Archive for 7月, 2011

Date: 7月 13th, 2011
Cate: 「介在」

オーディオの「介在」こそ(ヘッドフォンで聴くこと・続々続々余談)

恵比寿の店に、若い人が大勢集まるということは、
「若い人にオーディオが売れない」理由のひとつとして、
若い人たちはいい音でアナログディスクやCDを聴こうとは思っていない──、というのがあるはずだが、
これは当然のことながら、理由として使えない。

いい音で聴きたいと思っている若い人たちは、
どのくらいの数なのかははっきりしないが、やはりいる、ということだ。
ただ、その人たちが、「いい音」を自分のものとしたいと思っていないところに、
若い人たちにオーディオが売れない理由の核のようなものがあるのではないだろうか。

少なくとも私の世代までは、いい音で聴きたいという欲求と、いい音を自分のものにしたいという欲求は、
同じ意味のことだった。

それが若い世代の、機能的な音楽の聴き方をする人たちは、
いい音で聴きたい、と、いい音を持ちたい、出したい、とは必ずしもイコールでないどころか、
おそらく別のこととして受けとめているのかもしれない。

昔もいまも、レコードを聴かせてくれるところはあった。
ジャズ喫茶や名曲喫茶は、レコードそのものの価格が、相対的に他の物価よりも高かった時代、
当然それを鳴らすオーディオ機器も高価だったころのほうが、
いまよりも人は集まっていただろうし、時代に求められてもいたはずだ。
そして、そこでレコードを聴いた人の何割かが、自分でも、いい音を出したい、いい音を持ちたい、と思い、
オーディオの世界にはいっていった、と思う。

いまもそういう人は、若い世代にもいるのだろうが、絶対数が圧倒的に少ないのだろう。
だから、「若い人にオーディオが売れない」というふうに多くの人が思うようになった……。

ここまで書いてきたことが、どれだけ現状を正確に捉えているのかどうかは正直わからない。
まったく的外れなことを書いているのかもしれないが、それでも、ここまで書いてきたから浮んできたものがある。
ここから先、考えていきたいのは、主観的な聴き方と機能的な聴き方について、と、慾と欲、についてである。

Date: 7月 13th, 2011
Cate: 五味康祐, 瀬川冬樹

無題

もう何度も書いているから、またかよ、と思われようが、
私のオーディオは、五味先生の「五味オーディオ教室」という本から始まっている。

「五味オーディオ教室」の前に、どこかでいい音を聴いたという体験はなかった。
私のオーディオは、五味先生の言葉だけによって始まっている。

だから私にとって、タンノイのオートグラフの音は、オートグラフというスピーカーシステムの存在そのものは、
五味先生の言葉によって構築されている。
「五味オーディオ教室」「オーディオ巡礼」「西方の音」と読んできて、
やっとオートグラフの音を聴くことができた。

だが、そこで鳴っていたオートグラフの音は、私にとってはオートグラフの音ではなかった。
ここが、私にとってのオートグラフというスピーカーシステムが特別な存在であることに関係している。

五味先生の言葉を何度となくくり返しくり返し読んで、
私なりに構築し、ときには修正していったイメージとしてのオートグラフの音、
これだけが、私にとっての「オートグラフの音」である。

私にとってのオートグラフの魅力は、五味先生の言葉で成り立っている。
オートグラフだけではない、EMTの930stも同じだ。

そしてマークレビンソンのLNP2とJBLの4343の魅力は、
瀬川先生の言葉によって、私のなかでは成り立っている。

それだから、オートグラフと4343を聴くと、私の中で成り立っているイメージとの比較になってしまう。
そのイメージとは言葉だけで成り立っているものだから、虚構でしかない。

オートグラフを自分の手で鳴らすことは、ないだろう、と思っている。
4343はいつか鳴らすことがある、と思っている。

そのとき4343から抽き出したいのは、他のスピーカーシステムを鳴らして求めるものとは、違ってきて当然である。
その音は、あなたの音か、と問われれば、そうだ、と答える。
そのイメージは、私自身が瀬川先生の文章をくり返し読むことで構築してきたものであって、
私だけのイメージ(虚構)であるからだ。

Date: 7月 12th, 2011
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(その17)

ステレオサウンド 58号に、瀬川先生によるトーレンス・リファレンスとEMT・927Dstの比較試聴記が載っている。
そこで、
ヴァイオリンは「リファレンス」、チェロは927……などと思わず口走りたくなるような気さえする、
と書かれている。

私が感じているベルトドライヴとリムドライヴ、駆動方式による本質的な音の違いも、
まさにこのとおりである。
930st、927Dstなどのリムドライヴでは、ヴァイオリンよりもチェロの方が魅力的に響く。
同じ弦楽器でも、ヴァイオリンとチェロでは大きさが違い、
ヴァイオリンは演奏者が肩に乗せて弾く、チェロはエンドピンによって床に立てて弾く。
このことに起因する音の違いが、ベルトドライヴ、リムドライヴにもある、と感じている。

チェロではエンドピンを交換すると、ずいぶん音が変る、と聞いている。
材質もいくつかの種類がある。
つまりエンドピンによってチェロが発生している振動は床に伝わっている、と考えるべきだろう。
床もチェロという楽器の振動系の一部となる。
だからチェロの振動を床に伝えることになるエンドピンの交換によって響きが変化する。

もしチェロにエンドピンがなかったら、いったいどういう音になってしまうのだろうか。
チェロを再生するときには、だからなのか、実在感が、ヴァイオリンのソロ以上に求めてしまうところがある。
エンドピンによって床に固定され、朗々と響くチェロは、
高トルクのモーターを使ったリムドライヴの優秀なプレーヤーのほうが、すくっと目の前に音像が立ち実在感がある。

低トルク・モーターのベルトドライヴでもチェロの響きは美しい。
でもどこか実在感が、ほんのわずかとはいえ、リムドライヴのプレーヤーと比較すると弱い。
がっしりと床にエンドピンで固定されている感じが薄れる、
というか、エンドピンが細く頼りないものに交換されたような、とでもいおうか、そんな印象を拭えない。

もちろんベルトドライヴだけを聴いていたら、そんなふうには思わないはず。
でも927Dstの音を聴いてしまっている耳には、トーレンスのリファレンスでも、
チェロに関しては不満とまではいかないまでも、
チェロは927……と口走りたくなるという瀬川先生の気持は心情的に理解できる。

Date: 7月 12th, 2011
Cate: KEF, LS5/1A

妄想組合せの楽しみ(自作スピーカー篇・その26)

低域はヴァイタヴォックスで、中高域はJBL、
つまり低域はイギリスで中高域はアメリカ、ということでもある。
いくらなんでも、そういう組合せでうまくいくわけがないだろう、と思われても仕方ない面がある。

でもヴァイタヴォックスは、ロンドン・ウェストレックスのスピーカーユニットの製造を請け負っていた会社だ。
そういうこともあり、イギリスのアルテック的な捉え方もされている。
となると、ヴァイタヴォックスも、JBLもアルテックも元をたどれば同じところに行きつく。
まったく異質なモノを組み合わせようとしているわけではない、というすこし強引な言い訳はできる。

BBCモニターは、LS5/1のときからウーファーとトゥイーターの製造メーカーは違っていた。
LS5/1ではウーファーはグッドマン製、トゥイーターはセレッション製だった。
LS3/5Aはウーファー、トゥイーターともKEF製だったが、むしろメーカーが揃っていることが珍しい。

BBCの流れを汲むスペンドール、ハーベスなどもウーファーは自社製でも、トゥイーターは他社製だ。
LS5/8ではトゥイーターはフランスのオーダックス製と、国とメーカーも異る仕様になっている。

そんなことも併せて考えると、ウーファーがヴァイタヴォックス製で、トゥイーターがJBLというのは、
なにかうまくいきそうな感じがしないが、
音楽のメロディ帯域の受持つウーファーがヴァイタヴォックス(イギリス製)であれば、
多少苦労してでも、うまく音をまとめあげれば、決して異端のスピーカーシステムというよりも、
わりと真当なスピーカーシステムと仕上がるはずだ。

そんな確信に近いものをもてるのは、
LE175DLHは、瀬川先生が惚れ込まれたユニットのひとつだから、である。

Date: 7月 12th, 2011
Cate: D44000 Paragon, JBL, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その37)

音のいいコントロールアンプ、優秀なコントロールアンプよりも、
ここでの組合せには、インプレッショニズムのスピーカーシステムとしてパラゴンをとらえたときに、
その魅力を損なうモノは論外で、倍加(というよりも倍化)してくれるコントロールアンプであってほしい。

そうなると、どうしてもマークレビンソンのLNP2が真っ先に浮んできてしかも消えてくれない。
かわりに、あのアンプは、このアンプは、と無理矢理あれこれ思い浮べようとしても、
自分の中に、その選択に対する不自然さを感じてしまい、
結局LNP2になってしまうのか、と自分でもあきれてしまう。

20代のころ、中古ではあったがJC2を購入した。
このときはLNP2よりも、音の良さとして、JC2の方に魅力をより強い感じていた。
それから20年が経ったいま、どちらを選ぶかというと、ためらうことなくLNP2にする。

確かに、このころのマークレビンソンのアンプに、
徹底した音の透明なよさ、どこまでも切れ込んでいく解像力のよさ、
そういった音の良さを求めるのであれば、JC2のほうが上だと思う。
でも、曖昧な表現になってしまうが、音楽を聴いたときの深さのある質感では、LNP2である。
そういう深さが、JC2は稀薄に感じられた。

このことはマーク・レヴィンソン自身も、
LNP2にはJC2にはない音のとディープネスがある、と語っていたときいている。
結局、この深さ(ディープネス)をより深くするために、
瀬川先生はLNP2にあえてバッファーアンプを追加されたのだろう。
バッファーアンプを追加することは、アンプモジュールのLD2をひとつ余計に信号が通ることになる。
そのことによる音の鮮度の低下を問題にする人、
LNP2を使いながらも、トーンコントロールをパスしてRECORD OUTから出力を取り出している人、
もしくはライン入力をTAPE端子に接続している人(これらのことでLD2をひとつパスできる)、
そういう人はLNP2よりもJC2(もしくはML1)を使った方がいい、と思う。

Date: 7月 12th, 2011
Cate: 瀬川冬樹

確信していること(その14)

「コンポーネントステレオの世界 ’80」の巻頭文のタイトルは、「80年代のスピーカー界展望」にもかかわらず、
冒頭はマイケルソン&オースチンのB200の話からはじまる。

当時の輸入元の表記では、マイケルソン&オースチンだったが、
瀬川先生は、ミカエルソン&オースチンとされている。
瀬川先生の、オーディオに関する固有名詞のカタカナ表記へのこだわりは、このMichelson & Austinだけでなく、
いくつかのブランド名、型番でも見受けられることだ。

ミカエルソン&オースチンのデビュー作は、KT88プッシュプルで、出力70Wの管球式パワーアンプで、
出力管が同じで出力もほぼ同じ、さらにシャーシのクロームメッキと共通点がいくつかあったことで、
80年代のマッキントッシュMC275的存在として受けとめられていたし、
実際そのデビュー作TVA1の音は、どんなにトランジスターアンプが進歩しても出し得ないであろう、
音の質量感とでもいいたくなるものがあって、その音の質量感が、スピーカーからはなたれるとき、
音に特有の勢いがあり、真空管アンプならではのヴィヴィッドな感触を生んでくれる。

ミカエルソン&オースチンはTVA1に続き、EL34プッシュプルのTVA10を発表、
そしてEL34を片チャンネル8本使ったB200を出した。

TVA1、TVA10はステレオ仕様だったが、B200ではモノーラル仕様に変更、出力も200Wと、
そのころ発売されていたアメリカのオーディオリサーチのパワーアンプでも、
これだけの出力を実現してはいなかった、と記憶している。

すでに製造中止になっていたマッキントッシュMC3500に次ぐ出力をもつ管球式パワーアンプが、
アメリカからではなく、節倹の国イギリスから登場したことも、このアンプに対する興味を増すことになっていた。

Date: 7月 11th, 2011
Cate: 40万の法則

40万の法則が導くスピーカーの在り方(その9・追補)

この項の(その9)を書いたあとで、
スコーカーに20cm前後の口径のコーン型を採用した3ウェイ・スピーカーシステムについて、あれこれ調べてみた。
インターネットがあっても、こういう調べものをするときは、
ステレオサウンドが以前出版していたHiFi STEREO GUIDE(のちのYEAR BOOK)、
つまりカタログ誌があったほうがずっと助かる。
でも、ないものはしょうがなく徹底的に調べるまでにはいたらなかった。

それでも、ひとつ見つけた。
フランスのフォーカルのScala Utopiaは、スコーカーは16.5cmのコーン型を使っている。
このスコーカーと、27cmコーン型ウーファーとのクロスオーバー周波数は250Hz、
2.7cm口径の逆ドーム型トゥイーターとのクロスオーバー周波数は2.2kHz。
ふたつのクロスオーバー周波数の積は、55万。
40万との差は15万だから、約4割近く増えていることになる。

それでも他の3ウェイ・スピーカーシステムからすると、ずっと40万に近い。

Scala Utopiaとほぼ同じクロスオーバー周波数をもつのが、ソナース・ファベールのElipsaがある。
スコーカーは15cm口径のコーン型で、250Hzと2.3kHzのクロスオーバー周波数をもつから、57.5万となる。
40万からすこし離れてしまう。

もうひとつ見つけている。
アバンギャルドのduo Ω G2だ。
中・高域はホーン型だが、
スコーカーのドライバーはコンプレッション型ではなく口径17cmのドーム型を使っている。
コーン型とドーム型という違いはあるものの、Scala Utopiaのスコーカーと同口径といっていい。
こちらのクロスオーバー周波数は170Hzと2kHzで、積は34万。
Scala Utopia、Elipsaよりも、40万に近い。

多少へそ曲がり的なスピーカーシステムの探し方だが、それでも探せばあるものだし、
こういう興味の持ち方も、オーディオにはあり、だと思う。

Date: 7月 11th, 2011
Cate: D44000 Paragon, JBL, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その36)

パラゴンと同じJBLのスピーカーシステムでも、プロフェッショナル・シリーズの4350、4343は、
楽器から放たれてマイクロフォンがとらえた音そのものを、即物的に鳴らす。
この、音そのものを即物的に鳴らす傾向は、
ヨーロッパのスピーカー、とくにイギリス系のスピーカーシステムの特質とは対照的なもので、
JBLのコンシューマー用スピーカーシステムにも聴き取ることができる、とはいうものの、
やはりそれが顕著なのは4350だったり4343だったりする。

あえていえば4350、4343といったスタジオモニター・シリーズを写実派とすれば、
パラゴンはあきらかに印象派(インプレッショニズム)といえるスピーカーシステムであり、
パラゴンが再現し聴き手に提示する音場は、できるかぎり録音現場の音場をそのまま再現しようというよりも、
その録音現場の「場」の雰囲気・印象を、うまく鳴らしたときは、実に生き生きと再現する。

パラゴンは、そういうスピーカーシステムだからこそ、コントロールアンプをうまく選択することで、
インプレッショニズムのスピーカーシステムとして、音楽をリアルに鳴らしてくれる、といえる。
もちろん、そのリアルさは、インプレッショニズムの表現としてのものである。

その意味で、ここで使ってみたい、組み合わせてみたいコントロールアンプには、
音の深みといった要素を色濃くもつモノにしたい。

いったい、そういうコントロールアンプがいくつあるだろう……。

Date: 7月 11th, 2011
Cate: 瀬川冬樹

確信していること(その13)

ヴィソニックとグルンディッヒとでは、あきらかにヴィソニックがオーディオの主流にあるスピーカーで、
グルンディッヒは傍流にいるスピーカー、といってもいい気がする。

瀬川先生も、
ハイファイのいわば主流の、陽の当る場所を歩いていないスピーカーのせいか、最近の音の流れ、流行、
そういったものを超越したところで、わが道を歩いているといった感じがある、とされている。

このグルンディッヒの組合せの取材のすこし前に、4343をバイアンプで、
それもアンプはすべてマークレビンソンで、ウーファー用にはML2をブリッジ接続して、ということで、
計6台のML2を使い、コントロールアンプもヘッドアンプも含めアンプはすべてモノーラル構成で鳴らされている。
詳細はステレオサウンド 53号掲載の「JBL #4343研究」をお読みいただきたい。

つまり瀬川先生自身、ハイファイのいわば主流、それも最尖端の音をこのとき追求され、
ひとつの限界といえるところまで鳴らされている。
その瀬川先生が、同時期に、陽の当らない場所を歩いているグルンディッヒのスピーカーシステムを高く評価され、
もう惚れ込まれている、といってもいいように思える。

ステレオサウンド 53号の記事の終りに書かれている。
     *
だが、音のゆきつくところはここひとつではない。この方向では確かにここらあたりがひとつの限界だろう。その意味で常識や想像をはるかに越えた音が鳴った。ひとつの劇的な体験をした。ただ、そのゆきついた世界は、どこか一ヵ所、私の求めていた世界とは違和感があった。何だろう。暖かさ? 豊饒さ? もっと弾力のある艶やかな色っぽさ……? たぶんそんな要素が、もうひとつものたりないのだろう。
     *
そしてグルンディッヒProfessional BOX 2500の組合せが載っている
「コンポーネントステレオの世界 ’80」の巻頭には、マイケルソン&オースチンのB200について書かれている。

Date: 7月 11th, 2011
Cate: 欲する

何を欲しているのか(その15)

井上先生は、そこが違う。

試聴の合間や試聴後の雑談の中で、井上先生で自宅で何を使って音楽を聴かれているのか、が、
断片的ではあってもうかがえるときがある。

私がステレオサウンドにいた1980年代は、パワーアンプで常時使われていたのは、
ハーマンカードンのCitation XXだった。
Citation XX以外に、多くの国内外のパワーアンプを所有されていた井上先生だが、
よく言われていたように真空管アンプやA級アンプの音は、冬、寒くなって聴くのに向いている、と言われていたし、
Citation XXにしても季節によって、終段のバイアス電流を切替えられていることもわかった。

季節によって、自分の中で求めている音にも、多少なりとも変化があって、
1年中同じ音で聴きたいわけでもない。
暑い夏に、暑苦しい印象がすこしでも感じさせる音はあまり聴きたくないし、
冬の凍てつくような寒さのときには、やはり暖かい音を聴きたくなるもの。
秋の、すかっと晴れた日には、どんよりした音ではなくて、爽快な、どこまでも晴れわたっている印象の音──、
そういったことをよく話されていた。

だからCitation XXも、冬にはバイアス電流はHIGHにされていたらしい。
NORMALポジションにくらべて、HIGHポジションでは2倍のバイアス電流に、LOWポジションでは1/2になる。
このLOW、NORMAL、HIGH、3つのポジションの音を聴くときに、
意識はどうしても、どのポジションが音がいいのか、そこに集中してしまう。結論を求めてしようとする。

おそらく井上先生も、どのポジションが音がいいのかを優先的に聴かれているのだろうが、
どうもそれだけではないことが、雑談を通して伝わってくる。

よく井上先生が言われていたことのひとつに、
どんなものにもメリットとデメリットがある。メリットだけしかないものなんて存在しない。

これはつまりCitation XXのバイアス電流にあてはめれば、
総合的にはどのポジションがいいという言い方はできるものの、
それぞれのポジションに良さと悪さがあって、そのことをしっかりと把握・理解した上で、
そこで生じる音の違いを、積極的に出てくる音に活かすことで、オーディオを楽しもうよ──、
私は言外の意味をくみとっていた。

Date: 7月 10th, 2011
Cate: 欲する

何を欲しているのか(その14)

でも、実のところ、井上先生の使いこなしを、
鳴らし始めから最後までいっしょに聴く機会のあった人は多くないはず。
井上先生の使いこなしのことを、一時期、井上メソッド、と名づけている人たちがいたけれど、
彼らですら、実際に井上先生の使いこなしを直接見た人はごくごく一部でしかない。
そのことが、井上先生の使いこなしの姿勢に、なにかストイックなものを重ね合わせている、
そんな傾向を、なんとなく感じることもある。

でも井上先生は、そればかりではない。
システマティックに音を磨きあげられていく、と同時に、楽しまれている。
そうオーディオを楽しまれている、のだ。

井上先生の試聴記の中に、楽しい、とか、楽しめる、といった言葉が登場する。
この、「楽しまれること」は、井上先生の使いこなしとも関係してくることでもある。

たとえば4チャンネル分のアンプを搭載したパワーアンプでは、
そのうちの2チャンネルを、どのチャンネルを使うのか、さらにブリッジ接続しての音、など、
とにかく試せることはすべて試される。
そして、それによる音の差を楽しまれている。
また、いまでは少なくなったが、A級、B級の動作切替えが可能なパワーアンプ、
バイアス電流を変えられるパワーアンプでも、楽しそうにいじって、その音の差を確認される。

オーディオには、どこかしらストイックなところがあったり、潔癖なところがあったりして、
こういったパワーアンプを前にすると、A級とB級ではどちらが音がいい、とか、
バイアス電流は、やっぱり多く流したほうがいいのか、とか、
とにかく、どれが音がいいのかということを、まず知ろうとする。

それでやっぱりA級動作時のほうが音がいい、とか、バイアス電流は多くしたほうが音がいい、と判断したら、
ほとんどの人が、その状態で聴かれるのではないだろうか。

Date: 7月 10th, 2011
Cate: 瀬川冬樹

確信していること(その12)

Professional BOX 2500とProfessional 2500の外観の変更は小さくないし、悪い方向に行ってしまっていても、
「コンポーネントステレオの世界 ’80」とステレオサウンド 54号の瀬川先生の試聴記を読むかぎりでは、
音の上での変更点はないようにも感じられる。

話は少しそれるが、ステレオサウンド 54号で、このスピーカーシステムに対する菅野先生の評価がむしろ低いのは、
外観も影響しているように、私は思っている。
Professional 2500の外観こそ、菅野先生がもっとも嫌われるもののひとつであるからだ。

それからもうひとつ、Professional 2500という型番は、どうも日本だけのもののような気もする。
正式な型番は、おそらくSUPER HIFI BOX 2500(Professional BOX 2500)と
SUPER HIFI BOX 2500a(Professional 2500)と思うが、ここでは日本での表記に従う。

グルンディッヒの、このスピーカーシステムの音は、どういうものなのだろうか。
「コンポーネントステレオの世界 ’80」では、
新品の状態で届いたProfessional BOX 2500を箱からとりだして鳴らした音は、どこかくすんだようだったのが、
鳴らしていくうちに、
だんだんとみずみずしい、本当の音の中身のつまったいい音になってきた、とまず語られている。

同じドイツ製の、ほぼ同価格の、しかも同じ3ウェイ構成のヴィソニックのExpuls 2と比べると、
周波数レンジの広さ、高域での細やかな音の表現ではヴィソニックのほうがまさっていて、
グルンディッヒからヴィソニックに切り替えると、音場感が拡がりしかも音が薄くなることはない。

一聴すると、どことなく古めかしい印象が残るのに、
種々なプログラムソースに対する適応性では、グルンディッヒのほうが幅広いのではないか、とされている。

このことは、とても重要なことだ。

Date: 7月 10th, 2011
Cate: 瀬川冬樹

確信していること(その11)

「コンポーネントステレオの世界 ’80」に登場しているProfessional BOX 2500の外観は地味な印象で、
好感の持てる、音が気に入れば手に入れたい、と思わせてくれる。
なのにステレオサウンド 54号に登場のProfessional 2500は安っぽい感じが漂っていて、
しかも、なぜこんなことをするんだろうという外観で、
これでは音が気に入ったとしても、目の前には置きたくない。
もし使うのであれば、サランネットは絶対に外さない。
そう思わせるくらい、なぜこうまで外観を下品に変えてしまっている。

Professional BOX 2500は木目のエンクロージュアに、ウーファー、スコーカー、トゥイーター、
それぞれのユニットのまわりのアルミ製と思われるフランジで、
ユニットの取りつけビスはいっさい目につかないようになっている。

ウーファーは19cm口径のコンケーブ型で、
下側のウーファーの横に、グラフが表示されているネームプレートがあり、
これにはここまで大きくしなくてもいいだろうに……、
そのぐらいは思うものの、嫌みな自己主張の感じられない仕上りとなっている。
これだったらサランネットをつけたままでも、外した状態でも、目の前にあっても気になることはない。

それなのにProfessional 2500では一変している。
使用ユニットに基本的な変更はないものの、ウーファーの外観が大きく変っている。
コンケーブ型からコーン型になり、コーン中央は白い縁取りにマークが表示されている。
それだけではない。SUPER HIFI BOX 2500a PROFESSIONAL 120/80 WATT の文字が、
フレームを一周するように、3度くり返されている。
もちろん下側のウーファーの横にはネームプレートがある。
なのにこんなに型番を連呼しなくてもいいだろうに、と厭味のひとつもいいたくなる。

店頭に目立つようにとのことだろうが、これを買った人にまで、常時型番を訴えかける必要はないのに。
買ってくれた人のことを、まるで考えていない、としか言い様がない。

Professional BOX 2500では隠してあったユニット取りつけネジは、
Professional 2500ではメッキが施され、ユニットのフレームが黒なだけに目立つようになっている。
エンクロージュアの仕上げも、モノクロ写真で見るかぎり、素っ気ない黒。

まったく理解できない変更である。

Date: 7月 10th, 2011
Cate: D44000 Paragon, JBL, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その35)

プリメインアンプのオラクルのSi3000をもってきておいて、なぜコントロールアンプを使うのか。
Si3000、JBLのパラゴンとの組合せにふさわしいモノとなると、安いものではすまない。
それなりの金額のするものとなる。

本来必要としないものにお金をかけることこそ無駄だどころか、
わざわざ余分なお金をかけて、音を悪くするようなものではないか、と思われる人もいよう。

音の鮮度ということを最優先に考えれば、余計な回路は通したくない、という気持は私にだってある。
そう思いながらも、鮮度の高い音は、必ずしも鮮明な音ではない。
一般に言われている鮮度の高い音が鮮明な音とイコールのこともあるが、鮮明に音楽を響かせるかというと、
音の出口となるスピーカーシステムに、何を持ってくるかによって、変ってくる。

ここで組合せの要となっているのJBLのパラゴンという、もう半世紀も前につくられたスピーカーシステムである。
しかも、通常のスピーカーシステムとは大きく異る構造をもつ。
使いこなし、鳴らし込みも、一筋縄ではうまくいかない面ももつパラゴンだけに、
あえてコントロールアンプを使いたい。そうすることが、逆に近道になる予感がなんとなく感じられる。

それに鮮度の高い音だけが、音楽を新鮮に聴き手に感じさせるわけでもない、ということも書いておきたい。

Date: 7月 10th, 2011
Cate: KEF, LS5/1A

妄想組合せの楽しみ(自作スピーカー篇・その19の補足)

ストロットを採用したスピーカーシステムはBBCモニター以外にも、
この項で取り上げたAmazonのA.M.T.One以外にも、日本のスピーカーシステムの中にも過去に製品化されている。

1970年代半ばにオンキョーから出たE212AとE213Aが、そうだ。
BBCモニターと、これら2機種のスピーカーシステムの差違はウーファーの取りつけ方と、
それにともなうストロットの設け方である。

BBCモニターではフロントバッフルの開口部を矩形として、バッフルの裏側からウーファーを取りつける。
オンキョーのスピーカーシステムでは、フロントバッフルの表からとりつけて、
ウーファーの前面に矩形開口部のサブバッフルを取りつけている。

オンキョーでも、矩形開口とすることで、ウーファーの中域までの指向特性を改善できる、としている。
オンキョーの2機種で注目したいのは、ストロットの形状に違いがあること。
E213Aで一般的なストロットだが、E212Aでは矩形開口部の両脇にスリットがある。
つまり細長い板2枚をウーファーの左右両端に配して中央に大きめの矩形開口部をつくり、
ストロットを作っている板の外側にスリットができている。

ただこのスリットから見えるのはウーファーのフレームであり、振動板はかくれている。
ということはこの両脇のスリットからは何の効果もないのか……となりそうだが、
どうもそうは思えない。
それにE212Aのストロットの在り方をみていると、二重スリット実験を連想する。

ストロットの基本はBBCモニター的手法となるけれど、もう少し発展させたストロットがありそうな予感を、
E212Aは与えてくれた、といってもいい。