ハイ・フィデリティ再考(その34)
1970年か71年に発売されたレコードに「パイオニアリング・サウンズ・イン・ジャズ」がある。
私がオーディオに興味を持ったのは1976年だから、このレコードに関しては、当時はまったく知らなかった。
「パイオニアリング・サウンズ・イン・ジャズ」は第3集まで出ている。
録音はすべて菅野先生が担当されている。
第1集と第2集は、無響室での録音という実験的傾向のひじょうに強いものである。
第3集は通常のスタジオ録音だが、やはりこれも実験的なレコードとして仕上がっている。
「パイオニアリング・サウンズ・イン・ジャズ」第3集は、
菅野先生による録音テープをアメリカに持っていき、ルディ・ヴァンゲルダーにカッティングしてもらい、
そのメタル原盤を日本に持ち帰り日本でプレスして発売されている。
私は、無響室での録音よりも、レコードというものについて考えるうえで、
この第3集のほうがずっと実験的だと思っている。
なぜ菅野先生は、こんな手間を敢えてかけてまで、この興味深いレコードをつくろうと考えられたのか。
スイングジャーナル 1971年3月号に掲載されている「オーディオロジー 音は人なり・機械も人なり」の中に、
その理由がある。
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何故、わざわざこんなことをしたかという疑問に対しては、いろいな答えが用意出来るけれど、その最大の理由は、レコードというものにとって、磁気テープへの原録音と同時に重要な音質形成のファクターとなるのが機械変換プロセスであるカッティングであり、そしてまた、カッティングというものが、機械がよくて、これを正しく操作すれば、誰がどこでカッティングしても同じであるという誤った考え方へのレジスタンスであった。日本の場合、原テープの忠実な再現ということがカッティングの絶対の目的基準とされている。それ自体は決して誤った考えではないし、録音再生のプロ世数技術的に管理するためには正しい考え方だ。しかし、ヴァンゲルダーのカッティングを聞いてみると、原テープを素材として、よりよい(ヴァンゲルダーの感覚で……)レコードへの努力が感じられる。これは、次元の相違があるとしか云えないことで、片や技術的に論理的に組み上げられた考え方であるのに対し、一方はずっとフレキシブルで芸術的だ。
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菅野先生は文章はこのあとも続くが、全文をお読みになりたい方は、
audio sharingで公開している「音の素描」におさめられているので、ぜひお読みいただきたい。