Archive for 2月, 2014

Date: 2月 14th, 2014
Cate: LNP2, Mark Levinson

Mark Levinson LNP-2(バッファーアンプについて)

LNP2にさほど関心のない人にとってはどうでもいいことなのだが、
LNP2に憧れてきた者にとっては、
バッファーアンプを取り付けたLNP2は、ほんとうに音質上のメリットがあるのか、と話題になることがある。

LNP2には片チャンネルあたり三つのモジュールを搭載している。
その他にメーター用のモジュールがあり、
両チャンネルで計八つのモジュール構成となる。

天板をとってみると、モジュールが取り付けられているメインのプリント基板には、
あと二つ、モジュールを取り付けられるようになっている。
ここにバッファーアンプとして、モジュールを追加できる。

つまりアナログディスクを聴く場合には、
標準仕様のLNP2では三つのモジュールを信号が通過、
バッファーアンプを追加したLNP2では四つのモジュールを信号が通過することになる。

LNP2はトーンコントロール、モードセレクターなど、
コントロールアンプと呼ぶに必要な機能はもっている。

マークレビンソンからはJC2という、コントロール機能を簡略化した薄型のコントロールアンプもあった。
LNP2をコントロールアンプと呼ぶならば、
JC2はコントロールアンプとは呼びにくい。プリアンプのほうがしっくりくる。

LNP2、JC2が日本に入ってきたころから、
日本のアンプにはトーンコントロールを省いたり、
搭載していても信号がトーンコントロール回路をパスするディフィートスイッチがつけられたりして、
信号経路を少しでも単純化し、音の劣化を最少限にとどめようとする傾向がはっきりとしてきた。

Date: 2月 14th, 2014
Cate: LNP2, Mark Levinson

Mark Levinson LNP-2(serial No.1001・その2)

マークレビンソンの本をつくることになったら、
それからハイエンドオーディオについての本をつくることになったら、
なにがなんでもLNP2のシリアルナンバー1001そのものを取材することになる。

マークレビンソンの本をつくるのに、シリアルナンバー1001のLNP2についての記事がなければ、
あえてつくる意味があるのだろうか、とも私は思う。

シリアルナンバー1001のLNP2がアメリカにある、というのならば、
もしくは所在がわからないというのであれば、
諦めざるをえないわけだが、シリアルナンバー1001のLNP2は日本にある。

なぜ日本にあるのか。
ステレオサウンドを以前から読まれている方ならばご存知である。

シリアルナンバー1001のLNP2は、マーク・レヴィンソンから、
日本の輸入元であったR.F.エンタープライゼスの社長・中西康雄氏に、
感謝の意を込めて贈られているからだ。

LNP2がどれだけつくられたのかは、シリアルナンバーからおおよその数字はわかる。
ステレオサウンド 68号掲載の岡先生による「LNP-2 Story」には、
シリアルナンバー2667のLNP2が撮影されている。

フォノイコライザーにローノイズタイプのLD3モジュールが搭載されている仕様のLNP2であり、
この2667のLNP2は、ほぼ最終モデルであるから、
シリアルナンバーが1001から始まっているわけで、1000番はいわゆる捨て番であり、
1600台以上のLNP2が作られたことになる。

このうちの半数は、日本に輸入されたのではないか、と思っている。
根拠はなにもないし、その手の資料もないから、単なる私の推測でしかないけれど、
1970年代後半から1980年代前半のステレオサウンドをはじめとするオーディオ雑誌の、
ユーザー訪問記事では、LNP2がかなりの頻度で登場していた。

Date: 2月 13th, 2014
Cate: スピーカーの述懐

あるスピーカーの述懐(その6)

録音・再生というオーディオの系は、
音を電気信号に変換し記録し、その記録した電気信号をふたたび音に変換するものであり、
記録することは可能でも、記憶することはできない系である。

エレクトロニクスとメカニズムで構成されるオーディオの系だから、
記録は可能でも記憶はできないのは理論的にも技術的にも当然のことなのだが、
それでもほんとうにオーディオは記憶できないものなのか、と思うようになったのは、
「Harkness」でソニー・ロリンズのSaxophone Colossusを聴いてからであり、
聴くたびに実感している。

私の「Harkness」は何度も書いているように、岩崎先生が鳴らされていたそのものである。
だから別項「終のスピーカー」でも書いている。

Saxophone Colossusを鳴らすと、
岩崎先生がどうこのレコードを聴かれていたのか、
もっといえばSaxophone Colossusとどう対峙されていたのかが、感覚的に伝わってくる鳴り方をする。

それはもう「Harkness」というスピーカーシステムが、
これに搭載されているD130というユニットが、岩崎先生の聴き方・鳴らし方を記憶しているかのようである。

そんなのは、岩崎千明という男の鳴らし方のクセが残っているだけのこと。
そう考える人がいるのも無理もない。
だが聴けば、そうとしか思えない音が鳴ってくる。

なぜ 「Harkness」は記憶しているのか。
「Harkness」は岩崎先生のリスニングルームにあって、
岩崎先生が鳴らされる音を聴いていたからだ。
私は、これで納得している。

Date: 2月 12th, 2014
Cate: 楽しみ方, 老い

(改めておもう)歳を重ねるということ

オーディオをいつかはやめるかも……、
そうおもっている人はいる。
どのくらいいるのかはわからないけれど、きっといる。

オーディオにこれまで熱中してきたけれど、そろそろ、そんな予感がしている。
だから、そんな言葉が出てくるのか。

昨日もある人とそういう話になった。

なにもやめることはない、とおもう。
休めばいいだけのことだ。

それに歳を重ねなければ出せない音があることを、私は知っている。
これは2008年9月27日にも書いたことである。

9月27日は、菅野先生の誕生日であるから、これを書いた。
これをあらめたておもっている。

どんなにオーディオの才能があり、知識もあり、知恵もあり、
経済的に恵まれていようとも、歳を重ねないとたどり着けない領域の音が確実にある。

歳をとれば、その「音」が出せるという保証はないけれど、
歳を重ねなければ出せないということは、はっきりとしている。

Date: 2月 12th, 2014
Cate: ラック

ラックのこと(その10)

ヤマハのGTR1Bには脚と呼べるものがない。
底板がそのまま床に触れている。
そのため床の条件によっては、どこかすこし浮きがちになる。

これをそのままほっておくわけにはいかない。
せっかくの重量級のラックがガタついていては、あえてGTR1Bを使う意味が薄れてしまう。

ガタツキを簡単にとる方法は浮いている箇所にクサビ状のものを挿し込む。
ガタツキはこれでとれるけれど、
このクサビにどういった材質のものを使うのか、
それにクサビをいれても、浮いている面積が広い場合は、
床とGTR1Bの底板との間に、わずかな隙間が生じてしまう。

そうなると底板が床とべったり接している部分と隙間が生じている部分、クサビを介して接している部分とができる。
これはけっして望ましいとはいえない。

そうなると……、と頭を使う。

こうやってGTR1Bにしても、ただポンと床に置いて、
そのGTR1Bの上にまたポンとオーディオ機器を置くのと、
これまで書いてきたこと、また書いていないことも含めて、
きっちりとセッティングしたのとでは、結果として出てくる音に差が生じるのは当然のことである。

これらのことをラックの使いこなしと書いてしまうと、
少々おかしなことになるが、GTR1Bに限らず、世評の高いラックを購入したからといって、
それだけでうまくいくわけがないことは、私があえて書くまでもないことのはずだ。

Date: 2月 12th, 2014
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(続・音を鳴らさないゆえの楽しさ)

昔、山中先生がいわれたことがある。

われわれが若いころは、とにかくいまのように情報がなかった、少なかった。
オーディオ雑誌に載る海外のオーディオ機器の写真にしても、
いまのようにカラー写真で細部まで見えるのとは違って、白黒で目の粗い、そんな写真だった。
でも、その写真を、文字通り穴が開くほどじっと見ていた。
ここはどうなっているんだろうかと、知識を総動員して見えない部分を想像で補ってきた。

こういった主旨のことだった。

いまはどんなことでも知りたいと思えば、たいていのことはインターネットで検索すればわかる。
画像も充分すぎるほどある場合もある。

山中先生が若いころのような粗い、低解像度の写真ではない。
(山中先生は1932年生れ)

その意味では恵まれている。
けれど、山中先生がいわれていたような接し方をしているとはいえない。

いまのほうが 情報量は豊かなのだから、そんなことはそもそも必要ではないし、
時代が違ってきているのに、一緒くたに考える方がおかしい、という反論もあるのはわかっている。

それでも私が若いころは、山中先生と同じようなことをやっていた。
(私は1963年生れ)
山中先生の若いころとくらべると、オーディオ雑誌の写真もずいぶんまともなになってきていたとはいえ、
いまのようにカラーページが多いわけではなく、
紙質もあまりよくなく、モノクロの写真は細部が不鮮明であることも少なくなかった。

だからとにかくじっと見つめていた。
インターネットもない。他に情報を得る手段がないわけだから、
とにかくそこにある写真を見つめるしかないのだ。

そして何度も同じ文章を読んできた。
そうやって想像力を鍛えていた、といえよう。

それにこれが大事なだが、想像力を鍛えてくれる文章が、
私が若かったころには、あったことだ。

話すよりも音を鳴らすだけでの方が楽な面もある。
面倒なこともある。

音を鳴らさないことにこだわるつもりはないし、
必要があって、条件が整えば音を出していく会もやりたい。

それでも音を出さずに、という会を続けていくのがあってもいいと思っているし、
音を鳴らさないのがいい、といってくれる人もいる。

Date: 2月 12th, 2014
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(音を鳴らさないゆえの楽しさ)

インターネットが急速に普及して、オーディオの個人サイトが急激に増えたころ、
そういった個人サイトにある掲示板を利用したオフ会もまた急速に広まっていった印象がある。

あちこちの個人サイトに、今日は、どこどこに行って音を聴いてきた、とか、
誰々さんがお見えになって音を聴いてもらいました、とか、
そういったことが、意識して探さなくても目に入ってきていた。

それらの個人サイトがいまも存在しているかといえば、
細かくチェックしているわけではないので正確なことはいえないものの、
あのころとくらべるとずいぶん減ってきたように感じている。

とはいえオフ会そのものがまったく行われていないわけではない。
ただ第三者に目につく感じではなく、ひっそりと行われているだけのことかもしれない。

オーディオは音を出す趣味といえるところがある。
だからオフ会(つまりは人様の音を聴いたり人様に自分の音を聴いてもらう)が行われる。

言葉だけでは伝わりにくいこと、伝わらないことも、
そこに出かけて音を聴けば、すぐさま理解できることもある。

実際に音を出して聴く、ということは大きな楽しみではある。

なのに私が毎月第一水曜日に行っているaudio sharing例会は、
もう四年目にはいっているけれど、音を出すことをいまのところ一度もやっていない。

音が聴けないから、そんな集まりに、どんな面白さ、楽しさがあるのか、と思われる。
でも、あえていえば音を出さないゆえの楽しさもある、といいたい。

Date: 2月 11th, 2014
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(ガラード301との比較・その2)

先月もあるところで松田聖子を聴いたことは、別項でも書いているとおりだ。
実は今回も松田聖子を聴いてきた。

前回はCD、今回はアナログディスクで松田聖子を聴いた。
この松田聖子のディスクを930stで聴いた後、
ガラード301のシステムでかけたわけだ。

どちらが私には良かったのかは、先にも書いたように930stだった。
けれど、おもしろいのは松田聖子が好きな人は、ガラード301の方が良かった、という。

930stでの松田聖子とガラード301での松田聖子はどう違っていたのか。

松田聖子のディスクを一枚も持っていない、
松田聖子の歌といえば、テレビで聴くくらいの聴き手でしかない私には、
ガラード301での松田聖子は、歌の上手なアイドル歌手というふうに感じられた。

930stで聴く松田聖子は、アイドル歌手という面影は感じさせず、
あくまでもプロの歌手としての松田聖子であった。

松田聖子のディスクを一枚も持っていない私は、松田聖子のファンではない。
でも松田聖子の熱心な聴き手である人は、松田聖子のファンであり、
その人にとっては、松田聖子はアイドルという存在でもあるのかもしれない。

私にとって松田聖子はアイドルでもなんでもなかった。
この思い入れの違いが、930stなのかガラード301なのかの違いにつながっているのではないだろうか。

Date: 2月 11th, 2014
Cate: LNP2, Mark Levinson

Mark Levinson LNP-2(serial No.1001・その1)

ハイエンドオーディオと呼ばれている流れは、
良くも悪くもマークレビンソンのLNP2から始まった、といっていいと思う。

LNP2(Low Noise Pre-Amplifier)は1973年に登場した。
最初の10台のLNP2には、バウエン製モジュールUM201が搭載され、
それ以降はマークレビンソン製のモジュールLD2が搭載されるようになった。

けれど実際には36台のLNP2までは正式にバウエン製モジュールが搭載されている。
しかも、ここがいかにもアメリカらしいのだが、
それ以降も正規輸入品(つまりRFエンタープライゼスが輸入したモノ)でも、
天板をとってみると、LD2ではなくUM201が搭載されていたLNP2があることも確認されている。

どうも最初の80台くらいまでは、ときどきバウエン製モジュールがはいっている。

LNP2のシリアルナンバーは1001から始まっている。
つまりLNP2からハイエンドオーディオの流れが始まった、とみれば、
シリアルナンバー1001のLNP2から始まった、ともいえよう。

そのシリアルナンバー1001のLNP2は、アメリカにではなく日本にある。
今日、そのシリアルナンバー1001のLNP2を聴いてきた。

Date: 2月 11th, 2014
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(ガラード301との比較・その1)

EMTの930stは何度も聴いたことのあるアナログプレーヤーであり、自分でも使っていた。
ガラードの301は、何度か聴いたことはあるけれど、その回数は930stのそれよりもずっと少ないし、
自分のプレーヤーとして使ったことはない。

つまり同じ空間で同時に聴いたことは、これまで一度もなかった。

930stの音は、かなり身にしみ込んでいる。
930stの他のプレーヤーとの音の差もある程度は掴んでいて、
そういったプレーヤーと比較することによって、ガラード301の音をなんとなく掴んでいたつもりであった。

今回、機会があって930stとガラード301(トーンアームはオルトフォンRMG309で、カートリッジはSPU)を、
同時に聴くことができた。

ガラード301といってもプレーヤーベースをどうするのか、
組み合わせるトーンアーム、カートリッジによっても結果として出てくる音は違ってくるわけで、
システムとして構築されている930stと同列で比較するのが難しいのはわかっている。

それでも同じ条件で聴きくらべられるのはこれまでなかったし、ありがたい体験でもあった。

どちらが良かったのか。
結果を先に書いてしまうと、私には930stだった。

けれど、こうやって比較試聴して得られたものはそれだけではなく、
ここにオーディオの面白さがある、と感じられることも得られた。

Date: 2月 10th, 2014
Cate: ワーグナー

ワーグナーはなぜ長いのか

ワーグナーの作品は、ほとんどが長い。
これらの作品の時代にあっても、おそらく長いと思われていたことだろう。

感覚的な長さよりも、物理的に長い。
ワーグナーの作品を通しで聴くには、
しかも誰にも何ものにも邪魔されずに一気に聴き通すには、
いまではそれなりの準備が必要となる。

「ニーベルングの指環」を四夜にわたって連続して聴こうとしたら、
それなりの準備がかなりの準備になってしまう。

なぜワーグナーはこれほど長いのか。

ワーグナーの作品が大きいから、というしかない。
その大きさについて考える時、空間と時間は結局のところ同じなのではないかと感じる。
だからワーグナーには、ワーグナーの大きさに見合った時間を必要とする。

ワーグナーを聴くということは、
この大きさと対決することであり、
ワーグナーをオーディオを介して聴くということは、
その大きさを感覚的に再現できなければ意味がない。
再現できなければ対決のしようがないからだ。

Date: 2月 9th, 2014
Cate: ラック

ラックのこと(その9)

ラックの天板・棚板の上でオーディオ機器を前後させて、
ある程度いいポイントを見つけるとともに、前後移動による音の変化の傾向をつかんだら、
今度は左右に動かしてみる。

この左右方向の移動でも音は変る。
特にアナログプレーヤーは左右移動の音の変化が大きい傾向にある。

左右方向に動かして、自分にとっていい音のポイントが、左に大きくずらしたところにあったとする。
だが前後方向の移動と違い、左右のどちらかに大きくずれていると、見た目のバランスがよくない。

なのでたいていは左右に関しては真ん中に置くことが、私の場合は多い。

それにしてもなぜオーディオ機器を移動することによって音が変化するのか。

どんなに分厚く振動しにくいといわれている材質の天板・棚板であっても、
振動を皆無にすることは不可能である。
どんなものでも振動している。

この振動が、上に置くオーディオ機器の脚の位置、荷重によって変化していく。
前に動かせば、脚の位置はとうぜん前寄りになるし、天板・棚板の前のほうに荷重がかかる。

四点の脚ならば四つのポイントで、三点支持ならば三つのポイントで、
機器の荷重を支えているともいえるし、天板・棚板を押えているともいえる。

Date: 2月 9th, 2014
Cate: 程々の音

程々の音(その23)

コーネッタの組合せを考え書いてきた。
もう少し全体の価格を抑えたいという気持はあったけれど、
コーネッタをうまく鳴らしたいという気持が強くて、
組合せの価格としては、それほど抑えたものとはいえなくなってしまった。

とはいえ昨今の、おそろしく高価なオーディオ機器(中には理解不能な高価なモノもある)からすれば、
現実的な価格の範囲には収まっている。

このコーネッタを中心としたシステムであっても、
オーディオマニア以外の人からみれば、かなり高価なシステムであり、
価格を抑えたシステムとは映らないのもわかっている。

そういうシステムを、この「程々の音」とつけて書いているのは、
このシステムならば、グレードアップをはかろうという気にさせないのではないか──、
そんな気がするからでもある。

「五味オーディオ教室」を読んで始まった私のオーディオは、
エスカレートしていくばかりだった。
そのことを後悔しているわけではないけれど、
以前書いたように、母の希望でもあり、私もある時期目指していた教師になっていたら、
東京に出てくることもなかったし、家庭をもち、
ここで書いてきたコーネッタのシステムをつくりあげたら、
そのままレコードを聴くことを楽しんでいたのではないのか。

地方公務員の給料で、家族に迷惑・負担をかけることなく、
音楽を聴くことを楽しむのに、コーネッタのシステム以上のものは、どれだけ必要なのだろうか。

日本では「音は人なり」が時として、悪い方向で使われることがある。
程々の音で聴いているということは、程々の人である、
最上(極上)の音で聴いている私は、最上(極上)の人である──、
ここまであからさまに意識していなくとも、「音は人なり」のそういう解釈もまた存在している。

Date: 2月 9th, 2014
Cate: カタチ

趣味のオーディオとしてのカタチ(その9)

こんな人がいた。
「4343よりも4333がデザインがいい」

同意はできないけれど、これだけなら「あぁ、この人は4343よりも4333が好きなんだな」と理解できる。
デザインの良し悪しを好き嫌いだけで判断している人だと理解できる。

けれど、彼は続けてこういった。
「4343よりも4333の方が、いい音で鳴るからデザインがいいんだ」と。

彼がデザインについてあれこれいうのは、音がいいか悪いかでの判断であって、
音が悪ければ、どんなに優れたデザインであっても、それはひどいデザインということになる。

彼はいかにも自信をもって、そういった。
彼にとって、これは絶対に揺るがない正論であって、これ以外にデザインを評価することはできない。

彼の、この主張に納得したり同意する人がいるのか。

彼は「4343よりも4333の方が……」といった時点で、
彼自身がオーディオにおいて未熟であることを告白していることに気づいていない。
気づいていないからこそ、自分は正しいことをいっているんだ、からこその彼の虚勢である。

こういう人は少なからずいる。

不思議なのは、4343がいい音で鳴らない、といった時点で、
4343をうまく鳴らすことができなかった、と白状していることに気づいていない点である。

Date: 2月 8th, 2014
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(その20)

ステレオサウンド 3号には、もう一機種、
デザインについて考えていくうえで興味深いプリメインアンプが載っている。
パイオニアのSA81というアンプだ。

このSA81のデザインについての瀬川先生の評価はこうだ。
     *
どこかで見たようなデザインだと思ってよく考えたら、マランツのプリの左右をそのままひっくり返した形であった。パイオニアほどのメーカーが、いまどき何ということか。特に、他の機種がパイオニアとしてのオリジナルなカラーで統一してしかもそれが成功しているのに、これひとつだけ別物のような感じがする。
     *
瀬川先生が厳しく書かれているSA81のパネルは、
安っぽくしたマランツModel 7といいたくなる程度である。

瀬川先生でなくとも、SA81のデザインに関しては、厳しいことをいいたくなる。
ほんとうに、なぜパイオニアは、この時代に、こういうデザインのアンプを送り出したのだろうか。