オーディオの「介在」こそ(ヘッドフォンで聴くこと・続々続々余談)
恵比寿の店に、若い人が大勢集まるということは、
「若い人にオーディオが売れない」理由のひとつとして、
若い人たちはいい音でアナログディスクやCDを聴こうとは思っていない──、というのがあるはずだが、
これは当然のことながら、理由として使えない。
いい音で聴きたいと思っている若い人たちは、
どのくらいの数なのかははっきりしないが、やはりいる、ということだ。
ただ、その人たちが、「いい音」を自分のものとしたいと思っていないところに、
若い人たちにオーディオが売れない理由の核のようなものがあるのではないだろうか。
少なくとも私の世代までは、いい音で聴きたいという欲求と、いい音を自分のものにしたいという欲求は、
同じ意味のことだった。
それが若い世代の、機能的な音楽の聴き方をする人たちは、
いい音で聴きたい、と、いい音を持ちたい、出したい、とは必ずしもイコールでないどころか、
おそらく別のこととして受けとめているのかもしれない。
昔もいまも、レコードを聴かせてくれるところはあった。
ジャズ喫茶や名曲喫茶は、レコードそのものの価格が、相対的に他の物価よりも高かった時代、
当然それを鳴らすオーディオ機器も高価だったころのほうが、
いまよりも人は集まっていただろうし、時代に求められてもいたはずだ。
そして、そこでレコードを聴いた人の何割かが、自分でも、いい音を出したい、いい音を持ちたい、と思い、
オーディオの世界にはいっていった、と思う。
いまもそういう人は、若い世代にもいるのだろうが、絶対数が圧倒的に少ないのだろう。
だから、「若い人にオーディオが売れない」というふうに多くの人が思うようになった……。
ここまで書いてきたことが、どれだけ現状を正確に捉えているのかどうかは正直わからない。
まったく的外れなことを書いているのかもしれないが、それでも、ここまで書いてきたから浮んできたものがある。
ここから先、考えていきたいのは、主観的な聴き方と機能的な聴き方について、と、慾と欲、についてである。