Archive for 11月, 2014

Date: 11月 12th, 2014
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(ウィルソン・ブライアン・キイの著書・その3)

垂れ流しという言葉がある。穢い言葉である。
あえて意味を書く必要はないだろうが、いちおう書いておく。

大小便をたれ流すこと。
未処理の廃棄物などをたれ流すこと。
と辞書には書いてある。

この垂れ流しは、別項の「background…」でもふれることになるだろう。
BGM(Background Music)も、BGMとしてかける曲を選び、かける音量も設定した場合と、
ただ鳴っていればいい、鳴っていないといらいらする、とにかく常時音楽(音)が鳴っていなければ気がすまない、
そんな人が一日中鳴らしているのも、またBGMであり、
同じBGMという言葉でも、後者はあきらかに垂れ流し的なBGMがあるのではないか。

そんなBGMの垂れ流し(レコードはかけるものだから、かけ流しかもしれない)をしている人も、
最初のころはかける曲も音量も選んでいたであろう。
それがいつしか鳴っていればいい、ということになっていく。

そんなことを考えている。

ずっと以前、街中のBGMが煩いと話題(問題)になったことがある。
そのころからすれば、いまはよくなったといえるだろうか。
それでもBGMは、いろんなところで流れている。

なぜBGMは流されるのか。
なんらかの目的があってのことなのか。
そして、いま情報がBGM化しつつある、といえないだろうか。
情報の垂れ流しといえることが起りつつあるのではないか。

Date: 11月 11th, 2014
Cate: 情景

情報・情景・情操(8Kを観て・その6)

8Kをみて、今日までに数人に「8Kはすごい」という話をした。
きまって返ってくるのは「4Kで十分でしょう」といったものだった。

私が話をした人の中に、ホームシアターを趣味としている人はいなかった。
そのせいもあるだろうが、立場が反対で、もし私が「8Kはすごいよ」といわれたら、
やっぱり「4Kで十分でしょう」と答えている、と思う。

でも、私は8Kを観ている。
だから4Kを欲しいとは思わないけれど、8Kは本気で欲しい、と思っている。

けれど、それだけでは8Kのすごさを伝えるのは、
とくにホームシアターを趣味としていない人、8Kを観る以前の私のような人に対して、
どう伝えたらいいのか、と考えていた。

まず少し冷静に8Kの何が、4K以前と比べて格段に優れているのかを考えてみた。
とはいうものの、私が8Kを体験したのはオーディオ・ホームシアター展での一回のみで、
すごい、すごい、とやや昂奮気味に観ていたのだから、冷静に考えること自体が無理なのはわかっている。
それに映像に関しての専門知識も乏しい。

それでも、おそらく階調表現が4K以前よりも圧倒的に優れているのではないか、と思っている。
階調表現が8Kのレベルに達して、人はそれまでの映像とはあきらかに違うと認識しているような気がする。

Date: 11月 11th, 2014
Cate: 新製品

新製品(その9)

JBLのユニットが、まずコーン型ユニットからアルニコからフェライトに変更されはじめたのは1980年。
この時4343BWXは一本610000円。
1976年に登場した時の730000円よりは円高のおかげで安くなっていたとはいえ、
スピーカーは二本買わなければならないから、100万円をこえる金額は、
まだ高校生だった私には、どうこうできる金額ではなかった。

4343を買おうとは決めていた。
決めていたけれど、それはあくまでも数年後。
いまアルニコからフェライトの4343Bになるのはしかたないけれど、
もし4343Bよりもアルニコの4343の方がいい、ということになったら、
数年後にはアルニコの4343が新品では手に入らなくなる。

数年後に買える4343はフェライトの4343Bでしかないわけだから、
4343と4343Bの音の違いは、ほかのどんな新製品よりも気になっていた。

ステレオサウンド 54号での特集では、黒田先生、すかの先生、瀬川先生の試聴記が、
新製品紹介のページでは、井上先生、山中先生の対談が、
つまり五人の評価が読めた。

新製品紹介のページでは、先ず山中先生が、中低域のレベルが聴感上で豊かになっている、と指摘されている。
このことは瀬川先生も指摘されている。
     *
ミッドバスの領域では明らかに改善の効果が聴きとれ、歪が減ってすっきりと滑らかで透明感が増して、音像の輪郭がいっそうクリアーになったと思う。
     *
そのこともあって、4343Bの方が、旧型よりも「音のつながりがなめらかだし、ふっくらしている」とある。
同じことを黒田先生も試聴記に書かれている。
     *
旧タイプの音に多少のつめたさを感じていた人は、このスピーカーの音の、旧タイプのそれに比べればあきらかにふっくらとした音にひかれるにちがいない。旧タイプとの一対一比較で試聴したが、その結果、旧タイプの音にいささかの暗さがあったということを認めざるをえなくなる。
     *
ここにも「ふっくら」という表現が出ている。
これらを何度も読みなおして、少しほっとしたことを憶えている。

Date: 11月 11th, 2014
Cate: High Fidelity

ハイ・フィデリティ再考(Good Reproduction・その1)

High Fidelity ReproductionとGood Reproduction、
高忠実度再生と心地よい再生、
では、グッドリプロダクションに分類されるスピーカーシステムは、ハイ・フィデリティではないのか。

決してそんなことはない。
ハイ・フィデリティ指向のスピーカーであれ、グッドリプロダクションのスピーカーであれ、
いいスピーカーであれば、どちらも充分にハイ・フィデリティと呼べるクォリティを持っている。

ならば、ハイ・フィデリティとグッドリプロダクションの違いは、どこにあるのか、
どんな理由によってわけるのか。

そのスピーカーのブランドでわけるのか、
スピーカーの形式でわけるのか、
スピーカーに投入された物量でわけるのか、
それとも価格でわけるのか。

結局は音、ということになるわけだが、
ではどういう音がグッドリプロダクションなのか
グッドリプロダクションでなければ、ハイ・フィデリティ指向ということになるのか。

グッドリプロダクション(心地よい音)といっても、
万人に共通した心地よい音は存在するのか。
あるひとりの人物に対してでも、クラシックを聴く時とジャズを聴く時、ロックを聴く時、
すべてにグッドリプロダクションでありうる音はあるのか。

グッドリプロダクションにははっきりとした定義はあるのようでないような、
そんな曖昧さが残ったまま、語られているところがある。

では何をもってわけるのか。
ハイ・フィデリティ指向はHigh Fidelityに留まらないものだと捉えている。
High Fidelityの上、つまりHigher Fidelity、
さらにはHighest Fidelityであろうとしているスピーカーはハイ・フィデリティ指向であり、
充分にハイ・フィデリティでありながらもHigher Fidelityではない、
こういうスピーカーこそがグッドリプロダクションと呼べるのではないか。

Date: 11月 10th, 2014
Cate: High Fidelity

ハイ・フィデリティ再考(その35)

菅野先生から何度かきいたことのひとつに、
マスターテープの音よりもレコード(アナログディスク)の音がいい、ということがある。

一般的というべきか、オーディオマニアの多くがマスターテープこそが最上であり、
最高の音が聴けるものという、いわば幻想を抱いているけれど、決してそうじゃない、
と菅野先生は強調されていた。

この話をしても、なかなか信じてもらえなかったり、反論がある場合もある。
そうなってしまうのは、マスターテープこそが絶対的存在として認識されているからではないのか。

そしてマスターテープの音こそが絶対的基準となっているようにも感じてしまう。
それがいつしか最高の音となっていくのではないか。

菅野先生はいうまでもなくオーディオ評論だけでなく、録音、レコード制作も仕事とされていた。
自身のレコード会社であるオーディオラボだけでなく、他のレコード会社でも録音を残されている。

いくつものマスターテープの音を聴き、
そのマスターテープからつくられたレコードの音も聴かれてきた経験から、
マスターテープの音よりもレコードの音がいい、といわれていることを、思い出してほしい。

そしてもうひとつ大事なことは、それはレコード(アナログディスク)である、ということだ。
プログラムソースとしてディスクだからのことであり、
これがテープであればダビングによって複製がつくられていく。
それであればマスターテープの音こそが……、というのはもっともなことである。

だが話はあくまでもレコード(アナログディスク)である。

Date: 11月 10th, 2014
Cate: オーディオのプロフェッショナル

こんなスピーカーもあった(その4)

あるオーディオ・ブランドの主宰者に、こんな人がいる。

自分は誰からも教わっていない。
オーディオの参考書も見ていない。
すべての答を自分で見つけた。

たいへんな自信家である。
他にもまだあるけれど、書いていくのもアホらしいのでこのへんにしておくが、
とにかく、この人はまわりから「すごいですね」といわれたくてたまらないように私の目に映る。

だがオーディオの参考書というものが、この世にあるのだろうか。
あったら是非とも読んでみたい。
私は、オーディオの参考書などというものは存在していない、と考えている。

にも関わらず、彼はオーディオの参考書を読んで答を知るなんてことはやっていない、とここでも自慢げにいう。
参考書なんてものはないのだから、答は自分でみつけるのはあたりまえのことであり、
それをことさら強調するところに、小規模の会社でモノをつくり売っていくことの難しさ、
ひとり何役もやっていかなければならないのだから、
そうなっていくのもしかたないのかも……、とは思うけれど、みっともない行為でしかない。

この人は、だから、自分のブランドの製品はすべて自分が考えたものだと強調する。
そして、こうも言っていた。
いま彼がやっていることと同じことを、昔の人がやっていたとしても、
そんなことは自分はまったく知らないのだから、これは自分のオリジナルの技術だ、と。

彼がアマチュアとして、アンプやD/Aコンバーターを作っているのであれば、ここでこんなことを書く必要はない。
だが、彼はプロフェッショナルとしてオーディオ機器を作り売っている。

彼は技術者として、前例があったのかどうかを調べもしない。
この項の(その3)で書いたテクニクスの技術者とは雲泥の差である。

Date: 11月 10th, 2014
Cate: 「うつ・」

うつ・し、うつ・す(その4)

鏡に映す、ということで思い出すのは、以前小林悟朗さんが話してくださったことだ。
なぜ、女性にオーディオマニアが極端に少ないのか、という話題だった。

音楽好きの女性は少なくない。
なのにオーディオに凝っている人となると、極端に少なくなってしまう。

小林悟朗さんは、女性は毎日鏡を見る。その時間も男性よりもずっと長い。
つまり小林悟朗さんは、オーディオから鳴ってくる音を鏡として捉えられていて、
オーディオマニアにとって音を良くしていく行為は、
鏡を見て化粧することで、女性が自分自身を美しくしていく行為に近いのではないか。

だとしたら、毎日長い時間鏡の前にいる女性には、もうひとつの鏡であるオーディオは必要としないのではないか。
そんな趣旨のことを話された。

この論でいけば、若い世代にオーディオマニアが少なくなっていることも説明できなくはない。
男性でも若い世代ほど鏡を見ている時間は長い傾向にある。
ならば、そういう男性が増えてくること、一般化してくることは、
男性のオーディオマニアももう増えてくることはないことになる。

完全には同意できないにしても、なるほど、と思っていた。
一理あるかもしれない。

うつ・す、という字をあてはめてオーディオ(録音から再生まで)を捉えてみれば、
小林悟朗さんの話は、なにかのきっかけになる気がしている。

Date: 11月 9th, 2014
Cate: 新製品

新製品(その8)

改良型の新製品として、私にとって最初に気になったのは、AU-D907Fだった。
何度か書いているようにAU-D907 Limitedを買っていた。

AU-D907FはAU-D907の改良型にあたる。
AU-D907 Limitedの直接の改良型とはいえないけれど、
AU-D907 LimitedはAU-D907がベースになっているのだから、どうしても気になる。

どちらが上なのか。
そんなことを思いながらオーディオ雑誌を、高校生のころは読んでいた。
ただ製品のもつ重みということではAU-D907 Limitedてのだが、
最新技術のスーパーフィードフォワードがなんとかAU-D907 Limitedに搭載できないものか、と、
サンスイに手紙(いまならメールだろうが)を書いたこともある。

返事が来るとは思っていなかった。
でもある日、丁寧な文面の手紙が届いた。
この手紙ですっぱりとAU-D907Fのことは気にならなくなった。

改良型の新製品が気になったのは、他にもある。
いちばん気になったのは4343Bであり、4345、4344だった。

4343を使っていたわけではない。
それでも非常に気になっていた。

ミッドバス(2121)とウーファー(2231A)がフェライトマグネットの2121Hと2231Hに変更された4343B。
ステレオサウンドには54号の特集と新製品紹介ページの両方に登場している。

なぜ所有していないオーディオ機器の改良型が気になったのか。
それは買えなかったからであり、目標でもあったからだ。

Date: 11月 9th, 2014
Cate: Technics, 名器

名器、その解釈(Technics SP10の場合・その11)

私が自分のモノとしたテクニクスのオーディオ機器はふたつある。
ひとつはSB-F01。
アルミダイキャストのエンクロージュア(といっても手のひらにのるサイズ)に、
ヘッドフォンのユニットを搭載したような小型スピーカーだ。

アンプのスピーカー端子でも鳴るし、ヘッドフォン端子に接いでも鳴る。
ペアで15000円だった。

サブスピーカーとして高校生の時に購入した。
ロジャースのLS3/5Aは高くて買えなかったから、というのもSB-F01を購入した理由のひとつである。
いまも実家にあるはずだし、手元にも1ペアある。
瀬川先生が所有されていたSB-F01である。

このSB-F01で、中目黒のマンションで深夜ひっそりとした音量で聴かれていたのだろうか。
はっきりとしたことはわからないが、瀬川先生がSB-F01をお持ちだったことが意外だったし、嬉しくもあった。

もうひとつのテクニクス製品はSL10である。
LPジャケットサイズのアナログプレーヤーである。
ダイレクトドライヴ開発10周年を記念して開発された製品だから、型番に10がついている。

このふたつのテクニクス製品に共通していえることは、小型ということ。
もともとテクニクスというブランドは、Technics1という小型スピーカーからスタートしている。
だからというわけでもないが、他のメーカーよりも小型の機器をうまくつくるところがある。

SL10がまさにそうだし、コンサイスコンポもそうだった。
それにSB7000の小型版、SB007もある。
その一方で非常に大型のアンプ、スピーカーシステムも手がけている。

小型のモノと大型のモノ。
テクニクスの製品に限っていえば、小型のモノには遊び心があるように感じている。
その遊び心に気づいたから、SB-F01とSL10を買ったのかもしれない。

遊び心。
辞書にこうある。
 ①遊びたがる気持ち
 ②まじめ一方でなく、ゆとりやしゃれ気のある気持ち
 ③音楽をたしなむ心

③の意味があるのは、意外だった。

遊び心という、自分自身が愉しむという気持、
これが使い手(買い手)に伝わる。

Date: 11月 9th, 2014
Cate: デザイン

「オーディオのデザイン論」を語るために(その3)

川崎先生のブログは毎日午前0時に更新される。
それとは別に、川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design(毎日ではないが)も更新されている。

11月7日の川崎和男のデザイン金言には、こう書いてあった。
     *
私は40余年、
デザインとデコレーションの違いを
いつも語ってきたと思う。

最大の理由は、
「デザインは機能だよね」という、
この発言を苦々しく思ってきたことだ。

デザインは問題解決の、その実務であり、
性能
効能を語って、
それから
機能である。

「機能論」はギリシアの哲学論、
その時代から語られている。

最近は、簡単に機能と言ったら、
確実に、私の喧嘩相手である。
     *
デザインを付加価値と捉えている人は、何度もくり返し読んでほしい。
そして考えてもらいたい、デザインとはなにかについて。

この項の(その2)に対して、facebookでコメントがいくつかあった。
そこに、IT業界では付加価値を皮肉って負荷価値と呼んでいる、というのがあった。

負荷という負担として、デザインが重荷になっているメーカーが見受けられるようになってきた。
そういうメーカーの人たちも、川崎先生がこれまで語られてきたこと、書かれてきたことを、
しっかりと読んでもらいたい、とおもう。

そしてオーディオ雑誌の編集者にも、である。
特に川崎先生の連載「アナログとデジタルの狭間で」を、わずか五回で終りにしてしまった編集者は。

Date: 11月 9th, 2014
Cate: ショウ雑感, ジャーナリズム

2014年ショウ雑感(オーディオ・ジャーナリズム・その2)

試聴は、試聴と呼ばれる取材である。
つまり試聴室は、取材の現場といえる。

そこにいるのは試聴者と試聴のための準備をする者である。
一般的に、試聴者はオーディオ評論家と呼ばれている人たちである。
まれに読者参加ということで、オーディオ評論家以外の人が加わることもあるが、
この人たちはあくまでもアマチュア代表ということだから、
ここでのオーディオ・ジャーナリズムからは除外しておく。

オーディオ評論家は、試聴室で鳴っている音を聴き、メモを取る。
辞書には、記事・制作などの材料となることを,人の話や物事の中から集めること、とあるから、
試聴はまさに取材でもある。

このとき編集者は何をしているのか。
まず試聴のための準備をする。
必要となる器材を集め、アンプやCDプレーヤーといった電子機器であれば、
あらかじめ電源をいれておきウォームアップをさせておく。

試聴が始まれば、試聴対象となるオーディオ機器を試聴室にいれて設置・接続。
それまで聴いていたオーディオ機器を試聴室の外に運び出す。
これを何度もくり返し行う。

場合によっては試聴ディスクのかけかえ、レベルコントロール操作といったオペレーションを行う。
試聴という取材が滞りなく運ぶためである。

ここでの編集者の働きは、どうみても取材とはいえない。
試聴室という現場に編集者もいるわけだが、取材をしているとはいい難い。

Date: 11月 9th, 2014
Cate: JBL

JBLのユニットのこと(ウーファーについて・その4)

2231Aで採用されたアルミ製のリングを、
マスコントロールリング(Mass Control Ring)を呼ぶのは実に的確といえる。

仮に2230と2231AのMmsがほとんど同じだとしよう。
LE14AのMmsと口径の違いからすると、150gぐらいなのではないだろうか。

LE15A、そのプロ版にあたる2215のMmsはともに97g。
コーン紙そのものはほとんど同じものだとすれば、
2230におけるアクアプラスによる質量増加は約50gで、この50g分がコーン紙全面ほぼ均一に分布している。
2231Aではマスコントロールリングが50g分になり、
こちらはコーン紙とボイスコイルボビンとの接着面のところにある。

2230と2231Aでは質量の分布の仕方が大きく異る。分散と集中である。
このことは仮にMmsが同じだとしても実際の動作では大きく違ってきても不思議ではない。

”JBL 60th Anniversary”には、マスコントロールリングにより、
低域の下限周波数の拡張だけでなく、堅くて軽いコーン紙を使うことで中低域のレスポンスも向上する、とある。

そうだと考えられる。
それにコーン紙とボイスコイルボビンとの接着面にマスコントロールリングがあることで、
この部分の強度はなしにくらべて増しているはず。
とすればボイスコイル(およびボビン)のピストニックモーションがより精確に振動板に伝わる、ともいえる。

Mmsが150gというのは確かに重いと受けとめがちな値だが、
どこに重いと感じさせる部分があるのか(分散か集中か)によって、
重たい振動板イコール中域までレスポンスが伸びない、とは一概にはいえない。

ただマスコントロールリングはアルミ製であるため導電性がある。
このため実際の動作では電磁制動がこの部分で発生する。

もしJBLがマスコントロールリングを他の素材(導電性のないもの)にしていたら、
とどうしても考えてしまう。

Date: 11月 8th, 2014
Cate: ショウ雑感, ジャーナリズム

2014年ショウ雑感(オーディオ・ジャーナリズム・その1)

オーディオにおけるジャーナリズム」という項を立てて、書いてきている。
書きながら、オーディオ雑誌の編集者に対して、ジャーナリズムを求めるのはおかしいのかもしれない。
そうも思うようになっている。

ジャーナリズム(journalism)は
新聞・雑誌・テレビ・ラジオなど時事的な問題の報道・解説を行う組織や人の総体。
また,それを通じて行われる活動。
と辞書には書いてある。

ジャーナリスト(journalist)は、記者のことである。
編集者はeditorだ。

記者は自ら現場に赴き取材をし言語化する。
例えばオーディオショウに取材に行き、編集部が原稿を書き記事とすれば、
この場合の編集者は記者でもあったことになる。

だがオーディオショウに行ったけれど、写真を撮ってきただけ。
もしくは専属のカメラマンに写真撮影の指示をしてきただけ。
記事を書くのはオーディオ評論家であれば、この時の編集者は記者といえるのだろうか。

写真に関してはそうとはいえるし、
記事では写真のネームは編集者が書くであろうから、記者ではない、とは言い切れないが、
それでも記者とはとても呼べない。

ではオーディオ雑誌のメインといえる試聴ではどうか。

Date: 11月 8th, 2014
Cate: JBL

JBLのユニットのこと(ウーファーについて・その2)

2230はコーン紙の色からわかるようにアクアプラスが塗布されている。
アクアプラスは石灰を主成分としているときいたことがある。
はっきりとしたことはわからない。
しかも塗り方にノウハウがずいぶんあるようで、JBLのコーン紙の製造が日本でなされていたときも、
アクアプラスの塗布はアメリカで行っていた。

私は2230を搭載した4350は聴いたことはあるけれど、いい音で鳴っていたわけではなかった。
だからなんともいえないのだが、4350がいい音で鳴っているのを聴いたことのある知人によれば、
4350A(2231A搭載)よりも4350の方が、低音の質感は良かった、らしい。

そうかもしれない。
4310、4311も白いコーン紙のウーファーだし、
4345も表からみれば黒いコーン紙だが、
18インチ・ウーファーの2245Hはコーン紙の裏側にアクアプラスが塗布されている。

にも関わらず2230から2231Aになっていったのか。
ステレオサウンド別冊”JBL 60th Anniversary”によれば、
250Hzという低めのクロスオーバー周波数は効果的であるアクアプラスも、
4331、4333のようにミッドバスを持たないシステムの場合、クロスオーバー周波数は高くなる。
4331、4333は800Hzとなっている。

そうなるとアクアプラス塗布のウーファーは振動板が重くなりすぎて、
さらにアクアプラスは一種のダンプ剤でもあるため、中低域より上の帯域でレスポンスが波打つ、
感度の低下が明らかになるから、とある。

2230のmmsがどのくらいなのかはわからない。
ただアクアプラス塗布の14インチ・ウーファーのLE14Aは140gであるから、
2230は140gよりも重たいことだけははっきりしている。

Date: 11月 7th, 2014
Cate: JBL

JBLのユニットのこと(ウーファーについて・その1)

“THIELE SMALL LOW FREQUENCY DRIVER PARAMETERS AND DEFINITIONS”というPDFがある。
JBLのウーファー、フルレンジユニットのティール・スモール・パラメータの一覧表である。

14のパラメータが載っている。
その中に”Mms”がある。Effective moving massのことで、単位はgrams。
振動板の実効質量である。

いくつかのウーファー、フルレンジのMmsを書き出してみる。
LE8Tは16g、D130は60g、130Aは70g、2202Aは50g、
2220Aは70g、2231Aは151g、2235Hは155g、LE15Aは97g。
LE8Tは8インチのフルレンジユニット、2202Aは12インチのウーファー、
あとは15インチ・ウーファーもしくはフルレンジである。
2231Aは4343、4350A、4331、4333などに搭載されている。
2235Hは4344のウーファーである。

2231Aと2235Hは重い。
同じ15インチであっても2220Aは半分以下。

ちなみに18インチのウーファーは2240Hが164g、2245Hが185gで、
2245Hは4345のウーファーでもある。

なぜ2231A、2235Hは重いのかというと、マスコントロールリングを搭載しているからだ。
コーン紙とボイスコイルボビンとの接着面のところにアルミ製のリングを装着している。
エド・メイの考案である。
これにより実効質量が増し、f0は低くなる。低域の下限周波数を拡張できる。

エド・メイは4350の搭載されていた白いウーファー、2230も開発している。
4350に2231Aが搭載されたのが4350Aとなる。

“THIELE SMALL LOW FREQUENCY DRIVER PARAMETERS AND DEFINITIONS”に2230は載っていない。