Archive for 8月, 2011

Date: 8月 24th, 2011
Cate: High Fidelity

ハイ・フィデリティ再考(その34)

1970年か71年に発売されたレコードに「パイオニアリング・サウンズ・イン・ジャズ」がある。
私がオーディオに興味を持ったのは1976年だから、このレコードに関しては、当時はまったく知らなかった。

「パイオニアリング・サウンズ・イン・ジャズ」は第3集まで出ている。
録音はすべて菅野先生が担当されている。
第1集と第2集は、無響室での録音という実験的傾向のひじょうに強いものである。
第3集は通常のスタジオ録音だが、やはりこれも実験的なレコードとして仕上がっている。

「パイオニアリング・サウンズ・イン・ジャズ」第3集は、
菅野先生による録音テープをアメリカに持っていき、ルディ・ヴァンゲルダーにカッティングしてもらい、
そのメタル原盤を日本に持ち帰り日本でプレスして発売されている。

私は、無響室での録音よりも、レコードというものについて考えるうえで、
この第3集のほうがずっと実験的だと思っている。

なぜ菅野先生は、こんな手間を敢えてかけてまで、この興味深いレコードをつくろうと考えられたのか。
スイングジャーナル 1971年3月号に掲載されている「オーディオロジー 音は人なり・機械も人なり」の中に、
その理由がある。
     *
何故、わざわざこんなことをしたかという疑問に対しては、いろいな答えが用意出来るけれど、その最大の理由は、レコードというものにとって、磁気テープへの原録音と同時に重要な音質形成のファクターとなるのが機械変換プロセスであるカッティングであり、そしてまた、カッティングというものが、機械がよくて、これを正しく操作すれば、誰がどこでカッティングしても同じであるという誤った考え方へのレジスタンスであった。日本の場合、原テープの忠実な再現ということがカッティングの絶対の目的基準とされている。それ自体は決して誤った考えではないし、録音再生のプロ世数技術的に管理するためには正しい考え方だ。しかし、ヴァンゲルダーのカッティングを聞いてみると、原テープを素材として、よりよい(ヴァンゲルダーの感覚で……)レコードへの努力が感じられる。これは、次元の相違があるとしか云えないことで、片や技術的に論理的に組み上げられた考え方であるのに対し、一方はずっとフレキシブルで芸術的だ。
     *
菅野先生は文章はこのあとも続くが、全文をお読みになりたい方は、
audio sharingで公開している「音の素描」におさめられているので、ぜひお読みいただきたい。

Date: 8月 24th, 2011
Cate: 真空管アンプ

真空管アンプの存在(その77)

マランツ#7、マッキントッシュC22、QUADの22は、ほぼ同時期のコントロールアンプだ。
この3機種の真空管の点火方式(ヒーター回路)を見て、
まず気がつくのは、QUADの22だけが交流点火だということだ。

QUADの22だけではない、QUADのモノーラル時代のコントロールアンプQCIIも交流点火で、
同じイギリスのリークのVarislope Stereoも交流点火だ。

Model 7、C22の真空管はECC83(12AX7)を6本、
QUADの22は、フォノイコライザーは5極管のEF86の1段増幅、
ラインアンプはECC83による2段増幅となっているから、EF86、2本,ECC83、2本となる。
Varislope Stereoも22同様、フォノイコライザーはEF86の1段増幅、ラインアンプもEF86で、
全体でEF86、4本となる。
だからそれぞれ回路構成は違うわけだが、そのこととヒーターの点火がアメリカ勢は直流点火、
イギリス勢は交流点火の理由につながっていくとは考えにくい。

直流点火をするためには整流・平滑回路が必要になる。
整流のたぬにダイオードもしくはセレンが、
平滑回路には電解コンデンサーと電圧調整とπ型フィルターを構成するための抵抗がいるから、
その分スペースが必要となる。

QUADもリークも、どちらのコントロールアンプもシャーシー内に電源部をもたない。
ペアとなるパワーアンプから供給されるからだ。
だからスペース的な問題から直流点火をあきらめた、とは考えられない。

S/N比を確保するには直流点火がもっとも確実な方法といえる。
それをQUADもリークも採用していないのはなぜか。
交流点火の方が音がいいという判断があったのか。
もしそういう判断があったとして、S/N比は多少犠牲になってもいいという考えからなのか。

この答えは、使われている真空管の製造メーカーと関係していくのではないだろうか。

Date: 8月 24th, 2011
Cate: Bösendorfer/Brodmann Acoustics, VC7

Bösendorfer VC7というスピーカー(その24)

ベーゼンドルファーVC7の開発者は、
「カンターテ・ドミノ」のCDをかけ終った後に、
「これが録音されたのは木造りの教会で、そのことが響きとして表現されていたでしょう」といい、
「今度は石造りのところで録音されたCDをかけます」といった。

「カンターテ・ドミノ」の次にかけられたのが何のCDだったかは失念してしまったが、
VC7の開発者がいったように、そこで鳴っていた響きは、「カンターテ・ドミノ」のときとは違う。
録音が行なわれた建物が「カンターテ・ドミノ」の教会とはあきらかに違うことは、響きの違いとして顕れていた。

「カンターテ・ドミノ」が木の教会の響きでなっても、
そうでない場所で録られた録音までも「カンターテ・ドミノ」的な響きで鳴らされては困る。
どんなに「カンターテ・ドミノ」がうまく鳴ったところで、
それは「カンターテ・ドミノ」の録音状況に合っていたということで、
VC7が優れたスピーカーシステムということにならないわけだが、「カンターテ・ドミノ」を聴きながら、
じつはそのことがすこし気になっていたのだ。

もし石造りの建物で録音されたCDまで木の教会の響きで染めてしまったら、VC7への興味は失ってしまうかも……と。

どうもVC7は、日本では、試聴に限定条件がついてまわるスピーカーシステムとして思われている気がしていたし、
そのことを、私自身も、しっかりと確かめたかったから、2008年のノアのブースで聴くことができた2枚のCDは、
私のそんな杞憂をきれいに吹き飛ばしてくれた。

VC7は高価なスピーカーシステムだし、同じ価格を出せば、優れたスピーカーシステムを購入できる。
そういった優秀なスピーカーシステムと直接比較すると、いくつかの点でもの足りなさを感じることはあろう。
それでもVC7の、響きへの対応の柔軟性と見事さは、
そういった優秀なスピーカーシステムではなかなか得にくいものであることもたしかだ。

音楽における響きとはなんなのか、オーディオにおける響きとはなんなのか。
響きについて、なにかを学べるスピーカーシステムとして、私はベーゼンドルファーのVC7を高く評価している。

Date: 8月 24th, 2011
Cate: 楷書/草書

楷書か草書か(その3)

楷書か草書かということではないが、
オーディオ機器の聴かせる音も、文字に関することで区分け、というか、いい表すことができるところもある。

つくり手の手書き文字を思わせる音を聴かせるモノもあれば、
活字的な音(その中で、書体によってまた分れてくる)もある。

たとえばピーター・ウォーカーがいたころのQUADのアンプの音は、
ピーター・ウォーカーによる手書きの文字のようなところがあったように、いま思う。

その手書きの文字にも楷書、草書的な違いがあるし、
それだけではなく文字を書く速さの違いもあるように感じている。
達筆でサラサラサラッと流れるように書かれていく文字もあれば、
ゆっくりゆっくり確かめるように丁寧に書かれていく文字もある。
筆圧の違いもある。

パソコンが普及してネットも普及して、手書きの文字を見る機会がぐんと少なくなっているからか、
たまに手書きの文字を読むと、こんなことを思ってしまう。

Date: 8月 23rd, 2011
Cate: Bösendorfer/Brodmann Acoustics, VC7

Bösendorfer VC7というスピーカー(その23)

スウェーデンのプロプリウスから発売されている「カンターテ・ドミノ」が録音されたのは1976年、
テープレコーダーはルボックスのA77で、ワンポイント録音。

A77は、スチューダーのプロ用機器とは違い、あくまでコンシューマー用のデッキ。
それで録音されたものが、いまでも優秀録音の一枚として、いまでも試聴レコードとして使われている。

2008年のインターナショナルオーディオショウでのノアのブースでのベーゼンドルファーVC7が鳴らされたときも、
「カンターテ・ドミノ」が使われていた。

VC7を鳴らすためのディスクを選んでいたのは、VC7の開発者だった。
実は、このときのVC7の音を聴いて、さらに惚れ込んでしまった。

VC7からの「カンターテ・ドミノ」の響きには、木の響きが感じられたからだ。

欧米の教会が身近にない環境で育っているためか、
「教会」ときくと、テレビや映画によく出てくるような石造りの建物を私などは連想してしまいがちだが、
「カンターテ・ドミノ」の録音に使われた教会は、そういう石造りの教会ではなく木造りの教会だ。
だから、「カンターテ・ドミノ」では、そういう木造りの教会の響きがしてこなければ、おかしいということになる。
石造りの教会を連想させる響きでは、「カンターテ・ドミノ」を十全に再生できた、とはいえないことになる。

井上先生は、よく「カンターテ・ドミノ」を試聴に使われた。
「カンターテ・ドミノ」で何度もかけながら細かい調整をされていく。
すると、途中であきらかに響きの質が変化するときがある。
響きがあたたかくやわらかい感じになる。
このことを井上先生にきいてみると、「それは木の教会だからだよ」と教えてくれた。

VC7の開発者も、同じことを言っていた。

Date: 8月 23rd, 2011
Cate: ショウ雑感

2008年ショウ雑感(その1・余談 鉄について)

鉄は磁性体だから……、と10代のころは、音に悪影響を与えるものであるし、
システムからできるかぎり取り除けるものであるならば取り除いていくべきのだと信じていた。

だからステレオサウンドにはいったころ、
そのころ田舎で使っていたオーディオ機器は持ってこなかったから、
手持ちのオーディオ機器はSMEの3012Rだけだった。
とにかく、この3012Rに似合うターンテーブルをはやくなんとかしたい、と思っていた。
これはいちど書いているけど、トーレンスのTD124の美品があった。
TD124IIだったら、おそらく買っていた。けれど、そのTD124は最初のTD124で、
つまりターンテーブル・プラッターが鉄でできているものだった。

このときはターンテーブル・プラッターが磁性体だと、
マグネットが大きいMC型カートリッジを使うと、カートリッジからの漏れ磁束と鉄の関係から針圧が増えてしまう、
それに磁性体は音を濁すものだという先入観から、購入はあきらめた。

でも、いまはTD124IIよりも、鉄のターンテーブル・プラッターのTD124を聴いてみたい、と思っている。
良質の鉄のターンテーブル・プラッターの、どういう響きをアナログディスク再生に加味するのか。

使うにあたっては、非磁性体のターンテーブル・プラッターのものより気を使うところは出てくるだろうが、
そんなことは、いまはどうでもいいことだと思っている。
だから、いまは、中途半端な先入観をもっていたため、貴重な経験を逃してしまった、と悔いている。

Date: 8月 22nd, 2011
Cate: Bösendorfer/Brodmann Acoustics, VC7

Bösendorfer VC7というスピーカー(その22)

鉄を目の敵にするのは、正直どうかと思う。
鉄が悪いわけではなく、その人の使い方に鉄が向いていなかっただけの話ではなかろうか。

私は、優れた鉄のもつよさは、積極的に認めたいほうだ。
ただTAD(パイオニア)がTL1601cの製造をやめてしまったのは、鋳鉄フレームを自社生産することはできず、
外注に出していたのだが、その外注先がなくなってしまい、
同じクォリティの鋳鉄フレームがもう造れなくなってしまったから、ときいている。

TADはパワーアンプのM600に鋳鉄ベースを採用している。
ということは、腕のいい職人のいる外注先が見つかった、ということなのだろう。
となるとTL1601cの復活もあるかしれない、と実はすこし期待している。

ベーゼンドルファー(ヤマハに買収された後スピーカー製造部門は独立し、現在はBrodmann Acoustics)のVC7、
ウーファーのフレームが鉄製であることは、すでに書いた。
それが安もののユニットに多く採用される薄い鉄板フレームなのか、
それともピアノのフレームやTADのTL1601cと同じく鋳鉄製なのかは、はっきりとしない。
ただ音を聴いていると、なんとなく鋳鉄製であってほしい、と思っているわけだ。

私の予想・予感が外れて鉄板のフレームだったとしても、
それで、あの響きを出しているのだから、それはそれで感服することになる。

なぜか日本ではVC7の評価は、低い。
最初ベーゼンドルファーのスピーカーシステムとして出たことも大いに関係しているのだろうが、
ピアノがうまく鳴るスピーカー、といった程度にしか受けとめられていないのではなかろうか。

ピアノはうまく鳴る。でもそれだけのスピーカーシステムではない。
VC7の良さは、響きの再現性にある。

Date: 8月 22nd, 2011
Cate: Bösendorfer/Brodmann Acoustics, VC7

Bösendorfer VC7というスピーカー(その21)

どこかのピアノメーカーが、鉄フレームとアルミフレーム以外は、
あとはまったく同一というピアノをつくってくれて、その比較試聴ができればいいのだけれど、
そんなことをやるピアノメーカーはないから、
想像で書くしかないのだが、おそらくアルミフレームのピアノと鉄フレームのピアノとでは、
響きの芯の確かさ、と表現したくなる要素が大きく違ってくるのではないだろうか。

どんな材質にも、その材質特有の固有音がある。
固有音のないものは世の中には存在しないし、鉄には鉄ならではの固有音があり、
アルミニウムにはアルミニウムならではの固有音があり、
固有音をうまく音に活かせれば、いい意味での個性になり、
扱い方をあやまるとクセとなり、耳につきわずらわしく感じられることになる。

鉄とアルミニウムは、オーディオにもっとも多く、長く使われてきている金属の代表でもある。
見た印象が鉄とアルミニウムとは違うし、叩いたときの固有音も似ているとはいえない。
それにアルミニウムは非磁性体、鉄は磁性体という、ピアノでは関係ない要素も、
オーディオには音に関係してくる要素となる。

いまでもそうだがプロ用の器材には、鉄板のシャーシのものが意外と多い。
コンシューマー用のオーディオ機器のようにアルミニウムを贅沢に使ったものはほとんどない、といっていいはず。

以前、井上先生からきいた話だが、プロ用器材に共通する開放感がある音は、
アルミニウムでがっちりつくってしまうと、意外にどこかにいってしまう、ということだった。

それに鉄とアルミニウムとではシールド材としても違う性格がある。
シールドできる周波数帯域が、鉄とアルミニウムとでは異る。
より広い帯域のノイズをシールドしたければ、どちらかひとつに絞るのではなく、
複数の金属をうまく組み合わせたほうがいい、ということだ。

Date: 8月 22nd, 2011
Cate: オリジナル

オリジナルとは(その17)

音の入口となるオーディオ機器には、アナログプレーヤーの他にチューナーやテープデッキがある。
ここではアナログプレーヤーとテープデッキの比較について書いていくが、
テープデッキ(オープンリールデッキ、カセットデッキ)では、
アナログプレーヤーのような豊富なアクセサリーはなかった。

テープデッキ関係のアクセサリーといえば消磁器、ヘッドクリーナーが、パッと浮ぶ。
これらは音を意図的に変える類のアクセサリーではなく、メンテナンスに必要なアクセサリーであって、
消磁器やヘッドクリーナーを使うことによって音の変化はあるが、
それらヘッドが磁化したり汚れていたりして、
本来の性能を出し切れていなかったものを本来の状態に戻した結果の音の変化であり、
アナログプレーヤーにおいてシェルリード線を交換して音が変化した、というものとは性質が異る。

テープデッキではヘッドが、アナログプレーヤーのカートリッジにあたる。
トーンアームが、テープデッキではキャプスタンやピンチローラーなどの走行メカニズムといえるだろうし、
モーターは、アナログプレーヤーにもテープデッキにもある。

アナログプレーヤーでは、これらがバラバラに売られているが、
テープデッキではそういうことはない。
どちらもデリケートな器械であるにも関わらず、アナログプレーヤーとテープデッキは、やや違う途を歩んできた。

一時期、マランツのModel 7やマッキントッシュのC22、ダイナコの管球式のアンプ、
それからトランジスターのものではJBLのSG520には、テープヘッド用の入力端子がついていた。
それぞれのアンプで端子につけられている名称は違うが、
テープデッキの再生ヘッドの出力を直接受けるためのもので、
イコライザーカーヴも、フォノイコライザーアンプのRIAAカーヴを切り替えることで対応していた。

つまりある一時期、テープデッキの再生ヘッドに関しては、
アナログプレーヤーのカートリッジ的な扱いをされていた。
けれど、それは長く続くことはなく、
その再生ヘッドに最適に合せた再生アンプがテープデッキ側に搭載されるのが当り前となり、
アンプ側からTape Head端子は消えていった。

Date: 8月 22nd, 2011
Cate: オリジナル

オリジナルとは(その16)

いちど解体(細分化)の方向に向った勢いは衰えることなく、
勢いを増して、さらに解体・細分化されていく。

たとえばカートリッジはヘッドシェル、トーンアームまでを含めて、
これでも最低限の括りであるにも関わらず、実際にはヘッドシェル単体が発売され、
ヘッドシェル内のリード線も単体で売られるようになり、
ヘッドシェルへの取りつけビスまでも、と細分化されていった。

LPを再生するのに、カートリッジの発電コイルからスピーカーのボイスコイルまで、
いったいどれだけの長さの信号経路があるのか、
その非常に長い経路のわずか数cmの長さしかないシェルリード線を交換すると、音は変化する。

取りつけビスが一般的なアルミなのか、それとも真鍮なのかステンレスなのか、もしくは非金属なのか、
材質によっても、長さによって(長すぎるビスは使わないようにしたい)音は、どうしても変化する。

オーディオマニアは音の変化ばかりを追い求めている、喜んでいる、と、
オーディオにさして関心のない人は、そんなふうに思っているようだが、
私個人は、音が変化するのを確認することは楽しい反面、
もうこんなことで音が変化してほしくない、という気持が、どこかに芽生えてくることがある。

アナログプレーヤーに関するものは、ヘッドシェル、シェルリード線以外にも、
ターンテーブルシート、スタビライザー、インシュレーターなど、いくつもの関連アクセサリーが出てきた。

しかもこれらは簡単に交換できる。ということは、すぐに元の状態に戻せる。
その手軽さ、気軽さがあって、ひとつふたつは多くの人が試されているだろうし、
はまっていった人は、スタビライザーだけでもけっこうな数が、
いまデッドストックになっているのではないだろうか。

Date: 8月 21st, 2011
Cate: 使いこなし

使いこなしのこと(快感か幸福か)

使いこなしについて書いてきていて、ふと思い出すのは、
別項「快感か幸福か(その1)」に書いたことである。

Date: 8月 21st, 2011
Cate: 川崎和男, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その49・補足)

以前使っていたブログ・テーマでは、左側のサイドバーに、最新のコメントが表示されるようになっていたが、
いまのテーマでは、下側に表示されるはずなのに、なぜかできない。
けれど、従来通りコメント欄はあり、それぞれのブログ記事のタイトルをクリックしてもらえば、
そのタイトルの記事単独での表示になり、いただいたコメントともにコメント記入欄を表示される。

コメントをいただいた記事は、日付の下に、1msgとか2msgと表示される。

「妄想組合せの楽しみ(その49)」に川崎先生からのコメントがあった。

そこに「ラジオ(太鼓)」とある。
ラジオ(太鼓)?? となられた方もおられるかもしれない。

ラジオ(太鼓)について興味をもたれた方は、ぜひ川崎先生のブログをお読みいただきたい。

今年3月2日の「新しい部族の太鼓か インターネットラジオというメディア」と
翌3日の「ラジオ聴覚メディアの強さは革新された」の2本だ。

Date: 8月 21st, 2011
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その17)

「聴感上のS/N比」は、いまでは誰もが使う表現になってしまった。
私の知る限り、「聴感上のS/N比」という表現を最初に使われたのは井上先生で、
ステレオサウンド 39号に出てくる、ということは、別項「井上卓也氏のこと(その21)」に書いた。

もう一度ここに引用しておく
     *
聴感上のSN比とは、聴感上でのスクラッチノイズの性質に関係し、ノイズが分布する周波数帯域と、音に対してどのような影響を与えるによって変化する。物理的な量は同じようでも、音にあまり影響を与えないノイズと、音にからみついて聴きづらいタイプがあるようだ。また、高域のレスポンスがよく伸び、音の粒子が細いタイプのカートリッジのほうが、聴感上のSN比はよくなる傾向があった。
     *
最後のところでカートリッジについてふれられているのは、
ステレオサウンド 39号がカートリッジの特集号であったからだ。

音にあまり影響を与えないか、音に絡みつくかは、ノイズそのものの周波数スペクトラムも関係しているが、
モノーラル再生ではなくステレオ再生においては、
ノイズそのものが2つのスピーカーシステムのあいだにどう分布しているのか、
つまりノイズか中央にしっかりと定位しているものもあれば、さーっと広がるように分布しているものある。

ステレオサウンド 39号は1976年に出ている。
当時はCDはまだない。デジタル録音(PCM録音)のLPが話題になっていた時期で、
アンプのS/N比も、すべてが優れていたわけではなかった。

そういう背景をもって、「聴感上のS/N比」は生れてきている。
この表現から6年後、CDが登場し、「聴感上のS/N比」が意味するところも変化していっている。

Date: 8月 20th, 2011
Cate: Kingdom, TANNOY, ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その74)

JBL4343のウーファーとミッドバスの口径は15インチと10インチ、
タンノイのKingdomの弟分として登場したKingdom 15は、
型番の末尾の数字があらわしているようにウーファー口径がKingdomの18インチから15インチへ変更されている。
この変更にともないミッドバス、ミッドハイをうけもつ同軸型ユニットの口径も、
Kingdomの12インチから10インチと、ひとまわり小さくなっている。
コーン型のウーファーとミッドバスの口径は4343と同じになっている。

これは単なる偶然なのだろうか。

何度も書いている瀬川先生の、
ステレオサウンド別冊のHIGH-TECHNIC SERIES 1に掲載されていた4ウェイ構想の記事を読んだとき、
なぜJBLの4343のミッドバスは10インチであって、8インチにしなかったのか、と疑問に思ったことがあった。

ウーファーとのクロスオーバー周波数がかなり低いのであれば口径がある程度あった方が有利なのはわかるが、
4343では300Hzである。8インチ(20cm)口径のユニットでも十分だし、
口径が小さくなった分だけ中高域の特性はよくなるし、
瀬川先生の記事にもフルレンジの20cmから10cm口径の良質なものを選ぶことから始める、とあった。

そう思ったのは、いまから34年前の話。
4343への関心が強くなっていくほどに8インチじゃなくて、10インチを選択したことを自分なりに納得がいった。

4343(その前身の4341を含めて)が成功したのは、いくつかの要因がうまく関係してのことであろうが、
そのひとつにウーファーとミッドバス、
このふたつのコーン型ユニットの口径比は大きく関係している、と思っている。

だから、Kingdomが成功したのは、このウーファーとミッドバス(同軸型ユニット)の口径比のおかげだ、
という短絡的な断言はしないけれど、それでもこれ以外の口径比で成功はありえなかったはず、だ。

Date: 8月 20th, 2011
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その50)

クリスティアン・ティーレマンが、いまもっともベートーヴェンの交響曲を聴きたい指揮者である。
なのにCDではフィルハーモニアを指揮した、1996年の第5番と7番だけしかない。

今年初めにインターネット・ラジオ局で聴くことができたウィーン・フィルとのベートーヴェンは、
ほんとうに素晴らしかった。
けれどCDはいっこうに発売されず、6月にDVDとBlu-ray Discが出た。
続いてCDが出るのかと待っているのだけれど、おそらく出ない可能性の方が高いようだ。
となると、ティーレマン/ウィーン・フィルとのベートーヴェン全集は映像つきのものを買うことになる。

テレビのない生活が、テレビのあった生活よりも10年以上長くなっている私にとって、
DVDの音楽モノを観る時は、Macでヘッドフォンを使っての視聴だった。
でもティーレマン/ウィーン・フィルとのベートーヴェン全集だけは、
CDがでない可能性が高いだけにそういうわけにはいかなくなる。

ティーレマン/ウィーン・フィルのDVDなりBlu-ray Discを購入したとしても、
最初だけは映像つきで視聴しても、2回目以降は音だけ、となるはず。
だからホームシアターや本格的なAVシステムを組もうと考えているわけではない。
あくまでも、DVDなりBlu-ray Discの音声信号領域に記録されている音楽をきちんと再生したい、ということである。

となると、いまここで考えている組合せには、すこし積極的にこのことを考えてみたい。