何を欲しているのか(その15)
井上先生は、そこが違う。
試聴の合間や試聴後の雑談の中で、井上先生で自宅で何を使って音楽を聴かれているのか、が、
断片的ではあってもうかがえるときがある。
私がステレオサウンドにいた1980年代は、パワーアンプで常時使われていたのは、
ハーマンカードンのCitation XXだった。
Citation XX以外に、多くの国内外のパワーアンプを所有されていた井上先生だが、
よく言われていたように真空管アンプやA級アンプの音は、冬、寒くなって聴くのに向いている、と言われていたし、
Citation XXにしても季節によって、終段のバイアス電流を切替えられていることもわかった。
季節によって、自分の中で求めている音にも、多少なりとも変化があって、
1年中同じ音で聴きたいわけでもない。
暑い夏に、暑苦しい印象がすこしでも感じさせる音はあまり聴きたくないし、
冬の凍てつくような寒さのときには、やはり暖かい音を聴きたくなるもの。
秋の、すかっと晴れた日には、どんよりした音ではなくて、爽快な、どこまでも晴れわたっている印象の音──、
そういったことをよく話されていた。
だからCitation XXも、冬にはバイアス電流はHIGHにされていたらしい。
NORMALポジションにくらべて、HIGHポジションでは2倍のバイアス電流に、LOWポジションでは1/2になる。
このLOW、NORMAL、HIGH、3つのポジションの音を聴くときに、
意識はどうしても、どのポジションが音がいいのか、そこに集中してしまう。結論を求めてしようとする。
おそらく井上先生も、どのポジションが音がいいのかを優先的に聴かれているのだろうが、
どうもそれだけではないことが、雑談を通して伝わってくる。
よく井上先生が言われていたことのひとつに、
どんなものにもメリットとデメリットがある。メリットだけしかないものなんて存在しない。
これはつまりCitation XXのバイアス電流にあてはめれば、
総合的にはどのポジションがいいという言い方はできるものの、
それぞれのポジションに良さと悪さがあって、そのことをしっかりと把握・理解した上で、
そこで生じる音の違いを、積極的に出てくる音に活かすことで、オーディオを楽しもうよ──、
私は言外の意味をくみとっていた。