Archive for 10月, 2014
2014年ショウ雑感(ショウ関連の記事に望むこと・その3)
オーディオ雑誌におけるショウ関連の記事は、誰のためのものだろうか。
ショウを開催した人たちを満足・納得させるためのものではない。
ショウに行きたくとも行けない・行けなかった人たちのものである、と私は考える。
私自身がずっとオーディオフェアに行きたい、と思っていたから、余計にそうだ。
東京に住んでいても、都合がつかない人は大勢いることだろう。
多くの人は土日は休みだけれど、そうでない職種の人も多い。
仕事の都合はついても、その他の都合がつかないことだってある。
行きたくとも行けない。
そういう人たちにとっての記事であってほしい、と私は思う。
そういう記事を、中学生のころから求めていた。
この気持は、オーディオに興味を持ち始めた時から、
オーディオフェアやオーディオショウに行くことが出来ていた人には生れてこないものかもしれない。
ステレオサウンドが以前二冊出したオーディオフェアの別冊は、
インターネットがなかった時代ならば、あの編集でもよかった。
けれどそれから30年以上が経過して、時代は変っている。
ショウに来れなかった人は何が知りたいのか、何を求めているのか。
それに応えるためには、どういう記事を編集すべきなのか。
その答が、ショウ終了後の取材であり、
各ブースのスタッフの人たち、各ブースでデモもしくはプレゼンテーションを行った人たちへの取材である。
598というスピーカーの存在(その25)
新製品が出るたびに重量が増していく──、
まさにそんな感じだった当時の598のスピーカーシステムは、使いこなしという展ではやっかいな存在でもあった。
まずスタンドを選ぶ。それまでのブックシェルフ型スピーカーシステム以上にスタンドの影響を受ける。
まず、重くなった重量をきちんと受けとめるだけのしっかりしたスタンドであること。
これが満たされていなければ、当時の598のスピーカーがうまく鳴ってくれることはなかった、といえる。
しかもがっしりしたスタンドは重量もあり、材質も剛性の高いものということになってくる。
そうすればスタンド固有の音も、以前よりも顕在化してくる。
それから重量バランスが重量増とともに悪くなっていた598のスピーカーシステムでは、
スタンドとの位置関係でも、音のバランスがはっきりと変化してくる。
専用スタンドであれ汎用スタンドであれ、
スタンドのどの位置にスピーカーを置くのか。
それをどう調整していくのか。
まず最初はスタンドがスピーカーシステムの底面の真ん中にくるように置く。
スピーカースタンドがスピーカーの底面よりも小さな場合、特に顕著に音にあらわれるが、
量感のある低音は得にくくなる。
つまり前側(フロントバッフル側)が重いスピーカーを、
そんなふうに置いてはスタンドの前側に歌集がかかりすぎる。
これをスピーカーの前後位置を少し後にずらす。
これだけのことで帯域バランスは変化していく。
その変化が、重量の軽いスピーカーシステムよりも重量のある(ありすぎた)598のスピーカーでは、
はっきりとシビアに出てくる。
情報・情景・情操(8Kを観て・その3)
NHKのブースを出た後にソニーのブースの前を通ったら、
4Kのデモをもうすぐ始める、ということだった。
8Kの後でなければ素通りしていた。
けれど4Kをきちんと体験してみたいと思った。
NHKのブースもソニーのブースもスクリーンとプロジェクターによる。
NHKのブースでの器材の説明はなかった。
ソニーでは、最上級機のプロジェクターということだった。
最初にスクリーンに映し出されたのは、アメイジング・スパイダーマン2だった。
春にドルビーアトモスの映画館で観ているだけに、はじめて観る映画よりも何かを掴みやすい。
その次はホビットであり、アラビアのロレンスも映し出された。
8Kを観た後でなければ、なかなかいいな、と思えただろう。
でも8Kを観て、それほど時間は経っていなかった。
NHKのブースで8Kを観ていて考えていたことのひとつに、情報量はどこまで必要か、ということがあった。
8Kの情報量は、明らかにこれまでと違う領域に入ってきている、と感じる。
4Kとは、ここが決定的に違うのではないか。
私が幼いころ、テレビはまだモノクロだった。
小学校にあがるころくらいにカラーテレビになった。
それからブラウン管のサイズが大きくなり、音声多重放送が始り、
衛星放送、ハイヴィジョン、といった技術が登場してきている。
幼いころのモノクロテレビの画質を憶えているわけではないが、
4Kと比較すると、それはものすごく大きな差である。
それでもモノクロテレビから4Kまでは、私のなかでは連続している。
けれど8Kは、技術としては連続していても、それが与える印象は連続しているようには感じられなかった。
電子制御という夢(その22)
デンオンのDP100Mに搭載された電子制御トーンアームは、
価格的にソニー、デンオンのモノより高価だったのが違いではない。
違いはトーンアームのデザインにあった。
すでに書いてきたようにソニーのモノもデンオンのものも、ひと目で電子制御とわかる外観だった。
それもいい意味ではなく、悪い意味でそうであって、電子制御という新しい技術に対して、
オーディオマニアに期待を抱かせるようなデザインにはなっていなかった。
デンオンのDP100Mのトーンアームは、見た目で電子制御がどうかの判断はできない。
デンオンのトーンアームは、DA307、DA308、DA309、DA401に共通している外観、
柳腰といいたくなる外観が特徴であった。
DP100Mのトーンアームは、柳腰的なイメージはまったくなくなっている。
リジッドなトーンアームに仕上っている。
アームパイプはS字型とストレート型のふたつが附属している。
パイプの径はストレートの方が細く、しかも仕上げは黒ということもあって、
ストレートパイプを装着すると、DP100Mのトーンアームの軸受け部のマスの大きさはより強調される。
ここにマスの大半が集中している。
DAシリーズのトーンアームの面影は完全になくなっているかというと、そうでもなく、
カウンターウェイトの形状はDAシリーズのイメージを残っている。
この部分で、何も知らずにこのトーンアームも見せられても、デンオンのトーンアームかな、とわかる。
電子制御という夢(その21)
デンオンもソニー、ビクターに続いて電子制御トーンアームを搭載したプレーヤーシステムを出した。
デンオンは、ダイナミックサーボトレーサーと呼んでいた。
デンオンは、ソニー、ビクターとは少し違っていた。
ソニーの最初の電子制御トーンアームを搭載したPS-B800は200000円だった。
PS-B800の上には1977年発売のPS-X9(380000円)があった。
PS-X9はカートリッジ附属(XL55Pro)、イコライザーアンプ搭載のプレーヤーシステムであるから、
PS-B800とは製品としての性格が異る面ももつため、
完全な比較はできないというものの、
PS-B800は少なくともソニーにとって最上級のプレーヤーシステムではなかった。
PS-B800は1981年ごろ製造中止になっている。
後継機種といえば、PS-X700、PS-X75、PS-X600Cといった、PS-B800の普及モデルでなっていた。
ビクターも最上級機に電子制御トーンアームは搭載していなかった。
デンオンは普及クラスだけでなく、最上級機のDP100Mにも電子制御トーンアームを搭載していた。
DP100Mは、プロ用機器に準ずる内容をもったプレーヤーシステムである。
DP100MにはアームレスタイプのDP100もあった。
価格はDP100Mが900000円、DP100が700000円。
単純に計算すれば、DP100Mの電子制御トーンアームの価格は200000円ということになる。
1981年当時、トーンアーム単体の価格として、200000円は最も高価だった。
とはいえすば抜けて高価だったわけでもない。
フィデリティ・リサーチのFR66Sは140000円、パイオニアのExclusive EA10は130000円、
マイクロのMAX282は150000円、サテンのAR1Sは148000円だった。
羽二重(HUBTAE)とオーディオ(その7)
川崎先生の講演が終り、展示してある七枚の羽二重=HUBTAEに触れる。
私は布地の専門家ではない、素人である。
専門の人たちがどういうふうに七枚の羽二重=HUBTAEに触るのかを見てから、
それをマネして触ってみようと思っていたけれど、最初の一枚に触ってみると、
そんな真似をしなくとも、オーディオマニアにはオーディオマニアとしての触り方があるように感じて、
ピンと張ったりしながら、あれこれ触ってみた。
七枚を触った後で、また最初から触っていた。
会場には多くの人がいたから納得するまで触っているわけにはいかない。
それから子供のころよくやっていたことを思い出していた。
紙や布をピンと張って口を付けて振るわせる、というものだ。
実はこれを試してみたかったけれど、顰蹙をかうことは必至だからしなかった。
七枚の羽二重=HUBTAE、
こし:もちもち・しこしこ
はり:バリバリ・パリパリ
ぬめり:ぬるぬる・べとべと
ふくらみ:ふかふか・ふわふわ
しゃり:しゃりしゃり・しょりしょり
きしみ:きしきし・きゅっきゅっ
しなやかさ:しなしな・たらたら
これらを振るわせて音を出してみたら、
どういう違いが出てくるのだろうか。
手で触っていた時に感じていた違いよりも、はっきりと感じられるのか、それともそれほどでもないのか。
憶音という、ひとつの仮説(その4)
小学校のころ飲んでいたコカ・コーラはガラス瓶に入っていた。
それからコカ・コーラをケースで買うと、コップがついてきた。
このコップに注いで飲んでいた。
小学生だと一気に飲めない。
しかも氷を入れていた。
しばらくすると氷は溶け、炭酸も抜けてしまう。
そんなコカ・コーラをストローで吸って飲んでいた。
そうなってしまったコカ・コーラに、あまり薬っぽい味はしなかった。
そして思うのは、いまコカ・コーラを買ってきて、炭酸が抜けた状態で飲んだ味は、
実のところ、昔とそう違っていないのではないか、ということだ。
私が小学生のころは炭酸飲料はそう多くはなかった。
いまはかなりの数があり、ハタチをこえれば炭酸入りのアルコールも飲むようになる。
そうやって炭酸という刺戟になれてきてしまっている。
炭酸への耐性が、小学生のころはほとんどなく、いまはしっかりとある、といえるだろう。
とすれば、コカ・コーラの味、初めて飲んだ時のコカ・コーラの味は、
炭酸という刺戟があってこそのものではないのか。
氷点下の三ツ矢サイダーは、通常の三ツ矢サイダーよりも炭酸がきめ細かく強い。
だから、はじめて飲んだ三ツ矢サイダーの味を思い出せたのかもしれない。
菅野先生が麦茶と思って口にしたコカ・コーラの味が、初体験のコカ・コーラの味をよみがえらせたのは、
炭酸飲料ということを知らずに飲まれたからではないのか。
麦茶と思ってだったから、炭酸は予期せぬ刺戟だったわけだ。
2014年ショウ雑感(ショウ関連の記事に望むこと・その2)
以前のオーディオフェアには、プロトタイプが展示されていることがあった。
製品化されるかどうかはわからないけれど、その時点での最新の技術による、独自のモノがあった。
いま、プロトタイプの展示はまずない。
製品化の一歩前の製品が展示されていることはある。
でも、それらは新製品として、いずれオーディオ雑誌の新製品紹介のページに登場してくる。
だから、このブースには、こういうアンプ、スピーカーが展示されていました、と、
写真と簡単な文章が誌面に載っていても、関心をもつ人がそれほどいるとは考えられない。
それにショウ関係の記事は、いまではメインの記事扱いではない。
特にステレオサウンドでは12月発売の号は、毎年恒例のステレオサウンド・グランプリとベストバイであり、
このふたつにページ数の多くは割かれてしまう。
他の記事に割り当てられるページ数は残り僅かである。
ショウに実際に行けば毎年実感するのだが、
くまなく取材していこうとすれば、三日でも足りない。
各ブースでは、スタッフによるデモも行なわれれば、オーディオ評論家によるデモもある。
それらをひとつひとつ取材していくのは、編集部総出で三日間来ても、十分な取材といえるかどうかである。
いまショウ関連の記事を、ベテランの人が書く、ということはまずない。
けれど昔は違っていた。
ステレオサウンド別冊のオーディオフェアのムックの巻頭は、岡先生が書かれていた。
七頁にわたる記事である。
こういう記事を読みたい、と思うが、いまの筆者で書ける人は誰がいるだろうか、と考えると、
私には思い浮ばない。
それに岡先生の記事が、いまの時代、ベストというわけでもない。
いま私がオーディオショウ関連の記事で望むのは、ショウが終った後の取材である。
2014年ショウ雑感(ショウ関連の記事に望むこと・その1)
インターナショナルオーディオショウが終った。
オーディオ・ホームシアター展も、ハイエンドオーディオショウも終った。
あとは今週末のヘッドフォン祭で、秋のオーディオ関係の催し物は終る。
(大阪は11月にショウがあるけれども)
11月以降発売になるオーディオ雑誌には、これらのショウのことが記事として載る。
けれど、どのオーディオ雑誌の、ショウ関連の記事にはまったく期待していない。
この記事は、いま必要なのだろうか、と編集者は考えていないのだろうか、とも思う。
これだけインターネットが普及していると、
ショウの初日は各ブースの写真が、いくつかのサイトやブログで公開される。
個人サイトもあれば、出版社のサイトもある。主催者のサイトやfacebookにも写真が載る。
どのブースの音がどうだったとか、その他いろいろなことが、やはりサイトやブログ、掲示板にも書きこまれていく。
私だって、こうやって書いている。
これらが一段落した後に、オーディオの雑誌は出る。
そこに何を書くのか。
ほんとうに難しくなってきた。
写真にしても、インターネットにはページ数の制約がないから、載せようと思えばどれだけでも載せられる。
しかもサイズも大きくできるし、カラーである。
もちろん世の中のオーディオマニアの全員がインターネットをやっているわけではないことはわかっている。
その人のためにも、オーディオ雑誌での記事が必要、ということなのか。
けれど、それにしては記事のボリュウムが少なすぎる。
名器、その解釈(Technics SP10の場合・その10)
テクニクスのEPC100Cは、
1978年11月にMK2(65000円)、1980年11月にMK3(70000円)に改良されている。
MK2もMK3も聴く機会はなかったが、MK4(これが最終モデルである。70000円)は、
ステレオサウンドにいる時に登場したので、試聴室でじっくりと聴く機会があった。
もともと忠実な変換器を目指して開発され、それをかなりのレベルで具現化しているカートリッジをベースに、
細かな改良を加えていった末のMK4であるから、悪かろうはずがない。
試聴条件は、EPC100Cを聴いたときとずいぶん違っている。
その間に、さまざまなカートリッジを聴く機会があった。
EPC100Cが登場したころとは、他のカートリッジの性能も向上している。
そういう中にあっては、以前のようにEPC100Cの「毒にも薬にもならない」音は、
もう魅力的に感じられなかった。
すこしがっかりしていた。
改良を受けることで、もっと魅力的なカートリッジに仕上っているのでは、と勝手に期待していたからでもあり、
私自身も変ってきていたためでもある。
私にとって一時期までは、日本の音ということでイメージするのは、EPC100Cの音だったことがある。
EPC100Cは製造中止にならず、地道に改良されていけば、名器になったかも、という想いもあった。
EPC100 CMK4を聴いたときから、32年が経ってやっと気がついた。
テクニクスは、一般的なイメージとしての名器をつくろうとしていたのではない、と。
標準原器としてのカートリッジとしてEPC100C MK4を評価すべきだったことに気づく。
情報・情景・情操(8Kを観て・その2)
8Kの映像は、現状のテレビよりも4Kよりも情報量が多い。
4Kの映像を見ていると、確かに情報量が増えて、きれいになったという印象を受ける。
8Kでは情報量が増えた、ということはまず感じさせない。
とにかく、自然だということが、まず最初に感じたことだった。
そして、情報量の多さということが、どういうことなのかを感じさせた。
8Kを観ていて、はっりきと4Kや現状のテレビとは違うものを感じていた。
なぜそれを感じるのか、何がそう感じさせるのか、を考えていた。
NHKのブースでの8Kの映像は、外部コンタクトレンズのようにも思えた。
電子による外部コンタクトレンズである。
しかも電子的であることを意識させない。
8Kを観て、4Kであっても、いかにも電子的な映像であったことを意識させる。
おそらく情報量が不足しているから、そう感じるのかもしれない。
だからどこかが誇張され、どこかが欠落していることを、
無意識のうちに人は感じとっているからこそ、4Kで高精細な映像であっても、
外部コンタクトレンズという感じを得ることはなかった。
8Kはすごい、は、こういう意味においてである。
ラックのこと(その12)
スピーカーシステムから家具的要素が失われていき、
ラックからも家具としての要素がなくなっていった。
ケーブルが高価になっていくのと同じように、ラックも非常に高価になっていっている。
従来のラックが音に対しての配慮がほとんどなされていなかったのに、
いまのラックは音への配慮がなされているのだから、これらの変化は当然のことだ──、
と受けとめられているようだ。
わからなくはないが、それにしても……、という感じる面はある。
10数年前にきかれたことがある。
なぜ、こんなにケーブルメーカーが増えたのか、と。
ケーブルは、アンプやスピーカー、その他のオーディオ機器と違い、まず故障しない。
断線はまれにあっても、修理は簡単である。
アンプやチューナー、CDプレーヤーなどの電子機器は、
まずどこが故障しているのかを探ることから始めなければならない。
ケーブルの断線はすぐにわかることである。
それに保管しておく場所もそれほど必要としない。
スピーカーシステムは在庫を抱えてしまったら、保管としておく場所を確保するだけでも大変である。
スピーカーシステムは、半ば空気を売っているようなものだ、といわれていた。
保管の場所もとれば輸送の場所もとる。
とにかくスペースを要求するモノだけに、空気を売っているようなものだ、ということになる。
ケーブルはそういうことはない。
場所もとらない、故障もしない。
これだけでも、売る側にとって楽になる。
ラックにも、そういえる。
故障することは、まずない。
組立て式のラックならば、場所もそれほど必要としない。
名器、その解釈(Technics SP10の場合・その9)
菅野先生はEPC100Cについて、
ステレオサウンド 43号で「音質の聴感的コントロールは、意識的に排除されているようだが」と書かれている。
菅野先生はまたステレオサウンド別冊「テクニクス」号で、テクニクスの製品は、
「出た音が良いとか悪いとかいった感覚的な、芸術的な領域には触れようとしていないのが大きな特徴だ」
と書かれている。
つまりEPC100Cはカートリッジという、
レコードの溝による振動を電気信号に変換するモノとしての、徹底的な技術的追求から生れてきた、といえる。
いわば忠実な変換器としてのカートリッジである。
EPC100Cが登場した1976年はCD登場以前であり、
オーディオマニアは一個のカートリッジだけということはなかった。
最低でも二、三個のカートリッジは所有していた。
多い人は十個、それ以上の数のカートリッジを持っていた。
そしてかけるレコードによってカートリッジを交換する。
それは音の追求でもあり、カートリッジは嗜好品としても存在していた。
どのカートリッジメーカーも、嗜好品を作っているという意識はなかったはずだ。
それでもほぼすべてのカートリッジには嗜好品と呼びたくなる面が、このころはあった。
だからこそ、音の特徴が一言で言い表せるモノが多かった。
エラックのSTS455Eを例に挙げているが、
このカートリッジに私が感じていた良さ(特徴)は、
別の人が聴けば良さではなく、悪さにもなり得ることがある。
つまり私が感じていた良さは、私にとっては薬であったわけだが、
別の人にとっては毒になるわけで、どのカートリッジも「毒にも薬にもなる」面があった。
ラックのこと(その11)
ヤマハのGTR1Bはかなりの台数が売れた、と聞いている。
ヤマハのGTR1Bは製造中止になったが、後継のGTR1000がいまも売られている。
ヤマハのGTラックの成功は、他社からのラックの登場を促した。
それまでの国産メーカーから発売されていたラックは、縦型横型ともに、
レコードの収納スペースが最下段にあり、アンプ、チューナー、カセットデッキが収納でき、
天板のところにアナログプレーヤーを置く、というものだった。
そしてキャスターつきのものが多かった。
GTラック以降、登場してきたラックは、それまでの一般的なラックとは大きく違ってきた。
そしてこのころから海外製のラックも輸入されるようになってきた。
それまでの海外製のラックといえば、バーズリイ(Barzilay)、スターコンビ(Star Combi)、B&Oぐらいだった。
これらは家具としてのラックだった。
これらの海外製のラックと1980年代中頃から輸入されるようになってきたラックには、
はっきりとした違いがあった。
このことはGTラック以降登場してきたラックにも同じことがいえる。
それまではオーディオ機器とレコードの収納家具としてのラックから、
オーディオ機器の置き台としてのラックへと変化していった。
そして高価になっていった。
GTラック登場以前の国産のラックは、五万円前後のモノが大半だった。
ヤマハのマリオ・ベリーニ・デザインのラックでも、安価なモノ(BLC105T)は28000円からあったし、
最も高価なBLC203Rでも86000円だった。
BLC203Rはレコード収納がふたつあり、約100枚のLPが収納でき、
アクセサリーやカセットテープが収納できる引き出しもふたつある。
アンプやチューナーは三台収納できるように棚板があり、プレーヤーが置ける天板もかなり大きめのサイズだった。
外形寸法はW164.4×H120.0×D46.0cmだった。