Archive for category テーマ

Date: 9月 29th, 2014
Cate: 素材

羽二重(HUBTAE)とオーディオ(その5)

耳の構造は、外耳、中耳、内耳にわけられ、外耳と中耳の境界に鼓膜がある。
この鼓膜を振動板を捉え、鼓膜にボイスコイルに相当するものがついていれば、話は違ってくるのだが、
実際には鼓膜が音を神経に伝えているわけではない。

耳の構造については、いまではインターネットで検索すれば専門的な知識も得られるので、
こまかなことは省略するが、内耳に蝸牛がある。

この蝸牛にはリンパ液が入っていて、このリンパ液の揺れを感覚細胞(有毛細胞)がとらえて電気信号に変える。
電気信号は、蝸牛神経を通って大脳に伝えられる。

有毛細胞はリンパ液に触れている。つまり触覚によって、最終的に音という空気の疎密波を脳に伝えている。
たしかに聴覚は触覚といえる。

味覚はどうか。嗅覚はどうか。
聴覚と同じように調べていけば、触覚が、それぞれに特化した機能といえることに気づくはずだ。
味覚も嗅覚も触れなければ、味や匂いを感じることはできない。

五感ではなく二感。
納得できる。

9月26日の羽二重=HUBTAEの発表会での川崎先生の話をきいていて、このことを思い出した。
菅野先生による音色と音触、
そこに川崎先生の、五感ではなく二感、
聴覚はあきらかに触覚である。

ならば音の色見本は触覚的なモノであるべきなのではないか。
むしろ触覚であることで、直感的に理解できるのではないのか。
さらにいえば、触覚による音の色見本によって、音に対して、より鋭敏になることができるのではないのだろうか。

Date: 9月 28th, 2014
Cate: ワーグナー, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(カラヤンの「パルジファル」・その20)

カラヤンの「パルジファル」をそう受けとめるようになっているのだから、
それ以前とはスピーカーの選び方そのものが大きく変ってしまった。
以前だったら、もっと簡単にスピーカーを決めてしまっていただろう。

実を言うと、この項を書き始めた時、スピーカーシステムに何を選ぶかは決めていなかった。
なぜ、いまカラヤンの「パルジファル」をとりあげようと思ったのか、
そのこと自体を私自身が知りたかったから、書き始めた。

これだ、と思えるスピーカーシステムが思い浮ばなかったら……、と思わないわけではなかった。
しかも過去のスピーカーシステムではなく、いまのスピーカーシステムから選びたかった。

クナッパーツブッシュの「パルジファル」のためにはシーメンスのオイロダインがすぐに思い浮んだ。
クナッパーツブッシュの「パルジファル」は私が生れる前の演奏である。
私が「パルジファル」を知った時、クナッパーツブッシュはすでに亡くなっていた。

カラヤンの「パルジファル」はそこが私にとって違うところだ。
カラヤンは、まだ生きていた。
「パルジファル」は私がまだハタチになる前、青臭い少年だったときに出ている。

それだけでもクナッパーツブッシュの「パルジファル」とカラヤンの「パルジファル」は、
私にとっての意味合いが違ってくる。

これはだめだ、というスピーカーシステムは次々に浮んでいった。
それらのスピーカーシステムについて書いてもつまらない。

これだ、と思えるスピーカーシステムは、ほんとうにあるのだろうか……、
ほんとうに思い浮んでくるスピーカーシステムはあるのか……、
そんなふうにならなかったら、現行製品をひとつひとつ消去法で消していくしかないのか、
それで残ったスピーカーシステムは、カラヤンの「パルジファル」を聴くのにふさわしいといえるのだろうか。

いまは思い浮ばないだけで、きっとあるはず。そのおもいもあった。
ひとつあったことに、やっと気づいた。

ベーゼンドルファーから出ていたVC7である。

Date: 9月 28th, 2014
Cate: ショウ雑感

2014年ショウ雑感(Saxophone Colossus)

今年のインターナショナルオーディオショウで、
三つのブースでソニー・ロリンズのSaxophone Colossusが鳴っていた。

たまたま入ったブースで鳴っていたわけで、こういう偶然はおもしろい。
これまでインターナショナルオーディオショウでSaxophone Colossusがかかっていたのに出会したことはなかった。
あったのかもしれない。
けれど、Saxophone Colossusが鳴っているときに、そのブースに私が立ち寄らなかっただけなのかもしれない。
そうだとしても、今年はたまたま立ち寄ったブースの三つで鳴っていたのだから、
これは何かの啓示だ、とまでは思わないまでも、何かを考えさせるきっかけにはなる。

どのブースのSaxophone Colossusがどう鳴っていたかを、ことこまかに書こうとは思っていない。
書きたいのは、前々から感じていたことを、Saxophone Colossusのおかげで確信できた、ということである。

どこといってケチをつけるところはない音なのに、なにかが違うと感じるスピーカーがある。
スピーカーだけに限らない。アンプにもそういうのがあるし、カートリッジにも、他のにもある。
ただスピーカーに特に顕著であるから、こういうショウでいくつものスピーカーシステムを聴いていると、
そして今回のように同じ音楽(Saxophone Colossus)を三つのブースで聴く機会があれば、
そんな違和感的なものを感じてしまうことがある。

なんなんだろう、とときおり思い出しては考えていた。
インターナショナルオーディオショウという場なので、こまかな不備による音についてあげつらう気はない。
もっと、そのスピーカーがもつ本質的なところで感じるものの正体は、
音楽のアクセントの表現であることに気づいたのが、二年ほど前である。

明らかに音楽のアクセントがスタティックなスピーカーがある。

Date: 9月 28th, 2014
Cate: 素材

羽二重(HUBTAE)とオーディオ(その4)

音色は、ねいろ、とも読み、おんしょく、とも読む。
オーディオを語る際の音色は、おもにおんしょくである。

もう十年以上前になるが、菅野先生が音触(おんしょく)という造語を使われはじめた。
いまおもえば、このときなぜ気づかなかったのかだろうか。

音色、音触、どちらもおんしょくである。
ならば音の色見本を、いろみほんと呼ばずに、しょくみほんと呼べば、音の触見本を連想しても不思議ではない。

でも、音触という言葉に出会ってから、結局十年以上かかった。
それも羽二重=HUBTAEの登場というきっかけがなければ、まだ気づいていなかった。

いちど気づくと、あのことも気づかせてくれるきっかけとだったんだ……、と思い出すことがある。
九年前のことだ。
川崎先生が、五感について話された。

五感とは目(視覚)・耳(聴覚)・鼻(嗅覚)・舌(味覚)・皮膚(触覚)、
この五つの感覚を、何の疑いもなく、そのまま信じている。
けれど、川崎先生は五感ではなく二感だ、といわれた。

人間には視覚と触覚の、ふたつの感覚しかない、ということである。

Date: 9月 27th, 2014
Cate: 素材

羽二重(HUBTAE)とオーディオ(その3)

インターナショナルオーディオショウでの例は、つい最近のことだから書いたまでで、
こういうことはこれまでに何度も体験してきている。

ステレオサウンドにいたころ、音の色見本があれば、と考えたことがある。
すぐに思いつくのは、LPなりCDに、解説付きでさまざまな音色の音を録音しておくことである。

だが、このディスクを再生する環境がまたく統一されていない。
パソコンのディスプレイには、色をキャリブレートするためのハードウェアとソフトウェアが用意されている。
音の世界に、こういうものはない。

そういう状況で、音による音の色見本をつくろうとしても、
まったく役に立たないとまではいわないとしても、無理といえる。

いまならばiPodとヘッドフォン(イヤフォン)の組合せで、
ヘッドフォンをある特定機種にすることで、環境が揃えられるとはいえる。
それでも、音の色見本がうまくいくようには思えなかった。

なぜ、そう思えないのか、その理由もはっきりとはしていなかった。
変な話なのだが、音による音の色見本が、直感的とは思えないからであった。

音よりも、音の色見本を直感的に伝えるにはどうしたらいいのか。
これは四六時中考えていたことではないが、長いこと考えつづけてきたことであった。

音よりも直感的と思えるものは、ここにあった──、
国際文化会館での「羽二重」HUBTAE=新素材ブランドの発表会で、直感的にそうおもえた。

Date: 9月 27th, 2014
Cate: 素材

羽二重(HUBTAE)とオーディオ(その2)

ステレオサウンドで働くようになって、色見本というものを知った。

音にも、音色という言葉があるように、色はある。
けれど、音の色見本というのは存在していない。

音の色見本がない状態で、われわれは音を言葉で表現しようとしている。
だから書き手と読み手とのあいだには、誤解も生じることになる。

先日もインターナショナルオーディオショウに行って、その感を強くした。
あるブースで、あるオーディオ評論家が音を鳴らしていた。
いい音ではなかった。そのことが問題ではなく、
音を鳴らし終った後に「素晴らしく滑らかな音でしたね」と、オーディオ評論家がいう。

椅子に腰かけて聴いている人の中には、頷いている人がいた。
ということは、この音が滑らかな音ということになっているのか、とびっくりするよりも呆れた。
どこをどう聴いても、いいように受けとめようとつとめても、
いましがた鳴っていた音は、決して滑らかな音ではなかった。

聴いていた人の中には、私と同じように感じていた人もいたであろう。
でも、この場に、オーディオに関心をもち始めたばかりの若い人がいたら、どうなるだろうか。

オーディオ雑誌に登場しているオーディオ評論家が
「素晴らしく滑らかな音ですね」と絶賛しているのを耳にしてしまったら、
やはり、その場で鳴っていた音が、滑らかな音ということになってしまうことだって考えられる。

これは憂慮すべきことである。
だが、このオーディオ評論家ばかりを責めたいわけではない。
このオーディオ評論家も、どこかでそういう体験をしてきたから、こうなってしまった──、
そう考えられるからである。

Date: 9月 26th, 2014
Cate: 素材

羽二重(HUBTAE)とオーディオ(その1)

久しぶりに六本木に行ってきた。
ここ数年、私にとっての六本木は、国際文化会館に行くことである。
前回も前々回も、国際文化会館に川崎先生の講演をきくために六本木に行っている。

今回も国際文化会館に行ってきた。
福井県織物工業組合と川崎先生による「羽二重」HUBTAE=新素材ブランドの発表会が行われたからだ。

羽二重といえば、多くの人は羽二重餅を思い浮べることだろう。
私だって、じつはそうである。羽二重が絹織物だということは知ってはいても、
羽二重餅がどうしても浮んでくる。

そういえば私が働いていたころのステレオサウンドは六本木五丁目にあった。
少し歩けば、青野という和菓子屋がある。
ここの羽二重餅を試聴の茶菓子としてよく買いに行っていたことも関係しているといえばそうなるかもしれない。

羽二重は餅ではない。絹織物であることを、
今日の川崎先生の話をきいて、オーディオマニアとして刻みつけることができた。

これからはずっと羽二重ときいて、餅を思い浮べることはなくなった。

川崎先生の話をきくまでは、羽二重とオーディオはどう結びついていくのか考えていた。
いくつかのことは浮ぶ。
それでも羽二重とオーディオが、鍵穴と鍵がぴったりと合うような感じではなかった。

なにか、もっと違うところに結びつけるところがあるような気だけがしていた。
今日「こんなところに扉があったのか」と、それに気づかされたような感じだった。

Date: 9月 25th, 2014
Cate: ワーグナー, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(カラヤンの「パルジファル」・その19)

「70歳になったらパルジファルを録音したい」であっても、録音のためには演奏するのだから、
「70歳になったらパルジファルを録音したい」も「70歳になったらパルジファルを演奏したい」も、
同じではないか、と考えることはできないわけでもない。

けれど、録音は残る。
10年、20年、さらには50年……、と残っていく。

その録音が世に登場したときは、最新録音であり、優秀録音だったのが、
古い録音といわれるようになったとしても、一度録音されたものは残っていく。

カラヤンが「70歳になったらパルジファルを録音したい」と常々口にしていたのは、
「パルジファル」をのこしたかったからなのだ、と思う。

だからカラヤンがいつのころから「70歳になったらパルジファルを録音したい」というようになったのかを知りたい。

同じ、このテーマで30のころ書いていたとしたら、違う書き方をしたように思う。
「70歳になったらパルジファルを録音したい」についてもとりあげなかったかもしれない。

でも、もう30歳ではない。
30歳ではないから、カラヤンの「パルジファル」について書いているようなところがある。

カラヤンは「パルジファル」を遺したかった。
30の時にはそう思えなかっただろうし、仮に思ったとしても、そのことの意味は20年前といまとでは違う。

「パルジファル」はカラヤンの遺言かもしれない。

Date: 9月 25th, 2014
Cate: ワーグナー, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(カラヤンの「パルジファル」・その18)

カラヤンの「パルジファル」は、1979、1980年の録音。
カラヤンは1908年4月5日生れだから、70をこえてからの録音ということになる。

カラヤンは「70歳になったらパルジファルを」と常々口にしていたということは、以前何かで読んでいるし、
HMVのカラヤンの「パルジファル」の紹介ページに書いてある。

「70歳になったらパルジファルを」だが、出典は知らない。
正しくどう言っていたのかまではわからない。

「70歳になったらパルジファルを」の後に続くのは、「録音したい」なのだと思う。
どこかのオペラ劇場で演奏したい、ではなかった、と思う。

私は、だからカラヤンは「70歳になったらパルジファルを録音したい」と常々口にしていたのだと思っている。

Date: 9月 24th, 2014
Cate: audio wednesday

第45回audio sharing例会のお知らせ(2014年ショウ雑感)

10月のaudio sharing例会は、1日(水曜日)です。

テーマは、2014年インターナショナルオーディオショウ雑感です。
初日と二日目に行ってきた。二日あわせて13時間ほど会場にいたので、
その感想を、記憶の新しいうちにあれこれ語ります。
気になったディスク、オーディオ機器のこと、会場にいて気づいたことなどです。

インターナショナルオーディオショウなんて人多いし、音も悪いし、行く意味、価値なし、と言い切る人が少なくないけど、
行けば楽しい。
楽しもうという気持ちを持てない人が、オーディオを楽しんでいるとは思えないです。

時間はこれまでと同じ、夜7時です。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 9月 24th, 2014
Cate: ショウ雑感

2014年ショウ雑感(些細なことだけど)

どこのブースで、誰が、といったことはいっさい省く。

あるオーディオ評論家が、あるブースで簡単な挨拶をされた。
そこで「商売柄いろんな音(製品)を聴くわけで」といわれた。

そんな些細なことを気にするのは少数だし、揚げ足取りではないか、といわれそうだが、
それでも「商売柄」には異和感をおぼえた。

「仕事柄」だったら、なにもこんなことを書いたりはしない。
簡単な挨拶だから、ぽろっと出た言葉だろう、といわれるのもわかっている。
けれど、なにげなく使ってしまう言葉に、人柄は出てしまう。

商売にも職業の意味はあるから、間違った使い方ではないことはわかっている。
それでも「商売柄」といわれると、
この人にとってオーディオ評論は商売なのか……、と思うわけだ。

Date: 9月 24th, 2014
Cate: ショウ雑感

2014年ショウ雑感(その6)

ヤマハのプレゼンテーションが満点だったとはいわない。
けれどそう大きな不満はなく、及第点とははっきりといえる。

というよりもプレゼンテーションという視点でみれば、ほかのブースはひどいところが多い、というだけの話である。
インターナショナルオーディオショウの一週間くらい前になると、
日本インターナショナルオーディオショウ協議会のサイトで、講演スケジュールのPDFが公開される。

毎年「講演スケジュール」と書かれている。
いつまで講演という言葉を使っていくのだろうか、とも思う。
もう講演と呼べないレベルのものが大半になってきているし、
講演という言葉を使っているかぎり、プレゼンテーションだということには気がつかないのかもしれない。

私がオーディオ雑誌の編集者だったら、各ブースのひとりひとりに、
どういう意識でやっているか聞いてまわる。

講演なのか、プレゼンテーションなのか。
それともこのふたつのどちらでもないのか。

昨年のインターナショナルオーディオショウの雑感のところでふれた柳沢功力氏の、
ステラのブースでの二時間にわたる話は、なんだったのかとなると、
私はアナログディスク漫談だという認識でいる。

漫談というと、貶めているように受けとめられるかもしれないが、積極的な意味での漫談であった、と思う。
漫談には、とりとめのない話という意味の他に、
演芸の一。世相などを話題として風刺や批評をまじえた軽妙な話芸、と辞書には書いてある。

昨年の柳沢氏の話は、まさに後者の意味での漫談であった。
こういうアナログディスク漫談を、いまやれるのは柳沢氏くらいだろう。

そう、この手の漫談は誰にでもやれるわけではない。

Date: 9月 23rd, 2014
Cate: ショウ雑感

2014年ショウ雑感(ふたつのブースでの光景)

タイミングがずれていれば、すれ違わない。
いままでインターナショナルオーディオショウにほぼ毎年のように来ているが、
今年初めて車椅子で来場されている人に気がついた。

おそらくこれまでのショウにも来場されていたのだと思う。
たまたま私はすれ違うことがなかったのだろう。

今日、車椅子で来場されている人を見かけたのは、あるブースに入ってからだった。

どのブースもそうだが、すでに椅子がセットされている。
スタックできる、いわゆる会議用椅子と呼ばれるタイプのものだ。

この椅子がブースに広さに応じて十脚くらいから数十脚並べられている。
車椅子で来場した人が、左右のスピーカーのセンターで聴きたいと思っても、
椅子が邪魔をする。

だが、タイムロードのブースでは、その人はセンターで聴いていた。
会議用椅子をどけて、である。
おそらくタイムロードのスタッフの人が会議用椅子をどけたのだろう、と思われる。
はじめての光景だった。

タイムロードのブースを出て、いくつかのブースにまわり、夕方にあるブースに入った。
扉を開けたら、その人がいた。
でも部屋の隅だった。

そのブースは、私がはいったときはまあまあの数の人がいた。
だがすぐに空いてきて、最前列は誰も座っていない状態だった。
そのブースでは、何の動きもなかった。

Date: 9月 23rd, 2014
Cate: ショウ雑感

2014年ショウ雑感(その5)

インターナショナルオーディオショウにはラックス、アキュフェーズは前から出展している。
そこにA&Mが加わり、フォステクス、TADが続いた。

でも、これらのブースに入っても、「オーディオフェアの感じ」は受けない。
他の輸入商社のブースと大きく違うわけではない。

なのにヤマハのブースに「オーディオフェアの感じ」がある。
これは否定的な意味で使っているのではない。
むしろ、いい意味で使っている。

私がはいった時は、プレゼンテーションの途中だった。
意外にも(と書いては失礼になるだろうが)、人は多かった。
次に気がついたのは、進行役の人が女性で、
こういうイベントの仕事をしてきた人なんだろうなと勝手に思ってしまうほどスムーズにこなされていた。

いまの太陽インターナショナルが大場商事だったころ、
ここのブースでも女性の人が紙に書かれた内容を読み上げていた。

でも、大場商事の人よりも、ヤマハの人は慣れていた。
マイクロフォンを使い、小型のスピーカーで適正の音量でアナウンスがなされていた。
聞き取りにくいことはなかったし、音量が大きすぎると感じることもなかった。

部屋の一角には大型のディスプレイが設置してあり、
再生ディスクのジャケット、タイトル、演奏家、曲名などが表示されていた。
音が鳴っている途中で入ってきた人でも、何のディスクかすぐにわかる。

それから音を鳴らしている時間、話をしている時間、
この配分がどちらも長すぎることなく、進行していく。
どこのブースかは書かないが、長々と聞き取りにくい声で話が続くところがある。

ずっと出展してきているところがそうなのに、
今回初出展のヤマハが実にスムーズに進めていくのを見ていると、
ほかの出展社は、一度ヤマハのブースに来てみては、といいたくもなる。