけれど、
すべてのつくり手がスピーカーを完結させようとしているとは限らないし、
また受け手(鳴らし手)においても、私と同じように完結していることを求めている人もいれば、
ひたすら完成度の高さのみを求める人もいよう。

だから完成度が高く完結していることを理想とするのは、必ずしも一般的な理想とはいえないのかもしれない。
どちらが正しいということではなく、完結であることを求める人とそうでない人とでは、
スピーカーの評価も違ってくる。

BBCモニターは、いうまでもなくモニタースピーカーとして開発されたモノだ。
モニタースピーカーをどう定義するのかについて、ここで書いていくと、
いつまでも先に進めなくなるので割愛するが、
モニタースピーカーに完結していることは求められるのか。

私がこれまでに聴いてきたBBCモニターに感じてきた完結している良さは、
つくり手が意識していたことなのか、それとも聴き手(つまり私)の勝手な解釈にすぎないのか。

LS3/5A、LS3/6、LS5/9と復刻が続いているBBCモニターをじっくりと聴く機会はないものの、
なんとなく感じているのは、このことである。
なんとなくでしかないのだが、完結しているかどうかに関してのつくり手側の意識はないか、
稀薄になってしまったかのように感じてしまっている。

そこで、BBCモニター、復権か、と考えてしまう。

Date: 2月 18th, 2015
Cate: BBCモニター

BBCモニター、復権か(その15)

菅野先生が、ステレオサウンド 70号の特集の座談会でいわれたことを、いまも思い出す。
特集はComponents of the yearで、ダイヤトーンのDS1000が選ばれていて、
このスピーカーについての座談会で発言されている。

《スピーカーというのは、ものすごく未完成ではあるけれど、
ものすごく完結していなくては困るものだと思うんです。》

未完成であるけれど、ゆえに完結していくこることが求められるオーディオ機器が、
スピーカーシステムであることは、
歳を重ね、さまざまなスピーカーシステムを聴き、
スピーカーの進歩というものにふれていると、つよく実感できる。

ロジャースのPM510は未完成なスピーカーシステムだった。
けれど、PM510よりも完成度の高いほかのスピーカーシステムよりも、完結していた。

このことはLS3/5Aについてもいえる。
当時のLS3/5Aは、こまごまとした欠点を抱えているスピーカーではあったが、
ある条件下での完結した音の世界は確実にもっていたスピーカーであった。

そのことがひとりの聴き手のために親密に鳴ってくれる感じを醸し出していたのかもしれない。

昨秋のオーディオショウで聴いたスターリング・プロードキャストのLS3/5a V2は、
その点で疑問を感じている。
広いスペースでの鳴らし方ということもあったし、じっくり聴けたわけでもなかったので、
はっきりしたことはなんともいえないのだが、音色的にはLS3/5Aと感じても、
30年以上前に聴いて、購入したLS3/5Aに感じた良さはかなり薄れてしまっているかのようだった。

スピーカーとしての完成度はスターリング・プロードキャストのLS3/5a V2は高くなっているのかもしれない。
けれど完結しているということに関しては、いまのところなんともいえない。

Date: 2月 17th, 2015
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンド 200号に期待したいこと(その1)

あと一年半ほどで、ステレオサウンドは200号を迎える。創刊50周年である。
その200号にぜひともつけてほしいのが、
50号に巻末附録としてあった、創刊号から49号までの総目次とテストリポート掲載機種総索引である。

50号の時点で扉を含めて、この特別附録は32ページあった。
単純に計算すると200号はその四倍だから、128ページ。
実際には掲載機種数は多くなっているだろうから、ページ数はもう少し増えるであろう。

総目次と総索引、作成するのは地味な仕事である。
けれど読者にとっては、ひじょうにありがたい、役に立つページとなる。
読者だけではない、編集者にとっても同じである。

おそらく特別附録が200号につく可能性はかなり低いと思われるが、
それでも50年という節目でもあるわけだから、ぜひともつけてほしい。

Date: 2月 17th, 2015
Cate: 公理

オーディオの公理(その7)

ステレオサウンドは70号で、「真空管アンプの新しい魅力をさぐる」と題して、
28機種の真空管セパレートアンプの試聴を行っている。
ふだんのステレオサウンドの特集では登場しないブランドのアンプも、ここでは取り扱っている。

この試聴記事の冒頭には、
試聴メンバーの長島達夫、山中敬三、細谷信二による鼎談
「真空管アンプはなぜ音がいいのか、現代にも通用するサウンドの特質とその秘密をさぐる」があり、
試聴記事の後には「内外真空管アンプメーカーに聞く アンプづくりのポリシーとノウハウ」という、
アンケート調査の結果がある。

これらの記事から、真空管アンプの音について、公理といえることが読みとれるだろうか。
鼎談の中にも、ウォームトーンという単語が出てくる。
長島先生の発言だ。
     *
これは前から気になっていたことですけど、真空管アンプ=ウォームトーンという言葉が一時、流行しました。やわらかく穏やかで、全体を包み込むような雰囲気がある。そのかわり、中身がはっきり見えないということなんだ。はっきり言ってしまえば、音に偏りがあるアンプということだとぼくは思うんです。
それは、コンストラクションとか回路をわりあいとイージーにまとめてしまったことが原因なんですね。ところが、そういうアンプでも四次元目はあるわけです。その四次元目をあまりにもクローズアップしたがために、非常に大事な音の基本的な三次元の要素が忘れられてるということなんです。これはアンプとしてやっぱり落第だとぼくは思う。
本当の真空管アンプというのは、決してそんな特定の色合いはないんですよ。
     *
ここで公理として浮び上ってくるのはウォームトーンではなく、四次元目ということになる。

Date: 2月 17th, 2015
Cate: 公理

オーディオの公理(その6)

マイケルソン&オースチンからも、管球式のコントロールアンプTVP1が出た。
価格は330,000円。TVA1とペアとなるコントロールアンプというよりは、
TVA1の姉妹機TVA10(440,000)とペアとなるモノという感じだった。

1982年にTVP1の上級機TVP-X(570,000円)も登場した。
これがTVA1とペアになるわけだが、どちらもあまり話題になることはなかった。

1981年のステレオサウンド別冊「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」でも、
マイケルソン&オースチンのパワーアンプは取り上げられている。
けれど1979年発売のTVP1は登場していない。

「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」では、コントロールアンプ、パワーアンプを、
それぞれリファレンスアンプ(マッキントッシュのC29とスレッショルドのSTASIS1)と組み合わせて試聴、
さらに純正ペアでの試聴も行っている。
にも関わらず、マイケルソン&オースチンはパワーアンプの三機種のみだった。

まだ読者だった私は不思議に思っていた。
不思議に思った人は多いと思う。

そういうことだったのか……、とわかったのはステレオサウンドで働くようになってからだった。
マイケルソン&オースチンは、パワーアンプを得意とするメーカーであり、
コントロールアンプに関しては不得手だったメーカーである。

直接比較することはなかったけれど、アメリから登場した新しい世代の管球式コントロールアンプとは反対に、
マイケルソン&オースチンは、古めかしい印象を音に残したままだった。

とはいっても、アメリカの新しい世代のコントロールアンプはノイズに問題のあるモノがいくつかあった。
残留ノイズが耳につくレベルであり、
この点に関しては古い世代(つまりマランツやマッキントッシュなど)よりも、悪いという印象が残る。

Date: 2月 17th, 2015
Cate: ヘッドフォン

ヘッドフォン考(バイノーラルはどうなるのか)

瀬川先生はステレオサウンド別冊「Hi-Fiヘッドフォンのすべて」で、
テスト方法として、次のことを書かれている。
     *
 プレーヤーやレコードは、日頃テスト用に使い馴れたものをそのまま使った。私の場合、ヘッドフォンの用途はすでに書いたようにごく普通のレコードの鑑賞用であるのだから、バイノーラルディスクを使うことはしなかった。もともとスピーカーで聴くことを前提に録音されたレコードをヘッドフォンで聴くのだから、音像定位や音場感には無理のあることは当然なのだが、だからといってヘッドフォンでレコードを聴くことをやめるわけにはゆかないのだから、そういう無理を承知の上で、どこまで満足のゆく再生ができるのか、を知りたかったわけだ。
     *
いまヘッドフォン、イヤフォンがこれだけ普及しているけれど、
そこで聴かれているのは、「スピーカーで聴くことを前提に録音された」ものである。
バイノーラル録音のものを聴いている人は、ごくわずかであろう。

私が知る(聴いた)バイノーラル録音で新しいのは、
グレン・グールドの1955年のゴールドベルグ変奏曲を、ヤマハの自動演奏ピアノを使って録音したSACDだ。
このディスクには通常のステレオフォニックの録音とはバイノーラル録音のふたつが収録されている。
2007年に出ている。

その後にバイノーラル録音はディスクはあるのだろうか。
ハイサンプリング、ハイビット(いわゆるハイレゾ)は、
ヘッドフォン、イヤフォンでも、対応を謳うモノが多くなってきているし、話題になっている。

けれどバイノーラル録音・再生のことは、まったく話題になっていないようだ。
ヘッドフォンでステレオフォニックの録音を聴くのが間違っているわけではないが、
一度はバイノーラル録音されたものをヘッドフォンで聴いてみてほしい、とも思う。

これからはパッケージメディアと並行してインターネット配信も進んでいく。
ならばグールドの自動演奏ピアノの録音と同じように、
同時にステレオフォニックとバイノーラルの、ふたつの録音を行い、
インターネット配信でバイノーラル録音を販売する、というやり方もあっていいのではないか。

Date: 2月 17th, 2015
Cate: オリジナル

オリジナルとは(STAR WARSの場合・その2)

映画「ピープルvsジョージ・ルーカス」を観て考えるのは、
オリジナルは時代に属するものなのか、ということ。

スターウォーズが、この件でこれだけ騒がれるのは、スターウォーズが名作ということでもあろう。
名作もまた時代に属するのか。

名作が時代に属するのであれば名器も時代に属するのか。
そして原器は、どうなのか。

時代に属して、時代に縛られてはいない、といえるのか。
時代に属していないけれど、時代に縛られているものもあるのか。

そんなことを考えている。

Date: 2月 16th, 2015
Cate: 相性

本末転倒だったのか(その3)

一台の自転車を、オーディオシステムにあてはめて考えてみると、
ホイールこそがスピーカーかもしれない。

空気に接していて、その空気を振動させて疎密波をつくり出すのがスピーカーなのだから、
地面と接して人と自転車を前に進めていく働きをしているのタイヤをふくめたホイールであり、
どちらも動くこと(スピーカーは前後、ホイールは回転)で仕事をする。

アンプはそのスピーカーを駆動するわけだから、いわばエンジンといえる。
自転車でエンジンとなるのは乗り手である。
となると自転車のフレームは何なのか。

アンプとスピーカーの間にあるのはスピーカーケーブルである。
フレームはスピーカーケーブルなのか。

こんなふうに捉えると、フレームはなんと地味な存在なのか……、となる。

こんな捉え方もできる。
ホイールはスピーカーの振動板である。
この振動板に駆動力を発生させるのは磁気回路であり、
乗り手は磁気回路に相当する。

となると自転車のフレームは、スピーカーユニットのフレームに相当する。

スピーカーケーブルなのか、スピーカーユニットのフレームなのか。
どちらにしても直接は目立たない存在である。
自転車にとって、視覚的にもっともその自転車の性格を特徴づけるフレームなのに。

Date: 2月 16th, 2015
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その52)

その51)を書いたのが三年半前。
(その51)でふれたコードのCPM2800も、つい最近CPM2800 MKIIになっている。
内蔵D/Aコンバーターが、HUGO同様のFPGAを使ったものに置き換えられている。

やっぱり出てきたか、と思い、期待したのは、リアパネルの写真だった。
でも、そこには私が期待していたものはなかった。

私がCPM2800 MKIIに限らず、
D/Aコンバーター内蔵のプリメインアンプに期待している(要望したい)のは、
デジタルIN/OUT端子である。

1980年代までのプリメインアンプは、TAPE関係の入出力端子が充実していた。
この端子を使うことで、プリメインアンプでも外付けのグラフィックイコライザーが使用できた。

私が期待しているデジタルIN/OUTは、TAPE入出力端子のデジタル版である。
この端子があれば、外付けのデジタル・シグナルプロセッサーが使えるようになるのに、と思うからだ。

Date: 2月 16th, 2015
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その40)

十年ほどの前のことだ。
川崎市で、川崎先生の講演があった。
この日の講演は川崎先生だけでなく、
そのころ流行っていたNintendo DSのゲームソフト「脳を鍛える大人のDSトレーニング」で知られる川島隆太氏、
それからゴジラの作曲家で知られる伊福部昭氏の甥で、東京大学教授の伊福部達氏、
もうおひとかたは忘れてしまった。

私は川崎先生の講演が目的だったのだが、四人の方の講演を聞いた。
伊福部達氏の講演で、あるサンプルが流された。
ある音声波形を、櫛の歯を欠いたようにように処理したものが流された。
つまり音声波形が部分的に、いくつもの箇所で欠落しているものである。

これがまったく何を話しているのか、まったく聞き取れない。
人の声だということはわかっていても、である。
確か数回流されたと記憶しているが、何度聞いてもわからない。

ところが欠落している箇所にノイズを挿入する。
ノイズといっても前後する音声信号を読みとって相関関係にあるノイズではなく、単なるノイズでしかない。
なのにノイズが加えられただけで、何を話しているのか聞き取れるようになる。

さっきまでまったく聞き取れなかったのに、ノイズが加わっただけで聞き取れるのだから、
驚くしかなかった。

オーディオには、S/N比がある。
信号(signal)とノイズ(noise)の比率である。
信号レベルが高く、ノイズレベルが低いほど、S/N比は高くなる。
理想はノイズ・ゼロである。

ノイズは信号を阻害するものだという認識しかもっていなかったのだから、
伊福部達氏の実験は、ノイズについてのこれまでの考えを改めなくてはならないことを示してくれていた。

Date: 2月 16th, 2015
Cate: 輸入商社/代理店

輸入商社なのか輸入代理店なのか(その6)

今回改めてステレオサウンド 43号掲載のRFエンタープライゼスの広告を読みなおして、
ここには輸入商社としてのあるべき姿がすでに書かれていたことを、再実感している。

こうも書いてある。
     *
私達はまた特約店(ディーラー)の数をふやすことにあまり関心がありません。製品についてのより深い理解をもったディーラーのきめこまかい活動がより大事だと考えるからです。

私達は、私達自身の哲学と共鳴し合える”オーディオファイルの心”をもったメーカーの、真に優れた製品のみを取り扱っていきたいと、いつも考えてきました。この共感がなければ、製品に対する理解を深めてゆくことも、製品を正しく紹介することも不可能です。
私達は、メーカーとの相互理解と交流を深めてゆくなかで、私達の考えや主張も充分に伝えるよう努めています。
     *
ステレオサウンド 43号は1977年、いまから38年前に出ている。
私は、この広告を読んで、RFエンタープライゼスの取り扱うモノならば信用できる、と思っていた。

このころのRFエンタープライゼスは、
AGI、オーディオリサーチ、DBシステムズ、インフィニティ、マークレビンソン、マイクロトラック、
クインテセンス、SAE、サウンドクラフツメンといったブランドを扱っていた。

広告に書かれてたキレイゴトだとは私は思っていない。
RFエンタープライゼスは、輸入元として、ひとつの手本であったように思っている。
良き手本があるから、他の輸入元も見習おうとするところも出てくるであろう。

いまRFエンタープライゼスのように、見本となる輸入元はいくつかあるのだろうか。

Date: 2月 16th, 2015
Cate: 使いこなし

使いこなしのこと(その前に……)

iPhone 5からコネクターがLightningと呼ばれるコネクターに変更された。
そして、Lightningケーブルがよく断線する、という話をよく見聞きするようになった。

仕事関係の人出、やはりよく断線して困っているという人がいる。
たまたま、彼がLightningケーブルを抜いているところを見た。
彼は、プラスチックでできているコネクターのところを持つのではなく、
ケーブルをもって引き抜いていた。

そんな使い方をしていたら、簡単にLightningケーブルが断線してしまう。
Lightningケーブルの断線を嘆いていてる(文句をいっている)人のひべてが、
そういうケーブルの抜き方をしているのかどうかはわからないが、
少なくとも、まったく問題なく使っている人もいることは確かである。

だとすると、よく断線する、といっている人は、
おそらくケーブルを持って引き抜いているとみていいだろう。

これを見て思うのは、こんな単純なことと思えるケーブルの抜き挿しでさえ、
人によって、やり方が違っている。

使いこなしは使い方(やり方)の、その先にあるもののはずだ。
オーディオ機器の使い方は、Lightningケーブルの抜き挿しほど簡単ではない。
けれど、その部分において、すべての人が同じようにやっているという確認を誰かがやっているのだろうか。

このことまで考えてず使いこなしを記事をつくることは、どうだろうかと思う。
思うけれど、それではどこまでカバーしたらいいのか、ということにもなる。
ことこまかにすべてをカバーすることは大変なことであり、
そんなことをやっても多くの読者はつまらない記事として受けとめるだろう。

Date: 2月 15th, 2015
Cate: 輸入商社/代理店

輸入商社なのか輸入代理店なのか(その5)

マークレビンソンのLNP2、JC2のモジュールはメイン基板にハンダ付けされているわけではなく、
挿してあるだけだから、モジュールに不具合が発生したら新品のモジュールに抜き差しで交換すればすむ。
たしかに確実な修理方法ではあるが、これではユーザーの金銭的負担はかなり増す。

しかもマークレビンソンが交換用モジュールを製造し続けてくれていればよかったけれど、
製造もとっくの昔に中止になっている。
こうなると、修理は密閉されたモジュールだけに、かなり大変なことになる。

どうするのが最善の方法なのかは、なかなか難しい、としかいえない。

このころのマークレビンソンのアンプの輸入元はRFエンタープライゼスだった。
RFエンタープライゼスの広告は、単に製品の広告だけではなかった。

ステレオサウンド 43号の広告のように、
輸入元の仕事についてふれてある回もあった。

43号の広告には「私達輸入業務に携わる者に課せられた責任です。」とある。
RFエンタープライゼスが考える責任とは、
すぐれた製品を、正しく本来の性能を発揮できる状態でユーザーの手に供すること、である。

そして、こう続いている。
     *
“State of the Art”製品は、販売やアフターケアもふくめて、その取り扱いのすべてがそれにふさわしく行なわれなければならない。それが私達の希望であり信条です。
 私達は私達の発売する製品を出荷前に全数検査することにしています。
 そのために使う測定機器は、すべてメーカーで使用しているものと同じか同一水準のものを揃えるようにしています。 これらのことは、手間も費用もたいへん要することですが、私達は私達の責任を果たす上でどうしても必要なことと考えています。
     *
いまここまでやっている輸入元はいくつあるのだろうか。