Archive for 6月, 2011

Date: 6月 21st, 2011
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(その2)

「20世紀の恐竜」と捉える一方で、この時代に、
それまでのアナログディスク再生の追求の仕方とは大きく異る方向転換をするならば、という気持も同時にある。

ノイマンのDStにEMTの927Dstを選択するのは、「20世紀の恐竜」という気持からの選択であって、
DSTと927Dstからは絶対に得ることのできないであろう魅力を、アナログディスクから引き出すとなったら、
何を選択するだろうか、と考える。

ステレオサウンド 177号のベストバリュー(以前のベストバイ)で登場しているアナログプレーヤーは、少ない。
19機種で、そのうち写真とコメントが掲載されているのは9機種。
しかも9機種中リンのLP12のヴァリエーションが3機種だから、実質的な数はほんとうに少ない。

正直、これらの中に本気で欲しい、と思うものはない。
177号に登場しているアナログプレーヤーがいいとか悪いとかではなく、
いままで体験したことのないアナログディスクの魅力を音として聴きたい、という観点からは、
これだ! と予感させるものを感じとれない。

リンのLP12、オラクルのデルフィ、ミッチェルエンジニアリングのジャイロデック、ロクサンのザークシーズ、
これらは、以前のモデルをすでに聴いている。
あれからけっこうな月日が経っているから、それに似合うだけの改良が加えられていることだろうが、
基本的な設計思想に変更はない以上、いま選択しようとは思わない。

他の機種は、となると、これでアナログディスクをかけたい気にさせない未完成さを感じてしまう。

何を選ぶのかとなると、177号には登場していないモノ──、
ノッティンガムアナログスタジオのAnna Logだ。

Date: 6月 20th, 2011
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(編集について・その2)

ステレオサウンドは、1983年にワープロ専用機の富士通のオアシス100Fを導入した。
MacによるDTPが当り前のことになってしまったいまからみれば、古臭い言葉になってしまったが、
電算写植を導入するため、だった。

このオアシス100Fが、私にとってキーボードによる日本語入力の最初だった。
そのおかげといおうか、そのせいとでもいおうか、最初のキーボードが親指シフトキーだったため、
いまでもMacには親指シフトキーボードをつけている。
JISキーボードによるかな入力は指一本の入力になってしまうし、ローマ字入力も遅い。

オアシス100Fで書いた最初の原稿ははっきりと憶えている。
いきなりキーボード入力で原稿を書くのは無理と判断して、
手書で原稿用紙に書いて赤を入れて(手直しをして)、
それを見ながらキートップの文字をひとつひとつ見つけながら入力していった。
手書きにくらべて、どれだけの時間がかかったことだろう。

そんなふうにしてキーボードとのつき合いがはじまった。

そのころは意識したことはなかったけれど、これが編集作業の、いわばデジタル化のはじまりのひとつだった。

Macの導入ではなくて、購入もステレオサウンドは早かった。
私が最初に触れたMacは、そのときのSEである。
まだ漢字Talk6は登場しておらず、英語のみで、アプリケーションの購入はなかったので、
付属のソフトだけで起動してファイルをつくって、ゴミ箱にいれて空にして、とそんな程度のことしか遊んでいた。

それにこのMacは、編集部にではなく総務部に置いてあった。

Date: 6月 20th, 2011
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(編集について・その1)

私がインターネットをはじめたのは1997年。
そのころ個人サイトを見てまわって、まず感じたのは編集者の不在、ということだった。
だから2000年に、自分のサイトを公開したときに気をつけたのは、このことであり、
編集者が不在にならないようにすることだった。

自分のウェブサイトをもてば、一人で書きそれをすぐさま公開することができる。
一人でやっていれば負担は大きくなるけれど、それだけ自由にできるといえなくもない。
だからこそ、書き手という意識とともに編集者という意識も要求される。
そうしばらくは思いつづけていた。

いまは少し考えが変ってきた。
同時に編集に対する考えにも変化がある。

それまでぼんやりとは感じていたものが、昨年からはじめた電子書籍づくりをやっていくうちに、
はっきりしてきたからである。

Date: 6月 20th, 2011
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(その1)

ステレオサウンドに「スタジオの音が聴こえる」を連載されている高橋健太郎氏が、
6月17日に、Twitterでオーディオマニアに質問されている。
「死ぬまでに一度、聞いてみたいアナログ・カートリッジか、プリアンプはありますか?」と。

「死ぬまでに一度」のところをどう捉えるかによって、答えは少し違ってくる。
死ぬまでにもう一度自分のモノとして手に入れて聴きたいモノと、
死ぬまでに一度聴くことができればそれで満足できるモノとがあるからだ。

自分のモノとして手にいれたいアナログディスクの再生関連のオーディオ機器となると、
価格や程度のいいものが入手可能かどうか、そういうことを一切無視して、ということだと、
カートリッジはノイマンのDST(DST62よりもDSTのほうをとる)、
プレーヤーシステムはEMTの927Dstで、フォノイコライザーにはノイマンのWV2となる。

これらの程度のいいものを探し出して入手するとなると、どれだけの金額が必要になるのか、
まったく現実的ではない答えになってしまうけれど、
この時代にアナログディスクの再生に真剣に取り組むためにはこれらが必要なのではなくて、
むしろその逆で、これらのプレーヤーシステムで演奏することによって、
そのディスクに別れを告げるためにほしい、と思う。

1990年代の前半、サウンドステージの編集に短い期間ではあったけれど携わっていた。
そのときアナログプレーヤー関連のページをつくろう、ということになって、
「20世紀の恐竜」というタイトルを提案したことがある。

このタイトルは却下された。恐竜という単語が、ひっかかったためである。
タイトルは、たしか「アナログアクティヴ」になったと記憶している。

Date: 6月 20th, 2011
Cate: audio wednesday

第5回公開対談のお知らせ

今週水曜日(22日)に、2月から行なっていますイルンゴ・オーディオ楠本さんとの公開対談の5回目を行ないます。

今回はここにも書きましたように、
ステレオサウンド 179号を読んで、感じたこと、思ったこと、考えていることについて語ります。

時間は夜7時から、です。
いつものとおり四谷三丁目の喫茶茶会記のスペースをお借りして行ないますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 6月 19th, 2011
Cate: モノ

モノと「モノ」(その9)

いいモノをやっと手にした時の喜びは大きい。
それが稀少盤のLPであれ、アンプであれスピーカーシステムであれ、出てきた音が期待以上のものであれば、
喜びは一入だ。

しかもそういうものの多くは、モノとしての魅力も大きい。
言い換えれば、モノとしての存在感がある。

だから人は、そのモノの魅力にはまってしまい、レコード・マニアになったりオーディオ・マニアになる。
レコードに、アンプにスピーカーシステムに、それらに関心のない人からすれば理解の範疇をこえる金額を支払い、
手に入れたモノには愛情を注ぎ、大事に取り扱う。
マニアの性(さが)といえよう。

その行為の結果、音は良くなっていけば、手に入れたモノをより大切にする。
そのとき己の行為に酔いしれる……、そうではないとはっきりと否定できる人はいるだろうか。

これはオーディオのもつ罠のような気がする。
音楽という、視覚的に捉えることのできない抽象的なものを聴くために必要なモノとして、
レコード、オーディオという際限ない魅力を持つ具象的な存在がある。
それらは手に触れて、その「重み」を感じることができる。

稀少盤であれば、一時期のぺらぺらの薄手のレコードであるわけがない。
かといって一時期のオーディオマニア向けの過度に重量盤でもなく、ほどよい厚みと重さをもつ。
オーディオ機器も、望んでいた音を出してくれる機器であれば、
その「重み」は、なにかを実感させてくれる重みであるはずだ。

オーディオ機器は音楽を聴くための道具だ、といわれる。
レコードも、じつのところ音楽を聴くための道具の一部なのかもしれない。

道具は、目的を近づく、達成するために必要なものであるから、
目的が遠くにあればそれだけ大切にしなければならない。
けれど、そこに過度の愛情を注ぐことに、正直、疑問を抱くようになってきた。

くり返すが、愛の対象となるのは「音楽」であるからだ。
そう思い至れば、プログラムソースの進歩・進化・純化の、
「純化」の段階にさしかかり始めている「ところ」に、いまわれわれはいる、といえる。

Date: 6月 18th, 2011
Cate: ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その73)

JBLの4343を例にとると、改めて書くまでもないことだと思うが、
ウーファーは15インチ、ミッドバスは10インチで、ほぼ黄金比となる。

少しばかりミッドバスが大きい、だから黄金比なんてのはお前のこじつけだ、と言われる方がいるかもしれない。
これもいうまでもないことだが、コーン型のスピーカーユニットの口径は、公称口径であって、
振動板の有効径ではない。
有効径は大略では、38cm口径だと33〜34cm、25cm口径だと20〜21cmあたりになる。
34cmで黄金比を出してみると、21.01cmとなる。

4343のウーファー2231Aとミッドバスの2121の有効径がどれだけなのか正確にはわからないけれど、
公称口径よりも有効径のほうが、より黄金比に近づいているはずだ。

4343(4341)が、4ウェイという難しい構成で成功をおさめた理由のひとつは、
このウーファーとミッドバスの口径比にある気がしてならない。

4343のウーファーとミッドバスのクロスオーバー周波数は300Hz。
300Hzだったら20cm(8インチ)口径のコーン型ユニットでも問題なくカヴァーできる。
そこに25cm(10インチ)口径をもってきている。

もちろん、その理由は音を聴いてのものであるけれど、それだけだろうかとも思う。

4341も4343もミッドバスの2121とミッドハイの2420+2307-2308はインラインで配置されている。
2121のフレームは八角形。正八角形ではなくフレームの外形横幅は260.4mmと236.5mmで、
4343、4341のユニットの取り付けだと横幅は236.5mmである。

そのすぐ上に配置されているスラントプレートの音響レンズ2308の横幅は254.0mm。
236.5mmと254.0mmで、その差は17.5mm。

これがもし20cm口径のミッドバスだとしたら、2115Aの寸法を187.3mmと209.6mm。
187.3mmと254.0mmの差は66.7mm。

2121と2308の横幅はほぼ同じなのに対し、2115Aと2308だと2308がずいぶん大きい。
この横幅がほぼ揃っていることが4343、4341のデザインを、
特に4343のデザインの完成度を高いものにしている。

ここは4343において、絶対に変更してはいけないポイントでもある。

Date: 6月 18th, 2011
Cate: KEF, LS5/1A

妄想組合せの楽しみ(自作スピーカー篇・075について)

075の、誰も思いつかないような使い方を、井上先生が「HIGH-TECHNIC SERIES 1」に書かれている。

JBLのスピーカーユニットを使った3ウェイ構成で、
ウーファーに136A、スコーカーに375にHL88(537-500)、トゥイーターが075という組合せである。
ここで、「高域は文句なしに075だ」とされているが、こうもつけ加えられている。
     *
もしも、075がストレートに過ぎるなら、価格的に少し高いがHL91のスラントタイプ音響レンズだけを組み合わせよう。この場合の075の音は一変し、高音が一段と伸びた大変にスムーズな音がねらえる。
     *
いまの認識では音響レンズは音は悪くするもの。
ホーンの開口部のところには何も置くべきではない、という考えが主流のようで、
JBLから音響レンズ付のものはなくなっている。

そのとおりだとは思う。
けれど、とも思う。
日本のように、比較的近距離で聴く場合には、音響レンズは入念に設計しつくれば、
デメリットはあるもののメリットも、まだある、と考える。

Date: 6月 18th, 2011
Cate: KEF, LS5/1A

妄想組合せの楽しみ(自作スピーカー篇・その24)

JBLには075というトゥイーターがある。
カタログ上のスペックでは、2.5kHz以上で使える、となっている。

ステレオサウンド別冊「HIGH-TECNIC SERIES 3」での
JBLのLE8Tをベースにしたトゥイーター55機種の試聴テストに、075が登場している。

そこで瀬川先生は、クロスオーバー周波数を試しに1.6kHzまで下げても音がへたることなく、
エネルギーとしてきちんと出ている、と話されている。
だからといって1.6kHzから使えるわけではないのだが、
この試聴ではトゥイーターはバッフルに取り付けられることなく行なわれている。

バッフル板があれば、周波数特性は変化する。
それも高い周波数よりも低い周波数において、その差ははっきりと出る。

それに試聴ではスロープ特性は12dB/oct.となっている。
これが18dB、さらに24dBという高次のカーヴで遮断したらどうなるか。

075を2発バッフルに取り付けたとしたら、そして3kHz以上で上側の075をロールオフする。
つまり3kHz以下の周波数においては075は2発鳴っているわけで、
エネルギーレスポンス的に下りがちのこの帯域を補えることになる。バッフル効果にそれに加わる。

最大音圧レベルをそれほど要求しなければ、075でもいける可能性があるかもしれない。
仮にうまくいくという保証があったら、LE175DLHではなく075を使うか、というと、やはりLE175DLHをとる。

これはLE175DLHを選んだ理由でもあるが、放射パターンによって、である。
075のホーンの形状、それから指向特性を実際に見てもビーム状であることが読み取れる。
できるだけ拡散して、それも受持ち帯域内では周波数によって指向特性ができるだけ変化しない、
でということを求めているからだ。

Date: 6月 17th, 2011
Cate: KEF, LS5/1A

妄想組合せの楽しみ(自作スピーカー篇・その23)

瀬川先生の4ウェイ構想のミッドハイが受け持つ帯域は、下は1〜2kHzから上は8〜10kHzあたりの範囲である。

JBLのLE175DLHのことを、特に書かれていない。
国産にはこういう目的に合うものがなかった、とは書かれているが、
JBLではなくともアルテックには802-8Dはあった。
それにJBLだけにしぼったにしても、ホーンはいくつもある。
JBLのスタジオモニターの4300シリーズと同じスラントプレートの音響レンズつきのホーンHL91、
そのプロ用の2391(2307+2308)だってある。
ディフラクションホーンの2397もあったにもかかわらず、LE175DLHの型番しか登場してこないのは、
これは瀬川先生のお気に入りのスピーカーユニットだから、ということになる。
少なくとも私のなかでは、そういう結論である。

瀬川先生が宝物のように大事にしてこられたLS5/1Aを、
他のスピーカーユニットで現代に再現してみよう、というのだから、
瀬川先生がそれだけ気に入っておられたLE175DLHを使いたい。

理由はそれだけではない。
他のホーン、たとえば2397とか、ラジアルホーン、マルチセルラホーンを上下2段に重ねようとは思わない。
LS5/1と同じように、上側のユニットを3kHzから上をロールオフさせる使い方だとしても、である。

けれど蜂の巣状の音響レンズのLE175DLHだったら、うまくいきそうな予感がある。
同じ音響レンズでも、スラントプレート型の2段重ねは見た目の問題から、やる気はない。
375+537-500でもだめである。
高域が伸びていないからだけでなく、あの大きな開口部(直径34.3cm)が上下に2つある姿は美しくないし、
いい音がするとは思えない。
LS5/1がHF1300のフランジを外して、2つのHF1300をできるだけ接近させていることにも反することになる。
これはLE175DLHだから、試してみたい気にさせてくれる。

Date: 6月 17th, 2011
Cate: BBCモニター, LS3/5A

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その1)

今年、ロジャースは創立65周年にあたり、記念モデルとしてLS3/5Aを復刻している。
ロジャースは2008年にもLS3/5Aを復刻している。

このふたつの復刻LS3/5Aは当然おなじものなはずはなく、細部の使用は異っている。
2008年版は、オリジナルのLS3/5Aを範として、現在入手できるスピーカーユニットで再現したもの。
今回の65周年LS3/5Aは、元のユニット、
つまりウーファーはKEFのB110、トゥイーターはKEFのT27そのものをできるかぎり再現したものが、
使われている、とのこと。

それ以上の情報をまだ得ることはできないが、少なくとも写真を見るかぎり、
B110、T27そっくりに仕上がっている、といえる。
B110の振動板のてかり具合も、(あくまでも写真の上ではあるが)見事に再現されている。

2008年版LS3/5Aには興味をもてなかったのに、これは気になっている。
できるだけ早く聴いてみたい、とさえ思っている。

ウェブサイトに公開されている写真を見て、私と同じように思う人もいる一方で、
どうせ中国製だから、と音も聴かずに、関心をもたない人もいるはずだ。

確かに中国製なのだろう。
でも写真のままのLS3/5Aが登場してきたら、そのことはさほど気にすることはないはずだ。
ここまでのものが作れる、という事実に、日本製だろうと、イギリス製だろうと、中国製だろうと、
それは本質的な違いとなって音に現れることなのだろうか。

もちろん中国で作られている製品のすべてが良質なものでないことはわかっている。
ひどいものがある。けれど、素晴らしいものも、やはりある。

たとえばTADのスピーカーシステムは、中国で生産されている。
このことはオーディオアクセサリー誌だったと思うが、記事になっているからご存じの方も多いだろう。

何も知らずにTADのスピーカーシステムを見て、聴いて、中国製だとわかる人がいるだろうか。

心情的にはイギリス製であってほしい、という気持は、これを書いている私にもある。
でも音を聴かずに、実物を見ずもせずに、ただ中国製だから、ということで、関心をなくしてしまうのは、
もったいないこと、というよりも愚かに近い行為だと思う。

Date: 6月 16th, 2011
Cate: Kingdom, TANNOY, ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その72)

4ウェイといっても、そのシステム構成の考え方はひとつではない。
3ウェイのスピーカーシステムに、スーパートゥイーターもしくはサブウーファーを足すかたちのものもあれば、
2ウェイのスピーカーシステムをベースに、高低域両端に専用のユニットを追加するかたちもあり、
JBLの4343やアルテックの6041、タンノイのKingdomは後者である。

3ウェイをベースにスーパートゥイーターを加えるものだと、
ユニット構成は、国産の3ウェイスピーカーシステムの多くの例からすれば、
コーン型の採用はウーファーだけ、ということも十分ありうる。

同じ3ウェイ・ベースでもサブウーファーをつけ足すのでは、コーン型ユニットは最低でも2つ使われることになる。
2ウェイ・ベースでもそれは同じ。コーン型ユニットが、最低でもウーファーとミッドバスに使われる。

これから書くことになにひとつ技術的な根拠はない。
感覚的な印象ではなるが、コーン型ユニットがウーファーとミッドバスに使われた場合、
このふたつのユニットの口径比は4ウェイ・システムの成否に深く関わっているように思う。

ウーファーに対してミッドバスの口径が大きすぎる(もしくは小さすぎる)と感じられるスピーカーシステムと、
うまくバランスがとれていると感じられるスピーカーシステムがある。

ウーファーに対して大きすぎる口径(小さすぎる口径)のミッドバス、
反対の言い方もとうぜん可能で、ミッドバスの口径に対して大きすぎる口径(小さすぎる口径)のウーファー、
──そんなものは人それぞれの感覚によって違ってくる、とは思っていない。

ここにはひとつの最適解がある、はずだ。

黄金比がある。
計算してみると、18インチに対しては11.12インチとなる。46cmで計算すると28.43cm。
15インチでは9.27インチとなり、38cmでは23.49cm、となる。

Date: 6月 16th, 2011
Cate: KEF, LS5/1A

妄想組合せの楽しみ(自作スピーカー篇・その22)

LS5/1というイギリスのモニタースピーカーを、現代につくる、というに、
アメリカの、それもJBLの、さらにはホーン型ユニットを中高域に使うなんて!、と思う人はいるだろう。

でも感覚的に私の中では、AMT型トゥイーターによるLS5/1型スピーカーシステムよりも、
JBLのLE175DLHを使うほうを実行に移したい、という気持はずっと強い。

LE175DLHは、JBLの数々のスピーカーユニットの中で、見ただけで欲しくなってしまったモノである。
LE175DLHよりも、375に537-500を組み合わせたほうが、もっと堂々として存在感がある。
本格的にJBLのユニットでシステムを構築するのであれば、LE175DLHよりも375+537-500の方が可能性は大きい。

だがLS5/1型スピーカーに使うには大きすぎるし、高域の伸びの不足もある。
それにLE175DLHのほうが、美しい。
それは、途中からホーンが短くなり全体にズングリした印象になる以前の、
スマートだったころのLE175DLHは、スピーカーユニットとしてのデザインの完成度は高いと感じている。

瀬川先生がJBLの3ウェイの自作スピーカーで聴かれているころのリスニングルームの写真に、
ウーファー用のエンクロージュアの上に、LE175DLHが置かれている。
鳴っているのは375+537-500である。

375+537-500を使いながらも、音を聴くときに必ず目にはいってくるところに、
それまで使われていたLE175DLHを置かれていること、
そしてステレオサウンド別冊「HIGH-TECHIC SERIES-1」に載っていた瀬川先生の4ウェイの構想。

フルレンジを使うミッドバス、トゥイーターには、それぞれ14機種、推奨ユニットをあげられている。
にもかかわらず、ミッドハイは最初からLE175DLHのご指名である。

Date: 6月 15th, 2011
Cate: モノ

モノと「モノ」(その8)

「オリジナル盤」「初期LP」と呼ばれる稀少盤は、確かに手にしたときの喜びは大きい。
私も、いまほど「オリジナル盤」がもてはやされる以前に、運良く愛聴盤に関しては、
程度のいいモノを比較的まともな価格で購入することがあった。

ジャケットのつくりもLPを収める内袋も、それにLPそのものもじつに丁寧な仕事がしてあるのが伝わってくる。
LPが贅沢品で、あれもこれもと買える時代ではなかったころにつくられたLPは、モノとして魅力に満ちている。
だから愛着がわく。その愛着も強いものとなる。

モノに対する愛情、愛着は大事なものだと、よくいわれる。
オーディオに対しても、愛情をもって使っていけば……的なことが昔から云われ続けている。
レコードに対しても同じことがいわれている。

大切に取り扱う、ということはモノとのつきあいでは大切なことだ。
だが、そこに愛着、とか、愛情、とか、「愛」を注ぐことは、危険な側面を持っている。
これがオーディオと無関係のモノに対しては、それでもいいと思う。

だが、オーディオで愛を持って接してなければならないのは、
オーディオ機器やレコードではなく、音楽そのものであり、
聴きたい音楽こそ、愛すべき存在のはずだ。

なのに、オーディオという世界には、その「音楽」の前にオーディオ機器、レコードという、
それぞれに魅力を十分に持った存在がある、待ち構えている、といってもいいかもしれない。

Date: 6月 15th, 2011
Cate: モノ

モノと「モノ」(その7)

いま市場に流通しているLPは、新譜LPの生産量が前年よりも増したとはいえ、割合としては中古盤が圧倒的に多い。

1948年に最初LPが登場して、いったいこれまでにどれだけのLPがプレスされ流通したのかは、
とにかく厖大な枚数ということしか、私にはいえない。
その厖大な枚数のLPは、新譜として登場したときには、どれもさほど変らない価格がつけられていたのに、
発売後、20年、30年、40年……と経つうちに、中古価格という、市場がつける価格には大きな差が開いてきた。

国内盤のクラシックLPはいまや買取時に値がつかないものが多い、ときく。
タダでも引き取らない店もある、ときいている。

一方で「オリジナル盤」とか「初期LP」と呼ばれるものは、相変らず高い値段で売買されている。

この価格の差には、「音楽の値段」が反映されているのだろうか。
そうだといいたいし、そういえるような気もしなくもないが、
それでも「レコードの値段」から解放されている、とは言い切れない。

むしろ稀少盤として、モノとしての「レコードの値段」の側面が強くなっている、ともいえる気がしてならない。