あるスピーカーの述懐(その6)
録音・再生というオーディオの系は、
音を電気信号に変換し記録し、その記録した電気信号をふたたび音に変換するものであり、
記録することは可能でも、記憶することはできない系である。
エレクトロニクスとメカニズムで構成されるオーディオの系だから、
記録は可能でも記憶はできないのは理論的にも技術的にも当然のことなのだが、
それでもほんとうにオーディオは記憶できないものなのか、と思うようになったのは、
「Harkness」でソニー・ロリンズのSaxophone Colossusを聴いてからであり、
聴くたびに実感している。
私の「Harkness」は何度も書いているように、岩崎先生が鳴らされていたそのものである。
だから別項「終のスピーカー」でも書いている。
Saxophone Colossusを鳴らすと、
岩崎先生がどうこのレコードを聴かれていたのか、
もっといえばSaxophone Colossusとどう対峙されていたのかが、感覚的に伝わってくる鳴り方をする。
それはもう「Harkness」というスピーカーシステムが、
これに搭載されているD130というユニットが、岩崎先生の聴き方・鳴らし方を記憶しているかのようである。
そんなのは、岩崎千明という男の鳴らし方のクセが残っているだけのこと。
そう考える人がいるのも無理もない。
だが聴けば、そうとしか思えない音が鳴ってくる。
なぜ 「Harkness」は記憶しているのか。
「Harkness」は岩崎先生のリスニングルームにあって、
岩崎先生が鳴らされる音を聴いていたからだ。
私は、これで納得している。