Archive for 10月, 2010

Date: 10月 12th, 2010
Cate: ベートーヴェン

ベートーヴェン(動的平衡・その1)

「絶え間なく流れ、少しずつ変化しながらも、それでいて一定のバランス、つまり恒常性を保っているもの。」

オーディオにおけるすぐれたバランスのよさを、いいあらわしたかのように思えるこれは、
福岡伸一氏の「動的平衡」について語られたもの(「週刊文春」2月25日号より)。

けれど、これこそオーディオのバランスの、もっとも理想のかたち、と私は思う。
音のバランスは大切だ、とずっとずっと以前から、多くの人がいってきている。

だが、その音のバランスには、「動的平衡」と「静的平衡」があるのではなかろうか。

いまデジタル信号処理の発達とハードウェアの進歩により、
いくつものイコライジングカーヴをメモリーを記憶させておけば、
ボタンひとつ(いまやボタンなどなくてタッチひとつ、か)で、すぐに記憶させておいたカーヴを呼び出せる。

この手の機能は、これから先、もっと便利になっていくはず。
CDをリッピングしたり、配信からのタウンロードによって入手した音源を再生するとき、
いちどその音源向きにイコライジングカーヴをつくり出して設定しておけば、あとは再生時に自動的に読み込んで、
聴き手はなにもいじることなく、ひとつひとつの音源に、最適のカーヴで再生される。

これは、ほんとうに素晴らしいことなのだろうか。
じつは、それぞれのイコライジングカーヴは、「静的平衡」でしかない、そんな気がする。
「動的平衡」でなく「静的平衡」だから、ディスク(音源)が変れば、そのたびにいじらなければならない。

ときには再生している途中に、カーヴをいじる人もいる。

そんな行為をどう捉えるかは、人さまざまだろう。
これこそ音楽に対して誠実に、そしてアクティヴに聴いている(接している)という人がいてもいいけれど、
いつまでも、そんなことをやっていては、いつまでたっても「静的平衡」から抜け出すことはできない。

「静的平衡」を、あらゆる音源に対して実現するには、それこそこまめにいじる必要がある、
という皮肉さがここにあり、その皮肉さが使い手にここちよい嘘をついている。

Date: 10月 11th, 2010
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その29)

岩崎先生は、パイオニアのExclusive M4だった。

High Technic シリーズVol.1に、井上先生の記事がある。
既製スピーカーシステムのマルチアンプ化、
既製スピーカーシステムにユニットを加えてのマルチアンプ化、
スピーカーユニットから組み合わせるマルチアンプシステム、
これらについてさまざまな組合せを提案されている。
そのなかに、パラゴンの3ウェイ・マルチアンプドライブの組合せがある。

パワーアンプは、やはりM4だ。
コントロールアンプは、クワドエイトのLM6200R。
エレクトロニック・クロスオーバー・ネットワークは、JBLの5234。
お気付きのように、LM6200RとM4のは、岩崎先生の組合せそのものである。

井上先生は、この組合せのアンプの選択について、こう書かれている。
     *
パラゴンを巧みに鳴らすキーポイントは低音にあるが、特にパワーアンプが重要である。ここではかつて故岩崎千明氏が愛用され、とかくホーン型のキャラクターが出がちなパラゴンを見事にコントロールし、素晴らしい低音として響かせていた実例をベースとして、マルチアンプ化のプランとしている。このプランにより、パラゴンを時間をかけて調整し、追込んでいけば、独得の魅力をさらに一段と聴かせてくれるだろう。
     *
岩崎先生は、M4について、つぎのように書かれている。
     *
わが家には昔作られた、昔の価格で1000ドル級の海外製高級システムから、今日3000ドルもする超大型システムまで、いくつもの大型スピーカーシステムがある。こうした大型システムは中々いい音で鳴ってくれない。トーンコントロールをあれこれ動かしたり、スピーカーの位置を変えたり。ところが、不思議なのは本当に優れた良いアンプで鳴らすと、ぴたりと良くなる。この良いアンプの筆頭がパイオニアのM4だ。このアンプをつなぐと本当に生まれかわったように深々とした落ちつきと風格のある音で、どんなスピーカーも鳴ってくれる。その違いは、高級スピーカーほど著しくどうにも鳴らなかったのが俄然すばらしく鳴る。昔の管球式であるものは、こうした良いアンプだが、現代の製品で求めるとしたらM4だ。A級アンプがなぜ良いか判らないが、M4だけは確かにずばぬけて良い。
     *
岩崎先生の書かれている「大型システム」とは、JBLのハーツフィールドであり、パラゴンであり、
エレクトロボイスのパトリシアンのことである。

パラゴンとM4の組合せ──、想い出すのは、パラゴンではないけれども、菅野先生の組合せだ。

Date: 10月 11th, 2010
Cate: 4343, JBL

4343とB310(その10)

瀬川先生の、この構想のなかで具体的になっているのはウーファーについて、である。
大口径、つまり15インチ口径のウーファーということになる。
それも、f0の比較的高いウーファーではなくて、おそらく20Hz前後のf0のウーファーを想定されている、と思う。

つまり比較的重い振動板のウーファーとなる。
そういうウーファーに、低くても500Hz、高ければ1kHzという音域まで受け持たせることに疑問を抱かれている。
500Hzといかば、音楽の帯域でいえば、低音ではなく中音(メロディの音域)になる。
この大切な音域を、重い振動板のスピーカーユニットにはまかせたくない。

軽い振動板を使いながらも、グッドマンのAXIOM80のようにf0をさげることに成功したユニットがある。
AXIOM80は、外径9.5インチ(約24cm)というサイズにもかかわらず、その値は20Hzと、
軽めの振動板を採用したユニットとは思えないほど低い。
かりにそんなウーファーが存在していたとしても、やはり瀬川先生はウーファーに、1kHzまでは使われないはずだ。

軽い振動板を使い、高域特性もすなおに伸びていたとしても、15インチの口径のものであれば、
すでに指向性が劣化しはじめている。
くりかえすが、瀬川先生の構想には、指向性の広さも求められている。

それに、現実のところ、そのようなウーファーはない。
けれど、小口径から中口径(16cmから20cmぐらい)のフルレンジユニットが、存在している。

Date: 10月 11th, 2010
Cate: 4343, JBL

4343とB310(その9)

ステレオサウンド別冊のHigh Technic シリーズVol.1 には、
6畳というスペースに大型スピーカーシステムをあえて持ち込む理由について、次のように述べられている。

6畳という限られたスペースではどうしてもスピーカーとの距離を確保できない。近づいて聴くことになる。
そのため、音の歪、それに音のつながりがよくなかったり、エネルギー的にかけた帯域があれば、
広い空間(響きの豊かな空間)よりも、はるかに耳につきやすい。
音の豊かさは、低音域をいかに充実したエネルギー感で、豊かでそして自然にならすかにかかっている。
しかも6畳、それも和室となると、そのままでは低音が逃げていくばかりだから、
かなりしっかりしたウーファーをもってこないと、低音がの量感がとぼしくなり、
音全体の豊かさ、柔らかさ、深みを欠くことになる。

そして部屋の響きを助けがないということは、そこに指向性の狭い(鋭い)スピーカーをもってくると、
よけいに音が貧弱になりがちで、自然な響きがさらに得られにくくなる。
そのためにも全帯域にわたって均一の広い指向性を確保しなければならない。
そして音量についても、小音量だからこそ、できるだけ口径の大きなウーファーで、
できるだけ(部屋のスペースがゆるすかぎり)たっぷりの容積のエンクロージュアにおさめる。

これらの理由をあげられている。
いいかかれば、真のワイドレンジのスピーカーシステムを求められている、わけだ。
周波数帯域(振幅特性、位相特性ともに)、指向性、そしてダイナミックレンジ、
これらがバランスよく、どこにも欠落感がなく、十分に広くあること。

この構造を実現するために方法として、フルレンジユニットからスタートする4ウェイ・システムである。

Date: 10月 10th, 2010
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その28)

パラゴンに関心のある人ならば、いちどは夢想したであろうことは、
デジタル信号処理によって、3つの各ユニットの時間差を補整することだろう。

トゥイーターの075とミッドレンジの375はわりと近接した位置にあるが、
ウーファーのLE15Aだけは奥まったところにあり、しかもユニットそのものを外側から見ることは無理である。
井上先生は、パラゴンはへたに扱うと(下手なアンプと組み合わせると)、
八岐大蛇の声みたいなになる、と言われていた。

パラゴンの存在を頭から認めない人は、この構造、とくにウーファーの位置について、とやかく言う。
言われなくて、そんなことは、パラゴンに関心のある人はわかっている。
わかったうえで、パラゴンに対して、つよい関心をもち続けているのだから。

ウーファーの時間差だけ解消できれば、パラゴンの3つのスピーカーユニットの配置は、
仮想同軸型ともいえるわけで、そのメリットが存分に生きてくる……、誰しもそう考える。

昔は夢物語に近かったこのことも、いまではマルチアンプ駆動にして、
デジタルプロセッサーを導入すれば、実現できる、そういう時代にきている。
しかもそのための選択肢も、いくつかある。

でも、私の性格がアマノジャク的なところがあるのか、そうなるとあえて、そういうことはせずに、
内蔵ネットワークで、あえて鳴らしてみたい、と思うようになる。

パワーアンプ、1台でも、素晴らしい音で鳴る可能性をっているのがパラゴンなのだし、
瀬川先生が耳にされたパラゴンの素晴らしい音は、マルチアンプ駆動の音ではない、
岩崎先生もパイオニアのM4、1台で鳴らされていた。

なにかひとつのリファレンスとして、
パラゴンを上記のようにマルチアンプにして時間差を補整して鳴らすのは、ひじょうに興味がある。
いちどはぜひ聴きたい、とつよく思う。
けれども、自分のモノとしてパラゴンを鳴らすのであれば、この手段はとらない。

Date: 10月 10th, 2010
Cate: 真空管アンプ

真空管アンプの存在(その69)

ヒーターを定電流回路で点火することが、じつはいちばんいいのかもしれない。
そんなふうに考えはじめる1年半ほど前に、スタックスからCA-Xというプリアンプが登場している。

国産のプリアンプには、当時としては珍しく外部電源方式を採用。しかもその電源の規模が、とにかく大きい。
数10W程度の出力のパワーアンプ程度のシャーシーに、
スーパーシャント電源と名づけられた定電圧回路がおさめられていた。

CA-Xの特徴は、なにもスーパーシャント電源だけでなく、銅をけずり出して作った空気コンデンサー、
徹底した左右独立シャーシー構造──ボリュウムも左右独立していて、
メカニカルクラッチで左右同時に調整することも、別個に調整も可能──など、
スタックスの意地を見せつけてくれる内容のプリアンプだった。

スーパーシャント電源は、特にラジオ技術誌で話題になっていた記憶がある。
このスーパーシャント電源を、パワーアンプに採用した自作記事も掲載されていたくらいだ。
いったいどれだけの発熱量だったのだろうか。

スーパーシャント電源は、一般的に使われることの多いシリーズ電源が、
制御トランジスターが電源ラインに直列におかれているのにたいし、並列におかれている。

これより前に私が読んでいた「安定化電源回路の設計」(著者:清水和男 CQ出版)には、
損失の大きさを理由は、わずか2ページほど、シリーズ型との比較があるだけで、
「以後の回路ではすべて直列制御式について述べることにします」とあった。

その並列制御式(シャント型)を、定電流回路と組み合わせて、ほぼ理想に近い電源と謳ったのが、
スタックスのCA-Xだった。

Date: 10月 10th, 2010
Cate: 真空管アンプ

真空管アンプの存在(その68)

真空管のヒーターの点火は、まず交流点火と直流点火にわけられる。
直流点火は、非安定化電源による点火か安定化電源による点火にわけられる。
安定化電源も、またふたつに分けられる。

電圧の安定化をはかるのか、それとも電流の安定化をはかるのか、に分けられる。

電圧と電流──。

ステレオサウンド 56号の「スーパーマニア」に登場されている小川辰之氏が語られている。
     *
固定バイアスにしていても、そんなにゲインを上げなければ、過大振幅にならなくて、あまり寿命を心配しなくてもいいと思ってね、やっている。ただ今の人はね、セルフバイアスをやる人はそうなのかもしれないが、やたらバイアス電圧ばかり気にしているけれど、本来は電流値であわせるべきなんですよ。昔からやっている者にとっては、常識的なことですけどね。
     *
このときは、まだ真空管アンプをつくった経験はなかったけれど、
この小川氏のことばの、重要なことは直感的に受けとれた。

「電流値であわせるべき」──、ならばヒーターも同じであろう。

Date: 10月 10th, 2010
Cate: 真空管アンプ

真空管アンプの存在(その67)

いちどでもヒーターの点火方法の違いによる音の差を聴いてしまうと、
三端子レギュレーターなんて、と全面否定したくなるところだが、
それでも安易な使用の三端子レギュレーターとしたのは、もうひとつ別の体験があるからだ。

もうずいぶん前のことだから書いてもいいだろう。
ステレオサウンドでEMTの管球式イコライザーアンプの製作記事を掲載していたときの話だ。
この記事を読まれた方は、カウンターポイントの協力によって、この企画は実現したことを知っておられるだろう。
このときプロトタイプのSA139stのヒーターは、いわゆる安易な三端子レギュレーターの使用だった。
それを長島先生が、カウンターポイントの主宰者マイケル・エリオットに電源に関しても、
じつに細かいアドヴァイスをされて、いくつかのノイズ対策処理をがおこなわれた電源でを聴くことができた。
三端子レギュレーターの使用をやめたわけでなく、小容量のコンデンサーをいくつか後付けを中心とした改良だった。

そこにかかった費用も手間もそれほどのものではない。でも、出てきた音は大きく変化していた。

もちろん長島先生による電源部の改良はヒーター回路だけでなく、高圧のB電源に対しても行なわれていたから、
その音の違いはヒーター回路の違いだけではない。それでも、ヒーター回路への改良がもたらした面も大きいはずだ。

SA139stの製品版の外付け電源の内部を見る機会はなかった。
だから、私が聴いたのと同じことが施されているはずだが、はっきりとしたことはわからない。

Date: 10月 9th, 2010
Cate: 真空管アンプ

真空管アンプの存在(その66)

ついつい非安定化電源よりも定電圧電源(安定化電源)のほうが、性能(安定度)の高さだけでなく、
使用部品点数も格段に多くなり、音質的にもメリットがあると思いたくなる。

増幅回路のヴァリエーションがじつに多彩なのと同じように、定電圧電源の回路にもいろいろある。
だから、すべての定電圧電源が非安定化電源よりも勝っているわけではないし、
十分に練り上げられた定電圧電源でも、音質面で非安定化電源よりも優れているとは、必ずしもいえない。
それこそじつにさまざまな要素が絡み合ってのことだから、
いまもって結論は出ていない……、私はそう受けとっている。

三端子レギュレーターは、もっとも手軽に定電圧電源がつくれる。
実験用としては便利な部品のひとつである。
けれど、便利だからといって、ただそのまま何の工夫もせずに使ってしまっては、
よりよい音を求めようとしたときには、いくつか問題がある。

要は使い方が大事なのだが、ヒーターなんて直流点火さえしておけば十分、
さらに定電圧化しておけば、もうなにも問題はない、
そんな発想からヒーターの点火回路に三端子レギュレーターを使っているアンプは、
ずいぶんと、真空管アンプの音の特質を損なっている、と私の試聴した経験からいえることだ。

三端子レギュレーターの安易な使用より、
非安定化電源(つまり整流ダイオードと平滑コンデンサー、それに抵抗を組み合わせたπ型フィルター)が、
すっきりとした、清々しい音を聴かせる。
それは、頭の中で、傍熱管であってもヒーターの点火方法は重要なことだとわかっていても、
実際に耳にする音の差には、多くの人が驚くと思う。

そして、誰しもが、直熱管のフィラメントだったら、
もっとこの違いはより大きくはっきりとするのか、と思うはず。

Date: 10月 9th, 2010
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その27)

「確信していること」を書きながら、パラゴンの組合せのことも考えている。

瀬川先生のパラゴンの組合せは、「コンポーネントステレオのすすめ(改訂版)」のなかにある。
ひとつは、「コンポーネントステレオの価格をしらべる」という項目の中での、
豪華な組合せ例としてあげられている。
アンプはマッキントッシュのC28とMC2300のペア。
パラゴンにマッキントッシュという組合せでは、へたをすると図太い大柄なグラマーに音になりかねないのを、
適度におさえるために、カートリッジにはB&OのMMC4000を選択されている。
多少、この組合せは、話のネタ的なところがある。

もうひとつは、「特選コンポーネント28例」のなかにある。
こちらの組合せは、本気だ。
コントロールアンプはマークレビンソンのLNP2L、組み合わせるパワーアンプはSAEのMark2500。
このころの瀬川先生の常用(愛用)アンプだ。

アナログプレーヤーは、ラックスのPD121にSMEの3009/S2 Improved。
瀬川先生のこのころのメインのプレーヤーはEMTの930stだったが、
カートリッジを交換して楽しまれたりテストされたりするために、
もう一台、PD121にオーディオクラフトのトーンアームをとりつけたモノを使われていた。

スピーカーシステムが4341からパラゴンになっただけで、
ほかは愛用されていたシステムそのものをもってこられている。

この組合せについては、こう書かれている。
     *
その豪華で豊かな音質に加えて、パラゴンのもうひとつの面である、どんな細かな音にも鋭敏に反応するおそろしいほどのデリカシーを生かすには、ここにあげたようなマークレビンソンのコントロールアンプにSAEのパワーアンプ、という組合せが最上だ。現にこれは私の知人が愛用しているものとほとんど同じ実例といってよい。
     *
いま、瀬川先生だったら、どんな組合せをつくられるだろうか。

Date: 10月 8th, 2010
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

確信していること(その6)

むかしたった一度聴いただけで、もう再び聴けないかと思っていたJBLのハーツフィールドを、最近になって聴くことができた。このスピーカーは、永いあいだわたくしのイメージの中での終着駅であった。求める音の最高の理想を、鳴らしてくれる筈のスピーカーであった。そして、完全な形とは言えないながら、この〝理想〟のスピーカーの音を聴き、いまにして、残酷にもハーツフィールドは、わたくしの求める音でないことを教えてくれた。どういう状態で聴こうが、自分の求めるものかそうでないかは、直感が嗅ぎ分ける。いままで何度もそうしてわたくしは自分のスピーカーを選んできた。そういうスピーカーの一部には惚れ込みながら、どうしても満たされない何かを、ほとんど記憶に残っていない──それだけに理想を託しやすい──ハーツフィールドに望んだのは、まあ自然の成行きだったろう。いま、しょせんこのスピーカーの音は自分とは無縁のものだったと悟らされたわたくしの心中は複雑である。ここまで来てみて、ようやく、自分の体質がイギリスの音、しかし古いそれではなく、BBCのモニター・スピーカー以降の新しいゼネレイションの方向に合っていることが確認できた。
     *
瀬川先生のハーツフィールドへの想いは、
もうひとつペンネーム「芳津翻人(よしづはると)」にもあらわれている。
芳津翻人は、ハーツフィールドの当て字だ。

そのハーツフィールドのユニット構成は、初期のパラゴンとほぼ同じだ。
ウーファーは150-4C、中音域のドライバーは375。基本は2ウェイだが、
のちに075を加えて3ウェイ仕様になっている。
エンクロージュアのホーン構造も途中から変更され、すこしばかり簡略化されている。

パラゴンも、初期のものはウーファーには150-4Cが使われていた。
ドライバーは、もちろん375で、パラゴンは初期モデルから3ウェイで、075を搭載。

比較的はやい時期からパラゴンのウーファーはLE15Aに換えられている。
じつはハーツフィールドもウーファーには多少の変更がある。
型番こそ150-4Cと同じだが、コーンアッセンブリーの変更により、
コーン紙の材質の変更、それにともなうf0が低くなり、振幅もオリジナルの150-4Cよりも確保できている、
と山中先生からきいたことがある。

つまりパラゴンのウーファーの変更と、同じ方向の変更がハーツフィールドにも行なわれていたわけだ。

搭載されているユニットの違いは、ハーツフィールドとパラゴンのあいだにはない、といってもいい。
にもかかわらず、瀬川先生にとって、ハーツフィールドとパラゴンへの想いには、相違がある。

Date: 10月 7th, 2010
Cate: D44000 Paragon, 瀬川冬樹

確信していること(その5)

1957年11月に登場したD44000 Paragonは、JBLにとって、ステレオ時代をむかえて最初に発表した、
文字通り、ステレオスピーカーシステムである。
そして60年をこえるJBLの歴史のなかで、もっとも寿命のながかったスピーカーシステムでもある。

パラゴンの前には、D30085 Hartsfield がある。
ステレオ時代のJBLを代表するのがパラゴンならば、このハーツフィールドはモノーラル時代のJBLを代表する。
1955年、Life誌にてハーツフィールドは「究極の夢のスピーカー」として取りあげられている。

ハーツフィールドとパラゴンは、デザインにおいても大きな違いがある。
どちらが優れたデザインかということよりも、
はじめて見たとき(といってもステレオサウンドの記事でだが)の衝撃は、
私にとってはハーツフィールドが大きかった。

はじめて買ったステレオサウンド 41号に掲載されていた「クラフツマンシップの粋」、
そのカラー扉のハーツフィールドは、美しかった。たしか、ハーツフィールドがおかれてある部屋は、
RFエンタープライゼスの中西社長のリスニングルームのはずだ。

こんなにも見事に部屋におさまっている例は、
しばらくあとにステレオサウンドで紹介された田中一光氏のハークネス(これもまたJBLだ)だけである。

ハーツフィールド(もしくはハークネス)が欲しい、と思うよりも、
この部屋まるごとをいつの日か実現できたら……、そんな想いを抱かせてくれた。

若造の私も魅了された。
ハーツフィールドと同じ時代をすごしてこられた世代の人たちにとっては、
私なんかの想いよりも、ずっとずっとハーツフィールドへの憧れは強く、熱いものだったろう。

瀬川先生にとってハーツフィールドは、
「永いあいだわたくしのイメージの中での終着駅であった」と書かれている。
(「いわば偏執狂的なステレオ・コンポーネント論」より)

Date: 10月 6th, 2010
Cate: 境界線

境界線(その5)

音に、低音・中音・高音(もっとこまかく区分けしてもいいけれど)、その境界線は存在しない。
存在しないからこそ、スピーカーシステムにスーパートゥイーターを加えれば、
高域の再生音域が広がり、高域の印象だけが変化するわけでなく、低音の印象まで変ってしまうのは、
ずっと以前から指摘されていることだ。
なにもスーパートゥイーターに限らない、ウーファーを変えれば高音にも影響するし、もちろん中音にも影響する。
中音のスピーカーユニットを変えれば、低音、高音も変っていく。

どこかに境界線があれば、その境界線より下の帯域のスピーカーユニットを他のユニットに交換しても、
それより上の帯域にはいっさい影響をあたえず、その境界線から下の帯域のみが変化しなくてはならないはずだが、
そんな例について、いままで聞いたことも何かで読んだことも、私自身の体験でも、まったくない。

音の変化は、どこか部分的・局所的であるはずがない。
かならず、どんな場合にも、全体が変化している。
ただ変化の目立つところと、そこに隠れて、そうでない変化があるだけだ。

くりかえす、音に境界線はないからだ。
だが、オーディオの再生系に関しては、どうだろうか。
その境界線を、あえてあいまいにしてきてないだろうか。

Date: 10月 6th, 2010
Cate: 境界線

境界線(その4)

音楽における低音・中音・高音と、
オーディオにおける低音・中音・高音の定義はまったく同じではなくて、違いがある。

オーディオにおける定義についても、どこからどこまで(何Hzから何Hzまで)が低音で、
高音は何Hz以上からとはっきた決っているわけでもない。
低音・中音・高音の境界線は存在するようでいて、はっきりとしているわけではない。
それに聴いた感じの低音・中音・高音もあれば(しかもこれは個人によって、その区分け方は異ってくるから)、
スピーカーシステムでは、システム構成によって、その区分け方に微妙な違いが生じてくる。

どんなオーディオの本を読んでも、おおまかな目安についてはかかれていても、
はっきりとした数値で表したものはない。
あったら教えていただきたい。

瀬川先生も「オーディオABC」の中で書かれているように、
低音と中音の分かれ目で、音がガラリと変ることはない。

「オーディオABC」の中にある「オーディオ周波数と再生音の効果」の図をみても、
それぞれの音域は、となりあった音域とすこしずつ重なりあっている。
その重なりあっている音域あたりから、なんとなく音の効果が変っていくわけで、
その重なっているところ、つまりクロスオーバー周波数がかりに4000Hzだったとして、
あたりまえすぎることだが、4000Hzと4001Hzの正弦波を聴いたとして、
そのふたつの音の印象・効果の違いなんてわからない。3900Hzと4100Hzでもおなじだ。

4000Hzの1オクターヴ上(8000Hz)、1オクターヴ下(2000Hz)の違いとなると、
これは誰の耳にでもはっきりとわかる。

こんどは2000Hzから8000Hzまでスイープさせながら音を聴いていく。
周波数が高くなっていくのがわかるとともに、音の印象・効果も変化していくのはわかっても、
その変化ははっきりと色分けできるものではなく、グラデーションであり、いつのまにか印象が変っている。
変っていくのはわかっても、はっきりとここで変るといえる性質のものではない。

長々書いているが、結局のところ、音に境界線はない、といえる。
すべてが連続しつながっている。

Date: 10月 5th, 2010
Cate: D44000 Paragon, 瀬川冬樹

確信していること(その4)

じつは、この項に関しては、つづきを書くつもりはなかった。
最初に書いた3行だけだったのだが、デッカのデコラのことが頭に浮かんできて、
その次に、JBLのパラゴンのことが、ふいに浮かんできた。

デコラは浮かんできたことについて、すんなり理解できるものの、
パラゴンに関しては、ほんの少しのあいだ「?」がついた。

でも、そうだ、パラゴン「!」に変った。

じつは以前から、瀬川先生のパラゴンについて書かれたものを読むとき、
どこかにすこしばかり「意外だなぁ」という気持があった。
同じJBLのスピーカーとはいえ、瀬川先生が愛用されていた4341、4343といったスタジオモニター・シリーズと、
D44000 Paragon ずいぶん違うスピーカーシステムである。
もっともパラゴンは、他のどんなスピーカーシステムと比較しても、特異な存在ではあるけれど、
どうしても瀬川先生が指向されている音の世界と、そのときは、まだパラゴンの音とが結びつかなかったから、
つねに「意外だなぁ」ということがあった。

工業デザイナーをやられていたことは、けっこう早くから知っていたので、
パラゴンに対する高い評価は、音に対すること以上に、
そのデザインの完成後、素晴らしさに対することへのものが大きかったからだろう……、
そんなふうに勝手な解釈をしていたこともあった。

けれど、いくつかの文章を読めばわかることだが、パラゴンに関しては、絶賛に近い書き方である。
デザインだけではないことが、はっきりとしてくる。