Archive for category テーマ

Noise Control/Noise Designという手法(45回転LPのこと・その1)

毎月第一水曜日に四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記で行っているaudio sharing例会

夜7時からなのだが、時間が許せば一時間くらい前に喫茶茶会記に着くようにしている。
何もその日のテーマについてじっくり考えておきたいから、ではなく、
店主の福地さんとの話を楽しんだり、
常連のお客さんがいるときに福地さんが紹介してくれて、その方と話がはずむこともある。

先日(5月7日)もそうだった。
18時40分ごろだったか、フルート奏者のMiyaさんという方が来られた。
Miyaさんはそれまでオーディオを介して音楽を聴くことにはあまり関心がなかったけれど、
少し前にステレオサウンドの試聴室において、いわゆるハイレゾ音源を聴く機会があって、
そこからオーディオに目覚めてきた、ということだった。

そういうことで話が弾んだ。
audio sharing例会の19時までは20分ほどだから、あれもこれもというわけにはいかなかったけれど、
CD(デジタル)とLP(アナログ)の音の違いについてきかれた。

この日話したことのひとつだけを書けば、ノイズが関係している、ということについて説明した。
それもaudio sharing例会の開始時間が迫っていたので、充分な説明はできなかった。

翌日、このブログで、ホールのバックグラウンドノイズについて書いた。
ブログにはコメントをなかったけれど、facebookにはコメントがあった。
そこにはアナログディスクのノイズについてのものがあった。

Date: 5月 8th, 2014
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(望むもの・その3)

いわゆる音が収録されているものをなぜ望むのか。
ホールのバックグラウンドノイズを収録したもの (SACDだったりネット配信だったり)を、
そのまま再生して聴こうと考えているのではない。

一度はボリュウムをあげて聴くだろうが、
私が試してみたいのは、メインの2チャンネル(左右)のスピーカーの他に、
最低でも部屋の四隅に別個にスピーカーシステムを設置して、
たとえばウィーンのムジークフェラインザールで録音された演奏を聴くときに、
演奏の音はあくまでもメインの2チャンネルのスピーカーでのみ再生して、
四隅のサブスピーカーから、ムジークフェラインザールのバックグラウンドノイズの再生する──、
こんなことをやってみたいからである。

バイロイト劇場での録音にはバイロイト劇場のバックグラウンドノイズ、
日本のサントリーホールでの録音にはサントリーホールのバックグラウンドノイズ、
こんなことをいくつか試してみたい。

これで何らかの変化が得られるのであれば、
次のステップとしてムジークフェラインザールの録音のときに、
バイロイト劇場とかサントリーホールのバックグラウンドノイズを鳴らしてみたら、
いったいどういう変化が出るのか、
さらには複数のホールのバックグラウンドノイズをミックスしてみたら、いったいどういうことになるのか。

Date: 5月 8th, 2014
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(望むもの・その2)

さまざまなホールのバックグラウンドノイズを収録したものを、いま望んでいる。
人がだれもいないホールにマイクロフォンをたて、
DSD録音、PCm録音ならばサンプリング周波数、ビット数はCDの44.1kHz、16ビットよりも高い値で、
できるだけ録音機材のS/N比の高いものを使って、
ホール特有のバックグラウンドノイズと呼べる領域の音(あまり意識にはのぼってこないような類のもの)を、
そのまま収録してほしい。

どこかひとつだけのホールではなく、
世界各国の、著名なホールのバックグラウンドノイズをおさめたものが出て来てくれないだろうか。

音楽を収録したものにもホールのバックグラウンドノイズは収録されているといえばされている。
けれどあくまでもメインはステージの上で演奏されている音の収録であり、
バックグラウンドノイズは、おそらくステージ上の音によってマスキングされているはず。

その聴こえ難いホールのバックグラウンドノイズに焦点を絞ったものが欲しい。
完全な無音は、世の中に存在しないのだから。

Date: 5月 8th, 2014
Cate: オーディオ観念論

オーディオの現実に対しての観念論の必要性

いいたいことは、タイトルそのまま、である。

Date: 5月 8th, 2014
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(望むもの・その1)

望むもの地上のどこにも完全な無音の空間は存在しないわけで、
コンサートに行く、そこでホールに足を踏み入れると、そのホール特有のざわめきがまず感じとれる。

会場直後にホールに入れば、まだ人はまばら。
ざわめきも少なく、そこでの、耳に入ってくる、いわゆるノイズはホール特有のものを、少しとはいえ感じとれる。

ステレオサウンドは1980年代にデジタルディレイを再生系に取り入れたSSSという方式を提唱していた。
菅野先生、柳沢氏のふたりが熱心に取り組まれていた。
同じころ、というか、ステレオサウンドよりも少し早くラジオ技術も同様のことを誌面でたびたび取り上げていた。

このころから30年近く経過して、デジタル信号処理に必要な機器のS/N比は格段に向上している。
あのころはわずかとはいえデジタル特有のノイズを無視できるレベルには至ってなかった。

いまハイレゾという、安易な略語がオーディオマニアの間だけでなく、
一般的な言葉として使われるようになってきた。
ハイレゾリューションといえばいいではないか、と思うし、
このハイレゾリューションにしても、それほどいい言葉とは感じられない。

とにかくデジタル(PCM)に関して、サンプリング周波数は100kHzを超えることが可能だし、
ビット数も拡大してきている。

PCMの場合、ビット数が増えていくことはS/N比の改善になる。
だがサンプリング周波数に関しては安易に高くしていくと、S/N比は劣化していく。
高くするメリットはもちろんあるのだが、ただ高くすればすべて良し、というものではない。

とはいうものの確実にデジタルは高S/N比を実現している。
それにDSDでの収録もいまでは特別なことではなくなっている。

こういう時代・状況になって、ひとつ、この項に関することで望みたいことがある。

Date: 5月 8th, 2014
Cate: オーディオ観念論

澄明(その1)

瀬川先生が、透明を澄明と書かれていたということは以前書いた。

澄明の「澄」は澄む(すむ)。
すむは、澄むの他に、住む、棲む、済むなどがある。

透明ではなく澄明な音は、なにかを済ませることで得られるのかもしれない、と思うようになってきた。

Date: 5月 7th, 2014
Cate: オーディオ観念論

音源

音源ということばがある。

再生側において音源とは、いわゆるプログラムソースのことである。
LP、SPなどのアナログディスク、CD、SACDなどのデジタルディスク、
オープンリール、カセットなどのテープといったメディアに収録したものの総称として使われる。

録音側はその収録の現場であり、ここでの音源とはマイクロフォンがとらえる音を発しているもののことを指す。
つまりは楽器ということになる。

音を発するという意味では、スピーカーも音源である。

音源ということばについて、これまではこれ以上深く考えることはなかった。
音はなにかを伝えるものであり、なにかを伝えるものとして文字がある。

この文字には、音源に似たことばとして字源がある。
字源とは、個々の文字の起源、と辞書にはある。

白川静氏が、字源についてこう語られている。
     *
字源が見えてくるならば、漢字の世界が見えてくるはずである。従来、黒いかたまりのように見られていた漢字の一字一字が、本来の生気を得て蘇ってくるであろう。漢字は記号の世界から、象徴の世界にもどって、その生新な息吹きを回復するであろう。
     *
音源を、字源ということばのようにとらえなおすことはできないのだろうか。

Date: 5月 6th, 2014
Cate: 素朴

素朴な音、素朴な組合せ(その24)

フィリップスのフルレンジユニット以外にも、いくつかのフルレンジユニットの音は、
いまもういちど聴きたい、と思うことがある。
それらのほぼすべては海外製のフルレンジユニットである。

日本にも優秀なフルレンジユニットがあったことは知っているし、
そのいくつかは音も聴いている。

フルレンジユニットだからどんなに優秀であっても、
より優秀なマルチウェイのスピーカーシステムの音と比較すれば、
そしてオーディオマニア的な細かな音の聴き方をすれば、あそこもここもと、いろんなことを指摘できる。

その意味では、マルチウェイのスピーカーシステムの出来のいいモノとそうでないモノとの音の差と比較すれば、
フルレンジユニットの出来のいいモノとそうでないモノとの音の差は小さい。

そういうフルレンジユニットの中で、海外製(それもヨーロッパ製)のモノと日本のモノ、
どちらも優秀なフルレンジユニット同士を鳴らしても、私の耳は海外製のフルレンジユニットに惹かれるのは、
それは素朴な音だから、だけでは語ったことにはならない。

日本製の優秀なフルレンジユニットの音もまた素朴な良さをきちんと持っているからだ。
そのことはわかっている。
わかっていても、私の聴き方では、
海外製のフルレンジユニットが、素朴な音ということで最初にイメージしてしまう。

ここでもその理由は、別項で書いている「薫り立つ」ということに関係してくる。

Date: 5月 4th, 2014
Cate: Jazz Spirit

喫茶茶会記のこと(その2)

Noise Control/Noise Designという手法」で、マッキントッシュのアンプのツマミのことに触れた。
コントロールアンプのC27のことについても書いた。

マッキントッシュの、トランジスター以降のコントロールアンプの中で、C27は好感がもてる。
本格的なマッキントッシュらしいコントロールアンプといえばC29が、同じころにあったし、
上級機としてC32も存在していた。
その後もかなりの数のコントロールアンプが登場している。

C27は、そんななかにあってあまり注目されることなく消えていった印象がある。
それでも私は、マッキントッシュのコントロールアンプの中で、
管球式のC22を別格とすれば、C27は、無理をしてまで欲しいとは思わないけれど、
縁があれば手元に置いときたいモデルである。

私が毎月第一水曜日にaudio sharing例会を行っている四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記がある。
今日、ここの店主の福地さんが、「Noise Control/Noise Designという手法」の(その34)にコメントをくれた。

明日(5月5日)、店で使っているアンプがマッキントッシュのペアにかわる、とのこと。
パワーアンプはMC2505で、コントロールアンプはC27とある。

これがC27でなく、C29だったりC32だったり、さらにはマッキントッシュの他のコントロールアンプだったら、
ここであらためて書くことはなかった。

でもC27である。
だから書きたかった。

Date: 5月 2nd, 2014
Cate: audio wednesday

第40回audio sharing例会のお知らせ(アクースタットのこと)

今月のaudio sharing例会は、7日(水曜日)です。

テーマについて考えていた。
ブログの記事の本数が4300本をこえたので、いまはJBLの4300シリーズのことを主に書いている。
4320のことについても書いている。
そのなかでアクースタットのスピーカーについてふれた。

これだけだったらほかのテーマにしようと思っていたところに、
昨晩友人が知らせてくれたリンク先で、
スティーヴ・ジョブスの1982年当時のオーディオ機器について、これまでよりも詳細について知ることができた。

スピーカーがアクースタットのModel3なのは、一目両線ですでに知っていたことだ。
それでもアクースタットのスピーカーについて書いていたときに、こういう記事が公開された偶然に、
今回のテーマはアクースタットについて語ろう、と決めてしまった。

アクースタットのスピーカーについては、ステレオサウンド 43号の新製品紹介のページで知った。
当時の輸入元はバブコ。
ACOUSTATの表記はアコースタットだった。

このときの製品はAcoustat Xだった。
縦長の振動板を三枚使用し、
電圧増幅段はトランジスター、出力段のみ真空管を採用した専用アンプを搭載していた。

コンデンサー型スピーカーの駆動には高電圧が必要となる。
通常のコンデンサー型スピーカーにはトランスが使われるが、
Acoustat Xはもともと高圧を扱う真空管の出力段からトランスを省き、
つまりOTL構成とすることで、ダイレクトに振動パネルを駆動するというものだった。

このころの私はコンデンサー型、
それもフルレンジのコンデンサー型こそがスピーカーの理想に最も近いと考えていた。
そんな私にアクースタットの登場は、理想に近いスピーカーの登場のように映った。

けれどステレオサウンドの特集にアクースタットが登場することはなかった。
44号、45号はスピーカーが特集にもかかわらず、だ。

次にアクースタットのスピーカーがステレオサウンドに登場するのは、
またも新製品紹介のページで、49号である。
Monitorという型番に変り、振動パネルも四枚に増えていた。
専用アンプ搭載、その構成は前作と同じである。
このMonitorも特集記事に登場することはなかった。

このアクースタットのスピーカーが、ずっと気になっていた。

時間はこれまでと同じ、夜7時からです。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 5月 1st, 2014
Cate: iPod

ある写真とiPhone(追補)

二年半ほど前に「ある写真とiPhone」を書いた。

先ほど友人からのメッセージが届いていて、そこにジョブスのオーディオについての記事へのリンクがあった。
以前見た写真でははっきりしなかったことが、この記事でわかる。

Date: 5月 1st, 2014
Cate: 香・薫・馨

便利であっても(その11)

グラシェラ・スサーナの日本語の歌を聴いて、まず驚いたのは情景が浮んでくる、ということだった。
グラシェラ・スサーナの歌う、すべての日本語の歌がそうとはいえないけれど、
かなりの数の歌で、歌詞が描いている情景が浮んでくる。

グラシェラ・スサーナが歌って情景が浮んできた日本語の歌を、
もともと歌っていた人の歌唱で聴いても、必ずしも浮んでくるわけではなかった。
これは歌唱力の巧拙だけではないことはわかる。

では、情景が浮ぶのか(または浮ばないのか)。

言葉という具象的なものの中で、日本人にとってもっとも具象的な日本語で歌われるわけだから、
歌詞を含めて、その曲そのものが描こうとしている情景が、他の言語の歌よりも浮びやすいというところはある。
ならば、より正確できれいな日本語の発音による日本語の歌の方が、
歌唱力がほぼ同等であれば、情景は浮びやすくなる──、といえるのか。

少なくとも私の場合、そうとはいえない。
何が情景を浮び上らせるのか。私の中で情景が浮んでくるのか。

結局は、薫り立つものが、そこでの歌に感じられるかどうか。
私の場合はどうもそのようである。

気になっている(その3)

玄人とは辞書には、一つの物事に熟達した人。専門家。本職、とある。
英語ではprofessional、specialist、expertとなる。

オーディオの玄人とはオーディオの専門家、もしくはオーディオを本職とする人と、まず考えられる。
オーディオを本職とする人──、
つまりオーディオを仕事として対価を得ている人ということになる。

オーディオメーカーに勤めている人が、それにあたる。
何もメーカーの技術職の人だけでなく、営業関係の人もオーディオを仕事にしているわけだから、
オーディオの玄人ということになる。

輸入商社の人にも同じことがいえる。

他にもオーディオ店で働いている人。
彼らもまたオーディオを仕事としているわけだから、オーディオの玄人であるわけだ。

それからオーディオ雑誌の編集者もそうなる。
オーディオメーカーの技術職だけでなく営業関係の人もオーディオを仕事にしているのと同じように、
オーディオ雑誌を出版している会社の、
編集部以外の部署の人たちもオーディオの玄人と言おうと思えばいえなくもない。

とはいえ現実にはオーディオメーカーの営業関係の人たち、
出版社の編集部以外の人たちを、ここで無理に含める必要はない。

そしてオーディオ評論家、と現在呼ばれている人たちも、またオーディオの玄人ということになる。

こういう人たちがオーディオの玄人として挙げられるが、
果してオーディオを仕事にしているだけでオーディオの玄人と呼べるのだろうか。

Date: 4月 27th, 2014
Cate: 香・薫・馨

便利であっても(その10)

ホセ・カレーラスは”AROUND THE WORLD”に収録されている各国の歌を、その国の言葉で歌っている。
「川の流れのように」も英語やスペイン語に置き換えることなく歌っている。

ただホセ・カレーラスにとって日本語は難しかったのか、
一番の歌詞のみを歌っていて、あとはいわゆるサビの部分をくり返している。
その意味では、他の収録曲からすればやや不完全な、ともいえなくもないが、
それでもホセ・カレーラスの歌う「川の流れのように」を聴いての感動をいささかも損なうわけではない。

美空ひばりの歌唱ではそんなことはないのだから、
なにもホセ・カレーラスを聴かずとも……、ということになるから、
「なぜ、美空ひばりの歌で聴かないのか」ということにつながるのかもしれない。

それとも歌も、あくでもオリジナルで、ということなのかもしれない。

ホセ・カレーラスの日本語は完璧とはいえない。
それはグラシェラ・スサーナの日本語の歌を聴いていても、ある。
日本語を母国語としていない人だから、ともいえるし、
そういう人が歌う日本語の歌に、日本人が歌う日本語の歌よりも感動している私がいる。

歌がうまいから、ホセ・カレーラス、グラシェラ・スサーナの日本語の歌に感動しているか。
グラシェラ・スサーナによる日本語の歌に夢中になったときから、このことは問いつづけてきていた。

Date: 4月 27th, 2014
Cate: 香・薫・馨

便利であっても(その9)

グラシェラ・スサーナはアルゼンチン生れ。
そのグラシェラ・スサーナが歌う日本語の歌を聴いて、夢中になった。

「黒い瞳はお好き?」も日本語の歌だった。
日本語の歌ならば日本の歌手で聴くのがいいのではないか、というのはわかる。

ホセ・カレーラスの”AROUND THE WORLD”は、
私にとってホセ・カレーラスのベストアルバムである。これから先もずっとそうであるだろう。

ここでのホセ・カレーラスは、クラシックの歌を歌っているわけではない。
各国の、いわゆるポピュラーな曲を歌っている。
日本語の歌も一曲ある。

「川の流れのように」を歌っている。

“AROUND THE WORLD”というアルバムについて、
そして「川の流れのように」について語ると、
きまって「なぜ、美空ひばりの歌で聴かないのか」といわれる。
もっともな意見だと思う。

美空ひばりに対してアレルギーのようなものを持っている人がいるのは知っている。
私には、そういうアレルギーのようなものはない。
美空ひばりの歌う「川の流れのように」も、もちろん聴いたことがある。

そのうえでホセ・カレーラスの「川の流れのように」は素晴らしい、と思う。
美空ひばりの「川の流れのように」とホセ・カレーラスの「川の流れのように」、
どちらが上とか、そういう話ではない。